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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(8/20)鳩の顛末記2

2012年08月20日 21時54分57秒 | 東日本大震災
先日は
取り乱した日記でごめんなさい。

あの日(土曜日)
まだ飛べない方の鳩が、親が餌を運んできたときに
思わず飛んでみたが、下に落ちてしまったのを目撃。
しかも向かいの開いているショップに入ってしまったのです。
土曜日の昼前はもう、通りは人の波。
それを目撃していた人たちがびっくりしてショップを覗いていました。
私は
すぐに下に行って、ショップの人(知っている人)に説明。
小鳩は、自分の巣の下にある店(土日休み)のシャッターの前に移動。
ずっとそこにいます。
その前は行商人が店を開いていて、鳩がチョロチョロしているのを訝しげに見ています。
その人たちにも
まだ小鳩で、巣から落ちて、飛べないことを説明。
女の人たちだったので、「邪魔になる」ということを言わずに、心配してくれました。
通行人はどんどん増えて
動かない鳩に気づく人もあり。

この間のように、落ちたとはいえ、あとで飛ぶことに成功したもう1羽の鳩のように
うまくいくとは限らない。

鳩を、幼少時代に飼っていたEさんが私に
「こうやって鳩を空中に飛ばすと、飛べるかもしれない。」とヒントをくれる。
それをやることに躊躇するような人通り。
だが、やらないで後悔するよりも、やってみよう、と決意。
Eさんが傍にいてくれて、仕事着のまま私は鳩をつかむ。
すぐに通行人は気づいて私を不審そうに見る人もあり。
鳩を気づかって、声をかけてくれるおじさんあり。
あの上に巣があるから何とかして戻したい、と説明。
そしてやってみる。
でも、失敗。
鳩は低空飛行でまた下に落ちる。
もう一回。
すると飛んだけれど、力を振り絞ってたどり着いたところは、電灯の上。
なかなか巣の方までは行けない。
しかし、その上なら、通行人の邪魔にならずに大丈夫か、と思った。
が、
鳩は飛ぼうとして、また下へ。うまくいかない。
そのうち、ビルの端っこに行ってしまった。
もう鳩は今日は飛べないだろう。
あまりに人が多すぎるのだ。
鳩自身、通行人の多いところにいること自体、初めてだから
内心パニック状態だろう。
夜になっても、きっと人通りは切れないから、そこにたたずむしかないだろう。
あるいは、酔っ払いがいたずらするかもしれない、なんて考えたりする。

結局、小鳩、おまえが無理に飛んだから悪い、と
連続のハプニングにもやもやして帰宅した。

日、月と私は休み。

今頃どうしているだろうか、と考えつつ日曜日を迎える。
Eさんには、どうなったかを様子を見ていて、と伝えておく。
そして
日曜の3時ごろ、Eさんに電話をする。
Eさんは
「朗報。
私が帰るときには、巣に戻っていたよ。親、2羽も来ていたよ。4羽でいたよ。
早朝から昼にかけて、ずっと下にいて、もう1羽の小鳩が心配して、下に降りていき
いっしょにいたよ。ずっと。そして気づいたときには
巣に戻っていたし、きっと親が導いたんだね。鳩に感情なんてない、と思っていたけれど、小鳩が下に2羽でいたとき、心配して下に降りたんだ、と感動したよ。」
と言ってくれた。

そして今日も連絡あり。
「今日は2羽で巣にいたよ。二人でまたピョンピョン跳ねて飛ぶ練習していたよ。
と言われた。

よかった・・・・
まずは、巣に戻れてよかった。

「トモロッシさん、こんなに鳩ごときに一生懸命になるなんて」とも言われた。

そうなんです、
鳩ごとき、カエルごとき、ネコごとき、なんです、私は。
通行人の前であんなことをする恥ずかしさはあるけれど
せっかくここまで育ったのだから
人間とのアクシデントで命を落とされたくないのです。

明日はどうなるのでしょう。
明日から
私は仕事面で大忙しの一週間になります。

(8/16)鳩の顛末記

2012年08月16日 22時06分45秒 | 東日本大震災
昨日は涼しい日だったが
今日は起きたときから暑かった。
あまりエアコンをつけない自分が
今、つけている。

今日の出来事を書こう。

秘かな癒しというのが
小鳩の旅立ちはいつか、ということだったが

昨日の様子を見ていると
2羽のうち
1羽が、羽根をしょっちゅうフワ~ンとさせて今にも飛んでいきそうな感じだった。
歩く場所も、一歩間違えば、ツルンと落ちそうな端の所をツンツン歩いている。
そのままツルッと滑っても、フワリと本能的に飛んで落ちることを回避しそうだった。
だが現実に飛び立つところにはまだなっていない。

そして今朝。

早朝5時前。
こちらの職場から見ると
小鳩は1羽しかいなかった。
1羽は不安そうにひとりぼっちでいた。
そうか、やはりあの活発な歩き方をしていたほうは先に
飛び立ったのか、と思った。
残った1羽のために、親が餌を運んでくれるのか心配だった。
同じように産まれ育っても、飛び立ちの遅速はあるのだな、と思った。
それからたびたび、
親が来るのかどうかを仕事をしつつ見ていた。

6時過ぎ。
窓辺に近寄ってふと下を見ると。

なんと
もう1羽が下に落ちていた。
巣の真下の
営業前の閉めたドアの前に座っていた。

青ざめた。
昨日の予想が当たったような、そうでないような。
フワリと飛んではみたが、そのままストンと落ちたような様子だった。
まだ、飛ぶには早かったのか。
ずっと動かない。
動いたかと思っても、3,4歩歩いてはドアの前に座ってじっとしている。
上には
飛べない1羽が、あのまま不安そうに佇むようにしている。
いつもと違う空気を察している。
いつもなら2羽いっしょに寛ぎ、羽根をついばみ、フワリとさせ、
親の餌を待っていたのに、
いっしょの姉妹がいないわけだ。

その時刻はまだ早朝だから
人が通るのも少ない。
地上に降りている鳩の存在に気づかない人たち。
ただ休んでいるだけにしか見えない。
だが
これからどんどん通勤客がごった返す。
そのうちそのドアも開けられる。
開けたとたん、追い払われるに違いない。
親ならすぐに飛んで逃げるのだが
小鳩は飛べないから、どうなるのか。

それを考えていたら
仕事どころではなかった。
しかし
早朝の仕事も分刻みで忙しい。
窓の外を気にする私に
チーフだって不審に思うだろう。
そのうち、何やってるんだ!と言われるに違いない。
私の心は葛藤した。

どうする?どうする?トモロッシ。
あのままずっとあの場所に居るのなら
私はあの鳩を保護すべきではないか、と思った。
巣に返したいけれど
何しろ、高すぎる。
下を通っている人たちには見えないところだ。
私の職場からちょうど少し上に見えるだけだ。
2階から見えるとは言っても、普通の家屋の2階とは違う高さ。
だから巣に簡単に戻せない。
親が来ても
本人が飛べなければ、巣に戻れない。
今私が自由の身だったら
すぐに保護することができるのに。
しかし
仕事中だ。

もしも仕事が終わって、
人に追われながらも、その近辺にいたら
即保護しよう、とダンボールも用意した。
それでいなかったら、もうどうしようもない、その鳩の運命だと思うしかない
と自分に言い聞かせた。

飛べるはずだ、いや、飛べないからじっとしているんだ、と
心の中で繰り返す。

そして
7時45分。
窓辺に近寄る機会ができたので
さりげなく見ると
そこに鳩はいなかった。
辺りを目で追ったが、見える範囲にはいなかった。
こちら側に歩み寄ってきたなら、死角となって見えない。
どこに行ったのか、飛んだのか。
飛んだことに賭けよう。
いないから飛んだのだ。そう思うことにした。
屋根のついている場所なので
大空に飛び立つにはちょっとテクニックがいる。
親が誘導しなければ、なかなかその屋根部分から空に抜け出せない。

仕事に集中しなければと思いつつ
鳩のことばかり気にしていた。

親の姿が一度も見えない。
残された1羽が可哀相だった。
つい昨日までは
この時刻は
目覚めた2羽が親の餌を待っているところだ。

それから1時間後、8時40分ごろ
親がようやく来た。
飛んできたのが見えたので
注視。
端っこに寄って不安そうにしていた小鳩が
足取り軽く、親にすばやく寄っていった。
喜びの羽根の動き。
親が残っている1羽のために餌を与えようとした。
すると。

もう1羽がすぐに飛んできた。
親鳥が夫婦揃って餌を運びに来たことはない。
たいていは
夫婦交替で1羽ずつ餌を運んでいた。
するとこれはもしかして
小鳩か。
小鳩のようだ。
小鳩は監視カメラの上に止まった。
親鳥は監視カメラの上に止まったこともない。

下にうずくまっていた小鳩は
私の見ない間に
親と合流したのか
偶然、飛び立つことができたのか
わからないが
ともかく
今、親といっしょに巣に戻ってきたのだ。

そして
親はすぐに飛び去った。
小鳩は
2羽、いっしょに並んだ。
親の後を追わなかった。

ようやくいつもの姿に戻った。
残された方は
姉妹が戻ってきたことによって
動きが活発になり、安心したかに見えた。
1羽でいたときは
本当に
端っこに居て不安そうに動かないのだ。
心が読み取れるようだった。
おとなしく待っている、というよりは
不安でしかたない、というふうに。

そのあと
10時前に、親がまた餌を運んでくる。
2羽とも喜んで、餌を口に入れてもらう。
もう、冒険はしないで
じっとして、機を待とうと思ったに違いない。
あの
地上のドアの前で、人が傍で行き交う恐怖体験はコリゴリだと
思ってほしい。

明日はどうなっているのか。
飛べる、ということはわかったが
まだまだ自在に飛べるわけじゃない。
どうか
じっと待っていてほしい。

賑わう街の中。
ドアの前を、掃除の人が一生懸命モップで拭いていた。
おそらく糞をしたにちがいない。
人間にしたら
糞で汚す憎たらしい鳩、なのだ。
都会で暮らすなよ、鳩。
都会に巣を作るなよ、鳩。
でも雨風しのげる所だから、もってこいなのかね。
そのうち
この小鳩たちが親になれば
ここに戻ってきて
巣を作るのだろうか。


私がたまに行く公園には鳩がいっぱいいる。
小さな別の公園さえ鳩は寄ってくる。
あの中に
あの親がいるのかもしれない。
だが紛れたら、識別不可能。
大勢の鳩の中に埋もれているが
鳩1羽1羽に
物語があるんだね。

七夕の飾りの件で心配をし、
それを乗り越えて
あとは巣立ちを待つばかりかと思っていたが
今日のようなハプニングはごめんだ。
明日以降もどうか
巣立ちまで平安であるように。
あ、
明日は私は休みなんだ。
観察ができない。
そして
1日置いて、日、月と続けて休みなので
小鳩の巣立ちには立ち会えないかもしれない。
それでもいい。
どうか無事に巣立ちできるように。

(8/13)鳩が大きくなりました。

2012年08月13日 20時35分28秒 | 東日本大震災
お盆休み。
私は昨日、一昨日と2日続けて休みが取れて
それがお盆休み。
お墓参り等であっと言う間の2日でした。
仕事と休みのメリハリがない状態というのは
頭のカレンダーも狂い勝ちです。

今日は暑い。
湿気が多くてじっとしていても汗が出る。

オリンピックが終わりました。
そこそこ観ることができました。
早朝の試合は生で幾らか観ることができ、式典セレモニーは
全く観られなかったのが残念。
華やかな(よく取り上げられる選手)人たちとは違い
あまり話題にならなかった競技とかの日本人選手の活躍は良かった。



さて職場の雛鳩。
休みの2日間で、もしかしたら飛んでいったかな、と
思ったけれど
今日見てみたら
まだいました。
2羽とも大分大きくなっていて、親鳥が居ない時は
2羽だけだと、若い夫婦かな、と思ってしまうほど。
親が来て初めて、大きさの違いで、小鳩というのがわかる。
羽根をよく羽ばたかせて、いつ飛んでもおかしくないくらい。
あと数日で
親について、飛び方の練習、餌摂りの練習に入るのかな。
いろいろといやなことが連続するなかで
職場にての、たった1つの癒しです。





論理的な解説のできない人間は
大きな声で威嚇し、押さえつけるだけの技しか持っていない。
それに納得できないときは
私は返事を保留にする。
いや、これはマネージャーなんですけれどね。
同じ年なんですよ。


友人にまだ返事を書いていない。
時間がゆったりと取れず。




(8/7)祭り、そして鳩・・・

2012年08月07日 11時02分31秒 | 東日本大震災




祭りが始まった。
仙台は昨日から七夕祭り。
今日は2日目。
私は一週間ぶりの休み。
とにかく疲れに疲れた一週間。
昨日の夜は、休みの前日の夜ということで夜更かししようかと
思ったが
9時に就寝。夫も早くに寝ていた。
今朝は4時半起床。
それから洗濯3回。
ちょっと一段落してブログ。


今月初めに三夜連続して、夜も仕事が入った。
早朝から仕事をして午後に一時帰宅し、再び職場へ。
夜10時ごろに帰宅就寝、早朝出勤の繰り返し。
おかげで
食事がまともに摂れていず、ますます痩せていく。
ズボンがずり下がる。
夫への食事の準備も儘ならず、ただ肉を焼いていて、の指示。
夫も疲れているから、自分で何かを調理するというのが面倒なので
肉を焼くとか魚を焼くということぐらい。
何かを作り置くということもほとんどできずに
一時帰宅のときは、身体を横にするのが精一杯。
洗濯物も溜まる。
何より、その夜の仕事は賃金無し。
時間調整という言葉であやふやなもの。
いいのかね、これで。
働いた分、どこかで早く帰宅できるとはいうが
せいぜい30分ほどの調整の日々。
仕事の量は決まっているのだから
お互い協力しあわなければ、2時間早く帰宅なんてそうそうできない。
チーフはやっているけれど。

生活犠牲の仕事だなあ、と考えつつこうして一週間経った。


普段は
午後2時ごろに職場を去るのだが
その夜の仕事のときに

夜は
鳩たちはどうしているのだろう、と観察することができた。

雛たちは日に日に大きくなって
よく羽ばたきをしている。
そして親はどうしているのかな、と見ていたら
雛たちと7,8メートル離れたところでじっとしている。
雛たちといっしょにいない、ということがわかった。
餌を運ぶときだけいっしょにいる、ということだ。
それでも着かず離れずの距離のところに夜はいる、ということがわかった。
そこがねぐらなんだね。

そして心配していた、
祭りの準備のときに
雛の巣はどうなるのか、ということ。

一昨日(5日)の朝から大きな竹が設置されていく。
それを観るのも初めて。
大掛かりなので、通行人を大声で誘導しながらの作業。
作業の男の人が2人、アーケードの両側の上に上って
綱を渡していく。
それを、通行人は祭りの準備の一環として眺めている。
さて、鳩。
親二羽、いた。
いつもなら餌を取りにどこかに遠征しているはずだが
なぜか二羽ともいた。
ただならぬ雰囲気を感じたのだろうか。
そして徐々に自分たちの寝床に近づく作業。
鳩は逃げない。
近づくにつれて、
二羽はチョンチョンチョンと横に移動していく。
ネコならパニックね。
すぐに逃げ出すね。
でも親鳩は作業に合わせて横移動。
堂々としているというか、度胸があるというか、
安心した。


そして雛の巣は
竹のセットの下に位置していたので
作業の人は全く
この巣に気づいていなかった(竹の撤去のときは、どうかはわからない)。
それに人々の喧騒、いろいろな音楽の音に雛の声は消されて
誰一人、雛の巣に気づいていなかったと思う。
雛たちも頭を下げていたのかな。

ということで
作業のときに
巣は撤去されるのか、という心配は消された。
後は
竹の撤去のときにそれに気づくかどうか。
それは明日の夜中か、翌早朝の作業だから見ることはできない。

1つ心配な点は
あのたくさんの大きな飾りや竹が邪魔になって
親鳩が飛べない、という点。
しかし
昨日朝観たところ、
親は雛のところに餌を運んでいたような気がする。
何しろ、竹や綱の陰になってよく見えなかったのだが
餌をやっていた、とは思っているんだ。

あとは今日と明日を凌ぐだけ。
鳩、賢い、強い。
頑張れ、鳩親子。




パイプ椅子に涼を求めるシンノスケ



(8/1)突然帰ってきた。

2012年08月01日 21時44分12秒 | 東日本大震災
7月中旬のブログで
九州の人たちが突然帰省して
九州の大雨被災の仕事に切り替わったことを書いた。
こちらの仕事に戻ってくるのかどうかもわからず
本来なら
地元での仕事が主であるから
そのまま帰省という形になるのだろう、と思っていたら
3日前
突然、こちらに戻ってきた。
つい、
「お帰りなさい。」と言ってしまった。
驚いた。
もう会えないかもしれない、復興のお仕事ごくろうさま、と
挨拶をした数週間前。
七夕になったら、こちらの様子をメールでも送ってやろうと思っていた。

彼らはあくまで
復興の仕事は臨時なのである。本来の仕事があるのだ。
にも拘らず、再びこちらの仕事がまだまだ残っていて
依頼されて来たのだ。

こちらの暑さと向こうの暑さは全く違うようだ。
「暑いですね。」と言っても
「いやいや、こちらの暑さはまだまだですよ。」と
快適らしい。
すっかりこちらの人間になっている。
このまま東北に移住してきたら?と思うが
家族がいるものね、九州に。
しばらくはこちらの仕事に専念。


まもなくこちらも大きな祭りがある。
心配事は
あの鳩の雛である。
今日も親子の仲のよさを見ていた。
この平穏な生活が続くのかどうか。
よりによってあんな所に巣を作るなんて。
時期的に一番都合が悪い。
この時期をはずしていたなら
無事巣立ちまで大丈夫だと思うのだが
祭りの準備のときに巣を撤去されたら
雛はどうなるのか、親はそのときいないのかもしれない、などと
私の想像がどんどん大きくなる。

東京の友人から手紙が来た。
明日から私は夜も仕事が入って(非常に憂鬱)
返事を書く時間が取れない。
できるだけ早く返事を書くので
待っていて欲しい。
暑さに負けず、水分を摂って健康に気づかっていてほしい。

(7/29)雛が育っていた。

2012年07月29日 16時12分54秒 | 東日本大震災
職場から見える鳩の番(つがい)。
毎日
夫婦交替で、巣にじっとしている。
昼ごろに、片方の鳩が帰ってきて交替する。
ずっと卵を温めている、と思ってきたが
なかなかその雛の気配が見当たらないので
ただのねぐらか、と思うようになっていた。

今朝は
出勤時には双方の姿見えず。
暑いから巣を放棄して
別なところに移ったのかな。
すると
10時ごろ

巣の位置でなにやら
羽根が動いているのが見える。
水浴びしているかのように速い動き。
そしてその羽根が小さいのだ。
いつもの鳩なら、身体も頭も丸見えだから
これは明らかに
雛だ、と思った。
そのうち親が帰ってくると
きっとピーピー鳴いているのだろう。
頭、顔が見えた。
2羽いる。
産まれていたんだ。
何だか嬉しかった。
鳩の雛なんて見たことがない。
窓越し、数メートル先だから
しっかりとは見えないが
様子がわかる。

新しい生命の誕生。
お祝い。
頑張れよ、と心の声をかける。

しかしね、ちょっと不安。
なぜなら
来月の初めにこちら大きなお祭りがあるんだ。
七夕の大きな大きな吹流しがセットされる。
その雛の巣はまさにセットされる位置。
どうなるのだろう。
誰も知らないあの雛たち。
通りがにぎやかだから、雛の鳴き声さえ消されていると思う。
誰もそこに巣があるとは知らない。


Eさん曰く。
「大丈夫でしょ。」と。
雛よ、おとなしくしていてね。邪魔にならないようにいてね。
ここ数日で巣立ちするとは思えないが
巣立ちできればなあ。

(7/18)突然、去っていく

2012年07月18日 21時32分32秒 | 東日本大震災
明後日、休みなので
明日一日頑張れ。
暑さと仕事量のきつさとその他諸々で
疲れ倍増。
帰宅してバタンと倒れて2時間ほど眠る。
そして夜も早めに寝る。
水分の取りすぎで夜中1時ごろにトイレタイム。
再び3時間寝て起床。


九州からの長期滞在の方が
急遽、こちらの仕事を引き払って帰っていった。
今月いっぱいで終わる予定だったのが
急に決まったらしい。
理由は
九州での大雨の被災現場への移行。
今回の被害が甚大なため
被害調査の仕事が入ったという。
だから
自宅にいったん戻ったとしても
すぐに
九州のどこかの県に派遣されるらしい。
慌しく
この仙台を去っていった。
もしかしたらまた1ヶ月ぐらいして
こちらに来るかもしれないが
それもわからないとのこと。

こうして1人2人と去っていく。
いつのまにか
消えてしまった人もいる。

余韻を残さず去っていく。
またいつかお会いできるまで、という挨拶をして
明日からの
被災現場での仕事に身体を気づかいながら(猛暑ですし)
働くのだろう。
頑張れ、おじさん。
若くない身体を大事にして
打ちひしがれているそちらの被災者のために
働いてください。


窓から見えた鳩の姿の後の報告をいつかしましょう、おじさん。
おじさん、なんて書いているけれど
年下だったりして。

(6/18)暑い日が2日続く

2012年06月18日 22時09分39秒 | 東日本大震災
昨日、今日と
暑い。
蚊が動き出した。
草取りをしていると
蚊が私の耳あたりを刺す。
明日はまた雨、低気温。
草取りの日和。
一昨日の雨の中、土が軟らかいうちに
雨に打たれつ、草取り。

昨夜は12時近くに就寝。
4時起きだったので
4時間の睡眠。
その間に
夢を見る。

両親の夢だ。
父の事後連絡の夢。
「お母さんが死んだ。葬式も終わった。」と、
土色の顔で父は私に言う。
私は
「お母さん、お母さんと100回言えば、また会えるよね。」と
「お母さん!」と絶叫する。

父の事後連絡、というのは現実にありそうだ。
そして
こんな夢を見るのは、潜在的に
両親に全く連絡していない状況を
気にしている証拠だと思った。
虫の知らせ、という意味でも
手紙なり書かなければならないと思っている。




今朝の地震。
広範囲で揺れたようだ。
5時半ごろだったか
揺れに気づかなかった私だ。
職場にいて
天井がミシッという音がしたのだが
空調のせいだと思い
全然地震と結びつかなかった。
Eさんが突然ラジオをつけて
他の方が、こちらに入ってきて
「大丈夫ですか」と言ったときに
初めて
さっきの音は地震だったのだ、と気づいた。
結構大きかったようで。
自分が揺れなかったので
地震だと思いもしなかった。



今日は穏やかな仕事ぶり。
Iさんが休み。
非常に静か。
心が安定して仕事が捗る。
明日は私が休み。
今夜
あれこれと作業をしようと思ったのだが
身体が疲れているので無理せずに
ブログ等を見て
これから休もうと思う。




(6/17)まもなくこの街を去っていく人たち。

2012年06月17日 22時45分20秒 | 東日本大震災
仕事の合間に
お客様とお話することができた。
長崎から来ている方だ。

いつも来ている方々の中から
ポツンポツンと
いつのまにか消えていく人たち。
復興の仕事を終えて
帰郷していった。
その中でまだ残っている方もいる。

「自分もそろそろ終わりだと思う。
来月あたりかなあ。」と言っていた。
まもなく
そこには誰もいなくなる。

東北の街は
もう行く所がないほど、あちこち行ったそうだ。
岩手の宮沢賢治の資料館にも、山形の出羽三山にも行ったとのこと。
宮沢賢治については一生懸命説明してくれた。
私もずいぶん前に行ったがもう、訪れることはないだろう。

長崎にいて
東北、といえば
民話の世界、というイメージだったと言う。
私は
「遠野物語ですね。」と答える。
「しかし、いざ仙台に来てみると、意外に大きかったので驚いた。」と言う。
仙台には
昨年の3月20日ごろに入ったので
あの4月7日夜中の大きな余震もこちらで経験していたことが
わかった。
あの頃は、まだまだ余震続きで、水もガスも食糧も儘ならないときだった。
そのときには既にこちらに来て
仕事をしていたわけだ。
私はまだ、この仕事に就いていないか、就いたばかりのとき。

人との会話は
こうして終わりに近づくころに、多くなっていく。
もっと早くから会話をしておけばよかった、と後から思うものである。
なかなかゆったりと話せない私の職場。


宮沢賢治とか遠野物語とか
岩手に纏わる話であったが
久しぶりにそんな話をした。
自分の今の日常ではこんな話は皆無なので
やっぱり
ゆったりとそんな話ができる環境はいいなあ、と思った。


現実に引き戻されると
相変わらず

来月の休日のことで
Iさんのわがままぶりに閉口する私たちである。
そんな会話しかない現場である。

Eさんが
「うちの娘と話していて、レモンという漢字はどう書くのか、作者は
誰か、ということになり、トモロッシさんとうちの娘なら
話が合うのではないかと思ってね。」と言ったので
「檸檬」と漢字で書いてあげて
作者名も漢字で書いてあげた。
そんなちょっとした会話にも
Iさんは二人の、仕事に関係ない話に対して
不快感を表す。
だめか、こういう会話も・・・



休日というのは
不定期で、自分たちがそれぞれ好きな日を選ぶ。
まずIさん、次にEさん、三番手に私、の順に入れていく。
土日が忙しいので
その日は避けること、できれば金曜日も避けること、と
Iさんに言われている。
Iさんが連休を取ると
必然的に、金曜日とか土曜日にしか私たちの休みが入らない週が出てくる。
そこで
Eさんが土曜日に休みを入れると
「ダメだよ!土曜日は忙しいんだから!」と怒鳴る。
おいおい、あなたは日曜日に入れているじゃないか。
今月の最終週なんか
日曜日から5日連続で休みを取っているじゃないか、
この職場で
5日連続で休暇を取っている人、いないぞ。
なぜ自分は日曜日を取って、Eさんは土曜日だめなのか。
そう、詰問したいところだが
またゴタゴタとこちらがいやな気分になっていくので
Eさんは別な日(それもIさんの都合で動きそう)に仮の休みを入れる。
なんとも
自分本位な人で、困ったものだ。

ああ、グチになってしまった。
宮沢賢治、宮沢賢治。


今、毎日
雨の中、庭の草取りをしている。
今月中には決着をつけたい。
大げさな書き方だけれど
そのくらい雑草との戦い。
根切りもしているのでしんどい。

(5/9)仙台という街

2012年05月10日 00時08分19秒 | 東日本大震災
この時季の若葉が美しいと
今日も感じたくて
ついつい、公園に寄りたくなってしまう。
大木を眺め、鳩を眺め
風を感じて
帰宅。
そして
午後寝。
疲れていましたよ、私の身体。
昨夜結局、3時間ほどしか睡眠取れず
そのツケが来た様で。
そして今また
眠さが飛び、
夜9時ごろから洗濯とか掃除したり。
サイクルが違うでしょ、これでは。
明日休みなので気楽な気持ちですけど。

休日に
庭の樹木の剪定とか草取りとかを考えていたのだが
明日はまた雨になるとのこと。
布団干しもお預け。
週に一回の休み(不定期)にはどうしても
日差しがほしいのだが
儘ならず。


今日は職場で
お客様から
長崎の名産品
「九十九島せんぺい」という煎餅を戴いた。
日ごろお世話になっているから、ということだったが
こちらこそお世話になって1年。
長期の滞在である。
先日のGWに久しぶりに故郷に帰り、
昨日あたりにまた仙台入り。
皆さん、また揃いましたね、と声をかけ
再び復興の仕事に就く九州人。
こちら長崎に行ったことがないが
何となく
観光のイメージ、歴史のイメージを持っていて
「長崎、素敵なところですよね。」と言うと
「仙台も住みやすいですよ、好きになりましたよ。」と
言ってくださる。
そんな言葉が嬉しい。
いつのまにか
仙台の街に精通していく復興の仕事の人たち。
大阪や愛知の人たちも
毎日、仕事仕事で
つい、ずっとここに居そうな錯覚に陥る。
いつかは
別れが来る。
いつかは終わる。
物事にはいつか必ず終わりが来る、ということを
心の片隅に置いておかねばならない。
人との出会いは
生活していく中での弾みになる。
彼らの心境も複雑だろう。
故郷はやはりいいし、
そして
住めば都で
長期滞在すると、この仙台の街にも愛着が出てくる。
復興の仕事がなければ
この東北の街々とは無縁だったろう。
それにしても長い滞在だ。

昨年末にその仕事を終えた大阪の人が
こちらで事務所を開く、ということを
以前書いたが
その話も進んでいるようだ。
こうして
故郷に戻っても
仙台で仕事をすることを決断する人もいる。
むろん、仕事があるという判断がそうさせているのだが
なかなか
決断のできることではない。
どうしても近県になってしまうのではないか。
住んでみたら
ほどほどの街の大きさ
少し足を伸ばせば、緑が多い。
そういう環境も惹かれる要因かもしれない。
仙台は
学徒の街、と言われていた。
学生のころ
確かに
九州大分から
こちらの大学に来ていた人もいた。
広瀬川のほとりの古い一軒家を借りて
住んでいた。
大分に戻っていったけれど
彼も「学徒の街」に憧れて来た人だった。
仙台は何かしら
魅了するものがあるのかもしれない。
どんどん新しいものができているけれど
この震災で
古い建物は取り壊されていったけれど
なかなかどうして
住むには環境が抜群なのである。

私も
故郷は北海道だが
もしも
この仙台を離れて余生を別な所で過ごすようになったら
改めて
仙台の良さをつくづく実感するのかもしれない。
北海道から来たときは
北海道に帰りたくて帰りたくて
なかなか仙台という町を肯定できなかった。
父から
北海道を無理やり引き剥がされた感覚だった。
今や仙台人。
夫も生粋の仙台人。
この家から全く出たことのない人だ。

おやすみなさい。

(4/4)全てがあれから1年。

2012年04月04日 01時38分40秒 | 東日本大震災
こんな夜中にブログを書くのはいつ以来だろう。
こんな夜中に起きているなんていつ以来だろう。
今日から明日にかけて
天候が大荒れということで
休日の今日と明日(もう日付は変わったが)は
家にこもっている私である。
休みを2日続けて取ることができた。
1日だけでは、ただ身体を休めるだけの日になってしまって
何もできないのが現状。
少しは
夜更かししたり、テレビを観たり、寝坊をしてみたい。
ということで
夜、久々に長いドラマを観た。
後味の悪いドラマでもあり、そういう結末もある、と思って。
結局今日も
午後に、どっと寝てしまった。2時間ばかり。
そして
夜、久々に頭が冴えて、テレビを観たんだ。
そういえば
東北3県は3月31日で、テレビのアナログ放送が終わり、地デジに切り替わったんだ。
うちは貧乏なので
地デジ対策をしていなかった。
相変わらず、ブラウン管テレビである。
でも
CATVのおかげで、このまま観ることができる。
もうテレビは観なくてもほとんど生活に支障はないのだが
昼間、義母の楽しみが無くなるのではと一時心配したが
あと3年ほどは大丈夫。


何もかもが、あれから1年、という日である。
震災後の非日常的なこと。
食料がないこと、ガスが使えないこと、
買出しに長時間並んだこと、
ソファで眠る日が続いたこと、
ガソリンが無いこと
そして
仕事を探さなければならないことなどなど

あれから1年という日々。
昨年の今日あたりに、今の仕事の面接に行っていた。
それから怒涛の1年。

考えてみれば
大きな転機だったのかもしれない。
私は
以前の仕事しか知らない。
この性格の自分が果たして
他の仕事で通用するのか、と自己疑問を持っていたけれど
やはり
災いする、この性格。
正義とか、追及とか、ある意味、人間関係の潤滑のトラブルになり兼ねないそれら。

智に働けば角が立つ、情に棹させば流される

まさにそれだ。

前回の日記のあと
自分はどう自己解決したか。
解決などしていない。
結局は
また我慢せねばならない、と言い聞かせただけだ。
このままでは全く変わらないじゃないか、そこから動け、進展せよ、と
思ってはみても
それを押し込めるだけの解決方法である。
どうせまた
繰り返しである。
その繰り返し、とわかったうえで
再び
我慢しつつ働く。
決して、良い解決方法じゃないんだ。
本来の私の性格なら
どうしてそうなるのか、なぜ、そうしないのか、とか
本質的なところを追及していく人間である。
そこが納得しないと前に進めない今までの自分。
しかし
この職場でそれをやって通用するか?
その労力後に、良い結果が出るとは思えない。
そして
仕事を変えても
この性格がある限り、どこでも同じ疑問に当たる。


ああ、このことはこれで終わりにしよう。



今日の大雨で
カエルたちがずいぶんと出てきていた。
2匹重なって路地に出ていたり、車通りに出ていたりしたのを
拾ってきてうちの庭に放す。
いよいよそんな季節である。
ここ2,3日、早朝の通りに
つぶされたカエルたちを見て
「バカだ、せっかくの命、せっかく長い冬眠から覚めて出てきたのに
あっけなくつぶされて・・・バカだ」とつぶやいた自分。
以前の自分のペースを取り戻して
軌道修正して
カエルたちのことを心配して過ごそう。
私には
この生活が似合っている。
今年も頑張れ、トモロッシ。
自分こそ生き延びて
弱きものを救っていくように。


(3/11)あれから1年の今日

2012年03月11日 23時06分45秒 | 東日本大震災
職場の近くのある銀行に掲揚された半旗である。
数日前から掲げられ、
銀行が休みの土日、賑わう道路の上になびいていた。

   

今日は
あれから1年の日だった。
私は普段どおり
日曜とはいえ、早朝の出勤。
日曜は忙しい。
窓から見える通りは
活気あふれる仙台の街だった。

早朝4時ごろの出勤のため
この1年、朝刊を読む習慣がなくなった。
うちでは全国紙をとっているが
職場で
地元の新聞を見る。
あの日、亡くなった方々の名前が記載されていた。
そして
かつて
元の職場の先輩であった方の名前を発見した。
その方が亡くなったことは既に、去年のうちに聞いており
(ブログでも書いた)
信じられない思いだったが
こうして文字を見ると、本当に亡くなったのだ、と
今日この日、思う。
彼女は、たまたま友人宅に遊びに行き、そこで被災、亡くなったとのことだった。
生きること死ぬこと紙一重だった。
遺族の気持ちはどんなだろう。


私は仕事を終えてから
県庁に向かった。
まだまだ冬の気候である。
あの日は
午前中はそれほど寒さを感じなかったと思う。
今日は朝から
みぞれのような雨のような雪のような
初めから寒い。

県庁では
震災犠牲者のために記帳、献花が行われていた。
記帳、献花をしてきた。
多くの方々が列を作っていた。
あの時刻が近づくにつれより多くの
老若男女、ここを訪れる。
皆、哀悼の気持ちを表すために訪れる。

幸い、私たちは生き延びた。
現実には
生き延びたあとの困難がふりかかっているが
生きなくちゃならない。
生きなくちゃならない。
そう思って帰宅。

家にて
あの時刻、追悼。

テレビでは
津波の様子が流れるが
1年経っても
津波の場面は直視できない。
テレビを消してしまう。

95年に
大きな事件があった。
阪神淡路大震災、
地下鉄サリン事件。
それらを忘れないためにも
各新聞社等で発行された「特集」の冊子を
何冊も買い、保存してある。
今回の震災についても
たくさんの本が出ている。
当然、保存しておきたい自分なのだが
未だに
買うことができない。
それを開くことができないような気がする。
もう少し気持ちが落ち着いたら
手元に残しておきたいと思う。

あの日の
今の時刻
街全体が真っ暗な闇になり
夜空は
無数の星が散りばめられていた。
星空が美しいということと悲しいということと。
いろんな思いが交錯した夜。
しかし、それも生ぬるい気持ちだったとは。
被災した人たちはあの夜、どんな思いで過ごしたのかと
考えると
美しいなんて言葉は不謹慎だった。
だが、あの夜の今の時刻
私たちは
情報が全く入ってこず、まさか
津波で多くの方々が亡くなっていたなんて思いもしなかった。
地震の大きな揺れだけが印象に残っていて
まさかあんな事態になっていたなんて
この時刻、想像もできなかった。




(3/6)気温上がる。カエルはまだ冬眠中。

2012年03月06日 21時10分58秒 | 東日本大震災
昨日の天候は
私が出勤する頃(朝4時過ぎ)に雪が降り続き
午前中は大粒の雪がゆったりと降ってきた。
大粒。
この雪を待っていた。
しかし
現実には
自転車で買い物に行かねばならず
降り積もった雪道に足を取られ苦闘しながら出かける。
帰宅する頃には雨になり、それもひどかった。
雪はグチャグチャになって、自転車が滑り何度もころびそうになる。

今日は休みだった。
気温が12℃くらいだというが
それほど暖かみは感じなかった。
そして半年ぶりに
南の庭のカエルの巣穴を覗き込む。
巣穴には3匹くらい重なってまだ冬眠中のカエルを観る。
もっと奥にはいるのかもしれない。
よかった、この気温で出てくるかもしれないと思っていたので
まだ冬眠中。
まだまだ融けていない雪が庭のあちこちにあるので
冬眠から覚めても、餌があるわけない。
春はそこまで来ているが
カエルたちには訪れていない。
もう少し、本格的な暖かさが来るまで眠っていてほしい。



あれからまもなく1年。
今日も余震あり。


心境的に
塞ぎこんでいる夫婦である。

(2/14)今朝見た雲の形、ウソみたい。

2012年02月14日 10時40分51秒 | 東日本大震災








今朝7時過ぎに
洗濯物を干そうとベランダに出ると
芸術的な雲に出会ったので
カメラを久しぶりに出して撮った。

南の空一面に
この模様が広がっていた。
もしも
人間がこの雲の通り
絵に描いたとしても

こんな幾何学的な雲があるはずない、と一蹴されそうだけれど
写真は
真実ね。

雲が
自ら
ちょっと悪戯をしたみたい。
冬の朝
人間が誰も見ていないかもしれないから
ちょっと
イタズラしてみようって。

30分後には
綺麗にこの姿はなく
通常の雲の姿になりました。