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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(5/6)以前行った蕎麦屋へ

2014年05月06日 21時01分45秒 | 日常、仕事、認知症
連休の最終日
この日は私の休み。
夫は更に日曜まで休みが続く。

今日は
義母を連れて少々遠出。
家にひきこもっている義母に
おいしいものを食べに連れていこう、と
先日のブログに書いた。
遠出はいやがるかな、と思ったが
行く、と言ってくれた。

昨日、ネットで検索して
自分たちにとって
新しい所を、と思ったが
もしも途中迷って夫婦喧嘩になったら
義母も興ざめになるかも、ということで
以前行った蕎麦屋へ。

朝9時出発。

緑が濃くなってきた定禅寺通りの欅並木。

私たちがよくバイク観戦に出かけていた菅生のある村田町へ。
そこの道の駅に寄る。

道の駅にいたワンコ。

おそらく、野菜の仕入れに来たトラックで、飼い主を待っている。
その間、私たちなどに触られると喜んでしっぽを振る。
夫も触りまくる。
義母は
こういう道の駅は初めてで
中で、蜂蜜やらジャムやら買っていた。

そして目的の
角田の田舎家の蕎麦屋へ。
ちょっと早く着いたので広大な庭を見る。




以前来たときには
にゃんこが玄関の前でねそべっていたのだが
今日はいなかった。
思い切って聞いてみた。

「どこかで寝ているのかも。あっちこっちで寝ているから。」と
店の人もわからず。
暖かいし、広いし、どこかでのんびりと過ごしているのだろうね。
そして注文して待つ。


するとほどなくして
店の方が、にゃんこを抱いて連れてきてくれる。

ありがとう、わざわざ私たちのためにどこかで寝ていたのを連れてきてくれたのね。
夫も私も触りまくり。
うちにもたくさんネコがいることを話す。
にゃんこと庭に出て
写真を撮る。




そのうち呼ばれて、お蕎麦を。

山菜の天麩羅、美味。
義母も喜んで食べていた。サクサクッとして、それでいて柔らかくて
山菜の香りも堪能して、サイドの胡麻和え等もおいしくて
義母は
ソバを私より早く食べ終わって
満足していた。

食べ終わって外に出ると
駐車場にニャンコが移動していた。
ゴロンゴロンしてくれて大サービス。




ニャンコに会うことが楽しみだったので会えてよかった。

もう一件
買い物を目的として行ったのだが
思っていたのとイメージが違っていたので
何も買わず、写真も撮らずに
別な市場に行き、義母は花の苗などを買い
帰宅。
車の中で私は眠ってしまったが
義母は
外の眺めを見て、刺激になったとのこと。
疲れて今日は熟睡であろう。


また別な機会を。


明日はまた仕事。
そのあと会議、そして夕食会。
社長の奢り。
夫が休みなので、出ることにした。
夫が休みでなければ
義母への風呂のスイッチをつけなくてはならないので。

良い1日であった。

(5/2)4月26日は良い日であった。

2014年05月02日 18時41分47秒 | 日常、仕事、認知症
私の休日はあまり充実していない。
今日なんて
いつもの時刻辺りに目が覚め
二度寝して5時前に起きて夫の朝食準備。
ゴミ出しをしてから久しぶりにブログを書いて
そのまま眠ってしまった。
お昼過ぎに目が覚めても
まだ身体がだるい。
そうこうしているうちに夕食の買い物を。
遅いお昼を食べて(午後3時半)、これから風呂に入って
夕食準備、就寝という流れ。
寝てばかりの休日。
掃除、していないね。
夫は明日から9連休。
その間、家事をやってもらいたい。
私は連休こそ忙しい仕事なので
3・4・5日はもう忙しさが目に見えている。
6日は休みをもらう。
9日、10日も休みなのでその辺りに
夫と被災地の食巡りにでかけようと思う。




先月の26日に
羽生君のパレードのために
Iさんと会った。
この日を、良い日でありますようにと書いて出かけたのだが

総じて良い日であった。

久しぶりのIさん。
街の真ん中にある大きな公園で待ち合わせ。
そこから
目的のランチのホテルは近いし
その通りがちょうどパレードをする所なので
あまり動くことなく歩き回れた。
そのホテルの7階ではパレードが見えるので、窓際などを見学の提供をしていた。
でも私たちは、生の姿を見たいので
ランチを食べたら出ようと決めていた。

久しぶりのピザランチを食べて
そのあと
いっしょに働いていたマネージャーの異動先に訪問。
かつてはよく3人で会社の裏で一服の休憩をしていた。
そして、彼は
私たち2人で、こっちに来てまたいっしょに働こうよ、みたいなことを言っていた。
いやいや、
私とIさんはいっしょの職場になると、お互い切れてしまうので
職場を離れたこの関係が最も良い。
彼女は今は、朝早くの仕事は無理、今の職場の方が家から近いし
2時起きはつらい、と言っている。

そしてメインのパレード見学。
9万2000人の観衆とのこと。
羽生君は
車上で、決めポーズを何回もやってくれて
(私たちは彼の車の行く方向へいっしょに流れていく。ほとんどの人がそう)
たくさんの観衆に何度もお辞儀をして手を振ってくれた。
Iさんは、声がガラガラになったとのこと。
私は頭上でデジカメのシャッターを押して、そのうちの数枚をここに載せる。
その楽しかった余韻と喉の渇きを潤すために
いつものカフェに入ろうとなった。
しかしこの人の多さである。
これからどこもいっぱいになるのがわかる。
そこに向かう途中、ふとレトロな感じの喫茶店を見つけた。
ドアが開いていて中を覗ける。
客は2組。
女性の店員さんに
「煙草、OK?」と聞くと
「はい、どうぞ」と返事。
最近は禁煙、または分煙。
私たちの目指していた所は分煙(貴重な所なんだ)。
ここは全面OKの所。
私の会社のすぐ傍。
ここなら、ちょっととりとめない考えごとをするときなど
私はすぐに入れる。



ここです。

漫画とかフィギアとかCDが並んでおり
壁には

というレコードジャケット。
ロックもジャズもあり。
私の好みの店です。

若い時は
こういうお店を発見すると興奮していたのだが
この年になっても気分が高まるとは。

夫に
こういう店があったから今度行こうよ、なんて誘っても
夫は行かない人である。
一人で喫茶店に入る、ということのしない人。
コーヒー好きなわけでもないし、煙草も吸わない、
ロックが好きだ、といっても、家にいれば好きに聴ける、という考えの人。

Iさんも似ている。
一人だと落ち着かないんだって。
ジュース頼んで、ジューッと飲んで、煙草スパッと吸ってすぐに出る、と言う。

いつも笑い話にしているのだが
Iさんと夫の似た傾向。

先日テレビが壊れて
しばらく音のない居間。
夫は手持ち無沙汰。一階のオーディオルームで音楽を聴いてはくるけれど
二階に上がってくると静かな空間に耐えられなくて
ラジオを持ってきてつけている。
「わあ、Iさんとおんなじだ。彼女も職場にいたとき、静かな感じが耐えられなくて
ラジオ、つけていたよ。」
「ラジオは、思いがけない情報が流れるんだから、いいんだぞ。」とのこと。

その話をそのままIさんに話すと
笑いながら
「そうだよ、つけていると、どこどこで地震があったとか、病気のこととか
有意義な情報を得ることが多いんだよ。」と言う。

Iさんと夫の似ているところ。

パンは好きだが
焼きソバとかコロッケの入った調理パンは嫌いだ。
パンの邪道だ。

Iさんも、パンは大好きだけれど、コロッケパンとかは食べない。

などなど、食べ物とか習慣の、2人の共通性が出てくる。

夫は
水瓶座、O型。
Iさんは
いて座、O型。
私は
牡羊座、A型。


そんなくだらない話を
笑いながら話して
そこで別れる。

笑えるとか
人とにこやかに挨拶するとか
おいしいランチを食べたとか
世界の金メダリストが地元の人間だとか
レトロな喫茶店(カフェというのと違う)を発見したとか

ホラ
これで
良い日になった。

楽しめた1日だった。



父から電話があり
29日に実家へ。

父の車のタイヤ交換である。
夫に頼んで、交換をしてもらう。
いやなことは早くに済まそう、と夫は言うので
本格的な連休に入る前に行く。

父は
最近、弱気である。
これまで
父のポジティブな性格が顕著だったのだが
最近は
寝るのが怖い、と言っていた。
だからテレビをつけていつまでも起きているとのこと。
毎日、80歳を越えた父が
食事を作れない母のために三食作っている。
父はこだわりの人なのでその辺は完璧である。
私と夫が台所の向かい側のカウンターに座ったら
お茶を入れてくれた。
これまでそういうことのなかった父。
初めて父にお茶を出された。
母は料理ができなくなった分、後片付けや台所の拭き掃除を自然にやっていた。
「お母さんの本能だね、綺麗好きだから。」と私は言った。

母は
料理ができなくなったことを嘆いている。
「あんなにお店ではたくさん作っていたのに、どうしてこうなったんだろう。」が
口癖。
物の名称と物が結びつかない。
脳梗塞のそれ。
タイヤの交換をするときに
私は
「お母さん、軍手はどこ?」と尋ねる。
あ、軍手が何かということは
わからないか・・・、そんな質問をされると母は焦る。
わからない、ということが彼女のプライドを傷つける。
だから
彼女の持つプライドを回復させるためにも
わからないなりに
懸命にいろいろ手伝ってくれる母を褒め称える。

父は
食事準備の日々、病院通いの日々に少々鬱気味。
そんな自分を奮い立たせるために
7月に北海道に行くことにしている、それが今の楽しみだそうだ。
北海道時代の仲間に会いに行くことが楽しみなんだ。

母は
昔のことや人の名前を忘れていても
思いがけず
私の小さいときの入院時代のことを口にする。
例の
札幌のベッドスクール時代のことである。
「よく覚えているね。入院させてもらって、感謝しているよ。
小さいときは感謝ということがわからなかったけれど
今はわかるよ。」と伝える。

この日も
良い日であった。



さて
義母。
あれ以来、どうしているか。

いろいろとあったが。

まず、廊下の電灯をつけて寝ている。
これは
幻覚を見ないように部屋を明るくするように言ったことの実行。
部屋の明かりはつけないで
廊下の明かりをつけて、部屋を照らしている。

それから
炊飯器の電源も、何者かによって操作されていると
続いたことがあった。

いつものように
米をといで、スイッチを入れたら
しばらくしてピーッと鳴らして誰かが外から操作しておかしくしている、と言い始まった。
そのあと、彼女があちこち触れても、全然炊き上がらない、電源をはずして
別なところに持っていき、ようやく炊けた、と言っていた。

あるときは
メモで
「また、今日も釜を操作されました。」と置いてあった。
夫にそれを見せて
「また釜が操作されたんだってよ。なんて言ったらいいの?」と聞くと
「かまへん、かまへんって言え。」だって。
夫に笑い倒された。

隣の奥さんを台所(きったない)に呼んで
釜が操作されていることを説明しているときに私が
帰宅したこともあった。

とにかく、誰かをつかまえては
遠隔操作されていることを延々語る義母。
うちの電気釜はもう20年くらい使っているので古い。
隣の奥さんは
「あらあ、スイッチを押すボタンが少なくて単純でいいわねえ。」と言うくらいだ。

そこで
私が休みのときに
義母の釜のスイッチを入れるところに付き合ってみる。
まず、こうやってここを押してあとは絶対に触らないように、と言って
義母の動作を確認して
二階に上がった。
これで、あとは炊き上がるのを待つのみ、と思っていたら
5分後、義母が二階に上がってきて
「また、操作されたよ!またピーって鳴ったよ!」と
操作されたことを自信を持って言いに来た。

私が台所に行くと
特に変わっていなくて、炊飯のスイッチは入ったままだ。

「なんともないよ。」
「いや、だってピーッて鳴ったんだよ。」
「だから、それはスイッチが入ったピーというよりも、これから本格的に
炊飯しますよ、という途中の合図だから。」と
言っても納得しない。
「今の新しい炊飯器はどうかわからないけれど
うちのはそう。他のところのガス炊飯器でも、スイッチを入れてから10分くらい
してからピーッと鳴ってグツグツ煮立ってくるのを見ているから。これもそう。」

もう、遠隔操作されている、と固定しているので
私の
言うことを聴いてくれない。
私はそこで
もう一回電源を切って
最初から
やり直し。
そして、途中必ずピーっと鳴っても、いじるな、と厳命。
あとは40分ぐらいしたら、自然に保温になるから、と言った。

そんなこんなで義母の夕食の時間が過ぎている。
義母は4時に食べる人。
私たちは7時半前後。

そして
40分後、下に降りていくと
義母はゴハンを食べていた。
まだ保温にはなっていず、炊飯の赤いランプがついているけれど
義母は我慢できず、蒸らす時間を惜しんでほぼ炊き上がっているゴハンを食べていた。
そのうち保温ランプに変わった。

「ほら、何も触らなくても、ちゃんと炊き上がっているでしょ。」
「そうですかね。」と遠隔操作を信じて疑わない義母は納得いかない回答をする。

これまで
何でもなく、途中ピーっと音が鳴ろうが、疑問に思わず釜を扱ってきたのだが
遠隔操作のことを言い始まったことから
電気系統のものがわからなくなってきたのだと思う。
あちこちいじって、結局保温のボタンを押して、操作されて炊けていない、と
言うこともあった。
自分の動作の忘れを、いない者の遠隔操作のせいで
納得しようとしている。
いっとき、
私は義母のその妄想に付き合ったことがあった。
付き合う、というのは
義母に同調した、ということだ。
しかしそれは間違いだった。
それ見たことかと言わんばかりの饒舌ぶりだった。
だから
今回の炊飯器の遠隔操作のことも絶対ありえない、と否定した。
ネットで
認知症のことを調べていくと
「否定をしないように」とあった。
その線で行くしかないか、と思ったが
いや、義母はまだまだ現役の人間。
買い物に行けるし、お金の計算もできる、物の区別も分かる。
電気系統のことだけが昔から弱い。

夫の両親と同居したころの義母の年齢は
今の私の年齢と同じころだ。
まだまだ若い(?)ころには
「お風呂のスイッチは、お父さん(故義父)がやってくれるから、私は何もしなくて
いいの。」と言って、自慢していた。
料理をするときは必ず換気扇をつけてくれ、と言ってきたにもかかわらず
とうとうつけてくれなかった。
だから、夕方私が帰宅したときに、魚の煙が充満していたこともたびたび。
つけられるのは
コタツのスイッチ、テレビのスイッチ、部屋のスイッチのみ。
トイレの換気扇のスイッチさえつけない。
そんな長年の、電気系統のスイッチを拒絶してきた義母である。



庭のトラップが幾つか無くなっていた。
これは暖かくなってきたために庭仕事をするのが不便になったためであろう。
日中はいたって平和である。

あれ以来、炊飯器騒動は無くなった。
また、急にスイッチの押し間違いをして、遠隔操作されていると
言うことがあるだろう。
そのときも、私は
「また忘れたんでしょ、やり方が。また1からおさらい。」と言うだろう。
自分が忘れっぽくなってきた、と素直に認められないからこそ
もう一度初めからやろう、と言う事にしている。

休みのとき
義母をどこかのおいしいお店に連れていってあげよう。

(5/2)季節はずれの写真ですが。

2014年05月02日 08時55分53秒 | 日常、仕事、認知症
その日にあったことをすぐに
ブログに載せられないのは残念。

もう初夏の季節。
自分としては
ようやく春の気分。

目に留まった小さな気づいたことを写真に撮っても
そのまま月日が流れていく。

若干季節はずれですが
せっかく撮った写真をUPします。


4月17日、庭に咲き始めた春の花々。


4月10日、庭に突然つくしんぼ。去年はなかった。




4月13日、夫とともに牛タンを食べに行った日。近くのいつもの公園の桜。
満開でした。他の桜のところにも家族連れのお弁当開きがたくさん。
前年、心配だった1本の桜の木の花付きが良くなっていたので、安心。


その5日後、独りで桜を観に。しかしもう散り始めていた。
お昼のパンを食べていると、ハトが寄ってくる。
この中にPちゃんはいるのかいないのか、傍にいてもきっと私はわからない。
一番手前のハトの模様がPちゃんに似ている。


4月26日、羽生君の凱旋パレード。パレードを待つ後ろ姿のIさん。






羽生君の姿、わかりますか。大勢の人たちがいましたよ。
羽生君、生粋の仙台人ですね。今は世界の羽生君ですけれど。
Iさん、若い人たちとともに、「ユヅ~!!」って叫んでいました。
写真、小さくて見えないね。根っからのファン、プロは望遠です。

とりあえず、これらを更新。

(4/26)今日は羽生君の凱旋パレード

2014年04月26日 07時47分20秒 | 日常、仕事、認知症
久しぶりのブログ。

今日は休み。
羽生君のオリンピック金メダルの
凱旋パレードがあるので
行ってくる。
おそらく人がいっぱいで観るのが困難だと思うが
行ってくる。

職場の元同僚、Iさんからメールがあり
いっしょに観に行かないかとの誘い。
ちょうど休みでよかった。

彼女との不思議な関係。
あれほど彼女のきつい言い回しに辟易して
職場を辞めるきっかけの1つになっていたのだが
(そのあと、彼女も辞めて、私は彼女の辞めたあとに再び復帰。この過程は書いた)
何かと懐かしさがあって
どうしているかな、そろそろ会いたいな、と思っていたら
彼女も同じで
羽生君のパレードをきっかけにして会うことになった。

ピザを食べに行くということで
昨夜、いろいろ検索して、ようやく決まった。
しかし
何しろ、仙台だけではなく、おそらく周辺の県、あるいは遠くからの県から
彼の大ファンがやってくるので
どこも混みそうだ。
それを念頭に、パレードの近くの店を選んだ。
果たして、望みどおりに食べられるかどうか。
お天気も良いことだし、いい休日であればなあ。

ところで
昨年暮れに買ったばかりのテレビ、壊れてしまった。
先日点検に来て
今日また来る。
それの時間の制約があるので、彼女との再会は時間を気にしながらのそれ。
でも、また会うことの約束をしよう。
食べることが好きな二人なので
彼女の住む町のピザ屋など探索するのもいいな。


良い休日でありますように。

(3/9)義母の話

2014年03月08日 21時19分23秒 | 日常、仕事、認知症
夕方
一階に行くと義母が自分の部屋から出てきて
話す。

今度は白昼堂々と
3人の若い男が隣のマンションとの境界の塀を乗り越えて
こちらの庭に来た、と言う。
マンションの塀の角は、ホテルとの境界でもあり
ホテル側の塀とマンション側の塀の隙間はネコが通れるほどの狭さ。
そこに飛び降りようとしていた、と言う。
そこには人間は入れないよ、と言ったが
それに気づいて慌ててまた塀を乗り越えてマンション側に行った、と言う。

じゃ、明るいうちに私は証拠を撮ってくるから、と
まだ真っ暗になっていないので
お風呂上りの髪にストールを巻き
黒のベンチコートを着て
デジカメと懐中電灯を持って自転車でマンション側に行く。

3人で協力して乗り越えたとはいえ
必ず靴跡や手の跡など残っているに違いない(半信半疑でね)と
思って
懐中電灯を照らしそれらを探すが
案の定、その形跡なし。

そんな不審な私のところに
若い女性が自転車でマンションに帰宅。
私の方から「コンバンハ」と言ったが
絶対に私の方が不審だ。隣の家のものです、と名乗ろうかと
思ったがやめた。
オーナーに通報してくれれば却って都合がよい。

オーナーのことを
義母は呼び捨てにしている。
義母にとっては悪者なのだ、隣にマンションを建てたということで
私たち住民が反対運動をしたときから、義母は呼び捨て。

義母は
その男たちに向かって
叫んだそうだ。
そしてオーナーに抗議しようと思い
マンションに向かったと言う。
ところが何を押しても開かない、と言う。

オーナーは別な所に住んでいる。
それに暗証番号での入室なので
無駄なこと。


私は家に戻って
義母に

形跡なし、却って私が怪しまれたと思うと伝えた。
ワンルームなので
今日は土曜日だし、どこも明かりはついていないから不在だよ、
男たちはマンションの住人と限らない。
それに
ホテル側から丸見えなので
男3人が塀を乗り越えることをしていれば
当然通報されるはず。
またもお義母さんだけが目撃者だね、と言った。
そのあと
延々と
また、家の中の光線の話になる。 

今も、ホラ青い光が見えるでしょ。
私は見えない、お義母さん眼科に行ったほうがいいかもしれないよ、と言うが
私は、目はいいんだ、全然悪くないと答える。
寝室や仏壇がこの世のものと思えないようにギラギラと光る。それも皆男たちが
遠隔操作をしているからだ。
電灯がブワブワ(この表現が面白くもあり、怖くもあり)降りてきて
そしてまた戻る、これも男たちの仕業。

隣の奥さんや民生委員の人にも
義母は伝えているが
最近は擁護できないようだ。

肝心の息子である私の夫は
他人事のような対応である。
どうしょうもない、と言うのみ。




(3/3)義母のこと

2014年03月03日 21時08分19秒 | 日常、仕事、認知症


もう3月になっていた。
先月は不調だったなあ、いろんな面で。
で、今月もその延長です。

記録。

2件目の交番に先月27日に行ってきた。
う~ん、なんていうか・・・
交番に期待するのは難しいね。
こちらの交番では、義母が行ったときに
記録していた、とは言っていたけれど

私が訪問して
目の前で記録していたのは
私たち家族の名前、生年月日、住所ぐらいで
相談内容は全く記録しなかった。
ただのメモ用紙に、日にちの記録もせず
それを書き記したのみ。

私は
何でも、日付や時刻は記録するね。

それだけでも引継ぎ等、うまく行くとおもうのだけれど
記録の形態のない真っ白な紙にそれらを書いたとて
次に訪問したときには
果たしてそれは生かされるのだろうか、と疑問に思った。
毎日のように、勤務の人は変わるだろうし
現に
義母が訪問したことを伝えたが
全く記録簿を観ることもなく
1から私の説明になった。
私としては
「ああ、あのおばあさんね。」と話が通じるものだと思った。

何か事件にならなければ
きちんとした記録にならないのだろうね。
財布を落としたとか自転車を盗まれたとかね。

パトロールをしてくれるとかなんとか言っていたけれど
積極的なものではないだろう。

先月の雪の中
藁をもつかむ気持ちで
必死に歩いてきた義母のことを思って
帰途
おいしいパンを買って帰宅、義母に渡す。
むろん
交番に訪問したことは言わない。



自分の健康問題のことを
夫に言いそびれている。
私の話を聞きたがらない夫に

私は距離を感じている。

そんなことの積み重ねで
何ヶ月も悶々としている。

(2/26)義母と話す

2014年02月26日 21時04分21秒 | 日常、仕事、認知症
もう寝なくてはならない時刻なので
簡潔に記録。

義母は
確かに交番に行ったようだ。
しかし話し相手になってくれただけで
特に記録をしていなかったとのこと。
そして
別な交番に行ったときに
記録をしていた、ということなので
明日辺りに
そちらの交番に行ってみようと思う。

私が台所で後片付けをしているときに
食堂に来て、長々と話していった。

・昨日(?)、雨戸を閉めに西側に行ったら
 足跡がついていた。しかし、それは箒ではいて消した。(証拠を消すなんて・・・)
・昨日の夜も、家中の電気(食堂など)がついたり消えたりしていた。
・仏壇もビカビカ光っていた。(金属じゃないよ、木製だよと言っても・・・
・向こう側の家の人たちにも聞いてきた、遠隔操作されていないか、と。
(マンション側の近くの民家に行ったらしい。普段全然お付き合いのない家にまで)
・こちらがわの路地の家の人たちにも聞いてきた。息子さん、嫁さん(私たちのことね) はなんと言っているのかと聞かれた。(やっぱりね・・・)

などなど。

私に
何か振りかかっている?義母の認知症という問題?
私にはまだまだ覚悟できていないよ、それ。

(2/23)交番へ 義母のこと

2014年02月23日 22時05分01秒 | 日常、仕事、認知症
記録。

義母が例の件で、最寄の交番に行って来た(いつかは不明)と言っていたので
昨日
私はその交番に行って来た。
目的は
義母がどのように伝えたか、それを聴いてどのように受け止めたか
等、聴きに行く。

ところが
交番では
そのような訪問記録がないとのことだった。
先月分から調べていただいたが
記録に残っていず。

結局私が、義母の件(誰かに覗かれている、最近は遠隔操作されていると言い始まっている)と、今後義母が来るかもしれないと伝えてきた。
夫曰く
「おまえがヘンだと思われているかもしれない。」だって。

私たちが義母の訴えを聞いてやらないから(いや、聞くことは聞くのだが、義母の妄想だと思っている)、交番に行くと以前から言っていたので、それを実行したのだと受け止めたのだが
交番ではそのような人物の訪問、話はないとのことだった。
かと言って、また義母に「本当に交番に行ったのか。」と聞くことはせず。

覗かれているということに対して
雨戸を閉めての解決だったが

遠隔操作されている、という言葉が出てきたときには
とうとうこれは・・と思ってしまった。
日中は正常そのもの。
夜、自分が寝るときに、遠隔操作されて
テレビのリモコンなど光る、と断言する。
私たちが下に降りていったときには
その遠隔操作は止まるようだ。
私はそのリモコンが光る、等の現象は未だに見たことがない。

昨日の朝まで怪しいやつがウロウロしていた、と言う。

遠隔操作に対する対処法が今のところ私にいいアイディアがない。

(2/9)仙台、78年ぶりの大雪とか。

2014年02月09日 20時11分21秒 | 日常、仕事、認知症






仙台、78年ぶりの35センチ以上の大雪とのこと。
34センチ以上は34年ぶりとか。


凍って開かない窓越しの昨夜の雪明りが美しかった。
こんな体験は仙台でも珍しい。
北海道にいたときは、冬は当たり前の光景と思っていたけれど
昨夜の大雪は記録的な数字のようです。

朝から路地の住人は雪かき。
うちは路地の奥なので、吹き溜まりになり、そこに雪を集めて
しばらくは消えないでしょう。
腰痛です。

明日早朝の仕事には徒歩で行くつもり。
自転車、危ないね。
こんなに道路の脇に雪が溜まっていては
車道を歩かねばならない。
夫は明日はもっと北の方に仕事で行くので、車大変そう。

猫たちは猫団子になっている。ほんの一部です。







(2/9)夜中のつぶやき

2014年02月09日 03時06分15秒 | 日常、仕事、認知症
眠れない日々が続いていた。
いや、眠りに落ちるのは早いのだが
途中で心の何かの叫びで短時間で目が覚めてしまう。
仕事の起床時間もあるのでそのまま起きてしまう。

今日もそうだ。
録画しておいたドラマなどを観ながら
ウツラウツラとするのだから
「眠れない」という言葉は誤りかもしれない。
ああ、眠いんだと安心して寝床に入っても
寝付けないと、そのまま起き出して
ネットをしたり、考え事をしたり。


ここずっと、心が重い。
日常のあれこれが未解決。
仕事のこと。
猫のこと。
義母のこと。
経済的なこと。
健康のこと。
家庭のこと。

どれも解決の方向に向かわず
寧ろどんどん深く沈んでいく。

弱気だ。

震災の時
仕事を探して、すぐに見つかったときの
あの心境。
いろいろ自分はどん底に落ちそうで落ちない、運がいい、
拾ってくれる神あり、
と自信ありげなあの気持ちはどこに行ったのだろう。
夢を見たときだって
転がって落ちるかと思えば、何かにしがみついて
ギリギリのところで落ちないようになっている自分の
運の強さを感じていた。
確かに落ちそうだ、落ちることが目に見えている、とまで思わせていながら
落ちる寸前に、どこかにしがみついているのだ。
現実もそうだった。
こうしていつもハラハラしながら、血圧を上げたまま
生きていくんだ、それでも生きていられる、と
思っていた。

が、ここ何日か
そろそろ、本当に落ちるのではないか
もう神は私の存在など忘れたのでは、とか
この今の私だったら見捨てているだろうとか
救わねばならない人々が混雑していておまえのような弱い人間には
見切りをつけよう、と突きつけられているのではないかと
歩きながらよく考えている。

こんなことのオンパレードなので
なかなかブログに来られなかった。
皆さんのブログはきちんと観ているんですけどね。

頑張りましょう、生きている限り。

(1/30)お義母さん、またか。

2014年01月31日 21時48分25秒 | 日常、仕事、認知症
今日は寒い。
一番寒いかもしれない。
日中も雪が降り続き、多くは積もらないが
ずっと舞っている。
うちのネコたちも
ネコ団子になっていた。

今少し前、また義母が起きてきた。

外からこちらに灯りを動かして照らしている、と言っていた。
自分の持つ懐中電灯をガラス戸に当てて(その表側は雨戸が閉まっている)
「ホラ、見えるでしょ、灯り。」 と言う。
「お義母の照らしているライトでしょ。」
雨戸に近づいて見せて
雨戸がこうして閉まっているのに、どうして外からライトを通して照らせるのか、と
疑問を投げかける。
納得しないようだったが。

自分のライトに驚いているのだから
それがわからなくなった、ということか。
夫は
それなら、おかしくなった、と思うしかない、と言う。

普段は、日中は、全く正常です。


(1/5)正月もあっと言う間に終わる

2014年01月05日 21時30分01秒 | 日常、仕事、認知症
夫は8時前に就寝。
私は
まもなく就寝。
夫は明日から仕事。私は正月から飛び飛びに仕事。
そして明日から連続4日間。
パートになって初めて4日連続出勤です。
それだけでもきつい、と感じてしまう。
昨年の今頃は6日間、7日間というのが当たり前だった。

正月は結局
ゆったりとできたのは2日の箱根駅伝往路の日のみ。
駅伝を観ながらうつらうつら寝てしまったので、ゴールしたのがわからない。
他の日は料理、実家、料理、実家という日々。
昨日は実家に、父の友人(故人)の家族が集まるというので
私も参加。
彼女たちとは、彼女たちが小さいときに縁のあった人たち。
今は互いに大人になって、あのとき、ああだった、こうだった、と振り返る時代に
なってしまった。

父の友人の奥さん(通常、おばちゃん、と呼んでいた)と息子さんが
うちに迎えに来る。
そのときに、夫が挨拶に出迎えてくれたのだが
にこやかにおばちゃんと挨拶、会話をして
「ステキなだんなさんだこと」と言う。
それを
実家にて、おばちゃんが父にそっくりそのまま伝える。
父「エ?あの○○さん(夫)は、全然一言もしゃべらないんだぞ。」とちょっと不満を漏らす。
夫の言動のあまりの違いに驚いている。母も。

夫はなびかない人間、媚びない人間。
逆の意味では、大人気ないところあり。
ましてや
父との確執のようなものがあり
そのわだかまりが消えない限り、夫は実家に来ても
挨拶のみ。
その夫が、おばちゃんとの会話を弾ませるなんて、父にとっては
面白くないことなんだろう。

私と結婚したことで
私の家のゴタゴタに巻き込んでしまった感あり。
それは結婚前に伝えてあるから
それを覚悟した上での結婚。
2人が幸せであれば
他のことは乗り越えられるもの、という考え(と、きちんと聴いたわけじゃないが)。
瑣末、ではないけれど
瑣末なこと、と捕らえていると思う。


正月、といえば
私がその気分に浸れる1つに

年賀状がある。

1年に1度、知己からの近況報告が届く。
それを見て、ああ元気なんだなあ、とホッとする。
こちらの近況報告は何ら変わらないものでも、変わらないことの安心感も
あるかと思う。
だから、年賀状って、大事だと思う。
メールのやりとりよりも、シャキッとする。

元の同僚(今の職場)のIさんとようやく連絡が取れた。
ずっと東京にいたようだ。今度、ピザを食べに行く約束を。

さ、寝ましょう。
明朝、3時半目覚まし。

(1/1)あけましておめでとうございます。

2014年01月01日 20時56分42秒 | 日常、仕事、認知症
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。



雪のない新年早朝
自転車に乗って仕事に。
テレビも観ない年末年始のせいか
今日が新しい年の始まりとか
何曜日とか
無自覚のまま職場に入った。
新年早々
重い空気に終始。
いつもなら仕事が終わっても
Eさんの為に
サービス残業をしていく自分は
自分の終業定刻に退社。
久々の頭痛と肩こりと吐き気。
これを我慢していると、立っていられないほどに
吐き気に襲われる。
軽いうちに強めの栄養ドリンクを飲む。
すると目の前が明るくなる。
効いている。
これで午後の実家訪問が楽になる。

午後1時過ぎに
こちら家族(夫、義母、私)は
昨日作ったおせちを持って私の実家に新年の挨拶をしに。

昨年は確か夫と2人で出かけた。
義母は連れていかなかった。
あの、遺産相続放棄の件に義母が私の実家に立腹していたので
とてもにこやかに新年の挨拶というわけにいかなかった。

だから今年も
義母は行かないつもりでいたのかもしれない。
しかし
私は
いっしょに行く、と両親に言ってあるから、と連れていく。

すき焼き(父はすき焼きが好き。いつもこれ)を食べて
団欒。
とは言っても
いつものことながら夫は無口なので
サンルームにある全身マッサージ機に揉まれながらテレビを観ていた。
義母と母は
ずっとしゃべっていたので、連れてきてよかった、と思った。
お互いに、年寄り女性同士の話でしゃべる、しゃべる。
母は
こうして他者との会話で、頭のリハビリになればいい。
義母は義母で
普段一人のときが多いのでそのストレス解消にしゃべり続ける。
私は
父の、例の如く「お金」の話に付き合い。
父の数字の精密さには感心する。
これじゃ、お金は貯まるね。
一人っ子の私は一昨年の暮れ、遺産相続放棄の念書を書かせられたw

義母は
あの「誰かがうちを覗いている」事件を母に話している。

「息子とトモロッシちゃんは、私の頭がおかしいと思っているようだけれど・・」と
また言っているので
「私たちは、おかしくなったと全然思っていないよ。思っていないから客観的に
検証しているんでしょ。おかしかったら、別な対応しているでしょ。」と反論。
その話になると、平行線になるので
私は夫のところに退散。

そんなこんなで
結構義母もストレス解消して帰宅。

明日、私の仕事が休みなので明日行くつもりでいたのだが
今日のうちに挨拶に行けてよかった。
明日はうちでのんびりと洗濯をしたり録画の映画を観たりして過ごしたい。
あ、明日箱根駅伝があるんだった。

明後日仕事。その次の日休み。その日にまた実家に行く。
以前、何十年ぶりかに会った、父の(故)友人の奥さんや子どもたちが集う。



さて。
今年はどんな年になるのだろう。
いつもそんな書き出しだね。
そして
希望とか、期待とかを抱いても
それが叶ったことのないこの数年。
頑張るしかないのだが
一番は
自分に厳しくなることだなあ、永遠の課題。
自分に厳しくあれば
これまでの人生、ずいぶんと変わっていたかと思うが
後の祭り。
人生が二度あれば・・・が、この性格を二度繰り返したくない。
せめて残りの人生
この目標に近づけたら、納得いくのですがね。

(12/19)明日、サリーに会える。(母のことなど)

2013年12月19日 13時24分18秒 | 日常、仕事、認知症
またもネットカフェから。
2時間、500円レディースパック。
安い。
お茶、飲み放題。
お昼、シジミ汁、炊き込みごはん。
もう、お腹いっぱいでそのまま眠りたいくらい。

いよいよ
明日、我がタイガースに会える。
もう
過去の人、と思っていたが
いやいや、彼らは現役。
生きている限り
こうして再会できる。

60年代後半
全員イケメンアイドルのスター。
私のサリーは
背が高いし、足は長いし
声はいいし、性格良いし
ベースもうまい。
言うことなし。

タイガースの曲は皆好き。
その中でどれが一番好きか、なんて
中学時代に聞かれたことがある。

モナリザの微笑
も好きだし
星のプリンスも好きだし
君だけに愛を
う~ん
美しき愛の掟

銀河のロマンスが一番好き、と答えたっけ。

花の首飾りといっしょの曲です。
こっちのほうが
タイガースの代表曲のように扱われるけれど
銀河のロマンスが
いいね。

それらも聴けるんですね。

あのピーが
まじめな講演会をしてくれて
(ずっと、1曲くらい歌ってくれるのかと思った)
今回は
その講演を離れて
歌うんですよ。
ピーの張り切りようが目に浮かびます。


明日は
仙台、雨模様。
タイガースの皆さん
仙台で公演してくれてありがとう。
私の青春が
明日帰ってくる。
 

            

うちの母の検査、大丈夫でした。
検査のとき、私もついていき
その結果を聞く。
今のところ大丈夫。
これで
心配することなく、来年のお正月は
実家で迎えることができる。
待合室で待っていた父に
OKのサインをすると
父は喜んでいた。
父なりに不安でしょうがなかったらしい。

最近
こうして
父母と病院で話すことが多い。
そのたびに
父はいろいろと私に話す。
この間は
私の養子縁組の当時の話になった。

若くして、子供ができないとわかった今の両親。
そして
私は今の母親の姉の子供(私生児)。
貧乏だった母親に
養子縁組の話をしたところ
「だめだ」と断られたとのこと。
そのあとの話し合いで
縁組をすることになった。
そして
当時私が住んでいた富良野の役所か裁判所に
「人身売買ではない」の書類を提出したとのこと。
(あるいは、当時今の両親が住んでいた札幌の方だったかもしれない)

その
「人身売買ではない」という言葉が
この自分にふりかかっていた、というのが
妙に
小説的で、「ヘェー」と思った。
そんなことがあったなんて
もちろん
小さな私にはわからなかった。
そして
そのまま、「おまえは長靴を履いて、うちに来たんだよ。」とリアルな光景を思い出して言った。

昨年の今頃
私に
その両親から
遺産相続放棄せよ、と突きつけられたことを書いたね。
あれから
私たちは
この問題について
一切口にしていない。

周囲の人にその話をすれば
「もう、介護なんてするな」と言われた。
私もそんな気持ちを持ったこともあった。

自分の今の行動と心はどうだろう。
やっぱり
母のことが心配になるんだ。
割り切れるものじゃないね。
あんなに強かった母が
今では
病院のトイレに一人で行けない。
行けない、というのは
トイレのレバーがどれかわからない、という頭の問題。
下着の交換もよくできない。
「トモロッシ、トモロッシ、どれかわからない。」と言われれば
無条件に
手助けしなくては、と思うのだ。

そんな自分の母と裏腹に

姑に
「自分は、トモロッシちゃんに蔑ろにされている。」と思われている。
例の
「誰か人が覗いている」事件。

それに対して
私が
科学の分野でしょ、と冷たく(と義母は思っている)言い放つものだから
ついに先日
「隣の奥さんとは、私と本当の親子だと思っているんだから。うんと、私のことを心配してくれるんだから。」と
言われたよ。
私、よく聞こえなかったので
大きく笑った。
あとから考えたら
確信犯的な言葉だと思った。

そんなやりとりを
今、結構楽しんでいる。
夫に言うと
「本当の親子じゃないのにな。」と言われた。



ということで
明日
タイガースをたくさん楽しんできます。
そろそろ
ここを出よう。
また、来よう。



(12/15)ネットカフェからの更新です。

2013年12月15日 13時25分12秒 | 日常、仕事、認知症
今、ネットカフェから。
仕事を終えて、夫と待ち合わせ。
新しいパソコンを買うかどうかの検討。
いろいろと面倒なことがあるね。

うちのパソコン不調で、
閲覧中にすぐスタック。
ほとんど見られないうちに止まる。
ここ数日そんな感じで
そろそろ買い換えなくては、と言っていたところ。

今、あまりパソコンを開けず
こうしてネットカフェに久しぶりに来て
書き始めたところ。
ところが
自分のパスワードを忘れてしまって
焦った。
何度かトライしてみてようやくつながる。


落ち着くまでどのくらいかかるのだろう。
年末だし、
すぐには交換できそうにないね。
電気屋の人は
脈がありそうなので、熱心に勧めてくれた。
パソコンなしの生活って、考えられないね、今。



義母は今のところ、落ち着いている。
自分で
雨戸の鍵を閉められるようになり、それが安心につながったのかもしれない。
それと
向かいのホテルの壁に映る、灯りを受けて大きく揺れる樹木の説明をしたら
少しは原理がわかったみたい。
でも
安心できない。
安心すると、すぐに次の恐怖がやってくる。

明日は
自分の母親の病院の付き添い。
これも未解決。
解決なんてない。
悪くなる一方。これで治った、ということのないガン。
父の方は
何とか今のところ転移なく、それは安心している。
母のほうだ。
正月は家で迎えられる、と束の間の安心。
それ以降、どうなるのかが予測できるようなそうでないような。


今週は
タイガースの公演。
でも、夜に出かけている間の義母のことが心配。
ましてや
ストーンズのコンサートのときはどうなるのか、と。


心配事が絶えないね。
とりあえずは更新。