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人形峠ウラン採掘事業

2023年10月02日 | インポート

 私が、GDFREAK https://jp.gdfreak.com/ のデータを使って、2012~14年の日本各地の被曝障害を調べていたとき、青森の再処理工場周辺やフクイチ事故を起こした福島県周辺での被曝影響は当然予想していたのだが、予想を大きく超えて深刻な被曝影響を実感させられたのは、伊方原発周辺と、人形峠周辺だった。

 被曝影響というのは、最初に心臓疾患(循環器障害)として現れるので、その地域の心筋梗塞発生状況が、全国平均と比較して、どれくらいの多寡があるのかで知ることができる。
https://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-12210

 なお、地方の医療機関では、わけのわからない死因を一括して「心不全」とする傾向があるので、心筋梗塞の一部も心不全に含まれている可能性がある。
 泊原発の足下、泊村では、全国平均の4.44倍の心不全死が出ていたが、たぶん北電からの圧力で「心筋梗塞」を「心不全」に変えたのではないかと疑っている。
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828326.html

 四国西部の異常な心筋梗塞発症率は、伊方原発に原因があることは地理的に容易に理解できた。

 再掲   原子力発電は事故を起こさなくとも日本人を殺戮している   その6 九州・四国 2018年05月14日
http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828337.html
 (画像は消されてしまったが、たったひとつだけパソコンデータから復活できた。クリックで拡大)

 恐怖の伊方原発 2020年01月26日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5827720.html

 しかし、意外だったのは、鳥取県・岡山県・兵庫県に異常な高率で心筋梗塞死地帯が見られたことだった。

 原子力発電は事故を起こさなくとも日本人を殺戮している その5 関西・中国方面 2018年03月29日
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5349136.html

 上の地図で、鳥取県の米子・倉吉~岡山県、兵庫県周辺の高い心筋梗塞死地域の核心部には人形峠が存在している。
 人形峠は、今から約70年前、日本の核開発黎明期に、正力松太郎や中曽根康弘が中心になって、最初のウラン採掘、精錬事業を始めた地域である。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E5%BD%A2%E5%B3%A0

 人形峠付近には1955年に発見されたウラン鉱床がある。1960年代から1970年代にはウラン濃縮原型プラントも建設された。現在は採掘は中止されている。

  1950年代に原子力の利用が確立されると、日本各地でもウラン鉱床の探索が行われるようになった。当時、ウランは花崗岩中に含まれることが多いと考えられており、花崗岩の豊富な中国山地で重点的な調査が行われ、1954年(昭和29年)夏には岡山大学のチームが倉敷市でウラン鉱石を発見した。

 また、通産省工業技術院地質調査所も倉吉市の小鴨鉱山の含金石英粘土脉でウラン鉱石を確認し、1955年(昭和30年)になると、天神川のさまざまな支流の上流域でウランの鉱脈の存在が確認されるようになった。

 航空機にガイガーカウンターを積み込んでの調査(エアボーン調査)、ジープにガイガーカウンターを積み込んで山岳地帯を走行する調査(カーボーン)が併用され、遂に11月12日、地質調査所が峠の頂上からやや鳥取側の道路脇の新第三系基底部で堆積型ウラン鉱の露頭を発見した。

 中略
 日本初の濃縮ウラン製造
 翌1956年(昭和31年)に原子燃料公社が設立され、8月に人形峠出張所を開設してウラン鉱の調査開発が始まった。当時、ウランの精錬技術については国外の情報が公開されていたものの、日本国内には実際の技術は確立されておらず、基礎的な研究から実務的な工程までが行われた。

 1959年(昭和34年)には人形峠産のウラン鉱石を基に、茨城県東海村の施設でイエローケーキの精錬にこぎつけ、1961年(昭和36年)には日本初の国産ウラン200kgの製造を実現した。1964年(昭和39年)になると、人形峠に山元試験製錬所が建設し、ウランの採掘から精錬までの技術研究が行われた。ここで初めて製造した塩化ウラニルについても、茨城県東海村の施設へ運ばれた。
 1974年(昭和49年)に、ウラン鉱石からイエローケーキを経ずに四フッ化ウランを精製する「一貫精錬方式」の開発に成功し、1979年12月には、日本初の国産濃縮ウランの生産を行った。

 この間、原子燃料公社は動力炉・核燃料開発事業団(動燃)に発展し(1967年(昭和42年))、人形峠の施設は人形峠鉱業所となった。さらに鉱業所は1978年(昭和53年)に人形峠事業所に改称している。1980年代になると、核燃料サイクルの技術研究がすすめられ、回収ウランの転換試験が行われた。

 中略
 1998年(平成10年)10月に動力炉・核燃料開発事業団が核燃料サイクル開発機構に改組されると、当施設は人形峠環境技術センターに改組された。その翌年の1999年(平成11年)7月には精錬転換施設、2001年(平成13年)3月にはウラン濃縮原型プラントの役務運転が終了。閉山までに採掘された鉱石は約8万6000トンで、濃縮され取り出されたウランは84トンであった。
 取り出されたウランは核燃料製造の研究に用いられ、製造された核燃料は実験プラントで用いられて原子力の技術開発を支えた。2005年(平成17年)10月に日本原子力研究開発機構が発足したことにより人形峠環境技術センターとなった。

 人形峠など各地のウラン探鉱活動で生じた、微量の放射性を帯びた残土は約45万立方メートル、約100万トンに達するとされるが、鳥取県内に長らく堆積されたままになっていることが1988年(昭和63年)に報道された。
 そのうち、旧東郷町 (鳥取県)(現湯梨浜町)方面(かたも)地区に残された約3000立方メートルについて地元自治体と動燃が撤去協定を結んだが、人形峠のある岡山県の承諾が得られず、搬送できないままとなっていた。

 訴訟により、2004年(平成16年)10月に撤去命令が出され、命令を実行できない期間中制裁金を科されることになった。2005年に残土の一部をアメリカへ移送して処理を行ったほか、2006年に人形峠の鳥取県側に残土処理施設を新たに建設してレンガに加工処理を行うことになった。

 中略
 ウラン濃縮プラント閉鎖後は放射性廃棄物の処理技術の研鑽を主業務とし、2005年(平成17年)10月に日本原子力研究開発機構人形峠環境技術センターとなった後は、滞留ウランの除去や回収、遠心分離機等の解体処理の技術開発などの研究が行われている。なお、かつてのウラン坑道は一般公開され見学することもできる。
 2021年1月20日、原子力規制委員会は人形峠環境技術センターのウラン濃縮原型プラントなど加工施設について2040年度に解体を完了するとした廃止措置計画を認可した。
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 引用以上

 上の文中に、【1980年代になると、核燃料サイクルの技術研究がすすめられ、回収ウランの転換試験が行われた。】
 と書かれている。これは、つまり使用済み核燃料の再処理を行ったことを示している。動燃人形峠事業所というのは、実は日本最初の「再処理工場」だったのだ。

 再処理工場とは何かといえば、青森の六ヶ所村再処理工場を見れば分かるし、それが、どれほど凄まじい放射能を環境放出したのかも理解できるはずだ。
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E3%83%B6%E6%89%80%E5%86%8D%E5%87%A6%E7%90%86%E5%B7%A5%E5%A0%B4

 人形峠再処理工場から、どれほどの放射能気体が放出されたのか資料はないが、上のデータから、とんでもない量の放射能が環境にまき散らされたであろうことが推察できる。
 ちなみに六ヶ所村、周辺自治体でも、心筋梗塞死の発症率が凄まじいことになっていた。これなど、わずか3年に満たない試運転で、この結果だったのだ。
 もし、まともに稼働していたなら、青森県は死の国になっていたはずだ。
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828328.html

 だから、鳥取県・岡山県・兵庫県における異常な心筋梗塞死のデータは、人形峠再処理工場やウラン精錬施設からの放射能が原因であることが誰の目にも理解できるはずだ。
 しかし、これまで水俣病やイタイイタイ病の公害報道はあったが、ウラン・再処理工場の公害報道は、ほとんど行われてこなかった。

 これは原子力を推進したがっていた政府や正力、中曽根、笹川らの日本の右翼勢力が、メディアの口封じに成功していたからである。
 メディアは、誰一人、核開発における凄まじい公害の実態を報道してこなかった。
 もし報道すれば、原子力産業の広告の9割を引き受けていた電通によって、瞬時に広告を断たれ、広告収入面で営業不能にされていただろう。

 言っておくが、今でも事情は変わらない。経済的生命線を政府や電通に依存したメディアは核開発の負の側面は絶対に報道できない。何のしがらみもない私でさえ、これまでヤフーやFC2ブログ、ツイッターなどから追放され、今でも私が気づかないまま無断削除を受けているのだ。

 これまで、どれだけハッキングされ、パソコンを破壊されたか分からない。
 核開発公害を批判するためには、私のように暗殺=死を覚悟する必要がある。だから、家族や財産や地位があっては、原子力批判は事実上できないのである。
 それでも私は、今でも人格誹謗攻撃を受け続けている。私は「中卒のデマ屋」といわれているのだ。
 
 人形峠事業所は、私にとって、決して遠くの問題ではなかった。私の家から20Kmしか離れていない土岐市・瑞浪市日吉地区でも同じことが行われていたのだ。
 https://www.jaea.go.jp/04/tono/

 ここでは、ウラン精錬から再処理、核廃棄物の地層処分に至るまで総合的な研究開発が行われている。
 だから、土岐多治見の核融合研究施設と相まって、東濃地区の土岐多治見瑞浪地区は、これから最初に紹介した人形峠周辺と同じような被曝障害に見舞われる可能性が大きい。

  地元では反対運動があるのだが、その講師である河田昌東氏が、自分のゲノム研究に妊婦を参加させ、「5ミリシーベルト以下の被曝は安全」と主張する姿勢に私は憤った。
 そんな講師の姿勢で、東濃核施設被曝問題を戦えるとは思えないので、私は加わっていない。私の意見など、反対運動の核心的人物は相手にしない。権威がないからだ。

 さらに、日吉の地層処分研究施設は、実は、そのまま核廃棄物最終処分場となると考えられている。
 そこには全国から使用済み核燃料が集積される予定だ。再稼働原発は大半がMOX核燃料を使用しているので、冷温100度に下がるまで500年間は地上冷却が必要になる。

 社会体制が健全であるうちは安全に管理できるとしても、電力企業も自民党政権も日本政府も、MOX核廃棄物の地上冷却に必要な500年という期間、安定して存続できる可能性などほとんどない。
 世界最長の安定政権は江戸幕府の260年にすぎないのだ。他のいかなる国でも300年間安定した国は存在しない。

 もしも、国家や企業が崩壊したなら、それは核管理も崩壊することを意味し、管理が行われない核廃棄物はパンドラの箱となって、地上の近隣住民たちを放射能が襲いはじめるのだ。中津川の我が家も、たぶん無事ではすまない。
 冷却用電源が停止すれば、おおむね、数十日で核燃料キャスクの劣化が起きるといわれている。熱衝撃応力で損傷したクラックから放射能が噴き出すのだ。

 原子力利用は、「未来永劫、安定した繁栄が続く」という、とてつもない愚かな勘違いから生まれる妄想にすぎない。人間社会の劣化、退化をまるで想定していないのだ。
 企業も、政権も、国家も、社会体制も、生まれた以上、衰退し、すべて必ず崩壊するのである。
 もうすぐ経済的基盤を失った中韓の原発群が、それを証明してくれるだろう。
 世界は放射能汚染の泥沼に落ち込んでゆく。それは「トイレなき」原発を作り始めたときに約束された運命である。