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みんなが幸せになるということ

2021年06月30日 | 未分類
 社会におけるIT化、AI化、コンピュータ社会が、我々人類を滅ぼす方向に向いて突っ走ってきたと、私は強く感じている。
 コンピュータが導入された目的は何か?
 それは「みんなを幸せにする」ためではない。まずは、他者を押しのけて一番になることが最大の目的であるかのように、自民党や政府官僚は行動してきた。

 以下は、典型的な自民党 シンクタンクの発想だが、内容は紹介するまでもなく、政府官僚の独りよがりの価値観ばかりで紹介する値打ちもない。

 スパコン「京」の運用終了。「2位じゃダメなんですか?」は何だったのかを改めて整理する 伊藤伸 | 構想日本総括ディレクター/元内閣府参事官 2019/9/9
 https://news.yahoo.co.jp/byline/itoshin/20190909-00141136/

 一言でいえば、他者への優越を最大の価値と思い込んだ、官僚たちのドグマ世界観であり、「金儲け競争に勝つ」という資本主義=新自由主義の価値観から一歩も抜け出していない。
 人生の、すべての目的が金儲けと、全人類への優越感を味わうことであるかのように呪縛されている心の貧しい気の毒な特権階級の発想である。

 スパコンが世界一になることと、人類がより幸福になることは何の関係もないといいたいが、実は逆比例の相関関係にある。
 「世界一になりたい」という特権階級の優越感を満たそうとすればするほど、民衆には無用な負荷を強いることになり、人々の幸福を削り取ることで、コンピュータ社会の優越感が成立するようになる。

 世界一のスパコンを得れば、次に何を求めるか考えれば分かることだ。
 自民党はスパコンを使って民衆を幸せにするだろうか? 違う、まったく正反対であり、ますます民衆を虐げる現実が待っている。
 スパコンの次は「世界一の兵器」であり、「世界一の金儲け」しか見えない。
 きっと原発を増設し、始末のできない核廃棄物を大量に生み出し、自然を根こそぎ破壊し、リニアやEV、コンピュータ監視社会を作り、人々を90歳までこき使って金儲けに邁進することだろう。
  https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_10030/

 スパコンが人々を幸福にした例はないし、これからもありえない。コンピュータ社会がもたらしたものは愛ではない。合理化と管理三昧なのだ。その目的は、金儲けと邪魔物排除である。人々を監視し、生産を安上がりにし、金儲けの邪魔になるものを排除する。これがコンピュータ社会の本質だ。

 人を幸せにしないシステムならば、今すぐ失われても、我々の生活はさほど困らない。困るのは金儲けに邁進する人たちだけだ。だから国民の生きた臓器を売り飛ばしてボロ儲けする中国共産党のような超特権階級は、社会をコンピュータ化することにもっとも熱心であるとともに、それを破壊されることを極度に怖れる。

 今の中国は、コンピュータ支配に頼り切っていて、もしもコンピュータの稼働が全面停止したなら瞬時に共産党支配も崩壊する。
 だから北京と上海の上空でEMP爆弾が破裂すれば、共産党支配は終わる。

 習近平は、英雄譚ナルシズムと誇大妄想によって、自分が始皇帝や毛沢東に匹敵する大英雄であると思われたいため、国際秩序を無視して、後先を考えない自国領土と権益の拡大を行っているが、これによって欧米諸国と強烈な摩擦、軋轢を引き起こし、台湾侵攻をめぐって米中戦争が避けられない状況になっている。

 2020年中にも台湾を併合する計画だったが、「米中戦争を怖れていない」などと強がってはいるものの、アメリカが保持するEMP核爆弾を中国上空で爆発させることを怖れて、最期の決断ができない状態だ。EMP爆弾は何をもたらすか?
 
EMP爆弾とは? 2018年07月11日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-411.html

 電磁波インターフェア(パルス=EMP)の恐怖 2019年06月03日
  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-764.html

 中国上空でEMP爆弾が爆発すれば、ほぼ中国全土の電子・電気機器、およそコイルと名のつく、すべての金属にサージ電流が乗り、機器回路を破壊するので、コンピュータのような電子回線は一瞬に破壊される。復旧には、数年ではすまない時間がかかる。
 中国もEMPミサイルを配備しているので、先制か報復か分からないが、日本列島米軍基地やグアムなどに発射するのは確実だ。

 だが、使ったアメリカも同じように電子機器にダメージを受けるように思われるが、その被害は圧倒的に中国側に発生する。中国共産党は、民衆の支持を得ていないで強権だけで支配しているので、兵の質、士気が極めて低く、その分、コンピュータに依存した軍事力だといわれている。
 対するアメリカは、世界最大のアナログ軍隊と、アナログ戦争の豊富な経験を持っている。いわば、EMPでも水爆ミサイルでも動じずに戦争を遂行できる実力がある。
 日本軍=自衛隊も、アナログ戦争能力でも世界有数だ。

 アメリカの兵器、軍事車両の大半がEMPに対して強力な備えを持ち、一朝ことあらば、たちまちアナログ軍隊に早変わりするのだ。
 中国は、一人っ子政策のせいで兵士は脆弱であり、無数のドローンやミサイルがあっても信頼性が乏しく、コンピュータを破壊されれば、すべてを失うことになる。
 中国共産党員は、そのとき、民衆から恐ろしい制裁を受けることになるだろう。

 このとき、米中戦争の余波で、日本列島にも中国のEMPが爆発することになる。米軍基地があるからだ。
 破壊的サージ電流に備えて、銀行や投機金融機関の回線は光ファイバーに変わり、バックアップ基地が沖縄と北海道に設けられてはいるが、同時に破壊されれば染色体の二重螺旋と同じで、もはや修復不能に陥り、日本の金融資産は瞬時に消えてしまう。
 かつてのアナログ世界では手書きの記録がたくさん残されていたが、今ではバックアップ基地頼みなのだ。

 習近平は、口に出したことは実行する「有言実行」タイプなので、いずれ台湾侵攻は行われ、米中戦争も起きるだろう。日本のEMP被害も避けられないだろう。
 それは習近平の持病である脳動脈瘤で、習が死を自覚したときではないだろうか?

 それが起きて本当に困るのは、特権階級・金持階級だけだ。我々は、山奥の田舎で、畑があればなんとか生き抜いてゆける。
 我々には芋がある。畑を拓いて、サツマイモの苗を植えておけば、多少の灰だけで大量の食料を得ることができて、あとは屋根と衣類があれば死ぬ心配はない。
 だからコンピュータを学ぶより、芋栽培を学ぶことの方が大切だと書いてきた。
 特権階級の虚構生活は崩壊するだろうが、我々貧乏人には何の関係もない。大切なのは、体力と精神力である。

 このとき、もっとも大きな被害を受けるのは、コンピュータに依存した社会だ。
 竹中平蔵の作っているスーパーシティでは、すべての電気が止まり、交通手段も食料も止まり、たぶん水道も止まる。
 コンピュータ化された社会を、明治時代のライフスタイルに戻そうとしても無理だ。結局、淡路島から人々は脱出することになるだろう。
 大都会の生活も破壊される。とてつもない被害が出るだろう。

 EMP爆発後の社会は、明治時代に戻ると考えた方がよい。金融資産が崩壊すれば輸出入が不可能になるので石油が止まる。つまり車も耕運機も使えない。
 だから農作業は、すべて手作業だ。スコップと鍬、鋤の時代に戻るのだ。何よりも体力が必要だ。日本中のあらゆる土地で、サツマイモ・ジャガイモ・里芋などを作らねばならなくなる。米麦も、昔のように手作業で作らねばならなくなるので厳しい。たぶん、コンバインも脱穀機も使えなくなるだろう。

 だが、コンピュータ社会は、特権階級の金儲け、利権独占のために利用されるだけであり、民衆の幸福のために存在するわけではない。
 コンピュータも石油も失われた後の社会では、「人々の幸せのために」行動するようになる。みんなが幸せになるために、毎日を生きるようになる。
 それが、コンピュータのない世界なのだ。

 明治時代のように、木製の機織り機で布を織り、見せびらかすためではない衣類を作る。金儲けのためでない食品を生産する。みんなが人々を幸せにするために一生懸命働くようになる。
 生産性が悪くても誰も文句を言わない。金儲けで生きているわけではないからだ。
 プログラムを組む能力ではなく、畑を耕す能力が大切だ。木を斧で倒して暖房に使う。石油がないからだ。電気がなければ、夜は働かない。

 我々は、コンピュータ社会がもたらしたものと、失われた後のビジョンを今から考えておく必要がある。
 コンピュータ社会で失ったものを取り戻さなければならない。それは、たぶん、他人に対する思いやりなのだろう。

 


コンピュータ化社会で失ったもの

2021年06月29日 | 未分類
 私がコンピュータに縁を持ったのは、1980年前後で、最初に購入したのがシャープMZ80だった。当時は、パックマンのような素朴なゲームと、BASICで作業用のプログラムを作って計算機代わりに使う程度だったが、次にNEC98ノートを購入してから、たくさんの文章をワープロとして作り、さらに初期のパソコン通信にも使った。

 以来、現在に至るまで十数台のパソコンを使ってきた。もっとも多い使用法は、ネットでの情報収集とワープロでの文書作成だった。
 もう40年以上もパソコンで文書を作ってきたので、ペンを使っての手書き文書作りが極めて不得手になってしまい、たまにペン入力すると、おそろしく文字が下手になっていることを思い知らされる。

 また、ワープロはATOKを使っているので、変換効率が良いのはいいが、頼り切ってしまうので、漢字を忘れることおびただしい。
 しかし30歳くらいまで、日本はコンピュータ社会ではなかったので、子供時代、若者時代は、すべてアナログ文書システムであり、認識の基礎がアナログになっていて、私の頭の中は、基本的にアナログ日本語でできている。
 ただ、書かないことによるペン入力の劣化が深刻なだけだ。

 劣化といえば、かなり前にNHKクロゲンで放映された番組で、プラントオペレータたちの日本語劣化ぶりが凄くて、オペレータの若者が漢字マニュアルを読めないという報道番組があった。(さすがにネット上で番組を発見できなかった)
 なんで、こうなるかといえば、理工系のカリキュラムでは、もっぱら計算とプログラム管理ばかりになってしまい、「マニュアルを理解する」という文系の行程が軽視されるようになっているからだ。

 この番組が放映された頃は、バリバリの反原発活動家だったので、原発運転員が漢字マニュアルを読めず、運転操作について不十分な理解しかないとすれば、とても恐ろしいことだと思った。
 そして、それは311フクイチ事故のプロセスで、運転員たちが、たくさんの警報のなかで何をしてよいか分からなくなり、適切な対策ができなかったという報告を見て、当時の予感が正しかったことを知った。

 社会のコンピュータ化というのが、人類史における発展の必然という視点からは、避けて通ることのできない事象であるとは思うが、それによって、人間が何を得て、代わりに何を失ってゆくのかを正しく把握することは、「持続可能な未来」を考える上で、絶対に必要な作業だ。

 コンピュータ問題を簡単にいうと、膨大な知識・記憶の集積が、瞬時に問題の解答を見つけて教えてくれるというものがコンピュータの本質であるとするなら、それがもたらす反作用は、我々が脳味噌を働かせて苦労しながら長い時間をかけて回答を見つける不便な作業が不用になり忘れ去られてゆくことだ。
 人間社会は、一つのものを得れば、必ず一つのものを失うというのが弁証法的本質である。

 人間は苦労することで、はじめて得られるもの、苦労しなければ得られないものをたくさん持っている。コンピュータが我々の思考を代理してくれるなら、我々は思考のプロセスを失ってゆくのは当然のことなのだ。
 現代の我々が、老化のなかで、コンピュータのなかった昔よりも激しく認知能力が劣化し、多くの人々が認知症を患ってゆく理由のなかに、社会のコンピュータ化がないはずがない。

 私は、コンピュータ導入当初、プログラムを自作しなければ、ほとんど何もできなかったことで、これは人間の能力を開拓する上で有効なアイテムだと思ったのだが、その後、ありとあらゆる便利プログラムが登場して、自分でプログラムを作る必要がほぼなくなった。

 そればかりか、OSでも、私が理解し掌握できたのはMSDOS3程度までで、WINDOWSが登場してからは、まるでチンプンカンプンに複雑化し、コンピュータを支配し使いこなすことが不可能になった。
 そして、気づいてみれば、私はコンピュータに支配され、使われている自分を発見することになった。

 コンピュータに対し没主体的にさせられた我々の社会は、やがてAI社会と称するオーウェルが73年前に予言した超管理社会へと移行しようとしている。
 http://www.news-digest.co.uk/news/features/18977-dystopia-and-george-orwells-1984-70th-anniversary.html

 この管理社会では、人間の主体性が強く規制され、何もかもプログラム通りに行動することを権力によって強要される社会になっている。
 こんなビジョンは、独裁権力にとって夢のような魅力的な社会であり、世界の独裁権力が、こぞってAI管理社会の導入に夢中になっている。

 世界の独裁権力を牽引する中国共産党は、「雄安新区」という超管理スーパーシティを実際に建設して、まるで「プリズナー6」のような生活が実現している。
 https://www.nicovideo.jp/watch/sm1874091

 https://www.youtube.com/watch?v=xgPmUrNNfbo&ab_channel=TOKYOMX

 もちろん日本でも、ダボス会議主催者に名を連ねる竹中平蔵が「スーパーシティ構想」の名の下で、淡路島にそんな管理社会を実現することを推進している。
 これは、ダボス会議の「グレートリセット」構想のなかに組み込まれた独裁権力社会のビジョンだ。これを提唱したのは、「ワクチンで人口調節」を提起している原発推進のビルゲイツとアルゴアだ。

 もしも、竹中やビルゲイツの思惑どおりに、コンピュータAIによる超監視社会=スーパーシティが実現したなら、人類に何がもたらさせるのか? 我々はしっかりと理解しなければ、とてつもない恐ろしい未来が待っていると私は思う。

 だが、「グレートリセット」という虚構は、GAFAMという巨大な経済利害勢力にとって、桁違いの凄まじい利権をもたらすため、人間社会のコミュニケーションを牛耳っているGAFAMが、反対意見を抑圧し、押しつぶしながら強行していることにより、恐ろしいほどの勢いで社会を変えつつあることを知らねばならない。

 ビルゲイツやアルゴアの推進している原発電気システム(リニアやEV車が典型だ)など、私のように反対意見を言おうものなら、たちまち、ツイッターやフェイスブックなどのメディアから追放され、ブログでも、ヤフーは無断削除し、FC2でも、グーグル検索から意図的に外されるという事態になっている。
 政府権力GAFAMに都合の悪い情報は、徹底的に排除され隠蔽されているのだ。 

 こんな視点で、ウソのない未来予測をする必要があるのだが、これから我々の社会で何が起きるのか、2018年ではあるが、一定の予測をした本が世に出た。
 竹中平蔵は「90歳まで我々を働かせる」と言っているのだが、権力者の傲慢な思惑にもかかわらず、我々の未来は実に悲惨で不安定なものだ。

 日本をじわじわ蝕んでいる「静かなる有事」に気づいてますか  2043年、ついにこの国は… 2018年5月8日
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55466

 街は高齢者だらけ
 日本が少子高齢社会にあることは、誰もが知る「常識」である。だが、自分の身の回りでこれから起きることをわかっている日本人は、いったいどれくらいいるだろうか?
 日本は劇的に変わっていく。例えば、25年後の2043年の社会を覗いてみよう。

 年間出生数は現在の4分の3の71万7000人に減る。すでに出生届ゼロという自治体が誕生しているが、地域によっては小中学校がすべて廃校となり、災害時の避難所設営に困るところが出始める。

 20〜64歳の働き手世代は、2015年から1818万8000人も減る。社員を集められないことによる廃業が相次ぎ、ベテラン社員ばかりとなった企業ではマンネリ続きで、新たなヒット商品がなかなか生まれない。

 高齢化率(総人口に占める65歳以上人口の割合)は36・4%にまで進む。高齢者の数が増えるのもさることながら、80代以上の「高齢化した高齢者」で、しかも「独り暮らし」という人が多数を占める。

 こうした高齢者が街中に溢れる社会とは、一体どんな様子だろうか?

 いま、東京や大阪といった大都会では、ラッシュアワーには5分と待たずに電車やバスがやってくる。なぜ、そんな過密ダイヤで運行できるのかといえば、乗客の大多数が人の流れについていける「若い世代」だからだ。

 たまに、杖をついた高齢者が、駅員の手を借りて乗降する場面に出くわす。ただ、それはあくまで少数派であり、駅員の手際よい作業でそんなに多くの待ち時間を要するわけではない。

 しかし、2043年とは、総人口の7人に1人が80歳以上という社会だ。独り暮らしであるがゆえに否応なしに外出する機会は増えるが、若い世代の「流れ」についていける人ばかりではない。こんな過密ダイヤはとても続けられない。

 80代ともなれば、動作は緩慢になり、判断力も鈍る人が増える。こうした高齢者が一度に電車やバスを利用するのだから、駅員は乗降のサポートに追われ、ダイヤ乱れなど日常茶飯事となるのだ。

 新幹線や飛行機だって同じだ。現在でも空港の保安検査場に長い列ができているが、機内への移動も含め、スムーズな移動は年々期待できなくなる──。

 残念ながら、皆さんが生きている間は、人口減少や少子高齢化が止まらない。過去の少子化の影響で、今後は子供を産むことのできる若い女性が激減していくためだ。

 人口減少のスピードは凄まじい。国立社会保障・人口問題研究所(以下、社人研)の推計によれば、2015年の国勢調査で約1億2700万人を数えた総人口は、わずか40年後には9000万人を下回り、100年も経たずして5000万人ほどに減少する。
 われわれは、極めて〝特異な時代〟を生きているのである。

 ただ、こうした数字を漫然と追いかけ、社会の変化を大くくりに把握していたのでは、少子高齢化や人口減少問題の実像はつかめない。ましてや、それが自分の暮らしにどう関わってくるのかを理解できないだろう。

 それでは、いつまで経っても真の危機意識が醸成されないではないか。もっと、リアリティーをもって、「未来」を想像する力が求められている。

 人間というのは〝不都合な真実〟に直面したとき、往々にして見て見ぬふりをするものだ。それどころか、気休めにもならない楽観的なデータをかき集めて、〝不都合な真実〟を否定しようとする人さえ出てくる。

 皆さんは、「ダチョウの平和」という言葉をご存じだろうか?

 危険が差し迫ると頭を穴の中に突っ込んで現実を見ないようにする様を指した比喩だ(実際のダチョウの習性とは異なるとの指摘もあるようだが)。日々の変化を把握しづらい人口減少問題こそ、この「ダチョウの平和」に陥りがちな難題である。

 それは切迫感が乏しいぶん、どこか人ごととなりやすい。何から手を付けてよいのか分からず、現実逃避をしている間にも、状況は時々刻々と悪くなっていく。そして、多くの人がそれを具体的にイメージできたときには、すでに手遅れとなってしまう──。

 どこかズレている
「ダチョウの平和」ですぐ思い起こすのが、他ならぬ安倍晋三首相の発言である。

 2017年10月の総選挙に際して行った記者会見で、少子高齢化を「国難とも呼ぶべき事態」と位置づけ、突如として、増税される消費税の使途変更を宣言した。

 国の舵取り役たる総理大臣の言葉は重い。首相の発言を耳にした私は、「ようやく、少子高齢化への対応に本腰で取り組むことにしたのか」と期待を抱かずにはいられなかった。

 だが、それが全くの「ぬか喜び」であったことを思い知らされるのに、多くの時間を要しなかった。

 安倍首相の口から続けて飛び出した対策が、幼児教育・保育、高等教育の無償化だったからである。「国難」と大上段に構えた割には、スケールがあまりに小さい。スケールの大小だけでなく、「どこかズレている」と感じた人も多かったのではないだろうか。

 深刻な少子化にある日本においては、子育て世代が抱える不安を解消しなければならない。だから、教育・保育の無償化について、「全く無意味だ」などというつもりはない。

 だがしかし、今後の日本社会では高齢者が激増する一方で、少子化が止まる予兆がない。このままでは勤労世代が大きく減り、社会システムが機能麻痺に陥る。日本という国自体が無くなってしまうことが懸念されるからこそ、「国難」なのである。

 その対応には、ダイナミックな社会の作り替えが不可避だ。私が首相に期待したのは、人口が激減する中にあっても「豊かさ」を維持するための方策であり、国民の反発が避けられない不人気な政策に対し、真正面から理解を求める姿であった。

 「具体的な変化」に置き換える
 「ズレ」は、首相や議員だけでなく、イノベーション(技術革新)や技術開発の現場にも見つかる。少子高齢化に伴う勤労世代の減少対策として、人工知能(AI)やロボットなどに期待が高まっているが、開発者たちは本当に少子高齢社会の先を見据えているだろうか?

 その典型が、話題の超高精細映像システム「8K」だ。鮮明な画像で楽しみたいと心待ちにする人も少なくないだろう。「8K」技術そのものに、ケチをつけるつもりは毛頭ない。むしろ、厳しい開発競争に打ち勝った技術者たちの努力には賞賛の拍手を送りたい。

 ただし、超高齢社会を睨んだとき、追い求めている技術が果たして、超高精細映像システムでよいのかが疑問なのである。今後どんなにクリアな画像を実現したとしても、老眼鏡ではせっかくの性能を楽しめない。

 高齢者たちが求めているのは高画質ではなく、むしろ「音」にある。耳が遠くなり、ボリュームを大きくしてテレビを見ている人は多い。聞き取りやすい小型スピーカーを搭載したテレビを安く手に入れたいという声は少なくないはずだ。

 技術開発とは、社会の課題克服のためにある。ならば、開発者たちは高齢者のニーズをもっと聞くべきであろう。

 「ズレ」といえば、最近普及してきたインターネット通信販売(以下、ネット通販)もそうだ。〝買い物難民〟対策の切り札の如くに語る人も少なくない。

 だが、ちょっと待っていただきたい。ネット通販が本当に切り札と言えるのだろうか?

 荷物を運ぶ人手は少子化に伴って減りゆく。〝買い物難民〟対策だと言って普及させればさせるほど需要が掘り起こされ、トラックドライバー不足はより深刻になる。

 無人のトラックが走り回る時代も遠くないとされるが、トラック自らが荷棚から個別のお届け物をより分け、重い荷物を玄関先まで運んでくれるわけではあるまい。少子高齢社会において、ネット通販が遠からず行き詰まることは簡単に想像できよう。

 こうした「ズレ」をなくすには、少子高齢化や人口減少によって起こる大きな数字の変化の意味を、想像力を豊かに働かせて、あなたの身の回りに起こる「具体的な変化」に置き換えるしかない。

 全く新しいアプローチで
『未来の年表2』は、タイトルでもお分かりのように、ベストセラーとなった前著『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』の続編である。今後続く私の「未来シリーズ」の第2弾という位置づけだ。

 前著において私は、少子高齢社会にあって西暦何年に何が起こるかを「人口減少カレンダー」を作成することで俯瞰した。こうしたアプローチは多くの読者の支持を得た。「人口減少の危機をかなり具体的にイメージできた」という感想も多く頂いた。

 他方、私は限界も感じていた。前著では、少子高齢化や人口減少を、全体の姿をなかなか現さない巨大なモンスターにたとえたが、「人口減少カレンダー」だけでは、モンスターの全貌をとらえきれないと思ったのだ。

 安倍首相や8Kテレビ開発者の「ズレ」も、モンスターの図体が大き過ぎるからこそ、生じたのだろう。ならば、今回は全く新しいアプローチで迫ろうと思う。

 そのヒントは、読者の皆さまから頂いた。

 私はかねて講演に招かれる機会が多いのだが、前著『未来の年表』を刊行して以降、その数は激増した。はるかイギリスのテレビ局をふくめ、バラエティ番組やラジオ番組、月刊誌や週刊誌などさまざまなメディアからインタビューを受ける機会も増えた。

 数多くのお便りも頂戴した。その中でとりわけ多かったのが、「自分の日常生活で何が起こるのかを教えてほしい」というリクエストである。

 ある講演会が終わったときのことだ。数年後に定年を迎えるという女性会社員に呼び止められた。そしてこう言われたのである。

 「私が聞きたかったのは、政府や国会議員にならなければできない政策ではなく、自分の定年退職後にどんな社会が待っているのかということです。私たちがいま備えておくべきこと、これからできることは何なのかを知りたいと思っている人は多いはずです」

 また、年配の中堅企業経営者からのお便りにはこう綴られていた。

 「人口減少の深刻さはよく分かりました。企業レベルとしてもできることはあるはずです。どこから始めればよいのかを知りたい」

 前述した電車やバスの乗降問題などはほんの一例だが、人口減少や少子高齢化をより正確に、より深く理解しようと思うならば、個人の身の回りで起こり得ることを、より具体的にイメージする必要がある。

 少しばかり想像力を働かせてみることが、「ちょっと方向違い」な政策や商品開発を減らすことに間違いなくつながってゆく。

 ギフトカタログのように
 そこで『未来の年表2』は、あなたの身近なところで起こる変化を、より具体的にイメージするための手助けをしようと思う。

 今回は、少子高齢化や人口減少が人々の暮らしにどのような形で降りかかってくるかを、あなたの生活に即しながら明らかにする。言うなれば、これからあなたに起きることを、お中元やお歳暮のギフトカタログのように一覧してみようというのだ。

 もちろん、それは個人的な妄想や願望、思い込みではいけない。データや知見に基づいた精緻な予測を前提とする必要がある。

 人はいろいろな顔を持って暮らしている。職場や地域社会、家庭といったどの生活シーンにおいても少子高齢化や人口減少の影響を避けられない。しかも、その人の年齢や住む場所、性別などによって、見える未来も、降りかかる影響も大きく異なることだろう。

 この問題を真に理解し、うまく立ち回っていくためには、さまざまなシーンを「あなた自身の問題」として具体的に置き換えなければならない。

 したがって第1部では、少子高齢化や人口減少によって起きるであろうことを、家庭、職場、地域社会といったトピックスに分けてカタログ化する。若い読者にもわかりやすく内容を理解してもらうために、「人口減少カタログ」を各トピックに載せた。

 第1部目次(抜粋)
◎伴侶に先立たれると、自宅が凶器と化す
◎亡くなる人が増えると、スズメバチに襲われる
◎東京や大阪の繁華街に、「幽霊屋敷」が出現する
◎高級タワマンが、「天空の老人ホーム」に変わる
◎80代が街を闊歩し、窓口・売り場は大混乱する
◎オフィスが高年齢化し、若手の労働意欲が下がる
◎親が亡くなると、地方銀行がなくなる
◎若者が減ると、民主主義が崩壊する
◎ネット通販が普及し、商品が届かなくなる
◎オールド・ボーイズ・ネットワークが、定年女子を「再就職難民」にする

 前著『未来の年表』が年代順というタテ軸を用いて俯瞰したのに対し、本書は「人口減少カレンダー」で起きる出来事を「ヨコ軸」、すなわち面としての広がりをもって眺める。そうした試みによって、人口減少社会とはどんな姿なのかをより立体的に把握できると考えたからだ。

 もちろん、すべての生活シーンを再現できるわけではない。「これから儲かるビジネスは何ですか?」などというストレートな質問を頂くことも少なくないが、私はジャーナリストであり、ビジネスコンサルタントやマーケットリサーチャー、ましてや予言者ではない。

 人口動態から社会の変化の兆しを先読みすることはできても、あまたある職種に今後起こりうることをすべて知る術を持っているわけではない。

 しかし、主だった生活シーン、ビジネスシーンへの影響をデータの裏付けをもって疑似体験できるように描けたならば、それが結果として、ビジネスチャンスや個々人のライフプランづくりに役立つことになるだろう。

 小さな子供を持つ親御さんならば、「子供の将来」への不安も小さくないだろう。『未来の年表2』はそれを考えるヒントにもなる。

 どこかズレている政治家や官僚、古い体質の企業経営者の変化を待っているだけでは、もはや遅い。地域や一般社員、個々人のレベルで「今できること」を着実に進めることが極めて重要となってきている。

 一人ひとりの取り組みが日本社会の価値観や〝常識〟を変え、いつか世論となり、社会ニーズとなっていく。われわれが政府や企業を動かしていかなければ、この国は衰退の道を歩み続ける。

 私は少子高齢化を「静かなる有事」と名付けたが、近年の出生数の減り幅の拡大ぶりを見ると刻々と進んでいる印象だ。人口減少のスピードは思ったより速くなるかもしれない。まさにいまが日本の正念場ともいえる。

 時間はさほど残されているわけではない。過去の成功体験にしがみつき、人口減少や少子高齢化対策に逆行するような愚行は許されないのである。

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 引用以上

 上のなかに「ダチョウの平和」で示されていることは、今の日本人の習性について、まことに的確に本質をついていると思う。
 ダチョウは、危機が迫ってくると、穴の中に頭を入れて、現実を見ないようにするのだ。昔あった「コマワリ君」という漫画のなかにも、危機が迫ると、「私は壁」と言いながら、自分は壁になったつもりで現実を逃避するアクションがあった。

 私が冒頭で示したコンピュータ社会の本質的な欠陥である、「便利さと引き換えに失うもの」は、まさに人々が「ダチョウの平和」のなかに閉じこもってゆくように飼い慣らされるということなのだ。

 便利さに埋もれて、自分に本当に必要な能力が失われてく現実を見ようとしない。前にも述べたが、歩かなければ認知症がやってくる。文字を書かなければ、文章と論理と不便がもたらす能力が失われてゆく。
 コンピュータに頼り切った社会が、どれほど恐ろしいものか、ほとんど誰も理解していない。それを書けば、社会から排除されてゆく。

 今、我々に本当に必要なものは、コンピュータやAI自動車による便利さなのか、もう一度、深く問い直さなければならないのではないか? 


家庭菜園の薦め

2021年06月28日 | 未分類
 野菜が高い。むちゃくちゃに高い。馬鈴薯・タマネギなんか、小で一個50円が普通。当地は野菜産地なのだが、直売所でも高い。だからエンゲル係数が、かつてないほど高くなっているのではないだろうか?

 小麦価格が世界的に上がっていて、パンや植物油も大きく値上がりしている。上がっていなのは米価格くらいだ。これは今までが高すぎた。だからパン食からご飯食に戻っている家庭も多いのではないだろうか?

 原因は、気象のせいと言われているが、私は、昨年の中国の大洪水被害、それに世界的規模の蝗害のせいだと考えている。
 中国は基幹通貨発行国なので、いわば「打ち出の小槌」を持っているに等しい。だから昨年の大水害で大飢饉が避けられないほどの生産打撃を受けても、政府が勝手に金を印刷して、それで外国の食料を買い占めることができる。
 
 中国の爆買いによって変態的に起きている食料危機 2021年03月24日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1442.html

 世界経済は、互いに連結した歯車の集合体なので、中国が不足している大豆や小麦を買い占めると、「風が吹けば桶屋が儲かる」式に、さまざまな食品が派生的に値上がりを始める。
 馬鈴薯が大幅に値上がりをしている理由も、主食としての買い占め圧力が働いているからだ。飼料になる作物、米・小麦・トウモロコシなども、回り回ってどんどん値上がりしてゆく。さらに、その加工食品である小麦粉や食用油も上がる。肉類も上がる。

 今年は、馬鈴薯の植え付けが少なかったので、もう掘り尽くし、食べ尽くしてしまった。まるでコルクのように硬い春ネギも、みじん切りにして無理矢理食っている。
 大根や蕪をたくさん育ててあったので、葉物野菜は毎日、虫食いだらけの蕪・大根葉ばかり。白米を炊けば、必ず菜飯にするか、大根葉を刻んで油で炒め、鰹節を加えて醤油で味付けするふりかけを作っている。
 野菜はみんな高いので、今年ほど家庭菜園をやってて良かったと思う年はない。

 これだけ野菜が高いと、高価な家庭菜園用肥料やマルチ、支柱など農業資材を買っても、多少は元が取れそうだ。もしかしたらカルチベータの元も取れるかも。
 この時期は、食べきれないほどのキュウリ・トマト・茄子・大根・蕪があって、野菜不足が解消しているのでありがたい。ゴーヤ苗を植え忘れていたので、遅まきながら買ってこないと……。

 こんなときは田舎暮らしのありがたみをひしひしと感じる。土地に余裕があるので、とりあえず一人分の野菜くらいなら相当に自給率が高い。
 しかし、都会暮らしで菜園を作る余裕がない人は、どうするか?

 プランター栽培がある。日の当たるベランダがあれば最高、屋根に簡単に登れれば屋根の上でも大丈夫。道路にはみ出していても、簡単に移動できるから他家からの文句も深刻でない。
 私は、今年、新設したベランダに大きめのプランターを置いて、ホームセンターで買った野菜培養土を入れて、百円ショップで買った肥料を入れて、茄子・キュウリ・トマト・大葉を栽培している。

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 6月初旬あたりから、キュウリとトマトが結実しはじめて、切れ目なく実がついて食べきれないほどだ。茄子も成りはじめている。
 キュウリは、少し小さめで収穫するが、これが実にうまい、甘いのだ。大きくしすぎると甘みが薄れて市販キュウリと変わらないが、冷やし中華には、これで十分だ。

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 プランター栽培は、畑植えに比べて全体の保水力が不足するので、頻繁な給水が必要だ。特に葉の大きなキュウリは、すぐにしなーっとなってしまう。水やり過多だと、根が呼吸不足に陥って病気になりやすいので、管理に気を遣うが、畑栽培に比べると、害虫や雑草の干渉が少ないので、実に育てやすいし、何よりも収穫に無駄がない。

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 プランター栽培で、少人数の自家消費野菜は十分にできるといえる。なるべく高い縁側やベランダで栽培すればヨトウムシやテントウムシダマシ、アブラムシなどの被害に遭いにくい。いつでも監視できるので、畑よりも注意が行き届く。
 ピーマンやシシトウなどは畑だとカメムシが付きやすいので、プランターの方が有利だ。

 プランターは収穫が実に容易。畑のように全身に虫除けをスプレーする必要もない。雑草も少ない。大量の虫がついた場合は、プランターの下で蚊取り線香でも焚いておけばよい。
 その代わり土壌容量が小さいので、水やりは必ず毎日一回以上必要になる。追肥は土の表面に置けばよい。安価な市販栽培土を使うので、病気にもなりにくい。

 畑の方は50坪くらいだが、今年は肥料をやらずに、エダマメとサツマイモ苗を植えてある。だが草取りをろくにしていないので、雑草に覆われてしまっている。やるときは、全身に虫除けスプレー(ハッカ油薄め液)をかけて、ヤブ蚊から身を守りながら涼しい夕方にやる。やらないと、雑草に栄養分を吸い取られて、ろくな実がならない。
 腰が痛いし、間質性肺炎のせいで息切れが苦しくて大変だ。

 それでも、自家製エダマメを一度でも味わったなら、市販品とのあまりの差に驚いてしまう。「むちゃくちゃうまい」といっていい。
 サツマイモは、11月まで待たないと、まともな芋が収穫できない。里芋も同じだ。
 なおサツマイモは連作障害がなく、毎年できるし、肥料もカリウム主体肥料を少しでいい。馬鈴薯は2年おきに植えないと線虫障害で、ゴルフボールになってしまう。里芋は最高にうまいが、7年おきにしか作れない。無理に作ると小さくなってしまう。

 大都会では、畑を確保することが、ひどく困難だ。坪数十万円の土地を畑にすることには無理があるが、私の土地は取引価格坪5000円以下なのだ。
 農地も比較的転用が易しいが、一反(300坪)単位で購入することもできる。不便な場所なら、だいたい一反100万円程度だろう。
  中津川市の2000m級山岳に囲まれた土地は空気もうまくて、水が素晴らしく、爽快で、都会でのストレスから解放される。信頼のおける仲間と、数家族程度が集まって買えばよい。

 しかし、このブログで何度も書いているように、2007年以降、獣害が凄まじくて、田舎の畑は猪やアライグマ・ハクビシンとの戦いなのだ。
 獣害対策をしない畑は、ほぼ確実に全滅させられる。獣害の主役はイノシシだが、アライグマやハクビシンなども凄い。彼らは果実を狙うことが多く、スイカなどは、高い棚栽培をしないと全滅させられてしまう。

 畑は必ず1m×2mのメッシュ鉄筋で囲む。コールタールに浸した杭を打ち込んで、メッシュ鉄筋を針金で縛ってゆく。出入口には金網の扉を設ける。
 メッシュ鉄筋は10センチ四方なので、小動物が自由に出入りするため、下段に防草シートでも貼り付けておく。
 さらに電柵を設ければ望ましいが、草が伸びて電柵に触れると、漏電して電池が消耗してしまう。

 電気が来ているなら、大光量のセンサーライトと監視カメラでも設置したい。いったい、どんな動物が荒らすのか確認するためだが、ときには近所の人間であることもある。 この場合は、監視カメラに写った証拠を確保すればよい。

 洪水・蝗害・コロナ禍と、大規模な農産物生産障害が続いているので、備蓄も必要だが、それ以上に、人の来ない山の中に専用の畑を確保すべきだ。
 可能なら数反、今、まだ土地が安いうちに確保しておきたい。

 都会の自宅なら、最初に書いたように、プランターを活用しよう。畑だと、大根や蕪を作りすぎて、半分以上捨てなければならないことも多いが、プランターは生産量をコントロールしやすいし、管理上、良い点がたくさんある。
 デメリットは保水力くらいだろうか……。

https://life-baton.cel-co.com/article/1493

  http://kateidesaien.com/

 https://gardenstory.jp/gardening/35578

 https://www.ja-yatabe.or.jp/agrifood/kitchen-garden.html

 


核開発は、先進国家だけがやるわけではない

2021年06月27日 | 未分類
 アメリカでは、核分裂原子炉を趣味的に製作した高校生や、核融合を成功させた学生が登場している。組織や資金を持たない素人が、稚拙な知識だけでも核反応に成功することは恐怖だ。
 (この記事は、http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/813.html を参照した)

 裏庭に原子炉を造った高校生、2016年9月27日、39歳で死亡 BusinessNewsline 
 https://lucian.uchicago.edu/blogs/atomicage/2016/11/15/david-charles-hahn-died-at-39/

デイヴィッド・ハーン
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%B3

 デイヴィッド・チャールズ・ハーンは、17歳のときに自家製の原子炉をつくろうとしたアメリカ人である。
 1994年、ハーンはミシガン州コマース郡区にあった母と暮らす実家の裏庭で、小屋にこもってひそかに実験を行った。ハーンの原子炉内の核物質が臨界量に達することはなかったが、彼の運転する車が別件で地元警察に止められたことをきっかけに実験が発覚した。ハーンは、車内でみつかった実験材料を問いただした警察官に、それが放射性物質だと警告したのである。その10か月後に、ハーンの母親の所有する地所は環境保護庁によってスーパーファンド(有害物質汚染地区)として浄化活動が行われた。

 ハーンは幼い頃に化学に魅せられてから、我流で化学の実験を行っていた。彼が自家製の原子炉という発想に至ったのは、『化学実験のゴールデンブック』 を読んで影響を受けたからともいえる。
 ハーンは周期表に載っているあらゆる物質を集めることに夢中になったのだ。そしてそこには、もちろん放射性物質も含まれていたのであった。それからしばらくして彼は所属するボーイスカウトで原子力のメリット・バッジ(技能章)を与えられ、ついに自宅で原子炉をつくるというアイディアに夢中になった。

 ハーンは、こつこつと少しずつ家庭用品から放射性物質を集めた。例えば、火災報知器からアメリシウム、キャンプ用ランタンのガスマントルからトリウム、時計からラジウム、銃の照準器からトリチウム(中性子減速材)といった具合であった。彼の「原子炉」は穴のあいた鉛のブロックであり、1,000ドル分の電池から取り出したリチウムとブンゼンバーナーを用いて、トリウムの灰の純化を行った。

 ハーンは教えを請うために、何人もの専門家に手紙を送った。文章には誤字や明らかな間違いが含まれてはいたが、彼は歳を誤魔化して科学者あるいは高校教師を装うことで信用を得ようとした。ハーンの最終目標は、増殖炉を作ることだった。彼はトリウムやウランの試料を核分裂性同位体に変換するために、低レベル放射性同位体を利用しようとしていた。

 ハーンの原子炉は臨界質量にこそ達しなかったが、通常の環境放射線の1000倍をはるかに上回るほどの放射線を発する危険な装置であった。
 ハーンは不安に駆られて実験装置を破壊しようとしたが、偶然にも警察がその危険に気づくのが先だったため、彼の実験はFBIや原子力規制委員会を中心とする連邦放射線緊急事態対応計画の対象となった。

 1995年6月26日、環境保護庁はハーンの母親の土地を有害物質の浄化が必要なスーパーファンドに指定し、装置の置かれた納屋を取り壊すとともに、低レベルの放射性廃棄物をユタ州に埋めた。一方でハーンの母親は実験の全容が明らかになることで家屋を失ってしまうことを恐れ、放射性物質の大半を回収し、当局の把握しないところで一般ごみとして廃棄してしまった。ハーンもまた、放射線被ばくの医学的評価を受けることを拒絶した。

 環境保護庁の専門家は、海軍に入隊した彼の余命が長くないことを予想していた。ハーンは幼い頃から、小さい納屋のなかで長時間にわたって大量の放射性物質と接しており、安全対策も最小限だったからである。エンリコ・フェルミ原子力発電所で診察を受けるよう勧められていたのだが、結局彼はそれを断っている。

 奇しくもハーンは原子力空母であるエンタープライズでの任期を負っていたことがあった。エンタープライズでの任期終了後は、海兵隊に入隊し、日本にも駐屯した。数年後に健康上の理由から除隊し、ミシガン州に帰郷している。しばらくして双極性障害による妄想型統合失調症と診断され、心身の治療を余儀なくされた。

 2007年8月1日、ハーンはミシガン州クリントン郡区において窃盗罪で逮捕された。自分が住むアパートのホールから、放射能のある部品を取り出すため27個の火災報知機を無断で取り外したためであった。
 捜査官は、逮捕後の写真撮影のときに腫物だらけのハーンの顔をみて、彼が放射性物質に被曝していると考えていた。巡回裁判所での尋問中、ハーンは窃盗目的で建物に侵入したことを認めた。裁判のオンライン記録によれば、検察官は服役と施設での治療を勧めている。

 結局、ハーンは窃盗により90日の服役が言い渡された。裁判記録によれば、ハーンがマコーム郡刑務所の精神病棟で治療を受けることを条件に、6ヶ月の猶予期間がついた。
 ハーンは2016年9月27日に他界した。39歳だった。
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 一部引用以上

若者が未知の存在に惹かれるのは人間として当然のことであり、若いということは好奇心のカタマリであることを意味していて、与えられた情報を利用して、どんなことでもやってしまう可能性がある。またアメリカの青少年は、そんな創意工夫が大好きなのだ。
 大人たちが規制しようとすればするほど、青少年は目を輝かして未知の事象を自分の手で解明し、友人たちに自慢しようとする。

 もし、若者の好奇心を封殺する社会があるとすれば、そこにはイノベーションのカケラもなく、既知の定められた人生が用意されているだけであり、主体性のある若者たちは次々に逃げ出してしまうだろう。

 だが、その好奇心の対象が「核反応」であった場合、それは、周囲の人々の運命も大きく巻き込んでしまう。
 「大人たちの火遊び」である核開発は、その情報を得た若者たちにも拡大してゆくことは避けられない。兵器を造れば、若者たちも、それを自作してオモチャとして遊ぼうとするのである。それが若者というものだ。

 デイビット・ハーンは、17歳のとき、自宅に秘密の原子炉を造って稼働させようとした。もちろん、一人の若者が原子炉を稼働させられるほど核反応は単純ではないので、継続的な核反応は無理だが、一定量(数キログラム)のイエローケーキさえ入手できるなら、ごく短時間、ちょうどJCO臨界事故程度の核反応を生み出すことはできるだろう。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E6%9D%91JCO%E8%87%A8%E7%95%8C%E4%BA%8B%E6%95%85

 問題は、ウラン鉱・イエローケーキの入手方法だが、実は日本でも、これを入手して売りさばこうとした一味が検挙された事件が過去に数回あった。 
 相当大規模な密売事件も起きていたが、今回調べると、ネット上では削除されていた。

高校生がウラン化合物を精製 売買容疑の3人が書類送検 2019年12月10日
 https://www.asahi.com/articles/ASMDB3C2FMDBUTIL006.html

 ネットで買えるウラン
 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO40702220R30C19A1CC0000/

旧ソ連・モルドバ、ウラン密売グループ摘発
 https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM25001_V20C10A8NN0000/

核の保安体制に高まる懸念、過去20年に発生した核関連事件 2010年4月15日
 https://www.afpbb.com/articles/-/2718682

 私は、核開発の情報を収集していたので、この種の情報を比較的、多く記憶しているが、今のところ、日本国内で、個人的に原子炉を稼働させたという情報はないものの、秘密裏にイエローケーキを買い集めて核反応にまで進んだことは、数回程度起きていても不思議ではない。
 うちの近所の瑞浪市は、日本で最高品位のウラン鉱石(閃ウラン鉱)が採取できる地域で、ごく普通の林野に、それがあり、とくに立入規制されているわけではないので、誰でも勝手に侵入して地表で採取可能である。

 私の住む蛭川地区は、フクイチ事故前までは、日本最高レベルのガンマ線地域で、場所によっては空間線量が1マイクロ毎時を超える場所がザラにある。
 もしも閃ウラン鉱を発見できれば、それを精製してイエローケーキを作ることも、それほどの困難はない。
 イエローケーキが数キログラムも入手できれば、これを臨界させる方法はいろいろある。

 今から40年近い前だが、名古屋市科学館にイエローケーキ数キログラムがガラス瓶に入れられて展示してあり、反原発キノコの会・河田昌東氏らが抗議して撤去させた事件もあった。これを盗み出すことは実に容易な状態だった。
 イエローケーキは、致死的ではないが強い放射線を出している。
 https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20120215_01/index.html

 昔は、イエローケーキのウラン235濃度が3%以下なら核反応は起きない。通常の原子炉核燃料程度では核爆発は起きないと説明されていたが、2011年のフクイチ事故では、MOX燃料が事実上の不完全核爆発を起こしている。
 これは3号機の核燃料がメルトダウンを起こして水素が放出され、水素爆発を起こしたものが核燃料を圧縮して、臨界効率が上昇した結果、プルトニウム240が不完全核爆発した可能性を私は考えている。

 イエローケーキのウラン235濃度は、通常1%以下だが、実は、カナダが開発した重水冷却型CANDU原子炉では、イエローケーキを、そのまま核燃料として臨界させることができる。重水の中性子反射効率が極めて高いからだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/CANDU%E7%82%89

ということは、イエローケーキを入手して、重水が手に入れば、臨界反応を引き起こせることを意味していて、素人が簡単に入手可能なイエローケーキを使った核反応が成立するのである。ただし、この炉型はトリチウムを莫大に生成することになる。

 日本の核開発は、秘密裏に進められ、この種の情報が公開されていないことで、「社会転覆」の悪意にほだされた犯罪志願者にとって、核反応は極めて魅力的な世界だ。
 ほとんど誰も、核反応について知識がないし、仮に冒頭に紹介したような人物が市井で核反応を起こしても、測定器もないので、誰一人気づかないことになる。

 ちなみに、イエローケーキが臨界を起こすと、数時間で、放射能は数百万倍に増殖する。イエローケーキだけでなく、トリウム232でも同じことが起きる。この場合は、完全に致死的なレベルの放射能が生成され、周囲数十キロに極めて危険な中性子線が到達する。JCO事件では、20Km離れた民家の塩に中性子到達を示すナトリウム24が検出されている。

 デイビット・ハーンは、おそらくイエローケーキかトリウム鉱石(モナズ石)で核反応を起こした可能性がある。臨界事象に対しホウ酸で覆って反応を止める程度の知恵はあっただろう。
 だが、このときの被曝が原因で、彼は12年後に死亡しているし、一緒に住んでいた母親も自殺している。その土地は、連邦政府によって最重要危険地帯に認定された。
 彼は全身に被曝誘発による腫瘍が発生し、苦しんで死亡した。

 だが、もし日本政府に恨みを持つ者が、核テロを行おうと考えたとき、イエローケーキやモナズ石のような核分裂物質は、闇ネット上で簡単に入手できるし、それを臨界に至らしめる重水も、実は容易に入手できる。
 https://labchem-wako.fujifilm.com/jp/product/detail/W01W0104-3424.html

 たぶん、放射線取扱主任者である私程度の知識があれば、重要施設のなかで秘密裏に、誰にも気づかれないまま猛烈なガンマ線を放射する核臨界を実現することは決して困難ではない。
 政府も劣化して警戒もしないし、たぶん誰一人気づかないのではないだろうか?
 ただし、被曝させられた人には、恐ろしい未来が待っている。

 言っておくが、これは原発事故と同じであり、自民党政権は、こうした核テロを原発を通じて日常的に推進していると言うべきだ。
 美浜原発3号機のmox運用など、私に言わせれば、国民に対する核テロそのものだ。運営している関西電力は、「反原発町長を殺せ」と指令しているほどのマフィア組織なのだ。

 参考
 https://www.esquire.com/jp/news/a34530643/12-year-old-builds-working-fusion-reactor-world-record-20201031/


死より怖い認知症

2021年06月26日 | 未分類
 
 父も母も最期は認知症になって死んだ。
 80歳を過ぎて認知症と無縁の人はほとんどいない。誰でも、権力・身分・蓄財の差別なく、高齢になれば、脳が劣化し、認知機能が衰え、まるで子供のように他人に世話になって死んでゆかねばならないが、認知機能の進行は、ときには死よりも、はるかに恐ろしい。
 認知機能というのは、人格そのものであると考えることもできるからで、それが崩壊することは人格の崩壊、消滅を意味するのだ。それは死と同じものだ。

 https://payroll-memo.work/teinenn/

 私は一人暮らしなので、自分の世話を自分でできなくなったときが、自分という人格存在の終わりだということを思い知らされている。
 トイレに立てなくなれば、布団も衣類も部屋中も糞尿だらけになってしまう。食事も水も自分で取れなくなれば、数日で死んでしまうだろう。
 最期は、自分で自分の始末をつけるしかないと覚悟している。せめて、それくらいの認知機能は残しておきたい。

 介護保険があるとはいっても、せいぜい気休め程度だ。あれは、小泉純一郎が新たな金儲けシステムの介護産業を設立したということであって、それが認知症問題を解決するわけではない。

 母子二人を殺した飯塚工業技術院元院長の裁判経過を見ていれば、誰にでも老化ということの意味が理解できる。
 彼は、自分のことにしか関心がなく、自分を正当化することしかできない。「他人に対する思いやり」の認知機能が完全に欠落しているのだ。
 日本中の優秀な介護士を動員しても、飯塚氏の認知機能を正常に戻すことはできない。だが、それは誰にでもやってくることだ。告発する松永さんにもやってくる。

 だが、今から半世紀以上前、たぶん認知症は今より圧倒的に少なかった。

忍び寄る「総認知症社会」の恐怖 2021年04月30日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1479.html

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私が自分自身の認知症を疑い始めたのは、たぶん50歳を過ぎたあたりからで、最初の症状は、直前記憶の喪失と、固有名詞記憶の喪失で、とりわけ固有名詞を思い出すのに、ずいぶん時間がかかるようになったことにショックを感じていた。
 他人と話す言葉のなかで、「あれ、それ」という指示代名詞がやたらに多くなった。

 実は20歳前に、バイクで転倒事故を起こし、大脳萎縮障害の後遺症が残ったので、そのせいで海馬が萎縮し、記憶力がひどく衰えたことに気づいていた。
 事故以前から古典ギターを自習していたが、事故以降、記憶力がひどく衰えて長い曲が覚えられなくなった。
 これが、たぶん50歳以降、急速に記憶力が悪化した原因ではないかと思っていた。

 だが、いろいろ調べてゆくうちに、人間は50歳を境にして、海馬が衰えてゆくのが普通で、だからこそ、1960年台まで、企業の定年は事務系で55歳、現場系で50歳という若さだったのだ。
 https://payroll-memo.work/teinenn/

 つまり、人間は50歳を過ぎると、もはや使い物にならないと思われていたわけだ。
 その後、定年制度が延長され、60歳、あるいは65歳が普通になり、今では竹中平蔵が「90歳まで働かせる」と公言する時代になったが、竹中や安倍晋三の思惑が通用するはずがないことは、上の行方不明グラフを見れば一目瞭然だ。
 人々の平均寿命は上がったが、精神的健全性は衰える一方なのだ。

 過去のブログで繰り返してきたように、我々の世界では、何かを得れば、引き換えに何かを失うようにできている。
 この意味でいうと、我々が「便利さ」と引き換えに、脳機能や精神の健全性を失ってきたことが明らかだ。

 「便利さ」というのは、車とパソコン、それに労働と労働時間の減少だろう。
 車の歴史も100年を超えるのだが、それがもたらした最大のものは、おそらく人々から「歩行時間」を奪ったことだろう。
 つまり、車は人から「歩く時間」を奪った。我々は車によって歩かなくなった。これが認知症の激増と完全に一致することは明らかだ。

 「歩くこと」の本当の意味は、第二の心臓といわれる「ふくらはぎ」を稼働させることだ。立つ動物である人間は、重力のせいで全身の血液が下腿に集まる仕組みがある。
 これをふくらはぎの筋肉が歩くことで収縮させ、心臓に血液を押し戻す機能がある。
 歩く時間が減ると、下腿の血液が心臓に戻りにくくなり、歩けなくなった人々の大半が、下腿が腫れることになる。

 そうなると下腿の大静脈に「深部血栓」ができやすくなり、ちょうど「エコノミークラス症候群」と同じ状態になってドロドロになった下腿の血液が全身に送られるなかで、肺塞栓や心筋梗塞、微小血栓による脳梗塞などが起きやすくなる。
 何よりも、全身の体液の循環が滞りがちになってしまう。

 このことが認知症の最大の原因ではないかと、すでに半世紀以上前からくり返し指摘されている。
  https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/10/post-8712_2.php

  https://special.nissay-mirai.jp/jinsei100y/hints/C2IV9

 アルツハイマーの原因はアミロイドβやタウ蛋白といわれているが、これが脳に蓄積すると深刻な認知症を発症する。だが、こうした認知症発症物質は、かなり前から知られていて、毎日運動して体液の循環が活発な人は、血流に流されて消滅することも知られている。
 最近発表された600万円もするアミロイドβ除去薬など使わなくとも、ただ毎日一生懸命歩いていれば、脳から有害物質が排泄されてゆくのだ。

 だから、車の便利な快適生活による運動不足が、認知症を引き起こしていると考えるべきなのだ。
 歩かない人には、アミロイドβの蓄積→認知症という罰が与えられると考えてもよい。

 私が、このブログを、ほぼ毎日更新して、すでに5年くらいだが、わずかな量の文章であっても、アイデアの種が尽きて、本当に書けないときがある。
 書いていて、突然、脳がヒステリーを起こすこともある。これは脳に蓄積した有害物質が悪さをしているのだと考え、対処法として、体液の循環を促す40度30分以上の入浴とか、散歩とかをすれば、また脳が活性を取り戻して書けるようになる。

 私は、間質性肺炎で、早朝、5Km以上歩かないと、呼吸ができにくくなって苦しいので、この5年程度は、ほとんど毎朝歩いているが、標高差150mの山道を歩いて帰宅すると、脳の血流が回復して、呼吸も楽になり、多少の文章も書けるようになる。

 だから、今では歩けない台風や豪雨の日は恐怖だ。散歩道には熊やマムシが出てくるが、そんなものより、認知症の方がはるかに怖い。
 歩かなければ、前立腺癌治療のために毎日飲んでいるホルモン剤のせいで、たちまち深部血栓ができて、それが脳や肺や腎臓に回って微小梗塞を起こすことが分かっている。脳に入れば微小脳梗塞から脳細胞死滅を引き起こす。
 だから必死になって、ふくらはぎを稼働させているのだが、このことで、辛うじて認知症の進行を食い止めているという自覚がある。

 便利になったことを喜んで歩かない人々は、自分の未来を崩壊させているようなものだ。例え、長寿を全うしても、その大半が認知不能状態であれば生ける屍であって、生きていることの意味がない。
 なお、認知症の発症について、歩かないこととともに、糖尿病発症も大きな要因となっていることを書いておかねばならないが、歩かねば糖尿病になるので、これも必死に歩くことで解決できる問題だ。

 https://www.healthcare.omron.co.jp/resource/column/topics/112.html

 https://info.ninchisho.net/prevent/p70

 糖尿病になれば、医者に行って薬をもらうという発想は、いいかげんやめた方がいい。根本原因は、運動不足からオーバーカロリーが有毒化しているということなので、本当の解決策は一生懸命歩くことしかない。それも、山道のような傾斜で、汗をかいて日光を浴びながら日7000歩を毎日欠かさず歩けば解決できるのだ。

 これからの老人は、便利さを捨てて、何が何でも歩くという姿勢を大切にすべきだ。
 ふくらはぎという第二の心臓を活性化させることで、全身のドロドロ血液、血栓を掃除する。
 実は、車の問題だけではなく、コンピュータにも同様の問題が隠れているのだが、これは別の機会に。