「渋谷には来ないで下さい」と区長も言い始めたから、さあ大変…“迷惑イベント”になってしまったハロウィンについて カネのないドブ客が集う観光公害…が、若い頃はみんなドブ客だしドブ客が作る文化もある 山本一郎 2023/10/2
https://bunshun.jp/articles/-/66530
前略
それから35年ほどが過ぎ、嫌味なほど洒落た高層ビルが立ち並び、ぐっと平均年齢が上がって着飾ったOLと出来の悪い若い酔客のコントラストが映える素敵プレイスに変貌を遂げたのであります。私が好きだったゲーセンは次々と姿を消したので、まるで棲家の森を焼かれた動物のように渋谷には仕事以外で足を向けることはなくなりました。
オサレな飯屋ができては潰れ、画期的な技術やサービスを引っ提げたベンチャー企業ができては潰れ、結局みんな五反田に逃げていくやつです。やったぜ。
ハロウィンパレードでの路上飲酒や暴力行為が年々エスカレート
その渋谷区が、最近文化発信地として世界的に知名度を広げたきっかけとなった要因のひとつは紛れもなく「渋谷で年一やってるよく分からない盛大なハロウィン仮装イベント」であります。外資系マーケティング会社の調査では、日本の魅力ある(来日したいと考える動機となる)イベントの堂々上位に「渋谷ハロウィン」が食い込んでいました。
でも、ハロウィンってそんなメジャーなイベントでしたっけ…?
そこへ、サウナ上がりに汗も流さず冷水に入るが如く渋谷区長の長谷部さんが出てきて「ハロウィン時期は、渋谷に来ないでください」とかアナウンスを始めたからさあ大変。
あれ?
おんどれは以前「ハロウィンを楽しむときは、ぜひ渋谷で」とか仰って誘致してませんでしたっけか。区長ご就任当初は、ハロウィンイベントのために更衣所まで設置して「さあ来いや!!」ぐらいの勢いだったのに。
ハロウィン万歳とまでは確かに言っていませんが、でもJR渋谷駅前のスクランブル交差点辺りを歩行者天国にしてストリート文化の発信地として盛り上げたい的なことは確かに仰って、歓迎っぽい雰囲気だったのは何だったのでしょうか。
悪く言えば、ハロウィンについては行政や地元区民に都合の良い盛り上がり方であってほしいという含意もあるのかもしれませんけれども、紐解くと、コロナ前の2018年ごろに発生した軽トラ横転事件を含め、ハロウィンパレードでの路上飲酒や暴力行為がエスカレートして、手が付けられなくなっているんだろうなという印象です。
そしていまや、渋谷区がはっきりと「ハロウィンイベントは迷惑」と言い切り、マナー向上に手を焼いていたようなのですが、それを横目で見るように池袋や大田区蒲田が「ハロウィンやるならどうぞウチで」と言い始めたのは興味深い現象です。
池袋も蒲田も企業が企画する形でハロウィンイベントで発生する人流や清掃、治安などの管理を行って全体をコントロールする方向でのイベント立ち上げを検討しているのは興味深いです。大田区議の荻野稔さんもX(旧Twitter)で「当初から企業などがコストを支払って管理、警備や清掃など運用すれば良かったんだろうけど」とまで語っているのを見ると、周辺の自治体も渋谷でのハロウィンイベントは世界的に有名にはなったけど暴動化してしまって失敗、と判断しているようにも見えます。
渋谷区議の鈴木けんぽうさんは「(長谷部区長は就任当初)清掃活動や仮設トイレ・着替え場所の提供などを行って歓迎する姿勢を示していた」が「これが渋谷のハロウィンを悪化させる一因となっていた可能性は否定できず、長谷部区長は呼びかけやマナー啓発ではなく規制の強化等の直接的な抑止策を重視すべきだ」と説明しています。
実際、2019年以降は路上や公園での飲酒を禁止する条例が渋谷区にでき、また、近隣の店に酒類の販売を控えるよう要請を出したりしています。区でも相応に検討して、やることはやってるんですね、という。まあねえ。それでいて、なかなかうまくいかないのは実に悩ましいところです。
マナーを知らない客は適当にゴミは捨てるし酒飲んで喧嘩するし適当な場所でセックスするしで瞬間最大風速マックスの暴風雨的に治安が悪化することが問題で、それと同じことが渋谷区のハロウィンでも起きているんだろうとも思います。
毎年、花火大会になると見物客がより良い場所で見ようと無断でワイの管理物件の屋上に不法侵入をして、住人や外国人と喧嘩になって警察沙汰になるので、業を煮やして柵を建てたりするぐらいですからね。
さらには、巷でもいわゆる観光公害、オーバーツーリズムの文脈でも渋谷ハロウィンの行き過ぎた状況に批判が集まるようにもなっていました。
まあ別に渋谷だけが悪いわけでもなく、例えば外国人にとって有名な観光スポットとして渋谷ハロウィンと並んで上位に入る京都や鎌倉などでは、日本で違法な白タクを使い外国人保有の民泊に宿泊し食事もコンビニ弁当で済ませるような、カネのない事実上の「ドブ客」である外国人観光客が増えすぎて問題になっています。
特に、地元にカネを落とさない迷惑客が殺到する事案はメディアでも典型的な観光公害の一種としてかなり取り沙汰されるようになりました。
前述の池袋や蒲田などの取り組みというのも、渋谷のドブ客イベントとなり果てたハロウィンの反省として、先回りして企業を巻き込みイベント自体を管理する文化イベントとしての自律と採算性を目指したものなのでしょう。
裏を返せば、ドブ客対策は客にカネを落とさせるか、カネを持っている客だけを相手にするかといったパターンよりも、より多くの人が安全に楽しんでくれる祭典にするために、企業がカネと治安とを担保する仕組みにすることで何とかしようという取り組みにするほかないのだろうと思います。
態度の悪い花火見物客も観光地に殺到するドブ客も、渋谷ハロウィンで酔っぱらって殴り合いをする奴らも、基本的には何かのきっかけで街に繰り出して友達と騒ぎたいというのが純粋な動機でしょうし、カネが無ければ無いなりに楽しみたいってだけなんだとは思うんですよ。
思い返せば、35年前高校生であった私が渋谷のゲーセンでウロウロしていたのも、放課後カネはないけど好きなことをして友達と遊んでいたいから寄り道して文化的な薫りのする渋谷で時間を過ごしていたという気持ちしかなかったように思います。
愛着を持つほどの文化的背景があるからこそ、地域は栄える
時を経て、心技体揃った立派なおっさんとなった現在は、やっぱり渋谷を懐かしく思ってオフィスにカネを掛けたり、手がけているプロジェクトの広告を渋谷に出そうとしたり、放流した稚魚が脂の乘った鮭として流れる渋谷川を遡上してるんじゃないかってぐらいに愛着はあります。
確かにガキの頃はカネは無かったけど、渋谷を歩いているだけで楽しかったという記憶があるからこそ、いま渋谷にカネを突っ込む企画にゴーを出すわけだし、蒲田でハロウィンやりますと言われてもセガの開発拠点のあった駅の近くだなと思い出すだけであんまりピンと来ないんすよね。
相応の年数培ってきた文化ってそういうものですから、新しい人が、蒲田で新しい文化を発信してくれる日が来るといいなとも思います。
若者文化の発信地としてのオルタナティブというのは、その地域に再訪したり投資したりしてくれるほど愛着を持つほどの文化的背景があるからこそ、数年ではなく数十年の時を経て地域は栄えるのだという面はあるんじゃないかと思うんですよね。
そんな気持ちで渋谷区役所を訪問した際、某副区長が私の組織上のボスである新潟大学教授の鈴木正朝さんを激しくDISって街づくりの企画対応どころではなくなるという素敵な事案もありつつ、渋谷に根を張る東急グループが渋谷で乗り継がずに直通運転をしてしまう路線を増やしたことでターミナル駅としてのこの地にも試練が訪れています。
いまや、渋谷が渋谷である必要が無くなりつつあるのはちょっと残念なことなんですよね。やはり、街の発展とは、そこに住む人の想いが積み重なった歴史に裏打ちされた文化による「この街でなくちゃいけない」という何かが大事なんじゃないかと思ったりもします。セガのゲーセンとか。
************************************************************
引用以上
渋谷区長の長谷部健という人物は、当初、ハロウィンイベントを大歓迎していたのだが、今年に入って、突然「ハロウィンで渋谷に来るな!」と姿勢を翻した。
理由は、過去数年のハロウィンで一部の若者たちが暴走するケースが増えたからだ。
地元に金を落とさず、迷惑だけを落とす若者たちのことを「ドブ客」というらしい。
長谷部健渋谷区長は、金を落とさない来客が大嫌いなようで、数年前には、宮下公園などを根城とするホームレスたちに対し、公権力を行使して突如追い出しを行った。
2018/03/10 「渋谷区のホームレス排除は人権侵害」~第二東京弁護士会が勧告
https://www.ourplanet-tv.org/39073/
名古屋市の場合は、ちゃんと追い出したホームレスのために宿泊と食事提供の施設を用意したのだが、渋谷区は、暴力的にホームレスを叩き出しただけで、彼らの生活を支援する姿勢は一切見せなかった。
ホームレスたちは、渋谷区外の公園で、再び苛酷な野宿生活をするしかなかった。
長谷部健は無所属ではあるが、「自己責任=自助」を民衆に強要する「新自由主義者」である。「秩序ある市民が、たくさんの金を落としてくれる街」を求めているのだが、そこにチートやドブ族はいらない、というわけだ。
だが、冒頭に紹介した山本氏の意見のように、日本の若者たちから金を奪って奴隷階級に貶めている新自由主義の下では、ほとんどの若者が「ドブ族」であり、できるだけ金を使わずに、非日常的な空間で興奮してみたいのだ。
昔から若者は金を持たずに楽しむドブ族だった。私も同じだ。私も金がないので繁華街をうろうろ歩き回るだけのニートだった。
だが、若者たちは、やがて成長し社会の主役となる。そのときは、かつて親しんだ=自分を解放してくれる街に親しみを感じ、そこで金を使うようになる。
その土地に馴染みを持たない客が、渋谷という看板だけで金を落とすわけではない。若い頃、金のない自分に楽しみを与えてくれた街に恩返しで金を使うのが成長した大人なのだ。
だから、今、ハロウィンを拒否し、若者たちを警察力とバリケードで追放する渋谷が若者たちの心に何をもたらすのか? それは拒絶反応でしかない。
今の渋谷区の姿勢に不快感を感じた若者たちは、金を使える身分になったときでも、不快感に満ちた渋谷に戻ることはない。
長谷部健の渋谷区は、若者たちを永久に追放してしまったのである。やがて渋谷区は誰も訪れない幽霊商店街になる運命を定めてしまった。
この渋谷の事例で思い出すのは、名古屋で育った私にとって、大須と栄町の対比だった。
大須は戦前からの庶民の繁華街だった。そこは、まるでカスバのように、得体の知れない怪しげな商店が軒を連ね、いつでも大道芸人が人を集めてイベントを行い、およそ整然とか秩序とは縁遠い街で、この怪しさがたまらない魅力だったのだ。
1960年頃、当時は、路面電車の全盛期で、名古屋中を路面電車で容易に移動することができた。私は両親に連れられて大須の雑踏に行った。
そこには怪しさの極限のような大道芸人、香具師や山伏行者がいて、がまの油売りなどを披露し、得体の知れない民間薬や護摩の灰を売っていた。
また、江戸川乱歩のように、大須を愛して住み着く文化人も少なくなかった。
60年を経た今でも、大須は当時の大道芸人の果たした集客力を求めて、たくさんの大道芸を支援し、それを見たさに人が集まっている。
名古屋市民は、みんな大須が大好きだった。今では、かなりの部分が外国人のたまり場に変わっていて、ブラジルやインドネシアなど世界中の風俗にあふれている。
そこには、渋谷区長のように、「金を落とさない若者たちは追い出せ」という権力者もいないから、ドブ族の若者たちも、たくさん集まっている。
大須の縄張りは久屋大通の南西側だけで、北側は「栄町エリア」だった。
この町は、大須が木造二階以下の古い建物ばかりであるのに対し、近代的なコンクリートとウインドの街だった。
秩序だった商店街が続き、「貧乏人はお断り」と看板に書いてありそうな、おしゃれな店が並んでいる。
だが、そこには大須の雑踏は存在しない。厳密には、1970年くらいまでは、オリエンタル中村や丸栄、松坂屋といった百貨店を中心に大きな集客力があったのだが、バブル時代以降、ドブ族の若者たちを拒絶するような、お高く止まった街に変貌したのだ。
若者たちは、栄町のあまりの敷居の高さを敬遠し、近寄らなくなった。
今では、かつてのような庶民性は失われ、上流階級御用達の店ばかりが並ぶようになった。
一方で、大須は庶民性をますます強め、あの得体の知れない怪しさは健在で、名古屋のカスバとしての存在感はますます強まるばかりだ。
今や、大須は、いったいどこの国の商店街だ? と思うほど国際色が豊かで、一般の商店では決して買えないような、外国の奇妙で創意にあふれた商品が並んでいる。
若者たちは、どちらに向かうのか?
もちろん大須だ。休日ともなれば、大須はすれ違うのも困難なほどの雑踏に変わる。
ドブ族の若者たちが成長し、社会の中核になったときも、彼らは栄ではなく大須に向かうのではないだろうか?
人は変わるのだ。ドブ族の若者たちが、やがて社会の主役になる。そして、若者だったとき、もっとも自分たちを受け入れて、楽しませてくれた街に戻ってくるのだ。
渋谷区のやっていることは自殺行為に他ならないのである。
https://bunshun.jp/articles/-/66530
前略
それから35年ほどが過ぎ、嫌味なほど洒落た高層ビルが立ち並び、ぐっと平均年齢が上がって着飾ったOLと出来の悪い若い酔客のコントラストが映える素敵プレイスに変貌を遂げたのであります。私が好きだったゲーセンは次々と姿を消したので、まるで棲家の森を焼かれた動物のように渋谷には仕事以外で足を向けることはなくなりました。
オサレな飯屋ができては潰れ、画期的な技術やサービスを引っ提げたベンチャー企業ができては潰れ、結局みんな五反田に逃げていくやつです。やったぜ。
ハロウィンパレードでの路上飲酒や暴力行為が年々エスカレート
その渋谷区が、最近文化発信地として世界的に知名度を広げたきっかけとなった要因のひとつは紛れもなく「渋谷で年一やってるよく分からない盛大なハロウィン仮装イベント」であります。外資系マーケティング会社の調査では、日本の魅力ある(来日したいと考える動機となる)イベントの堂々上位に「渋谷ハロウィン」が食い込んでいました。
でも、ハロウィンってそんなメジャーなイベントでしたっけ…?
そこへ、サウナ上がりに汗も流さず冷水に入るが如く渋谷区長の長谷部さんが出てきて「ハロウィン時期は、渋谷に来ないでください」とかアナウンスを始めたからさあ大変。
あれ?
おんどれは以前「ハロウィンを楽しむときは、ぜひ渋谷で」とか仰って誘致してませんでしたっけか。区長ご就任当初は、ハロウィンイベントのために更衣所まで設置して「さあ来いや!!」ぐらいの勢いだったのに。
ハロウィン万歳とまでは確かに言っていませんが、でもJR渋谷駅前のスクランブル交差点辺りを歩行者天国にしてストリート文化の発信地として盛り上げたい的なことは確かに仰って、歓迎っぽい雰囲気だったのは何だったのでしょうか。
悪く言えば、ハロウィンについては行政や地元区民に都合の良い盛り上がり方であってほしいという含意もあるのかもしれませんけれども、紐解くと、コロナ前の2018年ごろに発生した軽トラ横転事件を含め、ハロウィンパレードでの路上飲酒や暴力行為がエスカレートして、手が付けられなくなっているんだろうなという印象です。
そしていまや、渋谷区がはっきりと「ハロウィンイベントは迷惑」と言い切り、マナー向上に手を焼いていたようなのですが、それを横目で見るように池袋や大田区蒲田が「ハロウィンやるならどうぞウチで」と言い始めたのは興味深い現象です。
池袋も蒲田も企業が企画する形でハロウィンイベントで発生する人流や清掃、治安などの管理を行って全体をコントロールする方向でのイベント立ち上げを検討しているのは興味深いです。大田区議の荻野稔さんもX(旧Twitter)で「当初から企業などがコストを支払って管理、警備や清掃など運用すれば良かったんだろうけど」とまで語っているのを見ると、周辺の自治体も渋谷でのハロウィンイベントは世界的に有名にはなったけど暴動化してしまって失敗、と判断しているようにも見えます。
渋谷区議の鈴木けんぽうさんは「(長谷部区長は就任当初)清掃活動や仮設トイレ・着替え場所の提供などを行って歓迎する姿勢を示していた」が「これが渋谷のハロウィンを悪化させる一因となっていた可能性は否定できず、長谷部区長は呼びかけやマナー啓発ではなく規制の強化等の直接的な抑止策を重視すべきだ」と説明しています。
実際、2019年以降は路上や公園での飲酒を禁止する条例が渋谷区にでき、また、近隣の店に酒類の販売を控えるよう要請を出したりしています。区でも相応に検討して、やることはやってるんですね、という。まあねえ。それでいて、なかなかうまくいかないのは実に悩ましいところです。
マナーを知らない客は適当にゴミは捨てるし酒飲んで喧嘩するし適当な場所でセックスするしで瞬間最大風速マックスの暴風雨的に治安が悪化することが問題で、それと同じことが渋谷区のハロウィンでも起きているんだろうとも思います。
毎年、花火大会になると見物客がより良い場所で見ようと無断でワイの管理物件の屋上に不法侵入をして、住人や外国人と喧嘩になって警察沙汰になるので、業を煮やして柵を建てたりするぐらいですからね。
さらには、巷でもいわゆる観光公害、オーバーツーリズムの文脈でも渋谷ハロウィンの行き過ぎた状況に批判が集まるようにもなっていました。
まあ別に渋谷だけが悪いわけでもなく、例えば外国人にとって有名な観光スポットとして渋谷ハロウィンと並んで上位に入る京都や鎌倉などでは、日本で違法な白タクを使い外国人保有の民泊に宿泊し食事もコンビニ弁当で済ませるような、カネのない事実上の「ドブ客」である外国人観光客が増えすぎて問題になっています。
特に、地元にカネを落とさない迷惑客が殺到する事案はメディアでも典型的な観光公害の一種としてかなり取り沙汰されるようになりました。
前述の池袋や蒲田などの取り組みというのも、渋谷のドブ客イベントとなり果てたハロウィンの反省として、先回りして企業を巻き込みイベント自体を管理する文化イベントとしての自律と採算性を目指したものなのでしょう。
裏を返せば、ドブ客対策は客にカネを落とさせるか、カネを持っている客だけを相手にするかといったパターンよりも、より多くの人が安全に楽しんでくれる祭典にするために、企業がカネと治安とを担保する仕組みにすることで何とかしようという取り組みにするほかないのだろうと思います。
態度の悪い花火見物客も観光地に殺到するドブ客も、渋谷ハロウィンで酔っぱらって殴り合いをする奴らも、基本的には何かのきっかけで街に繰り出して友達と騒ぎたいというのが純粋な動機でしょうし、カネが無ければ無いなりに楽しみたいってだけなんだとは思うんですよ。
思い返せば、35年前高校生であった私が渋谷のゲーセンでウロウロしていたのも、放課後カネはないけど好きなことをして友達と遊んでいたいから寄り道して文化的な薫りのする渋谷で時間を過ごしていたという気持ちしかなかったように思います。
愛着を持つほどの文化的背景があるからこそ、地域は栄える
時を経て、心技体揃った立派なおっさんとなった現在は、やっぱり渋谷を懐かしく思ってオフィスにカネを掛けたり、手がけているプロジェクトの広告を渋谷に出そうとしたり、放流した稚魚が脂の乘った鮭として流れる渋谷川を遡上してるんじゃないかってぐらいに愛着はあります。
確かにガキの頃はカネは無かったけど、渋谷を歩いているだけで楽しかったという記憶があるからこそ、いま渋谷にカネを突っ込む企画にゴーを出すわけだし、蒲田でハロウィンやりますと言われてもセガの開発拠点のあった駅の近くだなと思い出すだけであんまりピンと来ないんすよね。
相応の年数培ってきた文化ってそういうものですから、新しい人が、蒲田で新しい文化を発信してくれる日が来るといいなとも思います。
若者文化の発信地としてのオルタナティブというのは、その地域に再訪したり投資したりしてくれるほど愛着を持つほどの文化的背景があるからこそ、数年ではなく数十年の時を経て地域は栄えるのだという面はあるんじゃないかと思うんですよね。
そんな気持ちで渋谷区役所を訪問した際、某副区長が私の組織上のボスである新潟大学教授の鈴木正朝さんを激しくDISって街づくりの企画対応どころではなくなるという素敵な事案もありつつ、渋谷に根を張る東急グループが渋谷で乗り継がずに直通運転をしてしまう路線を増やしたことでターミナル駅としてのこの地にも試練が訪れています。
いまや、渋谷が渋谷である必要が無くなりつつあるのはちょっと残念なことなんですよね。やはり、街の発展とは、そこに住む人の想いが積み重なった歴史に裏打ちされた文化による「この街でなくちゃいけない」という何かが大事なんじゃないかと思ったりもします。セガのゲーセンとか。
************************************************************
引用以上
渋谷区長の長谷部健という人物は、当初、ハロウィンイベントを大歓迎していたのだが、今年に入って、突然「ハロウィンで渋谷に来るな!」と姿勢を翻した。
理由は、過去数年のハロウィンで一部の若者たちが暴走するケースが増えたからだ。
地元に金を落とさず、迷惑だけを落とす若者たちのことを「ドブ客」というらしい。
長谷部健渋谷区長は、金を落とさない来客が大嫌いなようで、数年前には、宮下公園などを根城とするホームレスたちに対し、公権力を行使して突如追い出しを行った。
2018/03/10 「渋谷区のホームレス排除は人権侵害」~第二東京弁護士会が勧告
https://www.ourplanet-tv.org/39073/
名古屋市の場合は、ちゃんと追い出したホームレスのために宿泊と食事提供の施設を用意したのだが、渋谷区は、暴力的にホームレスを叩き出しただけで、彼らの生活を支援する姿勢は一切見せなかった。
ホームレスたちは、渋谷区外の公園で、再び苛酷な野宿生活をするしかなかった。
長谷部健は無所属ではあるが、「自己責任=自助」を民衆に強要する「新自由主義者」である。「秩序ある市民が、たくさんの金を落としてくれる街」を求めているのだが、そこにチートやドブ族はいらない、というわけだ。
だが、冒頭に紹介した山本氏の意見のように、日本の若者たちから金を奪って奴隷階級に貶めている新自由主義の下では、ほとんどの若者が「ドブ族」であり、できるだけ金を使わずに、非日常的な空間で興奮してみたいのだ。
昔から若者は金を持たずに楽しむドブ族だった。私も同じだ。私も金がないので繁華街をうろうろ歩き回るだけのニートだった。
だが、若者たちは、やがて成長し社会の主役となる。そのときは、かつて親しんだ=自分を解放してくれる街に親しみを感じ、そこで金を使うようになる。
その土地に馴染みを持たない客が、渋谷という看板だけで金を落とすわけではない。若い頃、金のない自分に楽しみを与えてくれた街に恩返しで金を使うのが成長した大人なのだ。
だから、今、ハロウィンを拒否し、若者たちを警察力とバリケードで追放する渋谷が若者たちの心に何をもたらすのか? それは拒絶反応でしかない。
今の渋谷区の姿勢に不快感を感じた若者たちは、金を使える身分になったときでも、不快感に満ちた渋谷に戻ることはない。
長谷部健の渋谷区は、若者たちを永久に追放してしまったのである。やがて渋谷区は誰も訪れない幽霊商店街になる運命を定めてしまった。
この渋谷の事例で思い出すのは、名古屋で育った私にとって、大須と栄町の対比だった。
大須は戦前からの庶民の繁華街だった。そこは、まるでカスバのように、得体の知れない怪しげな商店が軒を連ね、いつでも大道芸人が人を集めてイベントを行い、およそ整然とか秩序とは縁遠い街で、この怪しさがたまらない魅力だったのだ。
1960年頃、当時は、路面電車の全盛期で、名古屋中を路面電車で容易に移動することができた。私は両親に連れられて大須の雑踏に行った。
そこには怪しさの極限のような大道芸人、香具師や山伏行者がいて、がまの油売りなどを披露し、得体の知れない民間薬や護摩の灰を売っていた。
また、江戸川乱歩のように、大須を愛して住み着く文化人も少なくなかった。
60年を経た今でも、大須は当時の大道芸人の果たした集客力を求めて、たくさんの大道芸を支援し、それを見たさに人が集まっている。
名古屋市民は、みんな大須が大好きだった。今では、かなりの部分が外国人のたまり場に変わっていて、ブラジルやインドネシアなど世界中の風俗にあふれている。
そこには、渋谷区長のように、「金を落とさない若者たちは追い出せ」という権力者もいないから、ドブ族の若者たちも、たくさん集まっている。
大須の縄張りは久屋大通の南西側だけで、北側は「栄町エリア」だった。
この町は、大須が木造二階以下の古い建物ばかりであるのに対し、近代的なコンクリートとウインドの街だった。
秩序だった商店街が続き、「貧乏人はお断り」と看板に書いてありそうな、おしゃれな店が並んでいる。
だが、そこには大須の雑踏は存在しない。厳密には、1970年くらいまでは、オリエンタル中村や丸栄、松坂屋といった百貨店を中心に大きな集客力があったのだが、バブル時代以降、ドブ族の若者たちを拒絶するような、お高く止まった街に変貌したのだ。
若者たちは、栄町のあまりの敷居の高さを敬遠し、近寄らなくなった。
今では、かつてのような庶民性は失われ、上流階級御用達の店ばかりが並ぶようになった。
一方で、大須は庶民性をますます強め、あの得体の知れない怪しさは健在で、名古屋のカスバとしての存在感はますます強まるばかりだ。
今や、大須は、いったいどこの国の商店街だ? と思うほど国際色が豊かで、一般の商店では決して買えないような、外国の奇妙で創意にあふれた商品が並んでいる。
若者たちは、どちらに向かうのか?
もちろん大須だ。休日ともなれば、大須はすれ違うのも困難なほどの雑踏に変わる。
ドブ族の若者たちが成長し、社会の中核になったときも、彼らは栄ではなく大須に向かうのではないだろうか?
人は変わるのだ。ドブ族の若者たちが、やがて社会の主役になる。そして、若者だったとき、もっとも自分たちを受け入れて、楽しませてくれた街に戻ってくるのだ。
渋谷区のやっていることは自殺行為に他ならないのである。