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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(9/8)晴れたときに、懐かしい街を歩く。

2015年09月08日 09時10分25秒 | 日常、仕事、認知症
ほぼ一週間ぶりのブログである。
その間疲れに疲れた日々であった。
今日その疲れを取るための休みであるが
溜まった家事をしなければならない。
8月は忙しくて長く感じられたけれど
9月は大丈夫かなと思っていたら
いきなり別な仕事が入って
ひとまずは昨日で終わり。
しかしまだまだ続く。
休みの次の日に出勤すると
予期せぬ仕事が舞い込んでいたりして
その気持ちの切り替えにすぐに対応できない自分がいる。
そういうことは大体
事前に
チーフの方(先日上司の前でやりとりをした相手)から
連絡があるのだが
あれ以来
それさえもなく、別な方から、こういう仕事が入った、と言われるのみ。
不機嫌極まりない悪循環の中で
黙々と仕事をしている毎日である。

疲れが溜まって
眠れるだけ眠ろうと思っても
悲しきかな
3時過ぎには目が覚めてしまう。

別な仕事とは。
会社の系列の別なところに行って
同じ仕事をしてきたのだが
それはそれで勉強になったなあ、と実感。
非常に新鮮な気持ちで仕事をしてきた。
がさすがに疲れた。
2日間、気を張り詰めて仕事をしてきたら
どっと疲れが出てきた。
やり方が違うと
いちいち聞かなければならない。
まるで新人のような気持で。

その職場の帰りに
普段は
こちらの方まで足を延ばさないから
辺りを自転車で散策。
懐かしい。
ここら辺りに、昔通った喫茶店があったはずだ、と
探したが
もう何もかも変わっている。
変わっていないのは

  地元の銘菓「支倉焼」の店舗である。建物は新しい感じだが、場所は変わっていない。
  私の大学のすぐそばだった。
  が、その大学は今ここにはない。卒業してから移転していった。久々に訪れた記念に
  支倉焼を買う。夫が好きなお菓子だ。
そして

   この辺りもよく通った。やはり変わっている。が、空気は変わっていないような気がした。
   大学の傍でありながら、人はあまり通らず、学生のアパート街であった。



   この雰囲気、好きだ。通りを挟んだ向かいは大きな新しいホテルだ。そして裏に昔からの家が
   並んでいる。これまた私の郷愁を呼び寄せる昭和の空気だ。


   これは、モダンなマンション、ホテルが並ぶ大きな通りにポツリと別な空気の佇まいの建物。
   「華僑総会」という。地震でダメージを受けてこのようにロープで囲われている。



    大学の近くにありながら、その存在に気付いていなかった。かなり歴史のある建物である。
    もう使われていないが、これって、建て壊しにするには貴重な建物だと思うのだが
    何とか修復して保存してもらいたい。そのつもりでいるのかもしれない。
    本来なら、このくらいになるととっくに壊しているはずだ。
そして
    
    「はやぶさ」の展示の会場になった東北大の片平キャンパスに。よく遊んだっけ、18歳の夏。
    今では警備の方がいて、自転車で入りづらくなった。

裏通りはいいなあ。
身体は疲れたけれど、こういう散策は心の癒しになる。キュッと締め付けられるような懐かしさだ。

(9/2)9月になりました。

2015年09月02日 17時03分54秒 | 日常、仕事、認知症
9月になった。

早朝、出勤のとき、辺り一帯、空、靄の中を
自転車を走らせる。
今日は暑くなる、と予感させる。

休みの次の日の出勤後は
色々と前日の不備が目立ち、イライラ感が募っていく。
最近は
このイライラ感が自分で顕著だな、と思っている。
家にてもそれがあり、職場に行ってもそれがあり
どこに行けば
この気持ちから解放されるのだろうか、と考える。
何事もうまくいっていない感。
不安感。
喪失感。

ノリの死からずっとそれは続いている。
義母が定期的に、絡んでくる。
彼女の無意識のストレス解消なのかもしれない。
毎日何か小さな問題があり
それがくすぶっていく。
夕食を作ってやるが
一緒の食卓にいることの苦痛がある。
時間に追われての作業の私は
夕食を抜いてあれこれと片付けなどをする。
夜でも洗濯機を回す。

美味しいものを食べればいいかな。
日頃の栄養不足を補うように
好きなものを食べに行けばいいのか。

今月も仕事が忙しい。
忙しいのはいいが
順調に回ってほしい。

こんな気持ちでいると
文章も乏しいね。

そうそう
私は
3月と9月を「惑いの季節」と10代のころから名付けている。
不安定な気持ちが続くんだ。
3月はこれから新しい年度になって期待の膨らむ季節に向かっていくのに
気持ちが中途半端な時なんだなあ。
東北はまだ春、とは言えない季節だからかな。
そして9月は。
夏が終わった、と思わせる気温や雨、もう半袖は似合わないような低温が続くのに
自分が夏を引っ張っていたい、と思っていた10代。
あの頃の気持ちを分析して書こうと思っても
現実のことのほうが重くて
なかなか書けない。
そんな心の余裕がほしい。
ポワ~ッとしているのが本来の私なのに。
ピリピリしている自分はダメだよ。



(8/31)ああ、気持ちが重い。

2015年08月31日 17時11分14秒 | 日常、仕事、認知症
今日は
重い気持ちで帰宅した。
上司が亡くなっていた。
病気だと聞いていたが、回復するものと思っていた。
人は簡単には死なない、病気でも
その病気とうまく付き合って細々と生きていくものと
漠然と思っていた。
密葬という形で
葬儀など終わったあとだった。
あとは
会社に祭壇を設けて
アルバイトの人たちも時間を見つけて焼香できるようになっていた。
私と同じ年である。
お酒も嗜む程度、非喫煙者、そんな模範の健康に留意した生活を
送っていても
来るものは来る。
全く詳細は分からないが
病気を隠して我慢して仕事をしてきたのだろう。

仕事を終えて焼香したあと
トボトボと自転車を押しながら考え事をしながら歩いていた。
すると
目の前に
うちのネコたちがお世話になっている病院の先生が偶然現れた。
彼も同学年である。
学区も近かった。
同じ年の上司が亡くなった、という話から
私たちもそんな年齢になったんだ、と互いに言い合った。
大きな病院だけれど
彼も今仕事をセーブしているとのこと。
本当に休みがなかった。いつもいつも忙しく
年中無休で働いているような生活だった。
そろそろ自分のために生きたい、と言っていた。

私はもっともっと働いていなければならない生活状況だけれど
自分を含めた同学年の三者三様の人生を一辺に垣間見た。

千円札5枚の財布を
「5千円札5枚だった。」と言い張る義母はこんなに長く生きている。

(8/9)祭りが終わる。酷暑が終わる。

2015年08月09日 15時55分38秒 | 日常、仕事、認知症
ここ数日
東北
37℃近い猛暑になり
さすがにマイッタ。
私たち人間よりもネコのことが心配で
仕事を終えてすぐに帰宅。
2階にいるネコたちはぐったりしている。
2階のエアコンは古くて効かないので
1階の食堂に連れていく。
サンルームのエアコンをつけてそこで涼ませる。
ここに来て涼しいとわかったネコたちは
次の日も積極的に1階に下りてきて
サンルーム、食堂にと散らばって寝ている。
私も
食堂にマットレスを持ってきて夜はそこで皆と寝た。
ようやく
気温が落ち着いた昨夜から
2階の自分の部屋に移る。
義母にも
口酸っぱく言い聞かせた。
「全国的に、老人がエアコンや扇風機を使わずに
熱中症にかかって死亡しているニュースが流れているので
お義母さんもその典型なので、気をつけてね。」と
扇風機をタイマーにしてつけてやる。
ホント
義母はその典型。
まず、暑いという感覚がない。
我慢できる。
布団をかける(布団をいつのまにか剥いで、オンナに剥がされた、と立腹している)。
無礼者が入ってくるので、夜は全部の窓など閉めきる。
扇風機は電気なので、使いたくない(電気関係、皆嫌い)。

こんな状態で、いつ熱中症になってもおかしくない。
私も1階に寝ているので、安心して扇風機をつけて、そこは開けて、と
言ったが、しぶしぶ従う。

職場でも節電ということで
私はエアコンを消された所での仕事を強いられる。
熱中症で倒れても、何の保障もされない。

8月6日から昨日まで
仙台は七夕祭り。
暑い中、たくさんの人、人、人。
そういうお祭り気分は好きなので
自分も旅行客のようにして
写真を撮りに、仕事を終えてから街の中を歩く。


この写真を撮りたかった。
毎年、仙台の老舗デパート前は、他のところの飾りとは違った大きな飾りが掲げられる。
宮城の各小学校で作ったものだ。
見事な飾りに人の山。


これは、確か老舗御茶屋さんの飾り。伝統の七夕作りを再現したようだ。


こんなのもあった。吹流しだけでなく、こういう着物の飾りも目を引く。


妖怪ウォッチ。子供たちに人気。





各アーケードごとに、金賞、銀賞、銅賞など順位が付けられるのだが
たいていは
老舗のお茶屋さん、蒲鉾屋さんなど、吹流しの伝統、飾りや色の豪華さを競って
お祭りを盛り立てている。

郵便局が出向して、仙台にまつわる切手を販売しているのだが
かつて切手マニアだった私は、伊達政宗等に関する切手を見て
思わず買ってしまった。
「切手って、キリがないんですよね。どれもこれも欲しくなる。」と言うと
「わかります!その気持ち!」と売り子さんが答える。
そして無料で配っている絵葉書や手作り箸置きなどどっさりおみやげにもらう。
旅行客と思ったのかな。
「たくさん、おみやげありがとう!」と手を振る。
絵葉書大好きな私は、これでまた皆に葉書出そう、と思っている。


祭りが終わったとたん、
立秋とともに気温が下がり、2日前までの暑さは幻に思えた。

仕事について
胸に痞えるものがあって、ここ一週間あまり笑顔のない私である。
先日の職場での出来事を書いたが
あのあと、2日休みが続いて冷却された。
Eさんに「この間は迷惑をかけた」と謝り、彼女自身の口からも
「いや、私もすっかり忘れていてごめんなさい。」という言葉を聞けたが
自分の根本のところで、失ったものがあるな、と思っている。
それが度々出るのだが、しょうがない、そこは飲み込むしかないか、と
自分に言い聞かせている。
納得のいかないことをとことん突き詰めようとする自分の性格にも難がある。
世の中、そんなものだ、と言い聞かせている。
だから、時々、閉じこもりたい、と思ってしまう。
それができない現実だから、飲み込むことも処世だ、と思わねばならない。


昨日
義母が夫と買い物に出かけて
ずんだ団子を買って来た。
「トモロッシちゃんも好きでしょ。」と1本賞味。
しばらくして
食堂に行くと
義母が怒っていた。
「トモロッシちゃんに、ずんだもち、やったでしょ。そのあと残りを食べようとしたら
あのオンナに食べられてしまっていたのよ!なんということ!?」と本気で怒っていた。
食べ物の恨みは恐ろしい、という表情で。
「お義母さんが食べたんでしょ。」
「ちょっと見て!」と自分の部屋から持ってきたのは
ずんだの餡(あん)が綺麗になめられて、団子だけが串に刺さった状態のものだった。
お義母さん、団子を1個だけ食べて、あとは餡をペロペロなめたんだ。
それを忘れて、オンナが食べた、と本気で怒っている。
「なんとも言えないねえ・・」と私。
いつもなら
きちんと団子まで食べるのだが、なぜそんなことになったのか
後で考えてみた。
そうだ、お義母さんが団子を食べる前に私は言ったのだ。
「お義母さん、団子を食べるときは注意してね。喉に詰まらせるから。若い女の子で
ずんだ団子をおしゃべりしながら食べて、喉に詰まらせて救急車呼んだことがあるからね。若い子でも油断していたらそんなことが起きるから、年寄りは特に餅なんか注意して食べてね。」と。
それが頭にあったかどうかわからないけれど、団子は残してずんだ餡だけをなめたのだ。
そのことを忘れて、オンナに食べられた、と本気で怒っているのが
なぜか、あきれるというより、職場でのくすんだ空気より
ずっと平和な気がした。

(8/3)職場でのやりとり。そして最後は笑った。

2015年08月03日 17時25分44秒 | 日常、仕事、認知症
暑い。
雨の予報が今週もない。
曇ってくれるだけでも少し気温が下がった気分であるが。
今日は休み。
いつもなら月曜日も仕事だが
休みになった。
明日も休み。
昨日のいやな思いの仕事から2日離れることは
精神的に良い。

日曜の仕事はいつも忙しい。
忙しいとミスが続いたりする。
そしてイライラと仕事仲間との険悪な空気。
とうとう
こじれてしまった。
久しぶりに
血圧が上昇するようなまずい空気になってしまった。
上司2人の目の前で
私とEさんとの見苦しいやりとり。

彼らが私を諌めるつもりが
逆に慰め側になってしまった。
誰の責任など
一方的に
私が悪い、という空気にしたがったEさん。
その事柄に関係のないことまで持ち出して
醜い言い争いのようになってしまった。

頭を冷やすために
煙草を喫いに行った。
上司の1人が追いかけてきた。
「醜い場面を見せてごめんなさいね。」と謝った。
起こった事柄の内容よりも
Eさんの出方に怒った私だった。
この空気、私が勤め始めたころにもあり、
ブログに書いたことがある。
普段、彼女のフォローをしてきて
支え合ってきたつもりでいたが
まるでいつも敵対視しているかのようなものの言い方、
自分は全く責任がない
という態度に驚いた。
いやこれは、一方的に私だけが悪いのではないだろう
あなたも忘れていただろう、と反論したかったが
「認めないんでしょ!」などと言われ
コイツ~、前も私に擦り付けたなあ!と思い出してしまった。

残った仕事を早く切り上げてその場を離れたかった。
すると
突然、さっきのことは何もなかったような
話し掛けをされた。
うん?さっきのは何だったんだ。
上司がいるから強気で出たのか。
私の気分は収まっていない。
私の心を探りにきたか。
以前もそうだった。
翌日には、突然近くの店のお菓子を買ってきた。
お詫びのつもりか。
そんなことは一度もしたことのない人なのに
不自然だった。
それは心の表れだとそのとき思った。
今回もそうだ。
彼女自身も、私に怒っているならその態度を貫けばいいものを
何事もなかったような話をしてくること自体
不自然だ。
だから、それも心の表れだ、と思った。
淡々と仕事を終えて
「お先」と出る。

うちに帰らず、お腹が空いていたので
クールダウンのために
いつもの喫茶店。
今日はどんなDVDが流れているだろうか、と。
すると
映画をやっていた。
日本の映画。
字幕付きなので、バックグラウンドにロックがかかっていても
その映画に集中できた。
あれやこれやとさっきのやりとりを反芻するつもりだったが
コメディの映画に
思わず、グフフフと笑い声を出してしまった。
途中から観て途中で出る。
あとでネットで調べてみたら
あ、タイトル、忘れた、豪華なメンバー、チョイ役の人が豪華。
西田敏行、阿部ちゃん、深津絵里さん、中井貴一さんなど、私を笑わせる。
中井さんの口からピンポン玉をこれでもかと出す場面、思わず声を出して笑った。
あれ、続き、観たい。
こういうとき
コメディを観るのがいいんだね。
笑いながら帰ることができた。
家に帰っても
寝るときも
Eさんとのやりとりが浮かぶ。
だから
頭を冷やす意味でも、2日休みになってよかった。

あ、攻撃は最大の防御、か、彼女。
何となくわかった。

(8/1)昨日は夫も休み

2015年08月01日 16時55分38秒 | 日常、仕事、認知症
昨夜は全然眠れなかった。
早朝起きの毎日、寝る時刻は9時前後にしている。
昨日は少々遅く寝て、10時過ぎ。
ところが。
暑くて暑くて、全然眠れない。
何度起きたことか。
起きてはトイレに行き、
また起きてはネットしてみたり、
洗濯物を畳んだり。
4時に目覚ましを掛けていたのだが
結局2時ごろに寝たようで
2時間ほどの睡眠。
ベランダの引き戸は開けているので
月明かりが部屋の中まで照らして
ネコとグダーグダーと寝返りを打っているのを
誰かに見られてもおかしくないくらい明るい。
そう、昨夜は満月。
夜中に写真を撮ったりね。


これ。撮ってみたら、ただの白い点になっていた。
大きな月だったのに。

昨日は夫が久しぶりに休みが取れた。
日曜出勤も当たり前のこの2ヶ月。
明日日曜も出勤。明日で最後、月曜から通常の仕事に戻る、と
思ったら
残務処理のため、7日まで延長のようだ。
結局10日から通常の仕事になる。
夫のポストどうなっているのか。
でも会社命令の仕事だったので、やるしかないね。

で、久しぶりの牛タン。

写真、撮っていいですか?などと旅行者のようなことを聞いて、軽く快諾。
うちから歩いて10分ほどの店なのに。
やっぱり、お店で食べるのが一番おいしい。

そのあと
日曜の選挙のための不在者投票をしに行く。
駅の地下街で買い物をして
夫と別れて、私は帰宅、夫はタワーレコード店へ。
休みの日でも、いつもネコ缶を郊外に買いに行ったり
義母の買い物に大きなスーパーに行ったり
そんな程度で終わるいつもの休み。
昨日は夫も自分の好きな場所に行けて、休みらしい休み。
夜も
肉を食べる。
義母は牛タンはあまり好きではないので
夏バテしないように
焼肉。
私たち食欲劣らず。

前日は
1人でいつもの喫茶店に。
会社でウツウツした気持ちになったので
その帰りに
昼食を兼ねて、気持ちの落ち着く場所に。
マスターはイーグルスのDVDを流していた。
それをゆったりと観ながら
冷たいコーヒーを飲む。
癒し。癒し。


今週の天気予報に
36℃という温度があった。
水曜か木曜。
私たちはいいとして、ネコたちが心配。
雨、全然降らない。
カラカラ。

(7/27)暑くてパソコンが・・・・

2015年07月27日 16時15分10秒 | 日常、仕事、認知症
暑くて暑くて
パソコンがうなっているので、手短に。

ナポレオンの村というドラマを楽しみに観ている。
あとは合唱のドラマは撮り溜めして後でまとめて
観ようと思っている。
合唱かあ・・・・私にも書くこといっぱいあるのになあ。

梅雨明けしたようで
梅雨らしい雨、続いたかなと疑問。
確かに降ったことは降ったけれど
うんざりするほど、梅雨明けを待ち望むほど
降っていないような。

ジャスさん、帰省するかも。
おいしいものを食べながら
暑さを乗り越えよう。
夫に
今の特殊な仕事が終わったら
牛タン、食べに行こうね、と誘ったら
OKを貰った。

今度の金曜日、私の休みなのだが
この日にまた会議が入った。
チーフには
出られない、と言った。
元々、そういう約束でこの仕事に復帰したのだから
(午後の会議等、家事都合で出ないという条件での復帰)
公休のたびに会議が入り、そちらを優先するのは休みとして
成り立っていないしね。
その代わり、仕事中はバンバン働いていますよ。
彼女のフォローしています。

(7/26)暑い日が続いている。

2015年07月26日 16時41分11秒 | 日常、仕事、認知症
暑い日が続いているが
今日は特段暑く感じて
とうとうエアコンをつけた。
これまでエアコンをつけずに
扇風機と自然の風で何とか凌いできたが
午後寝をしていると
ダラダラと汗が流れて起きてエアコンをつける。
古いエアコンなので、快適、というわけにいかない。
ドアを閉めきってつけるが
冷えるまで時間がかかる。
しかし、ネコがドアの向こうのトイレに行きたいと
言うので
東側のドアを開けると
サワーッと窓から風が流れてきて
やっぱり自然の風の方が涼しい、と実感する。
今日の最高気温、34℃らしいが
昨日の予報で、36℃という情報もあり
何ソレ、と未知の数字にびっくりする。
今までそんな気温あっただろうか。
気温が高い上に
仕事が忙しく、心臓が痛くなる。
夫は
休日返上の仕事である。
今、夫は
従来の仕事と別に、会社から頼まれて
全く別の仕事をしている。
帰宅も遅い。
夕食の準備は、ヘタすると
3段階である。
義母の分。私の分。夫の分。
夫の帰宅が遅いと、私の就寝の時刻になるために
1人で食べて、夫が食事のころには寝る私である。
今度の日曜日までそんな日が続く。
あと一週間。
夫よ、頑張れ。

暑くても
ナンダカンダと言って
うちの老猫たちは
あまり食欲も落ちず、日中は
廊下、階段の途中、トイレの中(風呂もトイレもフルオープン)、どっかの箱の中など
ぐったりと寝ている。
トチは時折
ワオーワオー(アツイヨ~)と言ってウロウロする。
いつものゴハンの上に
豚肉などを焼いてトッピングして食べさせる。

私も夫も義母も
なぜか食欲落ちず、飲み物グイグイ、北海道メロンもペロリと食べる。
こういう時
好きなものを食べて、体力消耗せずに乗り切りたい。
旭川の妹からメロンが送られてきて
思う存分食べる。
彼女たちには牛タンを送る。
牛タン、食べたくなってきたので
夫と食べに行こう、近いうちに。
夫よ、あと少し頑張ろう。
そして牛タン、食べに行こうね。

(7/10)ネコと義母

2015年07月10日 17時46分29秒 | 日常、仕事、認知症

 ダイジローです。映りが悪いですねえ。
1階に常駐しているダイジローを2階に長く滞在する練習をしています。
夕食のとき、2階のクロポチなどゾロゾロと降りていっしょに過ごすのですが
その反対はなく、ダイジローに2階の存在を教え、皆と過ごすことをこのごろ
毎日練習。
義母が、ダイジローをヘンな「ネコ可愛がり」をするので、夜は2階に。
暑いのに、バスタオルなどを巻きつけて、サンルームも暑いのに、「寒いから」と言って
網戸にせず、ガラス戸を閉じてしまうのです。
脱水症状を起こすのでは、と私はそれを見つけたら、ガラッと開けます。
二階のネコたちは、冷たい所、涼しい所を求めて、廊下や風通しの良いドアの前などに
寝そべっています。


先週辺り、義母にお昼、夕食と意識して用意したのですが
今週はほとんどなし。
夫と義母が買い物に行くときの車中、
「このごろ、トモロッシちゃん、頑張っているけれど、いろいろとまだ言いたいことは
あるけれど、まあ、我慢しているわ。」と言ったようで、それを聞いて夫は不快感を表し、そのやりとりを聞いた私は、やる気が出ませんでしたね、それ以来。
そしていつもの「2階の旦那さんがどうのこうの」の繰り返し。
昨日も
夫が帰宅後お風呂に入っているときに
「さっき、息子の声じゃなくて、旦那さんの声が聞こえたけれど。」
「ああ、そうですか。」としか答えなかった私。否定する気にもなれない。

ネコたちに二階でゴハンを与えていると、階段下のドアがまたバタンバタンと音がするので
夫が「ちゃんと皆、いるのか?1階に誰か取り残されているんじゃないか?!」と私にどなるわけです。
ドアのバタンバタンの音は、当然義母がやっているわけで、なぜそんなことをしているのか、下に行こうとすると
階段の踊り場に義母が立っていて、上の会話を聞いているのです。
「お義母さんのせいで、夫に怒られたからね!」と、私。
二階にはネコたち皆いるのに、ドアの開け閉めは彼女の勝手な行動。
まるでストーカーだ、と台所で1人つぶやいてしまった・・・
義母は機嫌をそこねて、「お風呂に入らない!」とその日は義母のお風呂なし。
そして、夫は、義母のためにお風呂のスイッチを入れたのを消しに行く。

今日はお昼を隣にご馳走になる、と言って出かけました。
そこでどんな会話が繰り広げられるのか。
2階の旦那さん、トモロッシちゃんに旦那さんがいるのよ、とでも言っているのでしょうか。


明日は実家に行ってくる。
老々介護の実家。
こっちも気になる。
休みが続けて取れたときは(月に1回ある)、顔を出すようにしている。
メールで○○を作る予定、と送っておいたので
楽しみにしている、と返事があった。

暑くなってきた。
本格的な夏になりつつある、東北。

(7/4)夕焼け空が好きだ

2015年07月04日 20時16分06秒 | 日常、仕事、認知症






この夕焼け空は数日前の画像。

今日、夕食の準備をしていたら、外が夕焼けになっているのがわかって
ちょっと中断して空を眺めた。
カメラを持っていなかったので
数日前の写真を載せる。

夕焼けって郷愁ですよね。
自分は北海道のことを思い出すけれど
地元で生まれ育った夫にしても
こんな夕焼けを見れば
小学生、中学生、高校生の時代に見た空を思い出すはず。
学校の帰りに
夕焼け空を背景にダラダラと友人たちとしゃべって歩いている。
空なんか見ていないのに、きれいだなあと感想を述べ合うこともないのに、
大人になったら、夕焼けを見て、実は中学時代の思い出の色だったと気づく。
夕焼け空が好きなので
自分の実家の部屋を西側にしてもらった。
そして今の自宅の自分の部屋も西側にして窓を大きくした。
夕焼けを見ながら机で本を読んだり、物を書いたりする、いつでも夕空を見られるように、と。
自然の風景の中で、雪景色や雨模様や新緑や好きなものがたくさんあるけれど
ずっとずっと小さいときからこの空が好きだったのだ、と思う。
そして
毎日見られるものではないから、夕焼けだ、と気づいたときには
できるだけ
見るようにしている。

青空が好きなfairyさん。
夕空が好きなトモロッシ。
いつまでも、自然の色に感動していたいものだ。



(7/4)元同僚とイタリアンを。楽しかった。

2015年07月04日 17時54分01秒 | 日常、仕事、認知症


草取りをしていると、小さなカエルたちが産まれていたので(先月中旬にはチラホラ見かけていた)、少し集めて今年誕生のカエルの姿を。

さて、今日は曇天。
久しぶりに元の職場の同僚Mちゃんに会った。
実は年単位での久々の再会である。
最近の生活に笑いの少なくなった自分を嘆いて
いつも大笑いしていた彼女との再会が楽しみで
ヘンな葉書を送った先日。
切手も古い62円記念切手を使い(島崎藤村の顔。それだけでもウケていた。)
メールじゃないお誘いの葉書に驚いていたらしい。

そして
イタリアン。
私の職場の近く。

名前は伏せるが、こんな感じの店。
そこそこ女性客が入っていた。



事前に、食べログを見ておいたのだが、オーダーをしてもかなり待たされるような内容の記事があって、どうなることやらと思ったが
そこは心配なかった。先に飲み物を注文してそれを飲みつつ話していると料理が運ばれ、
料理もおいしく食べることができてよかった。
ただし。
のっけからハプニングがあった。これは詳細は書かないが、接客としてありえないと思った。
バイトの子もかなり焦っていた。
今頃、意気消沈していることだろう。その反省が次の成功に繋がる、次は注意しようと思ってくれればいい。

とにかく久しぶりの再会に水を差すのは避けたかったので大事にしなかった。
料理もおいしかったので相殺と受け止めている。

次に向かったのは
たまに行く喫茶店。


ここはマスターの音楽の趣味が私の好みと同じなので、時折、友人とか、1人でとか、夫も連れていったことがあったっけ。
そこの隅でゲラゲラお話。
話している最中に
「あ、石野真子に似ている!」と突然言ったりして笑った。彼女と数十年のお付き合いであるが、石野真子に似ていると思ったのは初めて。やはり言われたことがあるそうだ。
この年にして新発見。
かつての同僚の話やら、八幡神社の傍の石碑の所で怪我したことや、義母のことや、喫茶店の中で私たちの笑い声が響いた。
来店している人達はなんとな~く、昭和的な。いや、学生さんでも、昭和的な。そんな雰囲気を醸しだす喫茶店なのだ。
なんだか、日暮れてもグダグダと別れがたく群れている中学生のような気分で、別れを惜しんだ。
また、笑いを封印しての生活になる。
また会うことを約束して、お別れする。
今度は久しく会っていない人たちともお会いしたい。

いったん更新を。

(6/19)義母の話、職場での若い子との話。

2015年06月19日 11時05分50秒 | 日常、仕事、認知症
今日は休み。
どんよりした天候であるが
洗濯物を外に干した。
風があるので少しでも水気をとってほしくて。

朝から義母の妄想炸裂である。
朝の食事の準備をしていると
テーブルについて新聞を読んでいた夫に
なにやら言っている。
「あの女にここまでやられて黙って見ているのか!」
「あんたたちが黙っているなら、私にも考えがある!」
「夜中に二階で騒いでしゃべって、いいようにさせている!」などなど・・・・
ずっと1人で夫に向かって不平不満をぶつけていた。
昨日辺りからまたその傾向が出てきたので
今日の私の休みはどうなるだろうと若干憂鬱であった。
昨日、夫はいつもより早く帰宅した。
今日はどのテレビ番組を観ようか、などと話していると
階段の入り口のドアが開いた音、閉めた音が何回も聞こえた。
つまり
義母が、二階で何を話しているのか気になって気になって、開け閉めして
二階の会話を聞いているのである。
そのうち、二階にいた猫たちが一階の廊下に出ていったのに私は気づいて
下に行き
食堂にいた義母に
「なんで、ドアが開いているの?」と尋ねた。
「開けていないよ!ドアが緩んでいるんでしょ!」
と自分の行為を否定。
ま、それ以上追及しなかった。
そんなことがあったので
今日はどうなるのか、と思っていたが
案の定、早朝から一方的な文句。
夜中に二階で誰か騒いでいるらしい。
私たちは早く寝るので、猫たちも寝ているので
二階の物音はしないのだが
義母にとっては、若い女たちが騒いで聴こえるのだという。
それを
「いるわけない」と幾ら夫が否定しても
「いる!」
「いない」
「いる!」の繰り返し。
このやりとりのときは
私は口を出さないようにしている。
口を出したいけれど
夫と私で2対1になるような態勢をとるとますます義母が興奮するので
夫が対応しているときは私はスルーしている。
その逆も然り。

今日はジキルの日か。
どっちがジキルでどっちがハイドか私もわかっていないが。




正直な話。
こういうときの義母は私にとって遠いのである。
遠い。
この姿を見て、哀れ、という感情が湧かない。
こんな姿を見て
可哀相、と思うかもしれない人もいるだろう。
妄想の内容自体、ありえないことだから
認知症の一部と見るだろう。
そうも思うが
人格の大変化と見るか
元々持っていた人格の延長、それの極端化と見るか。
私は後者である。
義母は社交的である。
夫も私もどちらかというと社交的ではない。
誰ともそつがない状態で話せるかというとそうじゃない。
一見無愛想に見えるのが夫も私もそう。
近所の人と話すのもどちらかと言えば苦手なので最低限の付き合いである。
しかし義母はそうじゃない。
いつも話題の中心にいそうな性格である。
だから
近所の人からは
息子想いの良き母、というイメージだろう。
誰よりも息子のことを心配している、というイメージの植え付け。

しかし。
同居した頃の義母。
「路地でとにかく人に会ったら、挨拶すること。」と言われて実行していた私だが
どうも義母は
気に入らない人に対しては強気の姿。
私と義母が路地で歩いて、義母の気に入らない人とすれ違ったとき
私は挨拶をし、相手も挨拶をし、しかし義母は憮然とした表情で挨拶なし。
私は、あれ?と思った。
その人について
「あんなに昔、面倒を見てやったのに、さっぱりこのごろは寄り付かない。」などと
一度否定されたら、何十年も否定し続ける人である。

うちの西隣は昔大きな屋敷であった。
そこを売って、マンション建設になったのだが、古くからの住宅地であった近隣に
マンションが建つことに路地全面で反対し、よく集会の場を設けた。
そのマンションの持ち主は女性で
義母は今も目の敵にして、名前を呼び捨てである。
日照問題や騒音のことを心配したが
それは今は全く問題がない。
マンションの住人とのトラブルは一切ない。
うちとの境の塀も特別立派なものにしてくれたし、近隣の個々の要望にあれこれと答えてくれていた。
そして今、よく義母の口から出る「若い女、男」というのは
隣のマンションの住人を指している。
そもそも、義母の妄想の発端が、この「マンションの住人がうちを覗いている」から
始まった。
私は当初それを信じて、塀の上の手跡とか足跡とかを検証しに行った。この塀をよじ登るには脚立などを利用しないとできない高さである。
それらについてはブログに書いた。
全く騒音もなく、平穏に暮らしているにも拘らず、義母はマンションに突撃し、文句を言いに行ったこともある。
(しかし、オートロックなので、中に入れないので、誰も突撃したことは知らない。)
平穏に暮らしているマンション住人にすれば、言いがかりである。
交番にも行って抗議している。

交番(二箇所)には私もその後行き、義母の事情を話し、今後も来る可能性があるので
様子を見ておくと言われた。

とにかく、一度自分の気に入らない相手になったら、とことん許さないタイプである。
うちの向かいのホテルにもよく抗議の電話をしていた。
「お宅のホテルの食事の作った臭い(におい)がこっちまでやってくる。」と。
これは正常なときの話。
このホテルが建つときも、義父が日照の角度とかを計算して、削らせたらしい。
だから、数十年前から、義母にとってこのホテルも敵である。
最近は専ら隣のマンションが攻撃対象である。

これは、頑固だなあ、これは偏執的だなあ、と若い頃の私は思ったものである。
その頑固さが今になって
こんな形で顕在化してきている。
大変化ではない、もともと潜在していたものが、家の中で大いに開放されているのである。





今日の朝の挑発的な態度は
きっと、何かまた隠して、それがどこにあるのかわからず、盗まれたものを返してこないとイライラしているのだろう。
積極的に
何を盗まれたか(どこに隠したか)を聞く気になれない私である。




家庭でこんな状態、職場でも上司のパワハラ的な応対に憤慨している自分。

数日前
職場に蛾が入ってきた。
これは私の出番、と思って布キレを持って蛾を捕まえようとした。
若い女の子が
「キャー、私、虫、ダメなんですよ。」
私は、若い人たちは絶対、虫だめだろうなあと思ったら案の定。
「こうやってね、布で気絶させるのよ。クラクラアっとなったときに捕まえて
外に逃がしてやるのよ。」
「エ~、トモロッシさんて、優しいんですね。虫も殺さないで逃がすなんて。」
「虫にもカエルにも優しい私だが、姑にはねえ~」と返す。
ゲラゲラと笑ってくれる。
カエルの話から鳩の話になった。
何しろ、職場から
鳩のPちゃんが産まれた元の巣の場所が見えるので、それを眺めながら、(当時は深刻な気持ちでいながらも)面白おかしくあの当時の捕獲の話をしたら、更に笑って「トモロッシさんて、笑いの引き出し多い~」と受けていた。
この子、いつも私の話に笑ってくれるのでついつい、私も調子に乗る。
あるとき、
トイレの後に遠くに、白髪の男性が見えた。「社長に似ているなあ。」と思いつつ近づくと社長だった。
そのあとに、食事をしていた女の子たちに
「今、社長に久しぶりに会ったけれど、老けちゃったねえ。」と言った。
「そうですよねえ、最近。」と同調の笑み。
「最初、似ているなあ、でもあんなに老けていないようなあ、と思って見たら、社長だった。私と同じ年なのに。」とさりげなく言ったら、その反応が凄かった。
「マジすかっ!マジ!?マジ!?」と驚き、笑う。
社長と私の年齢が同じ、というのが信じられなかったらしく、マジ?の声が凄かった。
それだけでも、笑いの引き出しが開いたらしい。

職場では全然笑いの場がない。
かつて勤めていた職場は複雑な仕事、人間関係だったけれど
今思い起こすのは
笑いの場面ばかり。ゲラゲラ笑っていることが多かった。
それに比べて、今の職場は、時間が過ぎればすぐに退勤、そもそもいっしょに働く人達とは笑って話すことはない。
それだけ余裕がない。
違う部署のその若い子はコロッコロ笑う。
笑ったあとは楽しい気分で帰宅できる。
そうだ、笑うことが少なくなってきたんだ。
腹の底から笑いたい。
たまに思い出すんだ。
元の職場の人と、若いとき、彼女が悩んでいたときに慰めるために
栗拾いに誘ったことを二人で思い出して「なぜ、栗拾いだったんだろう?」って
笑いが止まらなかったことを。私の夫が提案して、3人で栗拾いに行き、
栗林で黙々と拾ったことを。
おお、そうだ。
彼女ともずっと会っていない。お手紙でも書きましょう。おいしいものを食べに行こう。











(6/17)父、母、義母、老人三者三様

2015年06月17日 15時35分32秒 | 日常、仕事、認知症
一週間以上、書いていないね。
土日続けて休みだったのだが、自分のための休みではないなあ。
土曜日は1人で、実家に出かけた。
本当は
義母のことを相談しようと思ったけれど
深く話さないままに
時を過ごした。
両親の結婚記念日だったので、どこかで食事を、ということで
ごちそうするところを、ごちそうされた。
昼食後、実家に戻ってから
両親の夕飯の支度を。
私が夕飯の支度をするたびに
母は
「あなたもいつのまにか料理をするようになったのねえ。遊び人だったあなたが・・・」
と言う。
「いや、学生時代はお金がなかったから、遊んでいないでしょ。」と答えたが。
この会話は
いつも私が何か作るたびに出てくる。
主婦歴、何年だと思っているのでしょうね、母。
震災の時に母をこちらの家に避難させて
ガスのないところで
外で七輪で煮炊きをして食べさせたときも同じようなことを言っていた。
まるで、初めて私が料理をしたように。
こんなふうに、若いときの私のイメージしか抱いていないようで。
父も毎日三食の料理を作ることにお疲れ気味。
母は、もう料理ができないけれど
もともとの綺麗好きの性格は脳梗塞後でも変わっていなくて
一生懸命、台所をピカピカに磨いていた。
その影響で、私も帰宅後に台所の掃除をする。
こういう刺激はいいね。

義母は相変わらず
何かを隠すために必死である。

先日はお風呂の呼びかけのあと、大体2分ぐらいで部屋から出てくるのだが
なかなか出てこないので、何をしているのかと部屋を覗くと
テレビのリモコンをどこに隠そうかと、タオルに包んだリモコンを持ってウロウロしていた場面に出くわした。。
「テーブルの上に堂々と置いておくのがいいよ。却って盗まれないよ。」と言う私。

そして
ある日
「ずっと前に盗まれた財布を戻されていたの。」と
数ヶ月前に失くした財布を見せてくれた。
あの時、鍵もいっしょに失くして(隠して)いたのだが
それもいっしょに見つかった。
どうやら、廊下の(この廊下、ネコが義母の所に行けないように、途中で物を積み重ねてブロックしている)自分の野菜庫の奥に入れていたらしい。
どうして野菜庫だとわかったのか、聞いてみると
「化粧品をどこかに隠そうと、そこにしようと思って開けてみたら、財布が戻っていた。」と言う。
あくまでも、盗まれたものが戻されていた、という彼女の解釈。
そういえば
昨日の夜も
お風呂どうぞ、と伝えに行くと
コタツテーブルの上にメモが。
「盗んだ化粧品を戻してください」と見えぬドロボーに書いてあった。
もう、私はそれに慣れっこになっていて
自分の時間のあるときにしか探さないことにしている。

何かが見つかれば、翌日には何かをどこかに隠している。
その繰り返しの日々。
テレビのリモコンはいやだなあ。
これはすぐに見つけてやらなければならないものでしょ。
隠すとき
タオルとかに包むので、探すとき厄介。
タオルや服だらけです、義母の部屋。
財布もパンストに入った状態で見つかった。
パンストに入れるのは、日ごろ、それを腰に巻きつけて管理しているので。

父の兄弟は
姉2人が健在である。
84歳(今年)の父の姉だから、1人は88歳(社交ダンスを習っている)、1人は
90歳過ぎ。
その90歳過ぎの姉は、いまだに、針仕事を引き受けている。
昔から着物を縫ったりして、趣味と実益を兼ねた生き方をしている。
頭もしっかりしているそうだ。

「そうかあ、やっぱり手先を使うことは頭もクリアなんだね。」と私の感想。
もう1人の姉は、2、3年前の両親の手術のときに、田舎から出てきてくれた。
あのときも、あまりに若々しく背筋が伸びていて、年齢を聞き、更に社交ダンスを習っていると聞いて、驚いたっけ。

どうしても義母と比較してしまう私。
夫にその姉たちのことを伝える。
「やっぱり、趣味があるといいね。お義母さんは無趣味だから余計なことばかりを考えている。」
「前(私たちが結婚する前)に、将来ボケないように、何か趣味を持て、と言ったんだ。
人形を作ることをしたけれど、2,3体作って終わりだったなあ。」と夫。

1つだけ、忘れていないのは、料理である。
自分の食べる料理の味付けもきちんとしている。トンチンカンなものを作っているとか
味付けがでたらめ、とか一切ない。
これはこれで
ずっと食事を、別々にしてきた効果。
醤油や唐辛子を買い物に行くたびに買ってくることはあるが、味付けは昔から変わっていない。時々、彼女のために料理を作ってやるが、基本的にまだ火の扱い、食事の準備はできるので、その辺は様子見である。


実家の母は
最近、父の若い頃の失態をよく口にして
父を責める。
その言い方は、非常にきつくて、正常だった母の名残である。
母はもともときつい性格だ。厳しい、と書けば聞こえはいいが
私にとっては、虐待に近いことを受けたことが何回もある。
父は父で
若いときは自分本位の生活で、よく母を苦労させてきた。
両親は見合い。
結婚したのはいいが、父は給料をうちに入れずにギャンブルに使っていたそうだ。
母は
その実態を手紙に書き、父の実家に送っていた。
北海道に住んでいた両親、父の実家は宮城県。
実家では長男(父は次男)が家長として仕切り、
母に何とか我慢していっしょに暮らしてくれと懇願の返事が来たそうだ。
母側からの親類として病気の私を養子縁組をして3人家族になったが
母は
自分が子供が産めなくなったこと(結婚後すぐに子宮の病気)と
自分の姉の子供(しかも結核という病気の)の私を養子にしたことの負い目から
離婚しないで我慢に我慢をして父についてきた、と言う。
それらの事情は当時のときから私は知っている。
その後、脱サラして
父の故郷の宮城県にやってきてその後も母は波乱万丈。
それらの恨みは
脳梗塞後でも忘れていない。
私が実家に行くたびに
その恨みを口にする母。

「そんなこと言ったって、昔のことだもの、しょうがないでしょ。
人生やり直しってきかないでしょ。良いときもあれば、悪いときもある。
済んだことはしょうがない。」と私は言う。
だから聞いてやるしかない。

父は思い通りの人生だったから、ストレスがない、と言えば
母はストレスありまくりだ、とその恨みを言う。

老人三者三様である。




(6/5)上戸彩を知っている義母

2015年06月05日 17時22分29秒 | 日常、仕事、認知症
いろいろと覚えているのに
なぜ
財布を隠した場所だけ、忘れるのか。
それが私の初めからの疑問。
なぜ、それだけ、といつも思う。
そこに財布を置いたが
置いたつもりが、気が付いたときには無くなっていたので
きっと
あのオトコたちがまた持っていったに違いない。

これが彼女義母の言い分である。
何回もこの繰り返し。
そして今回もそう。
今日は私が休みだったので
朝からその財布探しをした。
彼女は端から盗まれたと思っているので動かない。

2,3日前に無くなったそうだ。

その一週間前にも無くしている。
サンルームの外側の網戸に
ダンボールにまた文句を書いて貼ってあった。
「ドロボー!財布を返せ!」とか何とか。
そのときは私も探したが見つけ出せなかった。
そして
翌日の朝、それを持って
「ベッドの足元に返してあった。」と自ら見つけ出した。
一件落着であったが
すぐにこうしてまたどこかに隠して
それを忘れる。

今日は私がすんなり
探し当てられた。
ベッドの足元の服入れの中を開けたら
あった。

「トモロッシちゃん、すぐに見つけたね。」と
さも
私が隠し場所を知っていたかのような言い方。
まあ、腹は立てない。

今日は彼女のための用事をするために
休み返上の
お出かけである。

顔のシミが気になるので
それをカバーするファンデーションを買ってきてほしい、
ホラ、女の人のコマーシャルでやっているやつ。
そう言われたって
全然わからない。
わからなかったら、これまでのファンデーションを、とのこと。

そして帰宅して
「上戸彩のポスター貼ってあったけれど、それ?
上戸彩ってわかる?」
「そう、それ。妊娠した人でしょ。」

上戸彩の妊娠までわかっていて
なんで
自分の財布の隠し場所は頑固にわからないのか。
不思議でならない。


シミを気にするようだから
お義母さんもまだまだ若いね、と言ったら
喜んでいた。

そして
病院の話をした。

お義母さんは頭はおかしくないけれど(これが肝心)
段々、忘れることが多くなったし
商品券の使い方もわからなくなってきたし(これも話題に出た。商品券を手にして昔はこういうのを貰ったらすぐに服を買いに行ったのよ。でも今はどうやって使うのかわからないと言う)
掛かりつけの先生より、専門の先生に診てもらって
より快適に暮らそう、と言った。
割と前向きに考えてくれそうな感触を受けた。

夫には
義母は自分がどれほど大事にされていないかを愚痴るそうだ。
「私が買い物カートを引いて歩いているのを世間の人は何て思うか。
年寄りが可哀相だ、嫁は買い物にも行かないのかと思っているはずだ。」などなど。

私も夫も
身体が動く限り
頭も働く限り
動いてほしい、というのが基本の考え。

「お義母さん、私の実家の母は、キャベツがどれか、煎茶がどれか、区別がつかないんだよ。だからあんなに饒舌でも、自分で買い物に行けないんだよ。
お義母さんは頭が働くし、こうして美容にも気を使っているし、歩けることは幸せだと
思わなければ。」

そりゃあ、嫁が買ってくれば、楽に決まっている。
しかし
それは嫁がいる、という前提。

よく行くスーパーで
たまに見かける元の職場の女性。
数学を教えていた人だ。
この方は、義母と同じ年齢だ。
ずっと独身だ。
久々に姿を見て
ギョッとした。
腰が曲がって、着ているオーバーをバサーバサーと翻して歩いていた。
声をかけようかと思ったがやめた。
でも元気そうだ。
独りで暮らしているのだろう。
あの、いつもステキなパンタロン(古いコトバ)を穿いて
髪もオールバックにして
知的な眼鏡をかけていた彼女。
自分も年をとったが
彼女も老婆の様相である。
その彼女と同じ年齢の義母は
甘え、と見てしまう自分である。

こうして書いているときにも
義母は二階に上がってきた。
私が買って来た「かつおさし」を半分食べて、と言ってきた。
そしてエプロンのポケットには
さっき買って来たファンデーションが入っていた。
「またね、さっき、やられたの。
鏡台の下に置いたのに、あれ、もしかして、と思って見たらないの。
で、探したら、お菓子の缶に入っていたのよ。」
「よかったね、すぐ見つかって。まだファンデーション、他にもあるんじゃない?
何回か、私、買いに行かせられたでしょ。でも今度、商品券で上戸彩のを買いに行こうね。」と言った。

大事なものは隠す、それか。



(6/5)昨日あったこと

2015年06月05日 09時09分12秒 | 日常、仕事、認知症
昨日の昼下がり
1人の男性が訪れた。
いろいろな勧誘があるので、時に居留守を使うときがあるが
(宗教団体やボランティア等。ハンカチを買わされたことがあった。)
昨日はたまたま出た。
玄関のドアを開けたら
男性が首からぶら下げているIDカードをスーツの上着の内側に隠した。
「○○放送局ですが、この辺で、消防車が来たという情報を聞いていませんか。」
これだけ聞いても、話の前後が見えないので
怪しい、と思い
「聞いていません。」と答えた。
手には、住宅地図のコピーを持っていたのみ。
「取材ですか?」と去り際に聞いたら
ニコッとして「ええ、そうです。」と答え、帰っていった。
うちの向かいの家にも訪れるのかな、と見ていたが
それはなかった。

私は
怪しい、怪しいという思いが強くなって
何より、IDカードをぶら下げていながら隠したというところに
怪しさを感じた。
在宅か留守かを確認しているのか、と思った。

思い切って
その放送局に電話した。

「これこれの取材を受けたが、本当に取材をしているのか。」と
趣旨を述べ、男性の特徴、行動、会話等、覚えていることの全てを
話した。
しかし
それを話された側の女性は困惑していた。
私にどうしたいかを尋ねた。
調べてほしい、もしも
そういう取材がなかったら、一企業の名を騙って
在宅留守を確認している不審者かもしれないので、と言った。
「お時間、かかりますけれど・・・」と消極的な感じを受けた。
確かに、私が電話される側に立ったら
変わったクレーマーにしか思えないかもしれない。
いちゃもんに思えるかもしれない。
「時間がかかっても、そういうものはいなかったでもいいので調べてほしい。」と
言った。

そして
1時間以上してから
電話があった。
「やはり、そういう取材はしていないということで・・・。」
「そうですか。わかりました。不審者ということで、こちらも気をつけなければ。
ただ、そちらの名前を騙っているので、今後もそんなことがあるかも。」
と言って終わった。






が。
終わった、と思ったら、10分後に電話があった。

妙に興奮した甲高い女性の声。
「先ほど、電話をしてくださった人ですか?」と聞くと
「はい、そうです!」とさっきのトーンとまるで違っていたので
別人かと思った。
「いました!たしかに取材に行った者がいました!
本当に申し訳ございません!今、帰ってきたのを確認したところ
確かにそちらに取材に行っていました!」
「そうですか。こちらの電話がヘンな電話と思ったかも知れませんが
わかってスッキリしました。」
「今後は取材のときに、名刺を渡すなり、IDカードをきちんと見せるなり
しますので、申し訳ございません。」と平謝り。
「いいえ、すばやい対応ありがとうございました。こちらもスッキリしました。」
と電話を切った。

無事、モヤモヤが晴れてよかった。

何より
話の前後がわからず、突然「消防車が来たという情報はないか」と聞かれても
もっとそのときに食い下がって聞くべきだったが
怖くて、速く切り上げたいという思いが強かった。
この辺で、火事があったとか、全くなかったので
とってつけたような質問だった。
しかも
IDカードを見ようとしても隠されたので
本当に名乗った局だったのか確認しなかったので
そこに聞いてみようと思ったのだ。

そして
うちの事情。
義母がもしかして電話したのではないか、とふと思ってしまったのだ。
義母は
警察とか消防とか宣伝カーとか
よく口にするし、そういうところに突撃することが実際あるので
それ関連かもしれないと、私も余計なことを考えてしまった。
義母に
放送局に電話したか、と逆に聞いたら
薮蛇になるかもしれないので、この件は伏せておいた。
とは言っても、今、義母の電話は使えない。壊れたのをそのままにしている。

とにかく本当のことだったので
モヤモヤが払拭できてよかった。
逆に
不審者であれば、怖いことこの上ない。
スマートなスーツ姿で、路地をウロウロしていれば
絶対に自分は不審者だ、と思ってしまう。

これからは
IDカード、名刺の提示を絶対怠らないようにしよう。