風呂場で、ぬるい湯に首まで浸かっていると快適で、いつのまにか熟睡してしまう。年をとると、なかなか熟睡できなくなるので、この眠りはありがたいが、ときに気づかぬまま溺死することがあるので気を配らなければならない。
新潟の栃尾又温泉では、かつて37度の湯に一晩中浸かる入浴法があって、老人たちに人気だったが、溺死事故が続いたので、とうとう夜間入浴が廃止されてしまった。
なんで気持ちいいかといえば、湯の浮力のおかげで体が受けている重力から解放されるからだ。
湯のなかで、どれほど体が軽くなるかといえば、 水中で60kの人が垂直に立っているとして、胸まで水中にあると、体重の約70%の浮力が働き、足裏にかかる体重は、わずか18kg。首までだと、90%の浮力が働き、足裏にかかる体重は、たったの6kg。
実に9割も体が軽くなっている。
だから、首まで湯船に浸かりながら、風呂桶の底栓を開けて湯を抜いてゆくと、自分の体の恐ろしいまでの重さが実感できる。
湯が下腹部まで抜けると、すでに上半身がたるんで地面に落ち込んでゆく感覚があり、強い重だるさを感じるほどだ。これで普段は分からない、自分の体の重さを実感できる。
実は普通の大気中でも、人体は大気による圧力=浮力を受けている。
ただし、人体はほぼ水と同じ密度なので、1kg/1ℓ=1000kg/m³ 空気密度は水の1/1000なので、浮力は重力の1/1000。体重60キログラムの人なら、大気から60グラムほどの浮力の恩恵を受けているが、もちろん小さすぎて実感できない。
水中にいれば、ほぼ体重と浮力が釣り合うから、人間は水の表面に浮くことができる。地上で、もっとも大きな生物は6トンの象だが、海中で200トンもある鯨が生息できるのは、重力の影響をほとんど受けないからだ。
鯨が陸上に上がれば、自分の重さで呼吸できなくなって死んでしまう。
人間が、普段受けている重力のくびきとは、どの程度のものなのだろう?
それは、自分の体重で表される。体重60Kgの人は、60Kgもの重りを引きずって生活しているのと同じだ。
この体重=重力によるくびきが、水中に入ると浮力で解放されるわけだから、温泉が快適であり、ぬるければ、そのまま寝てしまえることも理解できる。
我々は、ふだん、普通に立っているだけで強い負荷を感じているのである。ただ、慣れてしまって気づかないだけなのだ。その強い圧力を入浴が解放してくれるから、水中では体中が楽チンでしかたない。
不眠症の方は、溺死しないよう工夫して、ぜひ試してみてほしい。ぬるい湯のなかでの眠りが、どれほど快適なものか……。37~38度あたりがいいだろう。
話は変わるが、人間の睡眠リズムというものは、体温が上がると覚醒し、下がると眠気に襲われる仕組みになっている。
かつて、私が大型トラックの運転手をしていたとき、運転中、どうしようもなく眠くなって、当局による苛酷な規制のため、駐車して眠れる場所もなくて、ほとほと困ったことが何度もあるのだが、こんなときに、最初にやることは窓を開けるか、クーラーをガンガン効かせて寒くすることだった。
すると、寒いから、体は勝手に体温を上げようとするので、これで覚醒できるわけだ。逆に眠りたいときは、ヒーターをかけると、体が体温を下げようとするので眠れることになる。
眠れないとき、葛根湯を飲むと体温が上がり、その後、下がるときに眠気を催す。これは睡眠薬よりもマシな方法だ。
だが、ガンガン冷やしても眠いことがあり、こんなときはガムを噛んだりせんべいを食べたりして脳に刺激を与えて覚醒しようとするのだが、どうやっても眠気が収まらないことがある。
最後の手段として、太い針で手の甲や腕を刺したり、火のついたタバコを腕におしつけたちする。これは一発で、激しく覚醒できる。トラック運転手の腕の傷跡はそれが多い。年に数回は、腕を突き刺すことが必要な深刻な眠気に襲われるのだ。
だが、観光バスの運転手だと、乗客がいるから、そんな小技ができない。そこで、シャブの密売に頼る者も出てくる。
数十年前のことだが、東名高速の大きな駐車場で休んでいると、夜中にシャブ売りが、現れたものだ。一包5000円とか1万円とか高価だが、旅客輸送業の運転手は、他に手段がないので手を出す者が多かった。
シャブというのは、元々、日本軍が軍用機パイロットを覚醒させる目的で開発したもので、飛行中に寝てしまって墜落することが多発したので、飛行士に持たせた。
今でも、自衛隊パイロットや旅客機操縦士が持っていることが多く、米軍では秘密裏に配布している。ベトナム戦争の激戦のときも、兵士がこれを飲まされたという。戦争にシャブは必需品といっていい。
運送業務も軍事業務も、人間の生活リズムなどお構いなしに仕事を強要するため、これに適応できないで事故を起こす者は、今も昔もひきもきらずに出てくる。
生活リズムが崩される業務が繰り返されれば、人は必ず自律神経のバランスを崩して、いろいろな病気や精神障害を引き起こす。
また無理な適応のために、シャブニーズが生まれ、それを取り締まれば、恐ろしい事故が激増することになり、飛行機がじゃんじゃん墜落することになる。
人間にとって、自律神経を乱されるような不快な業務は必要ない。それを必要とするのは、一部の人間が、他の人間を利用して金儲けを求めたり、軍事目的で人を利用しようとするからだ。
我々は、誰かの金儲けや、人々を利用して利権を拡大する侵略の意図のために自分の命を浪費してはならないのだ。
他人に利用されない、利用しない、自力更生の人生を求めることが最良の人生観だろう。
「就職のためだから仕方ない」とか「みんながやってることだから」とか理由をつけて、他人を利用する発想こそ、人類全体の不幸を招くものだ。
だが、自分の能力を試してみたいのは本能のようなもので、それまでできなかったことができるようになる「進歩成長」というのは、人として生まれて必ず必要なものだ。
私も、若い頃、日本中の山を駆け巡り、1990年には日本百名山を踏破した。だが、他人の影響を受けたくなかったので、全部一人でやった。単独行以外の登山は、案内役として数十回程度しかない。
一人で登山を重ね、やがてロッククライミングも一人でやった。ときには転落して全身数カ所を骨折しながら、這いずるように逃げ帰ったこともある。
だが、そんな失敗事例も含めて、修羅場には強くなった。タクシー時代に、暴力団員とトラブルになって首に刃物を当てられたこともあるが、まったく動じずに平気でいたので、相手が逆に怖がって去って行った。
今も、近所に住む悪質な泥棒に大きな被害を受けているが、相手が逃げられない立場なので、いずれ報復するつもりで、いろいろ考えているところで慌てていない。私に手を出したことで、この泥棒は、この地から追放されることになるだろう。
世の中には、自分の利権のために他人を利用しようとする愚か者が山ほどいる。それは、夢を見るからで、例えばアメリカンドリームのような。自分に対しても他人に対しても無茶、無理難題を強要する理由は、「特別なものを得たい」と願う愚かな夢のせいだ。
そんなことをしなくても、人間は、十分に豊かで素晴らしい人生を享受できるように設計されている。
私は60年以上をかけて、その真実に気づいた。人間が、人生をもっとも快適に過ごせるとしたら、どんな人生が良いのか?
私の結論は、「アルプスのハイジ」のような人生だ。
最近は、「ポツンと一軒家」に憧れて、実現している人が増えたが、大自然に囲まれた山中で、山羊や牛や、兎やニワトリに囲まれて原則自給自足の農業を行うライフスタイルが、人間にとって無理のない理想的な生き方だと思う。
昔、北海道の開拓に向かった人々は、最初に馬鈴薯を作った。これを食べながら、次々に農業を拡大していった。
私も60坪の畑で作ってみたが、最初は、驚くほどの収量があり、保存法さえしっかりしていれば、これだけでも生き抜いてゆけることを確信した。
もちろん、一人暮らしではダメだ。人間には仲間が必要なのだ。
いろいろな動物たちがいると心強い。山羊はミルクも出してくれるし、雑草も食べ尽くしてくれる。鶏は、素晴らしいペットにもなってくれるし、卵生産工場だ。
こういう生活をしてれば、他人を利用しようとする浅ましい心も出てこない。
人間の生活リズムを乱すことを他人に強要しながら、自分だけ金儲けに勤しむような輩も出てこなくなるだろう。
コンピュータもAIもロケットも核ミサイルも、人間にとって必要なものではない。
人生に何が本当に必要なのか? みんな哲学的に考える視点を持てば、世の中、ずいぶん暮らしやすくなるにちがいない。
新潟の栃尾又温泉では、かつて37度の湯に一晩中浸かる入浴法があって、老人たちに人気だったが、溺死事故が続いたので、とうとう夜間入浴が廃止されてしまった。
なんで気持ちいいかといえば、湯の浮力のおかげで体が受けている重力から解放されるからだ。
湯のなかで、どれほど体が軽くなるかといえば、 水中で60kの人が垂直に立っているとして、胸まで水中にあると、体重の約70%の浮力が働き、足裏にかかる体重は、わずか18kg。首までだと、90%の浮力が働き、足裏にかかる体重は、たったの6kg。
実に9割も体が軽くなっている。
だから、首まで湯船に浸かりながら、風呂桶の底栓を開けて湯を抜いてゆくと、自分の体の恐ろしいまでの重さが実感できる。
湯が下腹部まで抜けると、すでに上半身がたるんで地面に落ち込んでゆく感覚があり、強い重だるさを感じるほどだ。これで普段は分からない、自分の体の重さを実感できる。
実は普通の大気中でも、人体は大気による圧力=浮力を受けている。
ただし、人体はほぼ水と同じ密度なので、1kg/1ℓ=1000kg/m³ 空気密度は水の1/1000なので、浮力は重力の1/1000。体重60キログラムの人なら、大気から60グラムほどの浮力の恩恵を受けているが、もちろん小さすぎて実感できない。
水中にいれば、ほぼ体重と浮力が釣り合うから、人間は水の表面に浮くことができる。地上で、もっとも大きな生物は6トンの象だが、海中で200トンもある鯨が生息できるのは、重力の影響をほとんど受けないからだ。
鯨が陸上に上がれば、自分の重さで呼吸できなくなって死んでしまう。
人間が、普段受けている重力のくびきとは、どの程度のものなのだろう?
それは、自分の体重で表される。体重60Kgの人は、60Kgもの重りを引きずって生活しているのと同じだ。
この体重=重力によるくびきが、水中に入ると浮力で解放されるわけだから、温泉が快適であり、ぬるければ、そのまま寝てしまえることも理解できる。
我々は、ふだん、普通に立っているだけで強い負荷を感じているのである。ただ、慣れてしまって気づかないだけなのだ。その強い圧力を入浴が解放してくれるから、水中では体中が楽チンでしかたない。
不眠症の方は、溺死しないよう工夫して、ぜひ試してみてほしい。ぬるい湯のなかでの眠りが、どれほど快適なものか……。37~38度あたりがいいだろう。
話は変わるが、人間の睡眠リズムというものは、体温が上がると覚醒し、下がると眠気に襲われる仕組みになっている。
かつて、私が大型トラックの運転手をしていたとき、運転中、どうしようもなく眠くなって、当局による苛酷な規制のため、駐車して眠れる場所もなくて、ほとほと困ったことが何度もあるのだが、こんなときに、最初にやることは窓を開けるか、クーラーをガンガン効かせて寒くすることだった。
すると、寒いから、体は勝手に体温を上げようとするので、これで覚醒できるわけだ。逆に眠りたいときは、ヒーターをかけると、体が体温を下げようとするので眠れることになる。
眠れないとき、葛根湯を飲むと体温が上がり、その後、下がるときに眠気を催す。これは睡眠薬よりもマシな方法だ。
だが、ガンガン冷やしても眠いことがあり、こんなときはガムを噛んだりせんべいを食べたりして脳に刺激を与えて覚醒しようとするのだが、どうやっても眠気が収まらないことがある。
最後の手段として、太い針で手の甲や腕を刺したり、火のついたタバコを腕におしつけたちする。これは一発で、激しく覚醒できる。トラック運転手の腕の傷跡はそれが多い。年に数回は、腕を突き刺すことが必要な深刻な眠気に襲われるのだ。
だが、観光バスの運転手だと、乗客がいるから、そんな小技ができない。そこで、シャブの密売に頼る者も出てくる。
数十年前のことだが、東名高速の大きな駐車場で休んでいると、夜中にシャブ売りが、現れたものだ。一包5000円とか1万円とか高価だが、旅客輸送業の運転手は、他に手段がないので手を出す者が多かった。
シャブというのは、元々、日本軍が軍用機パイロットを覚醒させる目的で開発したもので、飛行中に寝てしまって墜落することが多発したので、飛行士に持たせた。
今でも、自衛隊パイロットや旅客機操縦士が持っていることが多く、米軍では秘密裏に配布している。ベトナム戦争の激戦のときも、兵士がこれを飲まされたという。戦争にシャブは必需品といっていい。
運送業務も軍事業務も、人間の生活リズムなどお構いなしに仕事を強要するため、これに適応できないで事故を起こす者は、今も昔もひきもきらずに出てくる。
生活リズムが崩される業務が繰り返されれば、人は必ず自律神経のバランスを崩して、いろいろな病気や精神障害を引き起こす。
また無理な適応のために、シャブニーズが生まれ、それを取り締まれば、恐ろしい事故が激増することになり、飛行機がじゃんじゃん墜落することになる。
人間にとって、自律神経を乱されるような不快な業務は必要ない。それを必要とするのは、一部の人間が、他の人間を利用して金儲けを求めたり、軍事目的で人を利用しようとするからだ。
我々は、誰かの金儲けや、人々を利用して利権を拡大する侵略の意図のために自分の命を浪費してはならないのだ。
他人に利用されない、利用しない、自力更生の人生を求めることが最良の人生観だろう。
「就職のためだから仕方ない」とか「みんながやってることだから」とか理由をつけて、他人を利用する発想こそ、人類全体の不幸を招くものだ。
だが、自分の能力を試してみたいのは本能のようなもので、それまでできなかったことができるようになる「進歩成長」というのは、人として生まれて必ず必要なものだ。
私も、若い頃、日本中の山を駆け巡り、1990年には日本百名山を踏破した。だが、他人の影響を受けたくなかったので、全部一人でやった。単独行以外の登山は、案内役として数十回程度しかない。
一人で登山を重ね、やがてロッククライミングも一人でやった。ときには転落して全身数カ所を骨折しながら、這いずるように逃げ帰ったこともある。
だが、そんな失敗事例も含めて、修羅場には強くなった。タクシー時代に、暴力団員とトラブルになって首に刃物を当てられたこともあるが、まったく動じずに平気でいたので、相手が逆に怖がって去って行った。
今も、近所に住む悪質な泥棒に大きな被害を受けているが、相手が逃げられない立場なので、いずれ報復するつもりで、いろいろ考えているところで慌てていない。私に手を出したことで、この泥棒は、この地から追放されることになるだろう。
世の中には、自分の利権のために他人を利用しようとする愚か者が山ほどいる。それは、夢を見るからで、例えばアメリカンドリームのような。自分に対しても他人に対しても無茶、無理難題を強要する理由は、「特別なものを得たい」と願う愚かな夢のせいだ。
そんなことをしなくても、人間は、十分に豊かで素晴らしい人生を享受できるように設計されている。
私は60年以上をかけて、その真実に気づいた。人間が、人生をもっとも快適に過ごせるとしたら、どんな人生が良いのか?
私の結論は、「アルプスのハイジ」のような人生だ。
最近は、「ポツンと一軒家」に憧れて、実現している人が増えたが、大自然に囲まれた山中で、山羊や牛や、兎やニワトリに囲まれて原則自給自足の農業を行うライフスタイルが、人間にとって無理のない理想的な生き方だと思う。
昔、北海道の開拓に向かった人々は、最初に馬鈴薯を作った。これを食べながら、次々に農業を拡大していった。
私も60坪の畑で作ってみたが、最初は、驚くほどの収量があり、保存法さえしっかりしていれば、これだけでも生き抜いてゆけることを確信した。
もちろん、一人暮らしではダメだ。人間には仲間が必要なのだ。
いろいろな動物たちがいると心強い。山羊はミルクも出してくれるし、雑草も食べ尽くしてくれる。鶏は、素晴らしいペットにもなってくれるし、卵生産工場だ。
こういう生活をしてれば、他人を利用しようとする浅ましい心も出てこない。
人間の生活リズムを乱すことを他人に強要しながら、自分だけ金儲けに勤しむような輩も出てこなくなるだろう。
コンピュータもAIもロケットも核ミサイルも、人間にとって必要なものではない。
人生に何が本当に必要なのか? みんな哲学的に考える視点を持てば、世の中、ずいぶん暮らしやすくなるにちがいない。