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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(1/14)今日は大雪

2013年01月14日 21時57分06秒 | 東日本大震災
今日は
東日本、大雪ですね。
仙台も
朝から積もりました。
自転車、玄関前に放置です。
乗って帰ってこられなかった。
明日の朝
少し早めに出て
歩いて行くか
自転車を引っ張って行くか
迷います。
早朝4時、歩いていくには
怖いかな。
長靴履いていきます。

今日は
仙台
どんと祭。
正月飾りを神社の御神火に。
初詣、行けなかったので
神社のサイドの小さな社にお賽銭。
別の神社にも寄って、お賽銭。



鳩は
今日来なかった。
雪が降っていたので
どこかにいたのでしょう。
寧ろ
いつもの巣の方が
雪にも当たらないし
風もしのげるのに
こんな雪の中
街の鳩は本当に
どこにいるのだろうと思ってしまう。

もう1箇所
鳩のいるところを見つけたんですよ。
歩道橋の下。
非常に狭いところで
立って休んでいる。
そこを今日見たら
二羽いた。
もちろん
いつもの鳩とは違う鳩。
こんなところにも
巣を作っているんだ、と思った。
さすがに今日は
じっと立って
風、雪に耐えていた。



(1/13)鳩は足が悪かった

2013年01月13日 20時28分54秒 | 東日本大震災
昨日の今頃はもう寝ていた。
そのため
3時過ぎに自然に目を覚ます。

風邪の症状があまり重くなっていなかったので
起きて洗濯をした。
そのあと出勤。

今ももう眠い。
佐藤健君の出演する「とんび」を観たいのだが
11時まで起きていられるだろうか。
途中で寝てしまうかもしれない。



雌の鳩、足が悪い。
怪我をしているか、ちぎれてしまったのか。
歩き方が変だった。
夫婦で、珍しく下の通りに降りて
あまり人が通らない時刻
自由にツツツツと走っていた雄。
雌は
降りたまま動かない。
少し歩いたかと思うと
思うように歩けていない。
そのまままた自分たちの巣に飛び戻った。
そして
夫婦二羽、まるでネコが寄り添うようにピタッとくっついて
座っていた。
雄が寄り添っていた。
鳩のそんな姿を見るのはあまりないことだし
意識して見たことがないから
また感情移入してしまった。
餌を十分に摂れないと思う。
そのために雄がずっと付き添っているんだね。
感動した、というよりも
どうか見守ってください、と祈る。

同僚のEさんは
「大丈夫だよ、鳩は飛べるんだから。」と言ってくれた。
そうだね、飛べるんだ。
羽根を傷めていたら、致命傷だ、餌場に行けないもの。
今、真冬。
この厳しい冬、早く終わればいいね。
どうか無事、冬を越せますように。


昨日は仕事の失敗や体調不良で
気分的に沈むかと思ったが
今日の方が
鬱的だ。
鳩の足のことがわかってから落ち込んだ。
「私ってバカでしょ。鬱に入ったと思って、原因を探っていくと
鳩のことだった・・・」と
自嘲的に言う。

存在の弱きもののために光をください。
いつもいつもそう思っている。

(1/10)おはよう、鳩。

2013年01月10日 23時12分59秒 | 東日本大震災
夫は
8時半に寝てしまい
私とネコたちは
さっきの地震で
あわてふためいて、2箇所のストーブを消しに行った。
落ち着いていたのは
ノリというネコ。
皆、あちこち散って隠れたのに
ノリだけが
デーンとソファに座っている。
ヘンな揺れだったなあ。
短かったけれど、立っていられない揺れ。
これが長く続くと
あのときの地震を思い出す。
今、真冬。
仙台の朝は雪。ずっと寒いんですよ。
職場でも
省エネの警告ブザーが鳴るので
エアコンを消せ、と言われる。
寒い寒い、とずっと言っている。
家でも
省エネと夫に言われて、設定温度が低い。
こんなときに
地震があって外に出たり、電気が止まったら
どうすりゃいいの。
電気を使わないストーブが重宝された、と地震のときに言われたけれど
買っていない。

私は
明日も休みです。
2日続けて。
だからこの時刻、起きています。
まもなく寝ます。
5時に起きる。

書いておきたかったこと。
職場から見える鳩のこと。

一週間前に
雄しか居なかった、心配と書いたけれど
2日後に出勤して
早朝はいないのだが
7時半過ぎに
やってきた夫婦。
午前中10時半ごろまでいます。
いつも同じ姿勢。
雄には
私、手を振って合図。
わかるかなあ。
雌はいつもうずくまって、顔が見えない姿勢。
尾だけをプルプルと震わせています。
雄は雌の傍を離れず、あっち向いたりこっち向いたり。
昼間はいつのまにかいなくなる。
寒いときは
雄も座って、いつもいつもいっしょ。
卵、ないと思うんだ。
夜中、早朝、いないから
卵、寒さで凍ってしまうでしょ。
でも、まるで卵を温めているような姿勢。
なんでそうするのか習性わからず。
2羽、こうして健在。

7時半ごろ
やってくると
「おはよう、鳩」と心の中で
挨拶するのが日課。

(12/22)再び去っていく人々

2012年12月22日 20時35分07秒 | 東日本大震災
あと10日ほどで
今年も終わる。
先日、震災関係の仕事で再来仙した方(長崎の方)が
慌しく今日故郷に帰っていった。
また来るかもしれない、という言葉を残して。
長崎3人組が突如現れて、突如去っていく。
あまり会話ができなかったが
(4ヶ月弱の不在がウソのように、まるで仙台でずっとこれからも働いていくかのような
再会だった)、これからもまた会えるような気がしてならない。

今日から3日間ほとんどの人たちは休みである。これを機に、仙台を離れて
自分の故郷に戻っていく人たちが多い。
更に、年末は仕事の区切りで帰っていく人もいるだろう。
年明け7日前後に、再び姿を現すだろうか。


疲れすぎて
夕寝をしようと思っても寝付けない。
今日は寒い1日で、肩が冷える。
早めに寝ようと思う。

こんな記録ですみません。
頭が働かない。
昨日は、死にそうな気分だったのに、今日立ち直れたので
その気持ちも省略。

こんな優柔不断な自分とお別れしたい。

(12/20)久々に家にいる。

2012年12月20日 20時55分54秒 | 東日本大震災
久しぶりの休日が
それほど充実することなく終わる。
今頃
冬支度。
奥の部屋にいるミミたちのコタツをセットした。
ストーブは前から点けているが
コタツのほうが夜中はその中で寝るので
ようやくセットしてやった。
タイマーは5時間、3時間の選択。
ミミとナナは喜んでコタツに入る。



先日
実家に泊まったとき
周辺の町並みを早朝に散歩した。
家にて
一服できない自分は携帯灰皿を持って
田園の道を歩いて空の風景を写す。
この辺は
震災の津波は来なかったが
1キロ先は影響があって、近くの道路は封鎖されていたっけ。




今、仙台は光のページェントという冬のイベント真っ盛りである。
まもなく来る
クリスマスが人出のピークだろう。
あまり関心なかったそれだが
街の中で働いている自分はもっともっと
これらを積極的に楽しむべきだと思った。
そういえば
仙台に
アンパンマンのミュージアムがあるのをご存知ですか。
私はつい最近知ったばかり。
しかも
家から自転車で10分も掛からないところにある。
ここもクリスマスはにぎやかになりそうだ。

仙台は
イベントの多い街。
先の日曜日も
実業団の女子駅伝があったばかり。
仙台を訪れる方々の多いこと。



(11/27)雪がちらつく。

2012年11月27日 21時10分08秒 | 東日本大震災
いろいろと
うまくいかない、気分が沈滞気味の日々が
続いている。


今日、雪が降った。
とは言っても
ちらついただけだが
県北のほうは
きっともっともっと
吹雪いているだろう、と予測する。
本格的な雪は
東北の都会はまだまだ。

今でも
震災関係でこの街に残って
働いている人
いるんですよ。
彼ら、南の方から来た人達なので
きっと
この東北の冷え込みに震えて
仕事をしているでしょう。
おそらく東北の2回目の冬を迎えることでしょう。

父、12月6日入院、10日手術。
どんな思いをしているだろうか。
父について
後ほど。

(11/18)フランス人帰国

2012年11月18日 20時56分40秒 | 東日本大震災
久しぶりのブログ。
毎日、他の方のブログを見てはいるけれど
自分のブログを書くのを怠っていた。

父が入院して4週目。
しかしまだ手術をしていない。
延びに延びて
来週あたりになりそうだ。
そのため
自分の休みが予め取れず
日曜日の休みをいただいても
実家に行ったりしているので
身体を休める日がない。
今日、日曜、2週続けて休みにしてくれる。
そして実家に行かなくてもよいことになった。

携帯の目覚ましを止めて
朝、ゆっくりと6時ごろに目が覚めればいいなと思っていたが
3時きっかり
目が覚めた。
やっぱりなあ・・・身体時計がそうなっている。
次に目が覚めたのが
4時。
やっぱりなあ・・・
もう、この時刻、起きた。
洗濯も3回くらいしなければならなかったので
起きてしまった。

義母を連れて
買い物と、久しぶりの牛タン屋へ。
相変わらず
どこの「利休」も混んでいる。

午後3時間ほど眠った。
眠くて眠くて
4時ごろに起きても
まだまだずっと寝ていたかった。

次の休みが決まらない。




昨日は
フランスの方が帰国した。
仙台に1ヶ月余り滞在した。
あれよあれよの1ヶ月。
いろいろと話そうかと思っても
なかなか声をかけられなかったが
あちらも英語片言、こちらも英語片言、
仕事(仙台空港のヘリのパイロットか、技術屋)で
滞在しているうちに
日本語も少し覚えていった。
今頃は
フランスに戻って
仙台、日本の話を皆にしているだろうか。
3年前にも日本に来た、と言っていたので
また来日するかもしれない。
良い思い出を作ってもらっていたら嬉しいね。
おみやげを持たせたので、それを食べながら
日本のことを紹介してくれたらいいね。

また
地球のどこかに
笑顔を交わした人が生きている、と
実感する。

笑顔、大切だよね。
異国で、笑顔に出会ったら
ホッとするものね。
覚えたフランス語をとうとう言えなかった。
恥ずかしくて。
名前も覚え切れなかった。
アデュー、フランスの方。

ではこれから
山Pのドラマで山Pの笑顔を。

(11/5)仕事、あれ以来どうしたか。

2012年11月05日 23時17分00秒 | 東日本大震災
昨日の夜は
実は仕事が入っていた。
しかし
Iさんが
私が大変であろうということで私をはずしてくれた。
おかげで
昨日帰宅してから
泥のように眠った。
夜眠るときよりも
深い深い眠りだった。
そのせいか
夜、ドラマを観終わって
ブログを書いた後に就寝したのだが
全然眠れず
結局2時間ほど眠っただけだった。
夜のほうが眠りが浅く
何度も何度も目が覚める。
寝なきゃ寝なきゃという思いが
却って
眠りにつけなくさせている。

今日出勤して
Iさんに
昨夜の仕事の労いの言葉。
本来
私たちの仕事は早朝から午後過ぎまでが勤務。
そこに夜も仕事が入るということは
普段寝ている時刻に跨ることでもある。
彼女たちも疲れに疲れている。

Eさんは今日、10日ぶりの休み。
彼女も疲れきっている。
私たちのように煙草休憩を作らないので
気分転換もしないし
正規の昼休みもほとんど取らない(これは私たちも同じ)。
明日は
Iさんが休み。


9月の
退職騒動から1ヶ月以上経った。
もう少し経過してから
それ以降の変化について書いたほうがいいのかもしれない。
まだ1ヶ月、という考え方をするし
もう1ヶ月、というふうにも表現できる。
小説のように
良い方向に激変してハピーエンドに終わる、というわけではないから、
もう少し様子を見てからのほうがいいのかもしれないと思った。

ただ
どうしても
こじつけたくなることがある。
私の退職決意の直後に
Iさん自身の退職問題がなかったとしたら、という仮定である。
そっちのほうが濃厚だったのだ。

私は
自分の退職の決意は
自然の流れだと思っていた。
そのように心に浮かび、その後どうなるのかわからないが
ともかく
退職すれば、心の不安定から解放されるであろうという
予測を信じたかった。
経済的な困難がふりかかるというのは目に見えていたが
その後も何らかの仕事を探すことを念頭に置いておいた。
私は困難な道を進む人間だ、苦労を背負う人間だ、マイナスな方向へと
進む人間だということを薄々感じ取っていた。

そこに
Iさんの退職問題浮上。
これは私の予測には入っていなかった。
何しろ
マネージャーとIさんの衝突はこれまでなかったし
私が
彼女に、自分の退職意思を伝えた日に起きた衝突だった。
まさかそれが彼女の
「パワハラだ!退職する!」と
退職届けを出すまでになろうとは。
そこで
私の退職の話はいったん引っ込めなければならなかった。

そして
Iさんの問題が解決して
次に自分が予定していた流れを軌道修正してもう一度
皆に伝えた。

そして
思いの外
彼女たちの慰留説得。
とりわけIさんの力強い、現実的な説得力は
予想外だった。

私の退職の主因は
Iさんとの確執である。
これまでのブログにも書いてきたが
彼女にどれほど罵倒されてきたか
どれほど物を投げられたか、物に当たられたか
その都度、私もカーッとなって
一触即発の場面が何度もあった。
彼女の横暴さに辟易して
早朝出勤するときの
胃の痛みに悩んだ。
会社に行く前に
コンビニに寄り、コンビニの前で一服し
呼吸を整えてから会社に行ったことが何度もあった。
そして
毎日
なんでこんな所にしがみついている、
我慢できるほどの給料をもらっているわけでもない
正社員でありながら、バイト的な身分保障
私たちに反撃の場が無い限りこの状態がずっと続くのだ、
などなど
いつも考えていた。
辞めるときには洗いざらい言って辞めようかとも思っていた。
そして
会社の後期に入る前に
辞めることを自分に促した。
Eさんにそれを伝えた。
彼女には10月まで頑張ってくれと言われた。
10月は夜も仕事が連続して入っていたので
私が辞めて急遽すぐに誰かが採用されるかどうかもわからないので
それだけはやって辞めよう、と
9月、正式に彼女たちに
「10月末で退職することに決めた」と伝えた。

Iさんには
もちろん、あなたが主因だなんて伝えなかった。
会社のシステムに不満あり、家庭を顧みられない等
それらも一因だったので理由をそう伝えた。
伝えた日に
Iさんとマネージャーとの衝突。
翌日日曜日(私は休み。月曜日にはマネージャーに退職を伝えるつもりでいた)に
私不在のときに、Iさんの退職届。
それを月曜日に知る。驚き。
それらを書いてきたね。

Iさん自身、マネージャーとGMから慰留の説得。
結局Iさんは辞めないことになった。
ゆえに
私は自分のもとの流れを遅蒔きながら、進めていくことにした。
そして
彼女たちが説得にかかった。
彼女も私も正社員でありながら、社会保障の点が全然できていなかった。
マネージャーが動いていなかった。
そして私も積極的にそれらを解決していなかった。
なぜなら、長く勤めないであろう、という前提があったから。
そこで彼女は
改めて、社会保障の手続きをしっかりしてくれ、と交渉。
そしていろんなことを例に挙げて
辞めるな、休みもなるべくあなたの希望も入れる等言ってくれる。
一番は
「私のヒステリーも治すから。」の言葉が欲しかったのだけれど。
でも
そのとき、自分の甘さを指摘されたような気持ちだった。
私は3番手の身分だし
自分の代わりは幾らでもいると思うから
ここまで慰留するほどでもないと思った。
が、なぜなんだろう、こんなに強く彼女が慰留するとは思っていなかった。

その後
彼女は私にどう接してきたか。
以前と比して
穏やかになった。
彼女の言葉に私も穏やかに接しているようになった。
彼女自身
マネージャーとGMに、会社の不満をぶつけたから
それらを改善する、という約束を取り付けたからか
心に余裕が出てきたのだろうか。
あるいは
意識して、穏やかに接しようという気持ちになったのか。
変化の兆しが見えてきたのである。
見えただけで
元来の性格はあるわけで、いつまた衝突するかわからないから
まだ様子見、と書いたわけである。
しかし
私自身、あれ以来、「だから辞めたいのよね」という言葉を
使わなくなった。
自分自身、辞めない方向に向いたのだから
安易に、辞めたいという気持ちを封印した。
それは自分への賭けだと思った。

そこで
さきほどの「こじつけ」であるが
もしも
Iさんの退職騒動がなかったとしたら
今頃は
うちにこもっている自分である。
もちろん就職活動はしているだろうが
そう簡単に仕事に就ける年齢でもないし、世の中である。
きっと
悶々として
「本当に辞めてよかったのだろうか。」と眠れぬ夜を続けているのだろう。
負け犬のような状態を無理やり、「これで良かったんだ」と思っているのだろう。

辞めない方向に向けてくれた、という
何かが私に働きかけた、
私を見守る、私の神がそうしてくれた、のだと
「こじつけ」ているのである。
こじつけという言葉を撤回するほど堅固なものになるためには
もう少し時間が必要である。

でも
ともかく
あの時以来
私は少し穏やかになったのである。
朝のあの気分が少し無くなったのである。
そして
自然に彼女たちに感謝の気持ちを持つこともしばしばあるのである。
神は
私を
屋根から突き落としていながら、必死に屋根にしがみつける状態を
作ってくれている、とあの夢の意味を教えてくれているのである。

(9/29)元鞘?

2012年09月29日 16時55分03秒 | 東日本大震災
まず
何から書こうか。

今週月曜日の朝に
Eさんから聞かされた「Iさんが退職願を出した」ことから
約一週間。
Iさんは
月火と休みで
水はEさんが休みで、私とIさんと2人で仕事をする。
お互い、静かで沈みがちで優しくて弱い感じだった。
その日、Iさんは、マネージャーとGMと各個人面談。
双方から慰留される。
Iさん、返事を保留。
彼女の日ごろ思ったことを伝えたらしい。
そして
木曜日は私が休み。
金曜日、再びIさん休み。
3人揃って仕事になったのは今日の土曜日。
私が、彼女に「退職する」と伝えての一週間目である。

彼女はここ毎日、自分周辺の人たちの意見を聞いて
1つの方向に持っていった。
異動願いも1つの手段であったが(GMがそれを提案)、そのことで
他の支店の人に混乱を与えるからそれは無し、とした。
つまり、ここで頑張っていく、ということ。
あれから一週間という時間が過ぎて
彼女の気持ちも大分安定してきた。
細かいことでいちいち立腹しながら私たちに注意していた彼女が
この一週間、Eさんにも私にも優しい態度で接していた。

そして
次はこの私の退職問題である。
彼女が仕事を継続する、という決意を聞いて
次に私が動こうと思った。
特にタイムリミットを絶対に決めた、というわけではないが
この気持ちでずっと続けるのか、と考えると
どうも自信がない。
お昼の休憩のときに
「では、Iさんの問題が解決したので、来週私は
マネージャーに伝えます。」と
IさんとEさんに言った。
そこで
2人は私の説得にかかった。
将来の見通しを持って辞めるなら、止めはしないが
どこも就職できないような状態で、先の見えない状態で
辞めるのは無謀だ、
ここは給料が安いけれど、せっかく就職したのだから
もっと頑張れ、
フォロー、バックアップするから、辞めるな、
などなど、非常に具体的な事例を出しての説得力。
彼女たち、私より年下である。
気の弱い私対粘りのEさん、気丈のIさん。
2人ともえらいなあ、とつくづく感じ取った。
母は強し、である。
2人とも子供(もう成人している。2人とも早くに子供を産んでいる。)を
育ててきて、ずっと私よりも
世間を知り、社会を知っている。
私の甘ちゃん加減が浮き彫り。
私は経済の逼迫よりも、自分の精神の安定を言う人間だから
彼女たちから見れば、何言ってんだ、てな状態。
あと、5年頑張ろう、辞めるのはいつだって辞められる、でも今じゃない、
今辞めて、すぐに就職できる年齢だと思っているの?
トモロッシさんは耳が聞こえないのだから、他のところでは通用しない、
私たちだから、やっていられるんだよ、なんて言う。

右耳がいつもモーター音がしていて、非常に聞き取りにくいのね、
それでよく迷惑をかけている。
聞いたままの言葉を発して、よく彼女たちを脱力させている。
ふざけているの?!とも言われる。
いやいや、ふざけていない。
この間も
「菅生でもらったプリッツをどうぞ。(プリッツに佐藤琢磨の顔がプリントされている)」
と言うと
Iさんが「ドラ・・・プリッツね。」と言ったのを
私は「ドラえもん?」と聞いたままのことを聞き返したら、
「ドライブプリッツ!」と脱力させていた。
その他、たくさん私の聞き間違いで怒らせたり、逆に和みの空気になったり。
敢えて
その耳の不自由さは、他の職場では通用しない、と言って引き止めるEさん。

「トモロッシさん、もしも私の退職のゴタゴタがなかったら、
今週とっくに、あなたがマネージャーに自分の退職を伝えていたのね。」

そう、その通り。
そのことでずいぶんモヤモヤしていた。
いつになったら、Iさんの問題は解決するのか、
Iさんが異動になったら、私の退職の一部は解決するのではないか、とか
いろんなことを考えていた。
辞めたあとにではどんな仕事をするのか、前のような教育関連の仕事が
果たしてこの耳でできるのか、使えない人間のレッテルを貼られるのか、
かと言って、今の仕事が一人前にできているかというとそうじゃない、
中途半端。
家にしばらく篭って、のんびり仕事を探せるほどの猶予があるのか。
それでも、早朝の重い足取りを止めたかった。

「日曜日の休みも月に1,2回入れるようにしてあげるから。」
これは、私が夫とのすれ違いがずっとあるため、お墓参りくらいしか
公的な理由にならなかった。
家のことを省みていない自分を嘆いたことへの改善提案である。
とにかくあらゆる角度から
2人は私に慰留の言葉を述べた。
Iさんと2人になってからも、延々雄弁に語る彼女。
あれほど、辞めると言っていた彼女が
「いっしょに頑張ろう、明日(9月30日)までモヤモヤしていていいから
10月1日からいっしょに頑張ろう」と帰るまで激励された。

彼女の退職のゴタゴタがなかったら・・・・
私はマネージャーに自分の退職を伝えていた。
さて
これをどう受け止めようか。
自然の流れとして受け止めるのか。
マネージャーに言わなかったことで
私の退職問題は
夫とEさん、Iさんの3人だけの知るところになっている。
ブログに
「退職の件」とかタイトルをつけて
辞める宣言をして、また戻る自分は恥?



(9/22)職場を辞める件

2012年09月22日 23時12分06秒 | 東日本大震災
昨日が休みで
今日出勤、
明日休み。
変則的な休日の取りかたではあるが
明日
菅生(すごう)に急遽、フォーミュラー日本を観に行くことになった。
HONDAから招待券を戴き、そういうことを封印してきた自分は
積極的に出かけよう、という気になった。
日曜日は仕事の多忙な日。
公的な用がない限り、そこに休みはいれないのだが
別な日と交換して、ダメ元でチーフに打診してみた。
OKが出た。
明日は雨。
そして気温は急激に下がって21℃の予定。
2日前までは
30℃を越えた日がずっと続いていたのだが
ようやく9月の天候らしい怪しげな空模様。
防寒具を用意して雨の中、イベントに参加である。



さて仕事の件。

今日、私は
チーフのIさんに
「来月いっぱいでやめることにした。」と伝えた。
ここまで来るのに
ブログを書いていない間
いろいろと葛藤した。

もう一人の仕事仲間のEさんには
先月末に
不確かな言い方をしていた。

「来月いっぱいでやめようかな。」と。
この来月というのは
9月のことである。
つまり、9月末にやめようか、という気持ちになっていた。
しかし
Eさんに伝えたあと、数時間後に電話があり
「せめて10月いっぱいまで頑張ってみたら。それまで
気持ちが変わるかもしれないし。」と言われた。
まだ決断できていない私に
できるだけ思いとどまってほしい、という気持ちだった。

8月末から9月初旬にかけて
これまで震災で長期滞在していた人たちが去っていった時期だった。
私の就任期間とちょうど重なる。
彼らが去っても、日常の仕事は変わらない。
それでも1つの区切りという意味で
いっしょに去ることもいいかなとも思っていた。
そして
あの鳩たちの旅立ち。
それも時期が重なった。
あれから鳩は毎日ではないが
姿を見せに来る。
親の方が頻繁に来る。
あの雛たちはもうどこかに移動していったのだろう。
私の職場から
癒しのものが消え去った。
同時に消え去った。

そして
あの映画を二度観に行って
映画館の屋上で考えたこと、
「自分は何をやっているのか」という自問自答。
自答の部分はなかなか見つからないが
身体の奥から
何かが湧いてくる。
叫びたい気持ち。
何かを打破したい気持ち。
あるいは逆の
八方塞の自分を嘆きたい気持ち。
何かわからないけれど
自分を見つめるための短いこの時間が貴重だった。
動いて、失敗することはある。
動かなければよかった、と後悔するほうが多い。

しかし
現実に
早朝、職場に向かうときに吐き気に似たような気持ちはあるんだ。
Iさんに罵倒されての毎日。
時間に追われている感覚の毎日。
いつも、9時に寝なくては、3時に起きなくては、などなど
時計を見ながらの生活。
荒れていく庭。
相手のできないネコたち。
職場での無能扱い。

それでもしがみついていけば
何とかなっただろうか。
耐性が足りない、と言われるのがオチか。
先が見えないままに仕事をやめることの無謀さ。

Eさんに言った。
「あなたは粘り勝ちになるよ。」と。
彼女もIさんに罵倒される日々。
でも彼女はやめない。
頑張れる人だ。

Iさんは
私の退職に理解を示した。
驚くこともなく。
理由も聞かれなかった。
彼女とは
一服しながら日ごろの職場(上層部)のことや搾取されていることを
よく話していたから
その辺が理由だろうと察している。
「あああ、私もモチベーションが下がってきた。確かに辞めたいよね。」
と言っていた。

あとはマネージャーに来週伝える。
相談、というより決断を伝えるだけだ。
彼は相談相手にもなりゃしない。
自分の保身ばかりで、部下の悩みなど聞いてやろうという懐の深さはない。
日ごろの
私たち3人の様子を観察していれば
Iさんのワンマンぶりなど目に入っているはずなのに
何も注意できない人だ。


やめたあとの当てがない。
今の職場は
震災後にすぐにハローワークに行き、とにかく働くことさえできれば
ということで決めて、運よく1回でパスした。
しかし
次もそううまく行くとも限らない。
そもそも
私自身、働くことにしんどい思いをしている。


ここで中断します。
明日早く起きるので。

(9/1)今日から9月。区切り。

2012年09月01日 23時02分22秒 | 東日本大震災

洗濯物を干すためにベランダに
ミミと共に出る。

月夜。
ほぼ満月。
雲の切れ間から地上を照らす月明かり。
今日から9月。
夜風は秋。
日中は暑いけれど
虫の音が一段と秋を感じさせる。

人生は無数。
一人一人に個の人生あり。
今日、仙台を発った人たちにも
明日からの再びの故郷での人生。

仙台に滞在した1年半。
その人たちに刻まれた1年半の特異な生活。
仕事とはいえ、貴重な体験だったと思う。
2日前の早朝4時過ぎに大きな地震があった。
3.11のあの大きな地震後の処理のために
やってきた人たちは
あの2日前の地震で、また仕事が延びるのではという思いがあったと思う。
だが、予定通り、区切りの今日。

挨拶を交わす。
もしかしたら二度と会えぬかもしれないが
生きている限り
どこかで会えるだろう、と前向きな考え。
今はネットの時代。
消息は見える。
それぞれの故郷に戻って本来の仕事に専念する彼ら。
彼らにも彼らの人生がある。



明日から
私は無味乾燥な仕事になるのだろうか。



そんな私に
自分へのプレゼントとして
明日は
ローリングストーンズ展に行き、
明後日(あるいはその翌日)は「るろうに剣心」鑑賞。
気持ちをスカッとさせたい。


鳩は健在。
2、3回、自分たちの産まれた通りにやってくる。
闊歩しているよ。
「うちの鳩」なんて言っている私だ。

(8/31)今日で8月も終わり

2012年08月31日 16時40分17秒 | 東日本大震災
毎日暑い日が続いている。
一雨来て欲しいくらいだ。
うちのカエルたちのためにも雨乞いをしたい。

今の時刻、西日が強くて、これから夕食の買い物に行こうと思っているのだが
躊躇。
今日で8月も終わり。
あっという間に終わり。
夏の終わり、区切り、とでも書きたいところだが
この残暑には閉口する。

さて、今日で仙台を離れる人とは最後の挨拶。
東京の方なので、仕事を終えてからそのまま帰京するようだ。
もっと遠い方たちは
すぐに故郷に帰らず、東北や北海道を旅行するために明日仙台を発つ。
簡単な手土産を皆さんに渡す。
あまり公にできない。
長崎の方には、ここのブログを紹介した。
こちらの様子もたまに書くので、見てください、と。



昨日は鳩は一日中、姿を現さず。
その前日の早朝、人のいない通りに
一人の人間が座って寝ていた。
その横に2羽が並んで、まるでオブジェのような三者の姿。
人間が動かないので、鳩も気楽に傍にいられたようだ。
それが最後。
そして午後も、昨日も姿を見せず。

今朝5時半ごろに
職場から通りを見ると、
3羽が歩いていた。
早朝の通りは我が街、というような気分で歩いていた。
午後も姿を見せるので、やっぱり
鳩にとってここは故郷。産まれた街。

まあ、ここ以外で鳩に会っても、
同じ鳩なのかは全く分からない。
識別ができない。


ちょっと夏バテ気味。
食が偏っている。
ヒカル(ネコ)が4日ほど食欲不振だったのだが
私もそうだった。
ただし、冷たいアイスとかは入るのだ。
これじゃ、胃が可哀相だ。
昨日は疲れに疲れて、夕飯支度も大儀だった。
9時前には就寝する。
疲れての仕事はつらいので、眠ることを優先。

一週間に一日だけの休みはつらい。
今度の休みは、月火と2日続けて。
一人で映画に行くことにしたんだ。
楽しみにしている。
「るろうに剣心」
安い日に行けばいいのだが、
パンフレットが売り切れになるようなので、早い時刻、人の少ない日を
敢えて選択しよう。
健君のあのポスターが欲しい。
美少年だ。絵になる。



(8/28)鳩が巣立った。そして東北を去る人々。

2012年08月28日 21時19分39秒 | 東日本大震災
今日いつものように4時半ごろ出勤。
日課となっている、早朝の鳩への挨拶「おはよう!」は
今日は無し。
姿は見えなかった。

一昨日は
1羽、いつものように独りぼっちでいた。
ずっと一人でいる姿はもどかしい。

昼近くに兄弟や親がやってきて
その後いつのまにか姿が見えなくなっていた。
いっしょに
どこかに行ったのだ。
それ以来、姿を見ていない。
ああ
あの時が、真の巣立ちだったのだ、と理解した。
それまでは
近辺に飛んで羽根を休めていたけれど
基本、ずっと巣のある所にいた。
まだまだ本格的な飛行はできないんだ、と思って。
が、
一昨日の午後には全く姿を見せなかったことが
いよいよ、遠出ができるようになったんだな、と思った。

昨日は私の休みだったので
行動はわからず。

そして今朝の静けさ。
嬉しい巣立ちだ。
あとは
親や兄弟とともにどこかで
餌をついばみ、自由に飛行しているのだろう。
これを待っていたんだ。
姿を見られない寂しさ以上に
巣立ちの喜びの方が大きい。
無事に巣立ちできるように、と祈っていた日々。
これで私の気持ちも完結する。

一時は
ダンボールを持って保護しようなんて
過保護的な考え方に駆られた。
でもそれをしないでよかった。
兄弟や親の助け、自力で巣に戻っていったっけ。
あの時、保護できなくて結果的によかったのだ。
保護が間違いだったのだ。


今日は姿を見られない、と思っての仕事。
しかし、
一度だけ、わずか1分ほどだったが
2羽戻ってきた。
その姿を見られただけで満足した。
こうして自由に
自分の巣のあったところに気まぐれに戻ってきたり
あとは広い世界の面白さを味わってみたり
これが鳩の道だ。

ということで
鳩は無事巣立ちました。
まさか
自分のブログに
鳩のことを延々と載せるなんて
思ってもみなかったこと。
鳥については全くの無知な自分。

親鳩が卵を温めているということに気づいての
数ヶ月。
2羽の雛の顔が見えてからの一連の出来事。
毎日の観察。
2羽で、羽根をフワリと広げてピョンピョンしていたカワイイ姿。
巣から降りて、巣に戻れなかったときの私の気持ち。
少し飛べるようになってからの
人間がにぎやかに通る前に、2羽で走っていた姿。
私の周囲の人々まで巻き込むほどに
ワアワアやっていた日々。
鳩、無事巣立ちおめでとう。


そして
この8月で
長期滞在を終えて、故郷に戻っていくことになった人々。
大阪の人、九州の人、東京の人。
あと3日でこの仙台を発ちます。
なんとも寂しい気持ち。
彼らは
復興の仕事で仙台にやってきた。
昨年の地震のすぐ後に仙台入り。
1年半の仕事を終えて
それぞれの故郷に帰ります。
それぞれどんな気持ちでしょう。
やっと故郷に帰れる、とうとうこの仙台を離れる、
複雑な気持ちが織り交ざっていることでしょう。
あの窓辺から
鳩の成長をずっと見守っていた人たちでもあります。
鳩の巣立ちとタイミングが合ってしまい
私の元から去っていく人々。
長い間、ごくろうさまでした。
ありがとうございました。
彼らは
すぐに地元に戻らずに、
自分へのご褒美に、東北旅行、北海道へと寄り道を
するようです。
本来の仕事に戻るわけですから
これからは、東北と縁が無くなる訳で
その閉めとして、旅行気分で
東北北海道を回ってくるようです。
東北のためにありがとう。
仕事等で出会った、これら東北の人間のことを
人生の思い出の片隅に置いてくださいませ。





(8/25)鳩は少し自由に飛べるようになった

2012年08月25日 23時17分24秒 | 東日本大震災
もう11時か。
とっくに寝ている時刻だね。
明日も早いというのに。
昨日まで連続して多忙だったのだが(チーフの休みに伴ってその代行)、
今日彼女が出勤しても、忙しさは変わらない。
細かいことの不満があるのだが
ここにいちいち書いても意味がない。
しかし
今日は今日で、なぜだか彼女の不機嫌と、やつ当たりで、物を投げつけられた。
瞬間、この一件で私もカーッとなったが、
それ以降、急に自分が冷静になったというか、冷めてしまった。
一応記録しておこう、ここに。
怒りよりも、冷めた気持ちになる、というのも自分の道の進歩か。
もっと、彼女の挑発に乗ってやればよかったのかもしれないね、逆に。
冷静すぎて、その後の自分はいつもと変わらない表情。
いつも、穏やかです、表面上は。
その怒りをまともに受け止めてやるほうが自然の場面かもしれない。
寧ろ、いつもの自分で対応する方が、彼女にとって不気味であったり、訳がわからなかったりしているのかもしれない。



あれから一週間。
小鳩が飛べずに、巣の下のビルの端っこに蹲っていたね。
そして心配した私が、公衆の面前で飛ばしてやった日。

その小鳩は、日に日に少しずつ成長して、飛べるようになった。
まだ自由に、自分だけで飛んでいくことはないけれど
先に成長した兄弟が、親とともにやってくると
喜んで自分もいっしょに高いところまで飛べるようになった。


一昨日あたりは
早朝の通り、まだ人影がないころに
小鳩2羽は
通りの地面を自在に、ツツツツーと揃って走っていた。
飛ばずに、歩くというよりも、滑るように走っていた。
人のいない道を我が物顔に走っている姿は
一週間前の
通りで蹲って不安げな姿とは対照的。
いざとなれば、人に危害を加えられそうになっても
自分たちはすぐに飛んで回避できるよ、というような走りであった。
心が成長したんだね。

今でも
あの小鳩は一人で、巣のところにいます。
居心地がいいのか、あるいは
まだ自由に大空を飛ぶことの不安があるのか
それはわからないけれど、
飛べる力と、羽根を休める安楽の場所があることと
この2つさえあれば、
いつだって自由に出かけられるね。

Eさんは
「この職場で、唯一の癒しが、向かいの鳩だなんて、皮肉ね。」と言う。


でも、ほんの一部分。
これから鳩の人生、何があるのかわからない。
ずっと、この状態が続くわけでもない。
私はその鳩の人生をずっと見守るわけにいかないけれど
神様、いじわるしないで、どうか
小さな生命、思う存分生かさせてください。

(8/22)鳩のその後

2012年08月22日 20時34分52秒 | 東日本大震災
明朝3時起きのために
まもなく就寝する。

毎日暑い。
しかし、早朝の風のひんやり感は、秋の気配。
それに4時過ぎの出勤時の外の暗さが段々と冬に向かっている、ということに
気づく。

早朝、出社前に向かいのビルの鳩の場所を見るのが日課。
頭がピョコンと見えれば安心。
そして自社の2階に上がって、真向かいの小鳩たちに大きく手を振るのも日課。
帰宅時にも、「また、明日。」とさよならするのも。

鳩のブログじゃないが
今、心配の種が消えるまで
鳩観察記になっているね。


1羽だけいたり(飛べない方)
2羽でいたり、と段々と鳩たちの日常にも変化あり。
それは個体の体格の差でもあった。
先に飛べた鳩は、飛べない鳩よりも少し大きい。
親について、遠出をしているようだ。
その鳩の心を想像するのも楽しい。
観たことのない世界が眼下に広がっているんだろうね。

もう1羽の鳩は少し飛べるようになった。
たまに、2羽ともいないときがあるから。
で、窓からよく観察してみると

自分たちの巣よりも高いところにいっしょにいることがわかった。
そうか、そこまで行けるようになったんだね。
巣の近くだけれど、高い場所。
そこまで飛べるようになったんだね。

飛べない方の鳩は、そこまでが今のところの範囲かな。
ずっと見ているわけじゃないので、よくわからないが
1羽で戻ってきて巣にいることが多い。
そして
親といっしょに戻ってきたもう1羽の兄弟(姉妹)の姿を見て
キャッキャッはしゃぐように、傍に寄って行く。


私が帰宅するときは1羽だけだったなあ。
まもなく、きっと自由に飛べるようになるね。
それまで、危険なことにさらされないように、自重してほしいね。
この間のようなことはごめんだ。

ショップの中に入っていった、とこの間書いたが
そのショップの人と話した。
あれ以来、鳩のことが気になって、よく観るようになった、と言っていた。
2羽並んで頭が見えると、従業員同士で「カワイイね」と言っているとのこと。
皆、見守っているんだな。
監視カメラの前に巣を作っているのだが、
もしかしたら、それを見ている人も、卵を抱いた親鳥のときからずっと観察しているに違いない、などと考えたりもした。

どうか、無事に2羽とも自由に飛べるようになるように。

さて、仕事が忙しくて、左手が何度も攣っていた。
Iさんが居ない分、頑張らなければ。
Eさんに迷惑をかけているから、明日はそうならないように
時間配分をしっかりしよう。
おやすみなさい。