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私が考える次の時代のビジョン

2023年10月01日 | インポート

気象崩壊は誰の目にも鮮明に見えている。もう平均気温の上昇は止まらない。
 人類の適応適温はMAX湿球(湿度計)35度だといわれてきたが、最近の研究では湿球31度を超えると人々が死に始めると分かってきた。
 https://gigazine.net/news/20220630-endure-temperatures-humidities-high-humans/

 以下の換算表でみると、日本の夏で出現頻度の高い湿度80%の場合、乾球温度が30~35度のとき、湿球温度が27~32度であり、今年の夏場の気温、猛暑日の35度超、湿度80%以上のとき、人間の生きてゆける限界を超えてしまっていることが分かる。
 https://www.chino.co.jp/support/technique/humidity_index/conversiontable/

 つまり、日本の梅雨特有の湿度80%が避けられないなら、人間が耐えられる温度は乾球温度で30度が限界なのだ。
 実は、イランやシリコンバレーなどで50度を超える超猛暑が記録されているのだが、それでも生きていられるのは、湿度が極端に低いため、湿球温度が大きく下がるためだ。
 それにイランの主要都市は1000~2000mの標高に存在している。
 日本は高湿度の国なので、湿球温度が乾燥国よりもはるかに高いのである。

 すでに我々は、生存限界を超えた死の世界に放り込まれたということになる。
 となれば、子供たちの未来は、より低温低湿度の環境に移動するしかないという結論になる。

 例えば、木曽御岳の開田高原や八ヶ岳高原、草津温泉のような冷涼な高地に住む必要があるのだが、仮に、平地で36度の乾球温度だった場合、どんな場所なら耐えられるかといえば、乾球温度30度の場所は、垂直移動の場合、湿度60%で100m上がると約0.6度下がるので、平地から6度低くなるためには約1000mの海抜高度が必要になる。
 実際には、湿度が30%なら100mで1度下がるので、600m上がればよいことになる。

 つまり、我々は、これから標高600m以上の土地に住まなければ命に危険が及ぶことになる。
 高原に住むという理由は、もう一つ、排水性によって洪水災害から身を守れる可能性があることだ。
 https://www.sustainablebrands.jp/article/story/detail/1215949_1534.html

 実は、このことを最初に聞いたのは20年以上前で、テレ朝の久米宏ショー・プロデューサだったWさんから教えられた。
 すでに20年前から、この人間の生存限界を超えた猛暑が予想されていたのである。
 現在の状況は、600mでも危険で、もっと高い場所に住まねばならないかもしれない。

 ところが、地球は太陽活動の影響で、実は、これから(2030年といわれる)マウンダー極小期と同じ小氷期に向かうと予測する天文気象学者が大半なのだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E6%A5%B5%E5%B0%8F%E6%9C%9F

 あと5~10年で地球は極寒に? 最新の太陽研究が予測
 https://wired.jp/2015/07/14/mini-ice-age-earth-sunspots/#:~:text=%E5%9C%B0%E7%90%83%E3%81%AF2030%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%81%AB,%E6%80%A5%E6%BF%80%E3%81%AB%E4%BD%8E%E4%B8%8B%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E3%80%82

  2030年まであと少し!氷河期が来るとどうなるのか想像できますか?
 https://itudemodokodemo.com/2030-ice-age

 「そうなれば、気球温暖化と相殺されて、ちょうどいいじゃん」……なんて甘いことを考える人が多いのだが、現実は、そうは問屋が卸さない。
 異常猛暑と酷寒が同時に成立してしまう可能性の方が強いのだ。
 つまり夏場は40度超の生存限界を超え、冬場はマイナス数十度の酷寒がやってくるわけだ。一年の気温差が70度にも及ぶ世界だ。

 結論から言えば、我々は非常に近い将来、標高600mを大きく超えた、たぶん800m~1000mくらいの高原高地に居住しなければならなくなる。しかし厳冬期に酷寒が予想されるため、それ以上の高地では冬場に生活が困難になる可能性がある。
 ロシアやアラスカなどでもマイナス数十度の環境では、標高差の大きい坂道を移動することが凍結のため困難になる。チェーンをつけてさえ、ソリのように滑るのだ。
 https://www.youtube.com/watch?v=im-QrGW9lHA&ab_channel=mdk

 もう一つおまけがある。超異常気象が激発していることを、ほとんどの人が知っているはずだが、すでにアメリカでは藤田スケールF6(風速160m)という想定外のトルネードが居住地を襲って根こそぎ破壊する事態になっている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E7%94%B0%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%AB

 さらに、過去千年もなかったような凄まじい集中豪雨による洪水災害が世界中で頻発するようになっている。つい昨日もニューヨークが洪水に襲われた。
 また、台風の規模も桁違いに大きくなっていて、その破壊力がトルネードなみに増している。もう風速70mの台風が常識になりつつあるのだ。

 このような超絶的気象災害から安全に身を守れる住居、ライフスタイルとは、どのようなものか?
 これまでも、何回もブログに書いてきた。
 風速160mに耐え、猛暑と酷寒に耐え、洪水の被害に遭わない住宅とはどのようなものか?

 以下は3年前に書いたブログだ。
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827535.html

 私は、今から30年前、まだネット草創期だった時代に公開されていた未来住宅のビジョンに驚いた記憶がある。
 それは未来を透視予測する能力を持った建築家が明らかにした数十年後の人類建築の様相だった。

 それは、今公開されている未来住宅のビジョンとは、まるでかけ離れた特異なものだった。普通は大きな窓を持ち採光や風通しを重視した快適な住宅をイメージしているが、未来を透視した建築家の描いた未来住宅は、まるで高原の上に白い饅頭が点在しているような異様な姿だった。

 まるでタイヤ会社のキャラクターのように白い饅頭がいくつか積み重ねられ、小さな窓があって、庇も極度に耐風性の強いぼってりした形状だった。
 これなら風速160mのトルネードに襲われてもびくともしないだろうと思えた。
 近未来に、我々は、こんな住宅に住む以外に生き延びる道はないのかと思った。

 これは集合住宅である。たぶん数十名がこの中で暮らしている。こうした形状が有利なのは、耐風性だけでなく、暖房能力にも優れているように思えた。
 化石エネルギーや電気が枯渇しても、地下に大きな薪ストーブを置いて近隣の木材を炊き続けるなら、非常に効率のよい暖房が可能であると思われる。

 内部は蜂の巣のように独立したプライベート空間が確保される。まるでスズメバチの巣に似ている。
 あとは、給排水設備を作り、給水は、深い井戸を何本も掘って、最上階のタンクに注げばよい。屎尿や洗い物などの廃水は、EM浄化処理設備を作って畑に返せばよい。

 食料は、高原に広い農場を開拓して、大豆や馬鈴薯、米麦などを作ればよい。ビーガンには怒られるかもしれないが、私は自然放し飼い養鶏もやればよいと思う。
 まあ、気象崩壊とともに、資本主義も崩壊してゆくので、それを前提にした一夫一婦制のライフスタイルも崩壊し、一種の原始共産制のような部族社会が成立するような気がしている。

 もう少し具体的に言うと、私は中津川市に居住して、近隣の山歩きを続けているのだが、上に紹介したような高原共同体ハウスのビジョンに適した地域を探し続けてきた。
 そして、中津川市には、高原住宅適地がたくさんあることが分かった。

 適地としては標高900mの根ノ上高原、すでに広い別荘地が整備されている。
 岩山・二つ森山の標高800m前後に大きく広がる高原地帯。ここは自然保護の制約が少なく、実現への足かせが少ない。つまり、すでに林道伐採などで荒らされまくっている。

 高峰山は標高800m程度(鎮野峠から山頂)に、かなり広い高野山のような高原地帯を持っていて、これも荒らされまくっているので開発が容易だ。
 さらに、笠置山も、もうひどく開発が進んでいる。今は山頂付近の素晴らしい檜の森が伐採され続けている。

 加子母町や馬篭の神坂地区は、標高700m級で、ずいぶん広い土地がある。交通の便が良いのが特徴だ。
こうした地域は、日本アルプス国立公園地帯と違って開発制約が少ないので、割合簡単に計画を実現可能である。

 今の段階では、新しいライフスタイルのビジョンを考えておく必要があるだろう。
 給排水をどうするか? 交通、移動の便をどう確保するか? 病院や子育てをどうするのか? というビジョンを詳細に設計する必要がある。

 一番必要なことは、私は農地設計であるような気がしている。みんなを、どうやって食わせてゆくのか?
 この先の凄まじい猛暑のなかで、低地高温での農業が続けられるとは思えない。砂漠化してゆく可能性が強いと思う。
 だから、やはり標高600m以上に食料生産地を作らないと食料の円滑な供給が困難になるように思える。

 問題はライフスタイルだ。果たして資本主義体制下で定まってきた一夫一婦制家族社会が続くのだろうか?
 一夫一婦制は、安定した生産力と社会秩序を前提に成立している。
 これからプーチンロシアや習近平中国の独裁政権が暴走して、日本に対して核攻撃を行い、もの凄い死者が出て社会が大混乱したとき、資本主義の秩序が成立できなくなったとき、はたして一夫一婦制家族制度が存続できるか、私は非常に疑問に感じている。

 第二次世界大戦が終わって、日本人が400~600万人死に、230万人の男子兵士が死んだ。このとき、圧倒的に女性が多くなり、若後家さんもたくさん出た。
 当時の社会環境で、後家女性が一人で生活することは困難だたので、自然発生的に、妾という職業が成立し、売春が社会全体にあふれた。

 私の子供時代、名古屋では、夕方になると戦争未亡人たちが街頭に屋台を出し、カーバイトランプの下でドテホルモンや酒を売っていたのだが、本当の稼ぎは、屋台終了後の有償交際だった。
 名古屋の大衆酒場は、ここから発展した。

 社会秩序に戦争のような打撃が加われば、常識的な家族関係は簡単に崩壊してしまう。高原住宅に来る人々も、安定した家族ではないだろう。
 核戦争や気象災害で追い詰められて、必死になって生き延びようとしている人たちばかりになる。
 そんな追い詰められた社会では、伝統的な家族関係など成立できる可能性は少ない。
 やはり、共同体的な関係にならざるをえないのだ。

 みんな必死になって生きてゆく時代、観念的な制約は無用の長物なのである。本当に必要なものだけが必要な社会になるのだ。