僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(12/4)母の入院日決定

2012年12月04日 21時12分32秒 | 両親のこと、入院のこと
もう寝なくては。

実家から電話あり。

母は
7日に入院が決まった。手術日は未定。

父が6日入院。
母が7日入院。
それぞれ別の病院。

2日続けて
私は入院付き添いである。

いきなりこんな状態で
自分自身が
まだ戦いは始まってもいないのに
どっと疲れる思い。

2日間休むことになる。

震災以来
ほとんど音信不通の私たちだったが
年末になって
こんな形で両親と接している。

ちょっと、落ち着け、トモロッシ。

トチ、大量に嘔吐。
続いて、ノリも嘔吐。

どうなっているの?
皆、心配かけないで。

コメント (3)
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(12/3)母の姿

2012年12月03日 21時04分38秒 | 両親のこと、入院のこと
朝の冷え込みが段々と
本格的になってきた。
私の鈍麻な感覚がようやく
「冬になっているんだぞ」と教えられているような寒さになった。
だが
まだまだ寒さは序の口。

昨日
実家に行ってきた。
仕事を終えて
隣の市に、ネコ缶を買いに行き
その後実家へ。

老夫婦2人がこれから入院する重々しい空気。
母は
入院に向けて家の何かをしなくては、と思って
洗濯をしていた。
父は
耳が痛いと先週から言っていて
その痛みと
今はそれよりも考えなければならない大腸ガンのことでイライラしている。
母に対する態度は
母を萎縮させる抑圧的な態度だった。

父は自分の入院の準備は終わっていた。
母には
このパンフレットを見て、自分のを用意しろと言っていたが
母は、物の認識がはっきりできないため
オロオロしていた。
私がそろえてあげようとしたが
なにしろ
どこに何があるかわからない。
パジャマはどこにあるのか、と聞いても
パジャマが何のことかパッとわからない母だ。
タオルケットもどこにあるのかわからず
1階と2階の往復を母と何度もする。
父は
毎日それら類(たぐい)のやりとりにウンザリしているから
母に対して冷淡な態度である。

大きな洗面器は
父が持っていくので
もう一つ買わなければならない。
あれもこれも買わなければならない。
母といっしょに買い物に行こうとしたが
母は
眩暈がする、と言って座り込んだ。
血圧も高いので無理しないで、
私たち夫婦が行ってくるから、と出かける。

母の具合の悪さは
頭の問題もある。
あれはどこ、これはどこと言われて
あれの認識ができない、
できないから、在る所もわからない、
そのうち父にまた
なじられる、と頭、心に負担が来るのだ。

私たちが買い物から帰ってきたら
大分落ち着いていた。

いっしょにそろえているとき
母は
自分の入院の意味をきちんと把握していないのでは
と思った。
父が言うに
母の大腸ガンは
直腸にまで広がっているとのこと。
敢えて写真は見せられなかった。
父のは、先日積極的に見せてきたが
母のは見せられなかった。
母の心の負担を考えてのことか。

「自分は腹を切るの?」と私に聞いていた。
「切る、と思うよ。」と私は言った。
人工肛門のことも口にしなかった。
何のことかわからないだろうし、
入院先の医師からの説明もないところで
それを言うのは憚られた。
脳梗塞以来、何度か入院しているので
その延長のように考えているのかもしれない。
だから
自分の意思で動いている、というよりは
次のことを
父の指示で動いているようなもので
母はそれもストレスになっていることだろう。

4日(明日)に
入院先の病院に行き
入院日、手術日を指定される。
6日に
父が別の病院に入院。
そしてすぐに母が入院、となることだろう。

母が可哀相だ。
母の脳梗塞の後遺症を理解して
話が通じないときもある、ということを
周囲がわかってくれればいい。

頑張れ、母。
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(12/1)雪が降る。

2012年12月01日 20時08分43秒 | 両親のこと、入院のこと
今日、雪が降った。
煙草の灰が舞ったのか、とまちがうほどのはかない雪。
しかし、北の方ではもっと多く降っているにちがいない。
もう、いつのまにか冬になっていた。
私はまだまだ秋を感じていたい(秋さえ受け止めていないままに冬)のに
街の銀杏の木はまだ黄葉しているのに
冬の季節、とはっきりわかった今朝の冷え込みである。




明日
実家に行ってみないと
わからないことなのだが

両親2人とも
大腸ガンで手術入院、入院先も決まった、ということだけは
把握した。

肝心の
彼らの気持ちがまだよくつかめていない。

彼らは
市のガン検査健康診断を受けての結果。
普段は
健康で、腸が痛い、気になる、という自覚症状はなかった。
ただ、共通しているのは
便秘気味だ、ということ。

年齢的に
どこかに故障があってあたりまえの2人。
父の性格上
切って、これからも頑張って生きる、人生を楽しむ、という考えだと思う。
しかし
父はそうであろうが
母はどうであろうか。
父よりひどい状況、と聞いてショックを受けているかもしれない。
父からの一方的な電話なので
母のことが見えない。
明日、行ってくる。


12月に入った。

あっというまの10月以降。
今月も
私の休みが動く(両親の入院のため)。
そのため
Iさん、Eさんにはまたも今月も迷惑をかけることになる。
しかし
彼女たちは
今日、私の母も入院する、ということを聞いて
私の休みを優先する、と言ってくれた。
自分の休みが、両親の付き添い等になるため
自分自身の休みがない。
私も若くない。
身体に気をつけなければならない。
疲れているとき、寝不足のとき、耳鳴りがひどい。
通常も耳鳴りがあるが
それらのときはもっとひどい。
気が遠くなるような感じで
夫には予め
「今、耳鳴りひどいから、話し声聞こえないからね。」と言っておく。

では
またのちほど。
コメント (2)
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