僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

(4/14)懐かしい顔

2016年04月14日 07時20分35秒 | 日常、仕事、認知症

耳が全く聞こえないナナ(左側。今年18歳)とここ数カ月二階で寝ているダイジロー(白。今年13歳)が寄り添って
寝ています。
姉妹だった故ミミも晩年は耳が聞こえず、傍で「ミミ!」と呼ぶと気付いてくれたが
ナナは全然耳を動かさず。年を取って大きな声で鳴き始めたら、耳が遠くなった、聞こえなくなったと疑うとよい。
それでも元気に、今我が家の長女として走り回っています。

ブログ書かずにごめんなさい。
ジャスさん、誕生日のメールありがとう。
その返事もせずにごめんなさい。
ところで、あなたのブログ、タイトル忘れてしまって(昨年パソコン新規にしたとき、控えておくのを忘れた)、
見ることができないので、メールで教えてください。

ホント、1カ月に1回のブログはいただけませんね。
昨年の
うちの猫たちの死が、自分の心に何らかの影響を与えているのかな、と思ったり
日常がうまく行っていないのが影響なのかなと思ったり。
年を取れば
落ち着くであろうと思っていた「未来予想図」が
そんなことはない、却っていろいろな形で予想図にシミをつけられている、と感じたり。
それらもブログに記してきた自分なのに、
どうして「怠け癖」がついてしまったのでしょうね。
というわけで
これからもよろしくお願いいたします。

    

前回の記事の最後に
出来事としては悲しいことだったのだが
半面、別な意味で興奮状態の良いことがあった、そのことは後程、と書いてそのまま。

以前勤めていた職場の上司が急逝し、その葬儀が大々的に行われた。
辞めたのが20年くらい前(10年ほど前に、臨時で4年ほど戻ったが)。
私が辞めたあとに更に辞めた方も参列して
何十年ぶりかに会う方もいた。
懐かしい顔ぶれ。

その20年の間に
特に昨年辺りから
「もう二度と会わないかもしれないから、会える機会があれば会っておきたい」という思いを強くしていた。
同僚であり友人であるMちゃんとは年に1度くらい会いながら
懐かしい話をしてきた。
その時しきりに「○○さんは元気かなあ。会いたいなあ。」といろいろな人の名を出して言っていた。
その実現には、声掛けをして
皆で気仙沼の○○さんに会いに行こうよ、と言っていた私だった。
しかしそれも実現できないうちに
葬儀という悲しい場面で皆に会うことができた。

同僚の仲間は皆、立派に役職について頑張っていた。
彼女たちには頭が下がる。
子育てをしながら、重要な役をこなして、笑顔が変わらない。
若い。中堅というよりはもっと上の存在だ。
私たちが若いころに、上の人たちを畏れていた年齢になっている。
今の若い人たちよりも若い笑顔だ。
今の職場を彼女たちが支えているといっても過言ではない。
私と同年代の男性たちも、若い人以上に動いていた。
あの頃と変わっていないなあ。

そして
私よりも10年も20年も年上の方々の健在ぶり。
義母と同年の方もいらっしゃって、
義母の認知症や衰えぶりを見てきたので、それに乗じて彼らも衰えているのかと思えば
そんなことはない、あのころとほぼ変わっていないのである。
これは衝撃だった。
帰宅して、義母にそのことを話す。
しっかりしてくれ、という意味で。
やはり、社会に出て働いてきた者とそうではない者の差か。
無趣味、友人の無いこと、それらもあるが。

そして
急逝した上司。
私より年上であるが、ほんの少しだ。
改めて
自分も、いつまでも長く生きられると思ったら大間違いだ、と気付かされた。
自分の両親は大病をしながらも長寿、義母も。
それらを見ているから、自分も同じようにその年齢まで生きるだろうと思っていたら大間違い。
どんな形でやってくるかわからない死。
自戒して日々やっていかねば。


その気仙沼の○○さんとも20年ぶりに会った。
私に何等かの影響を与えてくれた方だ。
彼ら夫婦にはお世話になった我が家。
亡き義父もお世話になった。
私が20年前に仕事を辞めると聞いて
「寂しくなるぞ」とメモを机の上に置いていった彼。
彼はこの職場を背負っていく人だと確信していたが
彼もその職場を去った。
そして新境地で新しい人生を70代にして生きている。
その彼に挨拶をすると
「お前は、どこに行っているんだ、この不良娘め!」と相変わらずの毒舌。
私が今、何をして過ごしているのか、彼には伝えていない。
ほぼ皆に正式に伝えていない。
今はもう娘じゃない年齢の私に「娘」と使うのは、あのころの若き時代の自分を浮かべてか。
今度いつ会えるのだろう。
70代でも働いている彼。

そして
思うのだった。
彼らや同僚たちの生き方こそが普通の生き方だと。
この言葉は語弊がある。
普通というのは平凡という意味じゃない。
色々な困難があっても粘り強く働くこと、これを貫いている。
子供がいて孫がいて、家族を支えて、職場でいやなこと、理不尽なことがあっても
守っていくものがある。
私のように
フラフラと浮いた人生の人間はやはり彼らの目から「不良(人生)」と見られるのだろう。
自分の得た資格を捨てて
もうその人生は生涯ないだろう、と思って辞めた臨時の仕事のとき。
震災の年だ。

別の世界に入って
早くも弱音を吐いている自分は
やはり彼女たちの生き方を尊敬する。

私はこれから何を持って生きていくのだろうか。
ずっと答えを出せないままに
徒に年月を過ごしてきた。
天啓のごとく、落雷のごとく
自分に降りてこないのだろうか。








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