新型コロナウイルス感染により、世界的に、勤務形態の劇的な革命が進行している。
通勤電車における感染集団、バイオハザードゾンビの襲撃を防衛するためには、有無を言わさずテレワーク化を迫られた事務関係部署、企業が膨大な数に上った。
東京の友人も通信関係の企業なのだが、ほぼ全社でテレワーク化が進み、会社に行くのは書類の受け渡しで週に一度程度だという。
ただ、テレワークには情報漏洩のリスクがあるので、使用するパソコンやネットワークには、厳格な規制がかかっているようだ。
こうしてテレワーク化を社会情勢に強要されてみれば、在宅勤務には一定の合理性があって、とりわけ通勤時間の負担が消えることは、社会がコロナ禍から回復したとしても、相当な割合で、勤務様式の変更を迫られることになりそうだ。
「もう満員電車に2時間も揺られて会社に行く苦痛を味わいたくない」
自由の味を覚えてしまった奴隷たちは、はたして鎖を元通りに身につけることができるのだろうか?
在宅勤務は、工場労働、現場労働を除いて、事務労働の大半に有益な変革をもたらした。いったん、こうした事態を半強制的であれ経験させられてしまえば、これまで習慣に縛られて考えてもいなかった勤務様式の合理的な変革を、誰もが真剣に考えるようになってしまう。
実際問題としては、「ものづくり」の現場にはテレワークが許されず、それに密着した情報処理を必要とする事務現場にも大きな変革は起きないだろうが、純粋な情報処理をメインにした企業では、ネット会議の密度を高めることで、テレワークの有効性が際立ってくる。
というより、一度「在宅勤務」の蜜の味に慣れてしまった労働者が、元の満員電車通勤に戻れるのかという問題だ。
人々は、純粋な仕事に関係する労力に比べて、通勤という非合理な足枷が、どれほど人生の自由を奪ってきたか、はっきりと見えてしまったわけだ。
だから、コロナ禍が去った後でも、勤務スタイルに巨大な革命が起きることを避けることはできない。
もちろん、通勤には附随して退社後の大衆酒場での楽しみとか、勤務現場での人間関係の楽しみとか、肯定的な要素もたくさんあるので、テレワークばかりが求められるわけではない。
そこで、いったい、どのような変化が起きるのか? 予想しておいた方が役に立つ。
私が予想するのは、コロナ禍後の勤務スタイルには、テレワークが、これまでの数倍の比重を占めるようになり、通勤で事務所に通うのは、週に二日とか三日になるような気がする。
すると、通勤の苦痛が和らぐわけだから、居住地がもう少し遠くても我慢できるようになる。通勤時には、カプセルホテルのような超廉価宿泊施設が利用されるようになり、テレワーク時には、東京から2時間以上かかる自然豊かな(例えば日光や箱根のような)地域が好まれるようになる。
テレワークは、自主的に勤務時間を増やす要素もあるが、自由時間が大幅に増えるのも必然だろう。
すると、国民全体にアウトドアライフの機運が一気に高まる。社会全体に「遊び」の空気が満ちてくる。
私は、自分の住む中津川市の課題として、名古屋から御嶽山を結ぶ自転車専用道を設け、途上に温泉施設、簡易宿泊施設、ボルダリングなど、遊びの拠点を作る構想を呼びかけているが、コロナ禍後は、実際に、こうしたニーズが高まるような気がしている。
この方が、莫大な電力を浪費するだけの「凄い日本」趣味のリニア新幹線のような構想よりも、ずっと現実的で健康的であり、外国からたくさんの若者たちを引き寄せる宝石のようなインフラになると考える。
つまり、テレワーク事業の伸展で余った時間を、どのように活かしてゆくのかという問題で、それは「凄い日本」を目指して時間を浪費するのではなく、「人に優しい健康な日本」を目指して余った時間を有効に使ってゆかねばならないということだ。
また、こうして若者たちが「過疎の田舎」に流入するようになれば、再び、農業のような第一次産業に回帰する若者たちも増えてくるはずだ。
活気の失われた過疎地に若者たちが移住してくることこそ、日本再生の第一歩なのだ。
現在、過疎地には放棄された田畑が無数にあって、大切な水源地を中国共産党の代理人が買い占めているような異様な状況がある。
また、自民党による狂気としか思えない、森林法改悪や、種苗法改悪の罠を突破するのは、まず過疎地、山の中に若者が住むことからしか始まらない。
https://blog.goo.ne.jp/koube-69/e/9b9a3f2d19a6ae4e927d18968cff4bbd
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakaatsuo/20190508-00125250/
このことがもたらす本当の恐ろしさを、自民党政権は(たぶん野党も)まるで理解していないので、まずは、若者たちが田舎に移住することが、日本の未来を守るために、どれだけ重要なことか理解する必要がある。
「ポツンと一軒家」こそ、子供たちの未来を守る要である。
こうして、テレワークは大都市に吸着された若者たちを、再び過疎の森林地帯に引き寄せてくれる効果があると考えられる。
私は、リニア新幹線のようなインフラが、過疎地救済に効果があるとは思わない。
過疎地を昔のように賑やかな居住地に回復するために本当に必要なものは、若者たちが過疎地を自由に通過できるインフラであり、数百キロも続く自転車専用道だと何度も指摘してきた。
私の意見に賛同してくれる人は、今までのところ、ほぼ皆無だが、私が間違っていたからではない。通勤時間に押しつぶされて、そんなことを考えるゆとりがなかったからだ。
私の住む中津川市は、1957年に映画「青い山脈」の舞台になったが、4月5月の景観は、本当に「青い山脈」に囲まれて、「なんで、こんな素晴らしい景観があるんだ」と感嘆するほど美しい。
https://www.youtube.com/watch?v=sqOhCVzclro
こんな土地で育った子供たちは、荒々しい山脈を見ながら雄大な骨太の人間になることだろう。半世紀以上昔は、森林や石材資源によって、たくさんの人々が暮らしていた。
しかし今では、2003年移住当初、日8本あったバス便が半分に減らされ、事実上、バスが使い物にならなくなって、過疎化が進み、人口も減少した。
だが、リニア開発などに頼らずとも、この大自然とともに生きる人々が必要なのだ。
私は、コロナ禍後の新しい勤務様式の革命に期待している。

通勤電車における感染集団、バイオハザードゾンビの襲撃を防衛するためには、有無を言わさずテレワーク化を迫られた事務関係部署、企業が膨大な数に上った。
東京の友人も通信関係の企業なのだが、ほぼ全社でテレワーク化が進み、会社に行くのは書類の受け渡しで週に一度程度だという。
ただ、テレワークには情報漏洩のリスクがあるので、使用するパソコンやネットワークには、厳格な規制がかかっているようだ。
こうしてテレワーク化を社会情勢に強要されてみれば、在宅勤務には一定の合理性があって、とりわけ通勤時間の負担が消えることは、社会がコロナ禍から回復したとしても、相当な割合で、勤務様式の変更を迫られることになりそうだ。
「もう満員電車に2時間も揺られて会社に行く苦痛を味わいたくない」
自由の味を覚えてしまった奴隷たちは、はたして鎖を元通りに身につけることができるのだろうか?
在宅勤務は、工場労働、現場労働を除いて、事務労働の大半に有益な変革をもたらした。いったん、こうした事態を半強制的であれ経験させられてしまえば、これまで習慣に縛られて考えてもいなかった勤務様式の合理的な変革を、誰もが真剣に考えるようになってしまう。
実際問題としては、「ものづくり」の現場にはテレワークが許されず、それに密着した情報処理を必要とする事務現場にも大きな変革は起きないだろうが、純粋な情報処理をメインにした企業では、ネット会議の密度を高めることで、テレワークの有効性が際立ってくる。
というより、一度「在宅勤務」の蜜の味に慣れてしまった労働者が、元の満員電車通勤に戻れるのかという問題だ。
人々は、純粋な仕事に関係する労力に比べて、通勤という非合理な足枷が、どれほど人生の自由を奪ってきたか、はっきりと見えてしまったわけだ。
だから、コロナ禍が去った後でも、勤務スタイルに巨大な革命が起きることを避けることはできない。
もちろん、通勤には附随して退社後の大衆酒場での楽しみとか、勤務現場での人間関係の楽しみとか、肯定的な要素もたくさんあるので、テレワークばかりが求められるわけではない。
そこで、いったい、どのような変化が起きるのか? 予想しておいた方が役に立つ。
私が予想するのは、コロナ禍後の勤務スタイルには、テレワークが、これまでの数倍の比重を占めるようになり、通勤で事務所に通うのは、週に二日とか三日になるような気がする。
すると、通勤の苦痛が和らぐわけだから、居住地がもう少し遠くても我慢できるようになる。通勤時には、カプセルホテルのような超廉価宿泊施設が利用されるようになり、テレワーク時には、東京から2時間以上かかる自然豊かな(例えば日光や箱根のような)地域が好まれるようになる。
テレワークは、自主的に勤務時間を増やす要素もあるが、自由時間が大幅に増えるのも必然だろう。
すると、国民全体にアウトドアライフの機運が一気に高まる。社会全体に「遊び」の空気が満ちてくる。
私は、自分の住む中津川市の課題として、名古屋から御嶽山を結ぶ自転車専用道を設け、途上に温泉施設、簡易宿泊施設、ボルダリングなど、遊びの拠点を作る構想を呼びかけているが、コロナ禍後は、実際に、こうしたニーズが高まるような気がしている。
この方が、莫大な電力を浪費するだけの「凄い日本」趣味のリニア新幹線のような構想よりも、ずっと現実的で健康的であり、外国からたくさんの若者たちを引き寄せる宝石のようなインフラになると考える。
つまり、テレワーク事業の伸展で余った時間を、どのように活かしてゆくのかという問題で、それは「凄い日本」を目指して時間を浪費するのではなく、「人に優しい健康な日本」を目指して余った時間を有効に使ってゆかねばならないということだ。
また、こうして若者たちが「過疎の田舎」に流入するようになれば、再び、農業のような第一次産業に回帰する若者たちも増えてくるはずだ。
活気の失われた過疎地に若者たちが移住してくることこそ、日本再生の第一歩なのだ。
現在、過疎地には放棄された田畑が無数にあって、大切な水源地を中国共産党の代理人が買い占めているような異様な状況がある。
また、自民党による狂気としか思えない、森林法改悪や、種苗法改悪の罠を突破するのは、まず過疎地、山の中に若者が住むことからしか始まらない。
https://blog.goo.ne.jp/koube-69/e/9b9a3f2d19a6ae4e927d18968cff4bbd
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakaatsuo/20190508-00125250/
このことがもたらす本当の恐ろしさを、自民党政権は(たぶん野党も)まるで理解していないので、まずは、若者たちが田舎に移住することが、日本の未来を守るために、どれだけ重要なことか理解する必要がある。
「ポツンと一軒家」こそ、子供たちの未来を守る要である。
こうして、テレワークは大都市に吸着された若者たちを、再び過疎の森林地帯に引き寄せてくれる効果があると考えられる。
私は、リニア新幹線のようなインフラが、過疎地救済に効果があるとは思わない。
過疎地を昔のように賑やかな居住地に回復するために本当に必要なものは、若者たちが過疎地を自由に通過できるインフラであり、数百キロも続く自転車専用道だと何度も指摘してきた。
私の意見に賛同してくれる人は、今までのところ、ほぼ皆無だが、私が間違っていたからではない。通勤時間に押しつぶされて、そんなことを考えるゆとりがなかったからだ。
私の住む中津川市は、1957年に映画「青い山脈」の舞台になったが、4月5月の景観は、本当に「青い山脈」に囲まれて、「なんで、こんな素晴らしい景観があるんだ」と感嘆するほど美しい。
https://www.youtube.com/watch?v=sqOhCVzclro
こんな土地で育った子供たちは、荒々しい山脈を見ながら雄大な骨太の人間になることだろう。半世紀以上昔は、森林や石材資源によって、たくさんの人々が暮らしていた。
しかし今では、2003年移住当初、日8本あったバス便が半分に減らされ、事実上、バスが使い物にならなくなって、過疎化が進み、人口も減少した。
だが、リニア開発などに頼らずとも、この大自然とともに生きる人々が必要なのだ。
私は、コロナ禍後の新しい勤務様式の革命に期待している。
