体がしんどかったが、頑張って稽古に行く。
道場に着いて着替えてから、弽(ゆがけ)を忘れていたことに気づく・・
取りに帰るにもしんどいので、道場の弽を使うことにした。
当然ぼろっちいのしかなく、それでも堅帽子で一番まともなのを選ぶ。
初めは、恐る恐るやっていたが、案外使えることがわかった(笑)
暴発(ぼうはつ)もなく、それなりに稽古がやれました。
さて、今夜の稽古で、あの「千日回峰行」の「堂入り」の話になった。
九日間飲まず・食べず・寝ず・横にならずの『四無行』をした人の話。
それを行ってお堂から出てきた人がいるというのをちょうどTVでやっていて、自分も見ていた。
この苦行は、さらに続いて、地球を一周するくらいの距離を踏破するらしい・・。
でも、お釈迦様は、もう2千年以上前に「体を痛めつける苦行、荒行をしても、悟りは得られない」としており、
果たして、そんな苦行をしても、一体なんになるのだろうか?と自分も思います。
お釈迦様が説いたのは、「王宮の贅沢な暮らしの中にも、肉体を痛めつける苦行の中にも悟りはなく、
中道における修行にこそ、真の悟りある」そういう事だったと思います。
未だにインドには、苦行荒行をしている超能力志向の人たちがいますが、到底理解できません。
その意味で、この「千日回峰行」も同じようなものに見えて仕方ないのであります。
そりゃあ、断食をすれば、デトックス効果もあり、体の中も毒素が出てくるでしょう。
地球一周分も歩けば、身も心も鍛えられるでしょう・・・達成感もあるのだろうと思います。
でも、それが果たして、どんな悟りを生むのでしょうか?
やり遂げた感はあるでしょうが、なんだか違うような気がして仕方がありません。
並みの人間なら達成できないような事をやり遂げるのですから、そりゃあ凄いんでしょうけど、
だからと言って、「悟り」という意味では、そんな高い悟りが得られるとは思えません。
「千日回峰行」をしたからと言って、あの世とこの世の真理がわかるのでしょうか・・。
なにか特別な力が目覚めるのでしょうか・・一体何を開眼できるのでしょうか・・悟るのでしょうか。
まあ、そういう苦行をやりたければやればいい。断食をしてお経を唱えればいい。歩けばいい
自分は、そんな意味不明の行に励むくらいなら、弓を引き絵を描いたほうがよっぽどいいし幸せです。
そう書きつつも、かけがえのない「弽」を忘れるのですから、アンポンタンですね(笑)