僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

(11/30)サンルームの掃除

2016年11月30日 08時19分19秒 | 日常、仕事、認知症
昨日と今日、久しぶりに2日続けての休みだ。
昨日はサンルームを掃除した。
サンルームは、家を建ててから7、8年してから
保護した猫のために後付けしたものだ。
現在は
1階にいるダイジローの日中の日向ぼっこが中心である。
ところが最近
ダイジローが2階で他の猫たちと過ごすことが多くなった。
2階のほうが日当たりがよく
皆がいるので寒いときはくっつき合って過ごしている。
ただ
同じ白色の猫「トモ」と仲が悪い。
トモがダイジローのストーカー化している。
ストーカーと言っても、恋心を抱いているわけじゃない。
狙って喧嘩を吹っ掛けようとしている。
そのため、私達が仕事で不在のときは
ダイジローを1階に置いているのだが
最近は夫が出勤のとき(夫のほうが後に出る)
「ダイジロー、1階に行くぞ。」と連れていこうとしても
1階に降りるのはいやだ、と抵抗する日が続き、
2人とも出勤の時も2階に置くことにした。
その代わり、2階ではトモは奥の私の部屋にいてもらうことにした。
慣れればそれなりにその状態が常になる。

1階にいたらいたで
義母の相手になっているのだが
義母のあまりの変な可愛がり方に辟易していたから2階に落ち着いてくれてよかった。
サンルームは日中は暑いのに、「寒いであろうから」と色々な掛け物をかぶせたり
全部サッシを閉め切って、サンルームに通じる食堂の戸も閉めて
蒸し風呂状態にしてしまう。
「ダイジローが脱水症状を起こしてしまう!」と帰宅した私が怒る。
「だって、寒いでしょ」と義母。
「入口の戸も閉めてしまったら、いざトイレに行こうとしても行けないでしょ!」と私。
トイレは食堂や廊下にある。閉じ込められた状態になって、トイレに行けない。
「あ、そうか。」と初めて納得する義母であるが
明日は閉めないでね、と言っても、次の日には忘れ、「寒いから」とまた閉じ込めるわけだ。
それらがあるから、2階にいることを自ら望んだダイジローの過ごし方にホッとしている。


本題に。
そのサンルームの掃除だが、一人でこれをやるのは大変だった。
まず物を外(食堂側)に出す。
段ボール箱、椅子、猫用の壊れたタワー、義母の洗濯物干し、義母の鉢植え、義母のじょうろ、義母の敷いた赤い絨毯、ござ、などなど
いつのまにか物置になっていた。
段ボール箱には、かつてそこで飼育した鳩のPちゃんの餌が未開封のまま入っていた。いつか戻ってくればそれを、と思っていたのか。
そして別な段ボール箱には義母の下着がギッシリ詰まっていた。(この件についてはまた別枠で)
義母の置いたものは義母に渡した。
もう、ここにあなたのものは置かないで、と。
1階にいる義母がどこもかしこも私物化して、自分の溢れた物をこうして置いている。それを黙認してきた今までだったが
もうそれは辞めた。

物が無くなった状態のサンルームの掃除機かけ。サッシの溝の掃除。遮光カーテンの除去(もう古くなったので)。
拭き掃除。
出した物の後始末まではいかなかった。
それは玄関前のホールに積み重なっている。今日、やるか。
じょうろや洗濯物干しが無言で戻ってきたが
それはあなたのもの、もうあそこで花に水やりとかしないで、カビが生えている、と再び返す。
彼女は、これは私のものではない、という意識が働くので(つまり、もう花にも水をやったりしなくなったので、自分のものではないという解釈)、
自分のものではないのは、どこかに置く、捨てる、という発想。

そのサンルームの掃除をしたのは、ある目的があるから。
ただ実現するかどうかわからないので、まだ書かないでおこう。
いや、いつものことです、本来の目的のために作ったサンルームですから。
なかなかたやすいことじゃないけれど。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« (11/30)冬の蝿 | トップ | (11/30)義母の下着類の後始末 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日常、仕事、認知症」カテゴリの最新記事