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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(1/6)新年ご挨拶。年末年始、義母、両親の様子。

2017年01月06日 10時10分04秒 | 日常、仕事、認知症
あけましておめでとうございます。
早いものでもう正月6日。
私の真の正月のようなものです。
1日に私の実家に両家の5人が揃ってお節、すき焼きを食べ過ごしました。
実家に姑を連れていけば、私の母ととりとめない話に花を咲かせ
このときばかりはいつもホッとします。
普段、姑の話を熱心に聴いてやらないので
同じレベル(?)の母とは話が弾みます。
いつもの妄想、出かけようとしたら赤い靴が盗まれていた、ガキども(義母の口癖)がいたずらをしていった、等々
私が相手にしない内容を母に話すと
母はいちいち真剣に捉え、「あらー」とか「エー!?」とか反応がこれまた面白い。
横で夫が2人のやりとりを聴いていて苦笑している。
母も母で、姑のレベルと同じくらい、認知がある。
大根やニンジンの区別もできない、これはずっと前から。
そして毎回口癖のようにして言う「女は家庭、男は仕事。それは世界中で決まっている!戦争中から決まっている!」
などと訳の分からないことを今回も演説していた。
普段、姑は私に叱られ、母は父に叱られ、その2人が会って対等な立場で話しているので
お互いにストレス解消になるのでしょう。

翌日から仕事なので
仕事に差し支えないように帰宅。
仕事期間は夫に
義母の朝食、昼食の給仕をお願いした。
そして
昨日と今日、私の仕事が休みだったので
のんびりしたいと思っても
夫は昨日は仕事初めで、午後には帰宅。
夫がいると、グダグダできないなあ、と。
それで今日、今年初めてのグダグダできる日です。

年末も一人で大掃除。義母には、せめて自分の使う洗面台を綺麗にしてくれ、と掃除の仕方を指示。
ペッペッと吐いたものがくっついて汚い。
買い物と正月料理を作りながら、掃除。
しかし、全然最後まで行き渡らないなあ。

忙しい忙しいと言いながらも
正月料理はきちんとやろうと思ってきた。
今は誰かが訪れるとかなく、実家と合わせての5人の料理だけなのだが
楽しみにしている両親や夫たちのためにね。
夫は、独身のころに、お節を作られなかったと言う。
雑煮だけだったそうだ。
その雑煮も、餅の入らない雑煮で
これは夫の家の習慣からか
今でも
夫と義母は餅なしの雑煮汁のみで食べる。
餅はあんこ(こしあん)のみ。
私は小さいときから
雑煮は餅が入ったのが当然と思っているので
私だけ別。
夫は、私の作る傍らで、専ら味見専門。
味見しているだけでお腹いっぱいになっている。
その姿を見ていると
まるで子供のようだ。
だから、夫のために、お節は彼の好きなものがいっぱい入っているものを作りたいと思ってしまう。
義母の何もしない、というのは
ここ最近の認知症のせいじゃない、やはり「これまでの生き方」に出てくるものだ。
母は
認知があっても
若いころから綺麗好きな人なので
本能的に、掃除だけは自らやろうとしている。
料理はできなくなったが
掃除はいまだに、身体が動いている。
どうしても
母と義母を比べてしまうのだ。
だから
義母に
身体が動く時はできるだけ動かそう、頭を使おう、と私は言う。

3日
義母は87歳の誕生日を迎える。
そしてそれ以降
毎日、「明日は私の誕生日だ。」と言う。

年末
義母の食事を提供した時に
喉にごはんかブロッコリーが引っかかって
ベロベロと吐き戻した。
老人特有の誤嚥かと思う。
ネットで調べて
「とろみ」を購入。
年内に届いた。
ちょうど年末の新聞にそのことが大きく取り上げていたので
両親にもあてはまると思い、コピーした。

ゆっくり、咀嚼して食べて、と言っても
これはタイミングの問題のような気がする。
餅も義母には小さく切って提供。
餅はすんなり入っていくようだ。
そして昨夜も
ご飯が喉に引っかかったと、エッエッとむせていた。
食事はストップさせた。
ゆえに昨夜あまり食べていないので
今朝は
おかゆ(七草がゆ。1日早いけれど。でもいい口実になった。)
と煮物を小さく切って
とろみをつけたものを食べさせる。
さ湯もとろみをつける。
水分こそが誤嚥のもとになると書いてあったので。

認知症や介護に
新たなものが入ってきたと思った。
誤嚥か。
とろみか。
なるほど。

そんな彼女、
「87歳は若い。」と言っていた。
若いと言いながら、
今食べたものが何かわからないと言った。
おかゆ、食べたでしょ、七草がゆの会話をしたでしょ、と言っても
きれいにたいらげたあとは茶碗に何が入っていたかわからない。
「ああ、いよいよあなたの愛する息子の名前もわからなくなるんじゃない?」と私は言った。
すべて受け身の義母である。
若いと思うなら、若いなりの努力せよ。
あ、
化粧だけはしっかりとする。
その化粧品も
毎日預けて、すぐに私が回収。
これまで幾つもファンデーションをどこかに隠して「盗まれた!」となり
結果
何回も買いに行く私だ。




(12/31)今年の反省

2016年12月31日 22時12分28秒 | 日常、仕事、認知症
年が変わらないうちにブログ。
今年の反省は
この通り
ブログを書かなくなったこと。
夫も
最近、ブログ書いていないんじゃないか?と
昨日言っていました。
いろいろと
考えることが多いのに
以前だったら
書きたいことがあれば
興奮冷めやらないうちに書いていたのに。
それから
お付き合いを疎かにしてしまったこと。
人脈は宝、と日頃思って口にも出しているのに
自分自身がそれを大切にしていなかった。
お誘いのメールやお手紙の返事を出さずに
もたもたしている自分。
外に出なくなったなあ、と省みる。

今年の出会いは
職場で、7月に新人が入り
仲良く仕事をしている。
朝の挨拶も爽やかに、今日一日頑張ろう、という気持ちになる、と
会議の場でも伝えた。
それまでは非常に雰囲気の暗い、疑問を持っても言い出せないような感じだったから
漸く「普通の職場」という雰囲気になった。

そして家庭において。
義母が年明けすぐに87歳の誕生日を迎えるのだが
日に日に
認知症の態になっていくことがわかる。
10分前に言ったことも忘れる。
私達夫婦がいない間
ガスを使うのが心配なので
ガスの使用を禁止することを今日伝えた。
お湯を沸かしてポットに入れるのが長年の彼女の習慣だが
(湯沸しポットさえもボタンを押すのが厭らしい。テレビのスイッチも換気扇のスイッチもダメな人)
しかし、ガスをつけてやかんをかけていながら、他のことに気を取られて
ガスのことを忘れるようなことしばしば。
一番簡単なボタンのものを購入。
(今、二段階で出るようになっているのが主流だけど、それが彼女にはわからないんですね。)
ただ、ここを押すだけでお湯が出る、ということを教えてガスを使わないようにさせる。
仏壇の線香もガスでつけていたので(どんなに、ライターを使え、と言っても聞かなかった。)
それも危ないからダメと言っても、すぐに忘れて線香をガスでつける。
ならば、ガス器具を使えないようにしなくては、と思い
ガス台のスイッチ、止めます。
1人でできることはなるべくやらせるようにしている。


明日は
実家に、おせちを持って5人で食事。
2日から仕事です。

もう一つ反省点。
風邪を引きやすくなったこと。
特に後半。
風邪の長引き。治ったと思ったら
次の風邪。
それまで風邪を引いても放置していていつの間にか治っていたのに
このごろは引きずります。
自分もいい年なのだからホントこれは注意しなくては。
では
来年もよろしく。

(12/3)蝿

2016年12月03日 16時52分43秒 | 日常、仕事、認知症
蝿がいた。
午前中は見なかったが
午後
姿をアピールするように
パソコンと私の間の狭い空間に飛んできた。
「なんだ、いたのか。」と私。
それからまたどこかに見えなくなったが
一体どこにいるのでしょうね。
死骸がない限り、外にも出ない限り
どこかをねぐらとしているのでしょう。

愛着はないよ。
念のため。
外で会っても
わからないし。

(12/2)虫一考

2016年12月02日 21時54分55秒 | 日常、仕事、認知症
蝿がいなくなった。
昨日と今日、あれ、そういえば蝿はどうなったのだろう、姿を見ていないなあと
気付く。
猫たちは全く蝿に関心がない。
そんな年齢の猫ばかりだ。
夫に聞いた。
蝿、殺していないよね、と。
夫も無関心だった。
部屋は暖かい。
天井などを見てもいない。
窓も閉めているし。
ポトッと死骸があるようでもなく。
そうしていつの間にか姿を消し、
蝿の存在など忘れてしまうのだろう。
いつの間にかどこかに消える。


ずっと昔。
20年くらい前のこと。
その年数も定かでない。
前の仕事で
授業か試験監督かをやっていた時。
教室に
足の長い蚊のようなものがフワフワと窓から入ってきた。
そのころはネットで気軽に検索などできない時代。
今、ネットで調べたら、蚊トンボかもしれない。
生徒たちは気が付かない。
それはなんだかソワソワしているように見えた。
誰かを待っているような様子だ。
それをじっと見ていると
もう1匹後を追って入ってきた。
そして白い壁の上方に2匹並んだ。
そして誰にも知られることなくまた窓の外に出ていった。
私は妙に感動の気持ちでいた。
そのか細い身体の生物が、まるで誰かを待っているような様子をする、
そしてそれが本当だったことに感動した。
この蚊トンボは恋人、夫婦なのだ、と思った。
教室の静寂の中で
恋人に出会って、静かに2匹去っていった。
ああ、虫にも生命がある、ソワソワする感情がある、と実感した日だ。
もしも
誰かが気付いてキャーキャー騒いだらたちまち、
「2人の世界」は壊れるような気がした。
それほど、たいていの虫は嫌われる。
何十人もいるのに
私以外誰一人気付くことなく
平和にフワフワと去っていくことができたのは幸いだった。
自分の日記に今日の出来事としてこのことを書いてある。
それがいつのことなのか全くわからない。
読めばきっと、あの日の感動の言葉はもっと別な表現で書かれているのかもしれない。

虫一考。


(11/30)弱っていく父、母。

2016年11月30日 15時42分38秒 | 日常、仕事、認知症
今月の半ば
実家の母の誕生日だった。
夫と私の休日が一致したので
誕生日には3日早いが
義母を連れて3人で実家に出かけた。
父にも母にも
もう誕生日のプレゼントは食べ物にしている。
これまで物でプレゼントしてきたが
年老いた2人には必要ないと思い
彼らの好きなものを買っていく。
そして寿司が好物なので(私以外は皆寿司好き)、
寿司も用意。
3カ月ぶりだった。

いつもなら父が何かかにか(汁物など)
高齢ながら
エプロンをして台所に立ち用意しているのだが
なんとな~く、疲れた父に思えた。
寿司などを持っていって正解だった。

そして母の様子。
もうガンの治療はしないと決断してから数カ月経つが
痩せたとかやつれたとかそんな印象がなかったので
それはひとまず安心した。

普段、私とは最低限の会話の義母は
母との会話に花を咲かせる。
こうして互いに同じ立場で、対等な話ができるので
ストレス解消に持ってこいだ。
義母を連れていく目的の1つだ。

肝臓にガンが転移してからの経緯について
ここに記録していなかったか。
それは割愛しておこう。
転移してから再び切る、ということを選択をせず
終末医療を選択。
その経過が、今のところ日常生活に支障がない、とのことだったので
あと1か月後に控える正月も
きっと5人で迎えることができるだろう。

母の面倒を見ている父が
疲れ気味というのが気になるところだが
(肉体的疲労もさることながら、精神的にも)
父と会話をする。
父は夜の暗闇におびえるようだ。
暗闇になると
色々なことを考える、と。
私はそれに同調。
私はここずっと
部屋の電灯をつけたまま寝ている。
本を読みながら、眠くなりいざ、電灯を消すと
頭の中が見えるようで
あれこれと考えて却って冴えてくる。
そして眠れなくなり、再び本読みから始まる。
電灯をそのままにして、本をポトンと落として眠りに落ちるのがいい。
だから父の気持ちもわかった。
父はテレビをずっと点けたままらしい。
父は、いつ自分が死ぬのか、とか考えると。
高齢の正常な頭というのは
それはそれで、年齢的に避けられない死の怯えがあるから不安になるようだ。
暗闇は、頭の中が見える、という恐ろしさがある。
私も、よく夫に電灯のことを言われるが
眠れないことのほうがいやなので(早朝4時前には起きるので)、
それを優先する。
電灯にもタイマーがあればいい。
2時間後には消灯しているとさすがに寝入っているだろう。
そんな便利なもの今、あるのかな。

父はよく
自分が死ぬときのあれこれを話すのだが
夏に行ったときの会話で。
「俺の葬儀の喪主は、J(父の甥。私とはいとこの関係だが、ただし、血の繋がりなし。そのJの子供(又甥)がうちの実家の近くに住み、父が可愛がっている。これは以前にもここに書いた)
に頼んである。」
「はあ?」と私。
「おかしいでしょ。娘がいるのに、いくら嫁に行ったからって、中学生とか小学生の私だったら、代理でJちゃんにやってもらうというのであればわかるけれど。
北海道時代のお父さんの会社の人たちやこっちにいるお父さんの友達とか知っているのは私でしょ。そういう人たちがなんて思うか。私はそれなら出ないよ。」
と珍しく私は主張した。
数年前の父や母のガン手術の時に出た、相続放棄の件から、父とはもう諍いはいやだ、父の言う通りに従う、と思ってきた私だったが
さすがに喪主の件は、私の意見を述べる。
「そうだよなあ、Jちゃんやその嫁さんも、それはおかしい、トモロッシちゃんがいるのにと言っていたんだ。」
父は、死んだあとも自分の考えの通りにやろうとしている人なので、一応これも私の想定内です。
ただ、娘として主張(間違ったことは言っていないでしょ、父とは養子縁組したとはいえ、一人っ子の長女です。小さい時から父の会社の人たちともよく遊んでもらって
今でも賀状のやりとりをしている。その私を差し置いて、甥のJに喪主をさせるとは、どこまで私に屈辱の思いをさせるのか。私は出ない、勿論夫も出ない、という私の結論。
周りの人たちのほうが常識的です。
「俺は母さんが先に死んだら、施設にでも入るのかなあ。」
と弱気なことをつぶやく。
私の友人たちはあの相続放棄の件を知っているので、彼女たちの言葉を借りるなら
「近くにいる又甥に介護させればいいじゃん。トモロッシさんは面倒見ることないよ。」となりたいところだが
現実に弱っていく両親を見れば
そうもいかない、やはり頼ってくるのは娘なんです、父も母も。
それが現実というもの。
「お父さん一人になったら、こっちに(私達の所)来ればいいじゃない。」と私。
これも普通でしょ、あたりまえでしょ、皆さんはどうですか。
父は
喜んで「そうかあ?そっちに行ってもいいのか?」と言っていた。

私は両親に
甘えない人間に育てられた。
母方の親類からの養子縁組をした、ということで
母は、父に申し訳なく思ったか
小さい時から厳しく、極端に厳しく育てられた。
甘えることは禁止、というくらいに。
学生のころ、あまりに無会話な私に
母から「もっともっと甘えてちょうだい!」と泣かれたことがあった。
今更甘える年齢でもない、甘えたい時期に、『甘えるな!調子に乗るな!」と言われた
私はますます固く心を閉ざしたことがあった。

そして父自身も
自分の身がこうして弱っていくとき
(今までは私の世話にならない、と言ってきた)
甘えるべき対象を見失っているようだった。

私は
自分の人生の大半がこの両親との確執と
想像していた。
そんな私のことを受け入れてくれた夫には感謝している。
義母だって
お近づきの印に、と
庭のバラをたくさんプレゼントしてくれた。
私の両親にない、ハートを揺さぶるプレゼントだった。
だがしかし
今、庭にパンツを捨てて、嫁に怒られる。
バラは生きている。
何十年もこの家の出来事を見つめている。

(11/30)台湾の青年

2016年11月30日 14時09分23秒 | 日常、仕事、認知症
先日
台湾から来た青年と話した。
たどたどしい日本語と流暢な英語だった。
私の耳が悪いので
夫や友人の言葉でさえよく聞き取れないで
呆れさせていた私にとって
語尾のはっきり聞こえない英語はますます聞き取りにくかった。
そこで
ライティングなら何とか読めると思い
書いてもらった。

そこで感じたのは
この子はまだまだ若い、なのに
英語を躊躇なく流暢に話す、
私は大学4年まで英語を習ってきた人間なのに
彼のようにペラペラと話せない。
この差はどこから?と思った。
日本人の英語力ってよく、先進国なのに英語が苦手だと言われる。
英語が苦手・・・学生時代は英語は好きだったし、テストの成績もそこそこ良かったし
が、会話となると、なぜか流暢に話せない。
考え、考え、単語を並べたり、と。
でも、英文を見ればすぐに何を言っているのかわかる。
つまり、
ヒアリングがダメなんだ、と思った。
他の国(英語圏外)の英語教育ってどうなっているんだろう。
私の受けた時代は何十年も前だから
今はヒアリングを重視した授業を展開していると思うが、
今の子たちは、ではペラペラと話せるのだろうか。
もっと英語の授業での到達目標を
点数どうのこうのより、英会話が成り立つ、英語を積極的に話す度胸をつけるといった
ものになるといい。
どうしても流暢に話すというのが照れる、の感情が英会話のネックになっているような気がする。

次の日、
偶然にも街の中でその子に会った。
これから東京に行く、と言っていた。
またお会いしましょうと握手を交わす。
台湾青年、また日本に来てください。

ヒアリングの強化ですね。
しかし、私の耳は日本語さえ聞き取れない、聞き間違いをする。
でも、勉強って楽しいよね、
してないけれど。

(11/30)義母の下着類の後始末

2016年11月30日 09時32分36秒 | 日常、仕事、認知症
先ほどの義母の下着類の件。
どこにどうしまわれていたのか
大量の下着類(パンツ、ガードル、シャツ、股引、靴下などなど)を
今片付けている。
以前から
義母が物を無くしたときに私が探すのだが
その探すときに、あちこちから下着や靴下が出てきたので、
もう使わない古いものは捨てたほうがいいよ、いざ物を探すとき大変だから、と
忠告してきた。
そこで義母は捨てるものを袋に入れ始めた。
そこまではいい。
後で私が少しずつゴミに出していくから、片づけはまず彼女が。
枚数にして何百枚です。
100枚ではきかない。
そして昨日、新たに、サンルームの段ボールから出てきた。
また、庭に面した外の物置きにも、一塊があった。
ガードルの量の多いこと。
かつての義母は恰幅がよかった。
今は痩せているけれど、ガードルの量からして、それを穿いてスタイルを良く見せようとしていたのだろう。
そして、パンツも多い、多い。
使い古したものではなく、これまで買っては穿かないで取っておいたものばかり。
「これ、使っていないじゃない、穿けるでしょ。」と言っても
「これは私のじゃない。サイズが違う。」と義母。
「パンツなんて、L版、M版くらいの差しかないのだから、穿けるでしょ。」と言っても
私のじゃない、の一点張り。
それらを見て、義父の残した遺産をそれら(服も大量です。今のところそれらは捨てる気はないらしい)に使ってきたことに内心腹が立ってね。
買っては使わないで、ため込んでおく、そしてサイズが合わなくなった今、「私が買ったものではない」と捨てる。
この考えが何とも空しくてね。
まあ、それはいいでしょう、いずれはそれらも処分しなくてはならないので今のうちに処分できて。
ただ。
なぜに
庭に捨てるのか。
10日ほど前に
台所の炊飯器を置く台の下に下着発見。
「なぜ、こんなところに置くのか。捨てろー!」と私。
そしてそれを捨てた場所は
後になって庭だったことに気付く。
なんで、庭に捨てるんだ、と問うたとしても後の祭り。
「あれは私のじゃない!ガキども(妄想)がいたずらしたものだ。」と。
「あなたのやったことの後始末は私がやるのだから、こういうことは辞めてよ!ゴミ箱や袋に捨てるようにしてよ。」
聴く耳なし。
ああ、
「厭がらせの年齢。厭がらせの年齢。」(「厭がらせの年齢」とは丹羽文雄の小説)
雨に濡れたそれらを回収して、昨日新たに見つかった一塊といっしょに置いておく。
ゴミと一緒に、紙袋に入れて捨てているのだが、まだまだそこに手をつけられないほど、今玄関ホールに山積みになっている。
とにかく
今までカワイイ、綺麗と思ったものは誰にもお金の干渉を受けずに買ってきた人だから、これから予想されるその他の処分に頭悩まされる。
なお、洗濯は私がやっている。いや、洗濯機がやっている。スイッチがわからなくなってきたので、セットするまで私。
そして干すのは自分でやれ、と言ってある。
パンツも干しているが、これまで捨てた綺麗なものとサイズが変わらない。むしろ、今穿いているものが古く、それらを捨てて新しいものを
穿けばよいのに、それは拒絶である。
愛着なんて下着にはないが、せっかく買っても、捨てられる下着が可哀想だ、なんて思っていてはきりがない。そこは無心で捨てよう。

義母の昨日の名言。
「トモロッシちゃん、私は第一線から退くから。」
唐突に、作業している私にこうしていつも名言を吐く。
さも、私の反論を誘うかのように。
第一線って、何の?


(11/30)サンルームの掃除

2016年11月30日 08時19分19秒 | 日常、仕事、認知症
昨日と今日、久しぶりに2日続けての休みだ。
昨日はサンルームを掃除した。
サンルームは、家を建ててから7、8年してから
保護した猫のために後付けしたものだ。
現在は
1階にいるダイジローの日中の日向ぼっこが中心である。
ところが最近
ダイジローが2階で他の猫たちと過ごすことが多くなった。
2階のほうが日当たりがよく
皆がいるので寒いときはくっつき合って過ごしている。
ただ
同じ白色の猫「トモ」と仲が悪い。
トモがダイジローのストーカー化している。
ストーカーと言っても、恋心を抱いているわけじゃない。
狙って喧嘩を吹っ掛けようとしている。
そのため、私達が仕事で不在のときは
ダイジローを1階に置いているのだが
最近は夫が出勤のとき(夫のほうが後に出る)
「ダイジロー、1階に行くぞ。」と連れていこうとしても
1階に降りるのはいやだ、と抵抗する日が続き、
2人とも出勤の時も2階に置くことにした。
その代わり、2階ではトモは奥の私の部屋にいてもらうことにした。
慣れればそれなりにその状態が常になる。

1階にいたらいたで
義母の相手になっているのだが
義母のあまりの変な可愛がり方に辟易していたから2階に落ち着いてくれてよかった。
サンルームは日中は暑いのに、「寒いであろうから」と色々な掛け物をかぶせたり
全部サッシを閉め切って、サンルームに通じる食堂の戸も閉めて
蒸し風呂状態にしてしまう。
「ダイジローが脱水症状を起こしてしまう!」と帰宅した私が怒る。
「だって、寒いでしょ」と義母。
「入口の戸も閉めてしまったら、いざトイレに行こうとしても行けないでしょ!」と私。
トイレは食堂や廊下にある。閉じ込められた状態になって、トイレに行けない。
「あ、そうか。」と初めて納得する義母であるが
明日は閉めないでね、と言っても、次の日には忘れ、「寒いから」とまた閉じ込めるわけだ。
それらがあるから、2階にいることを自ら望んだダイジローの過ごし方にホッとしている。


本題に。
そのサンルームの掃除だが、一人でこれをやるのは大変だった。
まず物を外(食堂側)に出す。
段ボール箱、椅子、猫用の壊れたタワー、義母の洗濯物干し、義母の鉢植え、義母のじょうろ、義母の敷いた赤い絨毯、ござ、などなど
いつのまにか物置になっていた。
段ボール箱には、かつてそこで飼育した鳩のPちゃんの餌が未開封のまま入っていた。いつか戻ってくればそれを、と思っていたのか。
そして別な段ボール箱には義母の下着がギッシリ詰まっていた。(この件についてはまた別枠で)
義母の置いたものは義母に渡した。
もう、ここにあなたのものは置かないで、と。
1階にいる義母がどこもかしこも私物化して、自分の溢れた物をこうして置いている。それを黙認してきた今までだったが
もうそれは辞めた。

物が無くなった状態のサンルームの掃除機かけ。サッシの溝の掃除。遮光カーテンの除去(もう古くなったので)。
拭き掃除。
出した物の後始末まではいかなかった。
それは玄関前のホールに積み重なっている。今日、やるか。
じょうろや洗濯物干しが無言で戻ってきたが
それはあなたのもの、もうあそこで花に水やりとかしないで、カビが生えている、と再び返す。
彼女は、これは私のものではない、という意識が働くので(つまり、もう花にも水をやったりしなくなったので、自分のものではないという解釈)、
自分のものではないのは、どこかに置く、捨てる、という発想。

そのサンルームの掃除をしたのは、ある目的があるから。
ただ実現するかどうかわからないので、まだ書かないでおこう。
いや、いつものことです、本来の目的のために作ったサンルームですから。
なかなかたやすいことじゃないけれど。

(8/1)またも月初めのブログ開始。

2016年08月01日 21時50分38秒 | 日常、仕事、認知症
1日になると
書き出すトモロッシ。


ずっと梅雨模様で
暑さも昨年よりは感じず
仕事がしやすい気温だなあ、と思っていたら
季節は正直、
7月末には、あ、夏が来た、と実感した暑さ。
それからは
暑い、暑いと言っています。
暑いのは苦手ですが
夏って、なぜか思い出が多くできそうな季節なんですよね。

幾人かの懐かしい友人と会ったり
カエルの保護も毎日欠かさずやっていたり
義母とは相変わらずのやりとりをしていたり

でもなぜか
心から揺さぶられる感動がない、とずっと思っているせいか
滞りがちなブログ。

何も予定のない夏。

我慢、我慢。

(6/2)再び「ろっこ」へ

2016年06月02日 09時23分54秒 | 日常、仕事、認知症
一昨日
半年ぶりに、かつての同僚Iさんと会う。
彼女とは定期的に年2回程会っている。
私の仕事の変化について伝えたいこともあったし、
彼女が髪を切った(非常に長かった)ということを受けて
それを見たくて
会うことになった。

彼女と会う時は
ピザを食べるという不文律があり
私が新規の店をネットで調べて
当たりはずれはともかく、
食べログを参考にしながら
1回は訪れるようにしている。
そして見つけたのが某イタリアン。
いつものように
「もし、外れだったらごめんね。食べてみないことには。」と
階段を上っていった。
食べログでは
11時半開店になっていたので
11時50分に入った。
お客は誰もいなかった。
奥から1人、店の人が出てきた。
「12時からなんですが、お席でお待ちいただけますか。」と言われた。
お勧めのメニューは、ランチ限定だった。
パスタ中心。
私は
「ピザを食べたいのですが。」と言った。
食べログにはちゃんとピザの写真があったので、安心していた。
「ピザは1時からなんですよ。」と返事。
まあ、1人でやっているようなので、ランチ時の忙しさがあるのだろう。
ランチが落ち着いてからピザを提供するということらしい。
どうするか。
「じゃ、また来ます。」と言って引き揚げた。

一応保険として
「ろっこ」を頭に入れておいた。
そこは彼女と以前訪れている。
非常においしかった、という印象が残っている。
最近の、地元の雑誌にもまた取り上げられていたし、
彼女自身、彼女の職場の人たちと何度もそのあと訪れたらしいが
満席になっていて諦めた、というほど、他の人にも勧めたい場所なのである。
しかし2回目の訪問するには
まだまだ仙台のイタリアンピザを一巡していない。
が、
先の店に近いこともあって
「ろっこに行こう」となった。




ひらがなのろっこ。
どういう意味なのかな、と以前思ったのだが
おそらく席が6個だから、と彼女に言われたっけ。
あ、そうか、そのろっこか。
という解釈でいいのかな。
店の人には直接、言われを聴いていないけれど。
そして座席6個(カウンターのみ)のうち3席が埋まっていた。
私たちは奥の席へ。
私が頼むのはマルゲリータ(大体いつもこれ)。
彼女はフレッシュトマトのマルゲリータだったかな。
出来上がるまで、お話。
まず、
互いに「痩せたねえ。」「いや、あれから太ったんだけど。」と同じ言葉を発していた。
確かに太っているはずなんだ、この私。
仕事が半分になってから、朝食を必ず食べているし(仕事のときは朝食を食べない)、
なんだかんだと甘いものや甘くしたコーヒーなどの量が増えている。
彼女は髪を切ったので痩せて見えたが、太ったという。
つまりは、この痩せた感じに見えるのは
年のせいかもしれない。
やつれるというか、顔の肉が下がるというか、そんな感じなのかもしれない。
やはり、年齢を重ねたら
生存確認とともに、やつれ具合を確認して、もっと若々しくせねばと思う。
そして出てきたピザ。
久しぶりに食べる。
うちは、夫も義母もチーズ嫌い。
自分用に、オーブンでピザを焼いたら(冷凍ね)、顰蹙を買うほどに、チーズのにおいを嫌う。
だから
年に何回か、お店のピザを食べたくて、彼女も好きなのでこのようにピザ巡りをしている。


食べかけのマルゲリータ。


彼女のトマトのピザ。
2人で半分ずつ食べたのですが
最後の最後までおいしい、と思わせる。
チーズはもちろんのこと
生地ですね、美味しさが保つのは。
石窯で焼いているわけではないのですが(専用のオーブン)、
生地の焼き具合が抜群。
とっても満足してそこを出ました。
すぐにでもまた来たいのですが
まだまだ私達は、ピザ巡りの初心者のようなもの。
これまで
幾つかの有名店や穴場(だと思って入ったところもあり)の店に行きましたが
ろっことチロル(ここ老舗。老舗だけに、美味しいと再確認)以上の店にはまだ会えず。
今度は
北仙台の店を選択。
ちょうど彼女は今月末に、今のマンションから街に近いところに引っ越すということで
自転車でそちらの散策に行こう、となりました。
その引っ越しの作業(古いものを捨てたり、粗大ごみを出したり)があり
ノウハウを教えてくれて、うちも今、思い切って震災以来の整理をしているのよ、と
その話が中心。

今日も寒い。
これから段ボールの解体です。

(6/1)断捨離を目指して

2016年06月01日 17時34分48秒 | 日常、仕事、認知症
とうとう5月は1日だけのブログで
今日から6月。
そして寒い。
私にとっては、涼しく過ごしやすいのだが(いろいろ仕事が捗る。)、ネコたちは
秋のような空模様をしんみりと眺めつつじっとしている。

衣替えの月ということで
冬物などを整理。
衣類よりも、猫用のコタツ布団や厚手の敷物などをまとめている。
そして
もう着ない服を思い切って処分。
ようやくその気持ちになれた。
今までは、着ることはないが、なぜかもったいないという気持ちで
しまっていたのを、子供会のリサイクルやゴミに出すことにした。

4月から仕事が半分になり
少しずつ家の中の片づけをやっている。
義母のも有無を言わさず、やらねばと決心して
捨て始めている。
彼女も随分と今まで、物を溜めてきた。
洋服はもちろん、老齢のせいか、空き箱、空き缶(きれいなお菓子缶)などなど、山積みになっている。
自分の気に入らない色の服などを庭に捨て始めたのがこの冬2月。
それらを拾ってゴミ袋に入れるのが私の役目。

あまり気負わず、毎日少しずつ
断捨離をしています。
まだまだ、自分のものに本格的に手をつけるのは先のようだが
暑くならないうちに朝早くからやっている。


(4/14)懐かしい顔

2016年04月14日 07時20分35秒 | 日常、仕事、認知症

耳が全く聞こえないナナ(左側。今年18歳)とここ数カ月二階で寝ているダイジロー(白。今年13歳)が寄り添って
寝ています。
姉妹だった故ミミも晩年は耳が聞こえず、傍で「ミミ!」と呼ぶと気付いてくれたが
ナナは全然耳を動かさず。年を取って大きな声で鳴き始めたら、耳が遠くなった、聞こえなくなったと疑うとよい。
それでも元気に、今我が家の長女として走り回っています。

ブログ書かずにごめんなさい。
ジャスさん、誕生日のメールありがとう。
その返事もせずにごめんなさい。
ところで、あなたのブログ、タイトル忘れてしまって(昨年パソコン新規にしたとき、控えておくのを忘れた)、
見ることができないので、メールで教えてください。

ホント、1カ月に1回のブログはいただけませんね。
昨年の
うちの猫たちの死が、自分の心に何らかの影響を与えているのかな、と思ったり
日常がうまく行っていないのが影響なのかなと思ったり。
年を取れば
落ち着くであろうと思っていた「未来予想図」が
そんなことはない、却っていろいろな形で予想図にシミをつけられている、と感じたり。
それらもブログに記してきた自分なのに、
どうして「怠け癖」がついてしまったのでしょうね。
というわけで
これからもよろしくお願いいたします。

    

前回の記事の最後に
出来事としては悲しいことだったのだが
半面、別な意味で興奮状態の良いことがあった、そのことは後程、と書いてそのまま。

以前勤めていた職場の上司が急逝し、その葬儀が大々的に行われた。
辞めたのが20年くらい前(10年ほど前に、臨時で4年ほど戻ったが)。
私が辞めたあとに更に辞めた方も参列して
何十年ぶりかに会う方もいた。
懐かしい顔ぶれ。

その20年の間に
特に昨年辺りから
「もう二度と会わないかもしれないから、会える機会があれば会っておきたい」という思いを強くしていた。
同僚であり友人であるMちゃんとは年に1度くらい会いながら
懐かしい話をしてきた。
その時しきりに「○○さんは元気かなあ。会いたいなあ。」といろいろな人の名を出して言っていた。
その実現には、声掛けをして
皆で気仙沼の○○さんに会いに行こうよ、と言っていた私だった。
しかしそれも実現できないうちに
葬儀という悲しい場面で皆に会うことができた。

同僚の仲間は皆、立派に役職について頑張っていた。
彼女たちには頭が下がる。
子育てをしながら、重要な役をこなして、笑顔が変わらない。
若い。中堅というよりはもっと上の存在だ。
私たちが若いころに、上の人たちを畏れていた年齢になっている。
今の若い人たちよりも若い笑顔だ。
今の職場を彼女たちが支えているといっても過言ではない。
私と同年代の男性たちも、若い人以上に動いていた。
あの頃と変わっていないなあ。

そして
私よりも10年も20年も年上の方々の健在ぶり。
義母と同年の方もいらっしゃって、
義母の認知症や衰えぶりを見てきたので、それに乗じて彼らも衰えているのかと思えば
そんなことはない、あのころとほぼ変わっていないのである。
これは衝撃だった。
帰宅して、義母にそのことを話す。
しっかりしてくれ、という意味で。
やはり、社会に出て働いてきた者とそうではない者の差か。
無趣味、友人の無いこと、それらもあるが。

そして
急逝した上司。
私より年上であるが、ほんの少しだ。
改めて
自分も、いつまでも長く生きられると思ったら大間違いだ、と気付かされた。
自分の両親は大病をしながらも長寿、義母も。
それらを見ているから、自分も同じようにその年齢まで生きるだろうと思っていたら大間違い。
どんな形でやってくるかわからない死。
自戒して日々やっていかねば。


その気仙沼の○○さんとも20年ぶりに会った。
私に何等かの影響を与えてくれた方だ。
彼ら夫婦にはお世話になった我が家。
亡き義父もお世話になった。
私が20年前に仕事を辞めると聞いて
「寂しくなるぞ」とメモを机の上に置いていった彼。
彼はこの職場を背負っていく人だと確信していたが
彼もその職場を去った。
そして新境地で新しい人生を70代にして生きている。
その彼に挨拶をすると
「お前は、どこに行っているんだ、この不良娘め!」と相変わらずの毒舌。
私が今、何をして過ごしているのか、彼には伝えていない。
ほぼ皆に正式に伝えていない。
今はもう娘じゃない年齢の私に「娘」と使うのは、あのころの若き時代の自分を浮かべてか。
今度いつ会えるのだろう。
70代でも働いている彼。

そして
思うのだった。
彼らや同僚たちの生き方こそが普通の生き方だと。
この言葉は語弊がある。
普通というのは平凡という意味じゃない。
色々な困難があっても粘り強く働くこと、これを貫いている。
子供がいて孫がいて、家族を支えて、職場でいやなこと、理不尽なことがあっても
守っていくものがある。
私のように
フラフラと浮いた人生の人間はやはり彼らの目から「不良(人生)」と見られるのだろう。
自分の得た資格を捨てて
もうその人生は生涯ないだろう、と思って辞めた臨時の仕事のとき。
震災の年だ。

別の世界に入って
早くも弱音を吐いている自分は
やはり彼女たちの生き方を尊敬する。

私はこれから何を持って生きていくのだろうか。
ずっと答えを出せないままに
徒に年月を過ごしてきた。
天啓のごとく、落雷のごとく
自分に降りてこないのだろうか。









(1/10)年末年始。あけましておめでとうございます。

2016年01月09日 21時24分44秒 | 日常、仕事、認知症


あけましておめでとうございます。
新年に入って10日目のブログです。

写真のネコは。
 
会社の近くの仙台放送の看板です。
今年このネコちゃんが放送局のお手伝いをするとのこと。
早速、仙台放送のCMに出ていました。
ネコの手を借りて癒されたい世の中です。


年末年始は仕事だったので
少し遅れて
自分は休みを2日ほどもらいました。
それでも
年末のあわただしさの空気は好きでして
忙しい忙しいと言いながらも、時間に追われながらも(仕事柄、早く寝なくてはならないので)、
夫や義母や両親にお節や雑煮を作ったりすることは
年末の雰囲気を味わう、欠かせない時間です。
これは
自分の記憶の中に
苫小牧にいた時の、母の年末の慌ただしくもワクワクするような忙しさが残っているからかもしれません。
母が台所で料理をしている時に
小学生中学生の自分が、年末のテレビを観ながら料理を待っている、父の会社の後輩たちが次から次へと
やってくるワクワクさ、お正月はその方たちと、北海道特有の木札の百人一首をしたり、談笑したり、
お年玉をもらったり、母の料理を皆で食べたり、と
子供ながらに非日常の喜ばしい興奮をしていたことが、今でもはっきりと思い出されます。
今、その作る側になって
両親が待っている元旦、仕事を終えてから、あれこれと土産を持って出かけました。
何も変わらない、無事にいっしょに正月を迎えられたことに感謝しています。
そんなことは考えたこともなかったけれど
高齢になっていく両親、義母、そして夫とともに「来年も無事にこうして迎えられるだろうか」と
思った今年の正月。
やっぱり主婦は、家庭の要だと思います。
大変でも、楽しい正月を迎える料理を作ることで、家族に喜びを与え、それが受け継がれていく。
母は今、料理が全然できなくなっているけれど、料理ができないことに悲観しているけれど
私に残したあのワクワク感は受け継がれています。
実家で、台所に立つ私と父。
母と義母は夏以来の再会で、ずっとずっとおしゃべり。
認知症気味の二人のその姿を見ながら料理をしていると
なぜか、その姿にほっとし、微笑ましいとさえ思うのです。

そして自分は
遅れてきた正月を2日間、録画していた紅白などを観てのんびりしました。
今流行っている人たちは早送りして
不思議と紅白は、演歌などベテランの人たちの歌に惹かれていく。
森進一さん、なんで引退なの?
北島三郎さんにしても紅白引退したんですよね。
歌える限り
マンネリ化がどうのこうのって言わずに、出てきて盛り上げてほしい。
歌のうまい人が次々と消えていく。
紅白ぐらい、昔の歌を歌ってもいいじゃないか。
お年寄りから子供まで観る紅白なのだから、満遍なく出場して
皆で盛り上げてほしい。
知っている歌は盛り上がるし(1曲目の郷ひろみから盛り上がっていた!)
皆で口ずさんで若い人たちに受け継がれていくんだ。

そして今日知ったのだけれど
カウコンに山Pが出たんだね、サプライズとして。
亀ちゃんと、アミーゴを歌ってくれたんだ。
夫が録画していてくれたのだけれど
山Pが出ていないと思って、消したんだ。
でも今日偶然知った。
出てくれたのが嬉しい。
あの歌、名曲ですよ、ジャニーズの。
このブログの前の記事にそのことを書いていたね。

ということで
今年も
よろしくお願いします。

昨日、サリーの誕生日でした。
岸部一徳さんですよ。私の青春の人。




(9/8)義母に対する私の本音

2015年09月08日 18時50分28秒 | 日常、仕事、認知症
何とも何とも・・・・
愚痴になりますが、ちょっと書きます。



義母の被害妄想というか
勝手な妄想に辟易どころか、また血圧の上がるような気持でいる。




久しぶりの休みに
いつもこんな状況になるのが常。
義母は1階の自分の部屋や台所、食堂にいます。
私は
ずっと2階にいます。
買い物に出るときに
「今日はカレーを作るからね。」と言って出かけます。
「うん、わかった。」とまあ、普通の対応。
具材など買ってきて
4時半ごろ下の台所に行き、料理開始。
夫の帰宅が6時過ぎるので
先に義母に食べさせようと
作り始め、その他サラダなどを用意し
彼女のカレー皿に盛り、
あとは食べるだけ、の食卓。
隣の部屋に「カレー、できたよ。」と声をかけると

「そんなもの、食わない!」
「エ?」
「馬鹿にされて、食ってられるか!」
などと言われて
さて、
どういう対応したらいいのでしょうかね。

その間
特に会話なんてしていないし
全く脈絡のない言葉に
私も
「じゃ、食べなくていいよ。捨てるから。」と言いましたよ。

それじゃあ、ダメだ、なんて意見も多いでしょうね。

とにかく
一人で妄想し、それを頭の中で作り上げて
攻撃対象を私にしている。

先日もそういうことがあったばかりだから
それの延長だと思います。

先日の件。
やはり
突然突っかかってきて
「この間、夜、出ていって泊まってきたな。
男と、次の家を探しに行ったんだろう。」と聞き捨てならないことを言うものだから
私も腹が立って
なんで、夫がいるのにそんなことをしなくてはならないんだ、夜、外に行ったとしても
近くのコンビニにあなたの息子がアイス買って来い、コーラ買って来いというから
出ていっただけなのに、なんでそんな妄想になるんだ、と言い返しましたよ。
あんまり腹が立ったので
夫に
「こんなことまで言われて、なんであなたの親の面倒を見なくてはいけないんだ。
私が出ていけば、この家は鎮まるのか。」と、つい本音を言いましたよ。
「あなたの親が嫌い。あなたが私の親を嫌いなように、私も今、あなたの親が嫌い。」とね。
で、夫、なんて言ったと思います?
「出ていけ」とつぶやいたんですよ。
そして、後からその言葉を確認すると
「そんなことは言っていない。」と夫。
要するに
目の前で、二人がそんなやり取りをしているのを見て
おかしな義母にまともに相手している私にも立腹したのだと思います。
今度は
夫と
言った、言わないの喧嘩になるので
それ以上追及しませんでしたけれど。
前から
義母は
二階に男、女がいる、と言っているので
その延長の妄想がひどい。
「今日こそ、あんたたちが困っているようだから、二階にいる男たちに
私が話をつけてくるから。」と言ってみたり、
夫が食事中に、私が二階のネコたちのゴハンを持って食べさせに行くと
「男に、ゴハンを持っていったのか?」と夫に聞いてみたり、
さすがに先日の
泊まりに行った、というのには我慢ならなくて、
朝、仕事に行っているでしょ、私、こんなことあちこちにさも本当のように言いふらして
そんなこと辞めてよね、と私も反論。

夫は、相手するな、話しかけられても無視しろ、俺は毎朝、そうしている、と言います。
私が早朝仕事に出たあとに夫が朝食と新聞の時間なのだけれど
必ず、その時刻に起きてきて
まとわりついて、ブツブツと私の悪口を言うのです。

「そっちの部屋に行っていろ。まだ起きる時間じゃないだろ。」
「馬鹿にされて黙っていられるか!」と因縁をつけ始め
あとは夫はだんまりの方向へ。

まともに相手するからダメなんだ、と言います。
じゃ、できるだけ余計なことは話さないように、
何事もなかったように
食事の用意をして、声をかけたら
この通り。

夜、コンビニも行けない、カエルの救済もできない、
いや、行きますよ、彼女の妄想に付き合っていられない。


私の目下の悩みは。
夫が今月中旬、会社の社員旅行で
台湾に行くんですね。
その間、義母と二人。
妄想の連続ですよ、義母。
それさえも何かに変換して、あれこれと次から次へと
妄想を始めるのが目に見えている。
連休のころなので、私は仕事が大忙し。
連休だからこそ仕事が入っているから、その分、家にいなくてもいいのですが
うちにはたくさんのネコたちがいるので
私は出ていくことはできません。
私の両親には
具体的な義母の言動についてはあまり言っていないのですが
妄想だらけ、というのは言ってあります。
あまり、そんなことを言うと
自分たちも義母と同じようになり兼ねないので
つらいでしょうから。

父は
自分か妻がどちらか死んだ場合、いずれ私の世話になるかも、と
思っているようですが
あのお義母さんとはいっしょに住めない、とチラッと言っていましたしね。

病院に連れて診てもらうことをおそらく勧めるでしょうが
診てもらって、この妄想は引いていくのでしょうか。
そもそも
自分はおかしくない!おかしいのはお前たちだ!と言い張る彼女を
病院に連れていくのはできるでしょうか。
いや、それ以前に
心配だから連れていきたい、などと建て前の言葉を言えるはずがない私です。

ああ、今から
ネコのゴハンを作らなければならない、催促のニャーニャーの声。
また下に行かねばならない。
夫はまだ帰ってこない。
今日は石巻に行っている。
あ、今電話があった。
20分ぐらいしたら家に着くって。