不本意な強制性交をされても、直後に服用すれば、ほぼ妊娠を阻止できて、日本以外の大半の国では、女性たちは薬局などで安価(無料も)で、容易に購入することができる「緊急避妊薬」が存在する。
(ヤッペ法 ホルモン配合剤ピル(エチニルエストラジオール+ノルゲストレル)を性交後72 時間以内に2 錠内服し、さらにその12 時間後に2 錠内服する。
レボノルゲストレル法 レボノルゲストレルという黄体ホルモン剤(150mg)を性交後72 時間以内に1回内服する)
ところが、日本では、医師の診断書と処方箋が必要で、とても高価なので、女子高生などが簡単に買えない。
この背景には、何があるのだろう?
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2020.09.29 昔の記事で発覚…低用量ピル承認前「男性たちが恐れたこと」の衝撃
44年経って認可された時代の記事を紐解く 福田 和子
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75982
ここ最近、日本の緊急避妊薬へのアクセスの悪さが話題になっている。緊急避妊薬を薬局で購入できるようにして欲しいという署名を、産婦人科医の遠見才希子さんやNPO法人ピルコンの染矢明日香さん、そして#なんでないのプロジェクトの福田和子さんが募った。
ちょうどに2ヵ月ほど前にはじめた署名は、9万人もの署名が集まっている。本サイトでもさまざまな執筆者がこの問題にフォーカスしており、先日も藤木桜子さんの記事が話題になったばかりだ。
緊急避妊薬とは、妊娠可能性のある性行為から遅くとも72時間以内、なるべく早く服用することで高い確率で妊娠を防ぐことができる薬だ。その薬の安全性と緊急性から、世界約90ヵ国で薬局で販売されている。それにもかかわらず日本では、いまだに処方箋が必要で、値段も1万円前後と高額だ。
これは日本が「子どもを産むか産まないか、産むならいつ産むのか」を妊娠する当事者の女性が決められない、決めにくい社会であることも表している。
しかし、この風潮は、実は今に始まった話ではい。
例えば、バイアグラは半年で承認されたにもかかわらず、経口避妊薬の認可には日本は世界でももっとも遅いといえる44年の年月がかかった。
さらに日本の避妊の歴史を振り返ると、もっと驚く内容が見えてくるのだ。福田和子さんが昔の記事も紐解いてリポートする。
日本と北朝鮮だけ。経口避妊薬承認までに44年…
女性が自分で使え、避妊の成功率も高い経口避妊薬が開発・発表されたのは、今から65年前の1955年。それからこの薬は、「女性解放の印」として世界各国の女性たちに歓迎された。
ピル解禁後、世界ではフェミニズム運動が盛んになる。写真は1977年ワシントンで開催された女性権利のデモ。
しかし、この時点ではホルモン含量が高く、副作用も多いことが課題でもあった。1970年代に入ると、日常的に使っても副作用が少ない「低用量ピル」が開発され、流通。
これにより、月経のコントロールを含む月経に関わる様々な問題から開放されるようになる。さらに、家族計画もしっかりたてられるようになり、『経口避妊薬は女性の社会進出と子育てという夢の両立を下支えした』という論文も海外では出るようになっていった。
一方日本はどうだったのだろうか。
1960年「月経異常などの治療薬」として中高用量ピルは販売され、1964年には『排卵抑制剤』という付帯説明がついたものも販売された。
しかしそれからまもなく、『排卵抑制』の用語が禁止となり、実質、月経異常の治療薬としてのみ存在するようになった。病院で月経異常と診断されない限り、入手することができない薬だったことになる。
その後、世界で『低用量ピル』が流通して10年以上経過した80年代、日本家族計画協会を筆頭に、低用量ピルを避妊の目的で認可できるように、水面下での動きがやっと始まった。
しかし、承認が見込まれては様々な理由で先送りされ続け、最終的に、低用量ピルの認可がないのは、「世界で北朝鮮と日本のみ」という驚くべき状況が生まれてしまった。
その後空白の期間が続き、日本で『低用量ピル』が承認されたのは1999年。すなわち、「経口避妊薬」が認可されるまでに、日本では開発から44年もの月日がかかったのだ。
44年もの間沈黙していたものが、なぜ承認されたのか……? その背景にあったのが、『バイアグラ』の異常なほどの早期承認だった。
死亡報告があっても異例の承認だった『バイアグラ』
「バイアグラ」とは、男性の勃起不全治療薬だ。この薬が市場に出回ったのは1998年3月、アメリカでのことだった。
アメリカ国内では爆発的人気を博し、発売直後は、大学病院に1日300人以上が行列するというニュースもあがっていた。しかし発売から4ヵ月、米国で処方された260万人のうち、死亡例が123人報告された。
日本では、その報告直後の7月に、インターネットで個人輸入をした60代男性が死亡した。しかし、こういった状況にも関わらず、死亡報告があった7月には承認申請が出され、12月には中央薬事審議会常任部会で承認、発売が決定された。
申請から承認まで半年も経たない、一般的に考えても異常なスピード承認だったのだ。
この件に関して厚労省は「バイアグラは治療薬で、生命に関わる疾患ではないが、患者さんにとっては深刻なことで他に治療薬がないから」というコメントを出している。
世界でも話題になるほど、日本で異例のスピードで認可された「バイアグラ」。
一方、承認が進まず、沈黙状態が続いている低用量ピルは、「健康人が服用する薬で、副作用の懸念は勿論、低用量ピルが避妊薬として使われることでエイズなど性感染症が蔓延する恐れもある」と説明をしている。
ちなみに、勃起不全治療薬がバイアグラ以外他にないというが、この時点で、日本には女性が自分で使えるホルモン避妊薬も存在していない。また、バイアグラが本当に「治療薬」と認識されていれば保険適用になるはずだが、承認が決まった直後、厚労省は保険適用しないことを発表している。
また、厚労省は低用量ピルの副作用に関しても言及していたが、当時、自分で避妊を試みる日本女性は、低用量ピルが入手できないために、『中高用量ピル』を服用するしかなかった。
この『中高用量ピル』は、副作用が重いため日常的に使う経口避妊薬としては世界では既に使われなくなっていた過去の薬だ。様々な研究班も日本における調査でその安全性を証明していたことも鑑みれば、「副作用が心配だから低用量ピルを認可しない」というのは辻褄が合わない。
さらに、「ピルの承認においては性感染症の蔓延が懸念される」というが、1999年の答弁で、厚労省保健医療局長は、「バイアグラの承認審議の際には性感染症の蔓延といった問題提起はなかった」とも発言している。
この事態は、国内外から大きく批判された。ある女性議員は「厚生省は男性に性の快楽を許しながら、女性にはピルを許さない。避妊できない妻に対して、夫はバイアグラを使うのか」と痛烈に批判した。
海外メディアも「男性が支配する社会における女性軽視」「日本は依然、男性による長老支配のまま」と報じた。
そして、1999年6月の国連総会で、日本政府は最大のプレッシャーを受けることになる。国連総会では1994年に採択された「セクシュアル・リプロダクティブヘルス・ライツ」「近代的避妊法の入手、使用の権利」の成果を確認する内容があった。日本は現状のままでは国際社会から大いに批判されることは明らかだった。
実際、国連総会のプレ会議的位置づけにあった1994年のハーグ国際フォーラムで、日本の女性議員がバイアグラは承認されながらピルの認可がない状況を伝えると、会場は水を売ったように静まり返った後、会場には驚愕と呆然の声に満ちたという。
国連総会で同じ事態は繰り返せないということで、1999年6月、バイアグラ承認の半年後に、低用量ピルが経口避妊薬として認可されたのである。
低用量ピル承認直前、男性たちが恐れたこととは
このように承認までに、驚くべき経緯と時間を辿った低用量ピルだが、承認が決まり、日本の男性たちは、このピルをどう受け止めていたのか。
承認前、幾度か国会内でも低用量ピルに関するやりとりがあった。政府側からは「コンドームは使用法が適切であれば避妊効果も十分高く、また、使用に当たって不可欠な男性の協力については、保健所等における新婚家庭等に対する指導を通じてその確保に努めている」といった答弁が繰り返されている。
しかし一般的に、実際コンドームの破損やピルの飲み忘れなどを加味した避妊成功率は、コンドームで82%、低用量ピルで91%と言われている。
この違いを前にしても、政府にとってはコンドームも「避妊効果は十分」だったし、1999年当時の話ではあるが、「新婚家庭等に対する指導」をすれば問題がないという考え方だった。
「男性の協力」が果たしてあったのかは、大いに疑問があるところではあるが、政府の答弁からはそれが主軸にしていたことが伺える。
ちなみに、世界的に確実な避妊と性感染症予防のためには、コンドームとピルなどを併用するダブルメゾット推奨されている。
またこういった思考は、政府だけでなく、メディアにもあった。1999年当時、性に関する主な情報源は雑誌だった。私は雑誌のみを集めた図書館で、低用量ピルに関して言及がある当時出版された雑誌の中身を、片っ端から調べたことがある。
その中には低用量ピル認可を男性目線で語った記事もあった。そこには、ピルが承認されるとどうなるのか、男性たちの本音も書かれていた。主な例をあげると以下の3つの内容のものが多かった。
1)女性が妊娠を恐れずにセックスできるようになり、女性が性に奔放になる。
2)セックスが女性主導という「女性上位革命」が起こる。
3)奔放になった女性たちによって男性が性感染症の危機にさらされる。
実際のタイトルはこんな感じだ。
「政府の『ピル解禁』で気になる妻の性・娘の性」(『週刊B』1986.2.27)
「お待たせピル、避妊も女性主導で不倫も加速」(『週刊Y』1999.3.21)
「警告 ついに恐怖の新「アマゾネス時代」へ 泣くのは男だ!ピル解禁SEXで起こるとんでもない深刻事態」!」(『週刊T』1999.3.29)
「近くピル解禁 男たちを、この恐怖が襲う!妊娠は心配ないが、性病がコワイ」(『週刊Y』1986.3.9)
「ピル解禁で SEX はこう変わる!妊娠の不安もなくオレたちはやりまくれるのか、それとも...」 (『週刊P』1986.4.7)
記事には、「これさえ飲んでいれば(女性が)いつでも、誰とでも、何回でも妊娠を恐れずにセックスをひたすらエンジョイできることになる」「産む、産まないが、完全に女性の手に握られ、男はセイコウなダッチ・ハズバンドになりさがる、と心配です...」「妊娠の恐怖を使った女性支配の終焉」「ピル解禁は男と女の力関係は全く違ったものになるだろう」(『週刊H』 1990)といった言葉が並ぶ。
性的表現のコンプライアンス的な部分は、現在とは異なるのでそのあたりは加味する必要はあるが、記事からは当時ピルによって女性が妊娠不安から解放されること、それは、「女性上位革命」という名の脅威と受け取られていたことも読み取れる。本来、女性が自身を守るために必要な当然の権利にすぎないのだが、男性にとっては「女性の性的自立を促し、性行為における主導権を男性から奪い、それによる性感染症蔓延を引き起こしかねない脅威」なのだと……。
当時は今と違って、ネット文化はなく、雑誌メディアが情報ツールの上位だった。この風潮は、研究者 が分析した、「日本男性は、ピルを飲むなどして自分の身体は自分で守るという明確な姿勢を持つ女性より、すべてを男性に任せる女性を好む」という態度とも合致するし、何より、公の審議の場で交わされた「認可されれば女性の性行動が活発になりエイズなどの性感染症の蔓延が危惧される」(1997年)という厚労省保健医療局長 の発言とも合致する。
ただ、ここで一点述べておきたいのは、ピルを飲んだだけで女性が男性の上位になれるなんてことはあり得ないということだ。ピルを飲んだとしても、飲み忘れなどもあり、完全に妊娠不安から解放されるのは難しい。そしてもし完全に解放されたとしても、そこでやっと妊娠不安という点だけで男性と同等になれるにすぎず、決して上位にはなれない。それを理解せず「女性上位」と感じてしまうのはなぜなのだろうか。
20年後にも、ほとんど変わらない発言が…
1997年、ピルの認可を求めて設立された「性と健康を考える女性専門家の会」という団体がある。設立時の呼びかけ人である堀口雅子医師は、当時ピル認可について検討するための公衆衛生審議会を傍聴し、「認可されれば女性の性行動が活発になりエイズなどの性感染症の蔓延が危惧される。
したがって認可すべきではない」という論調の議論を、「何度も“違う!”と声にならない声をあげ、こぶしを握りしめたことでしょう」と振り返っている。
実は1997年当時、何十人といる公衆衛生審議会のメンバーに、女性の委員はひとりもいなかったのだという。
それから約20年たった今、この社会は、どこまで変われているだろう。
私は昨年、緊急避妊薬のオンライン診療に関する検討会を傍聴した。検討会のメンバーの中で女性は、12人中1人である。20年経って、増えたのはひとりだ。
そして、交わされたやりとりは、
「望んでいない妊娠をターゲットにするということは、全ての人ということに結局はなってしまうので、そこをどのように整理するのか」
「(産婦人科の受診に関して)精神的な負担と言ってしまうという声もある。本当にそういう人もいるだろうし、そういう(セックス)名目でそれ(緊急避妊薬)をもらいに行く人たちも非常にふえてくる。つまり無制限に広がってしまう」
「避妊に対しての考え方が軽くなる」
「不適切な避妊方法は増えるのではないか」
「日本の環境というのは海外に比べ、今先進国の中でこれだけ性感染症がどんどんふえている環境もあって、緊急避妊薬のオンライン化によって利益を得られて、このことによってプラスの効果がある場合と、また逆にそのマイナス面が出てくる場合と、どちらが大きくなってしまうかというのは厳密にはちょっとわからないと思うんです」
「日本でこれだけ若い女性が性に関して知識がない状況で、それ(緊急避妊薬の薬局での入手)はできない」
20年前の議論となんらかわらない発言も少なくなく、衝撃を受けた。
自分たちが変えていかなければならない
先日、菅義偉新総裁、それに次ぐ最高幹部の党三役が決まった。全員男性、4人の平均年齢は72才。そして閣僚を見ても女性は20人中2人。国会議員全体を見ても、女性比率はやっと1割を超えたところだ。衆議院では1割を切る。
菅新内閣も女性は20人中2名だけだ。
もちろん、年齢や性別だけでその人の考えはわからないし、人の考えは学びによってはどんどん変化を遂げる。
実際、低用量ピルの審議でも、認可を進める国会質問をした中には男性もいた。しかし、今政治の中心にいる人たちの多くは、20年前、50代前後で、この記事でこれまで書いてきた、「男性社会が当たり前」の中に生きてきた方々だ。そして今も、彼らは周りを見渡せば男性だらけの環境にいる。
私は、過去の風潮や記事、発言を批判し、ひとつひとつを糾弾したいのではない。正直、読むだけでもショックを受けたし、悲しい記事だと落ち込みはしたが、「そんな意見が大手を振っていた現実」を見て欲しいのだ。
そして、上記にあげた記事のような価値観が当然だとされていた時代が確かにあり、もしかしたら当時の価値観のまま、変わっていないこともありうると知る必要がある。
そういった中、緊急避妊薬はもちろん、性教育やより確実な避妊法へのアクセスなど、女性が望むライフプランを叶えるために必須な知識や医療への課題は、相変わらず閉ざされ続けたままだ。出産費や不妊治療の減税などが議題として上がったことはせめてもの救いではあるが、敢えて言うならば、目に見えて国家にプラスになりそうなものだから、議題として上がったとは言えるかもしれない。
私たちはこの20年、どれだけ変わってこられたのだろう。そしてこれから次の20年、どのような未来を次の世代に残していけるのだろう。いや、私たちが変えていかなければならないのだ。
まだまだ「課題」という荷物は山積みだ。でも、未来のために、歩み続けなくては……。
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引用以上
上の記事に関してゴタクを並べる必要はないのだが、私は、儒教4カ国=中国・北朝鮮・韓国・日本・ベトナムでは、男性優位の社会であり、権威やメンツを重んじる国家主義に支配されていると説明してきた。
これらの国で、家父長制封建主義の既得利権が、21世紀の未だに社会の基底に巨大に横たわっていて、女性軽視、蔑視の価値観から逃れることができないでいることは上の記事を見れば、容易に理解することができる。
これらの国に共通するのは、儒教特有のメンツ社会であり、男尊女卑社会であり、人権軽視社会である。
「原始、女性は太陽であった」
と雷鳥が書いた本当の理由は、人類社会の初期段階では、必ず母系氏族社会が成立し、女性が解放され、社会のリーダーシップをとり、活躍する社会が存在したからなのだ。
それが、社会膨張による戦争多発と権力の成立によって男系氏族社会=男尊女卑社会に変化していった。
やがて、女性は「子を産むための道具」と決めつけられ、家父長制社会のハーレムに押し込められ、他の男に犯されただけで、投石で殺害されるような暗黒の時代が続いた。(旧約・レビ記)
イエスが登場したのは、この人間疎外を正すためだったのではないかと、私は思っている。
女性が解放されないかぎり、人間が解放されることはない。女性の人権の重さが増すとともに、人間社会は真の豊かさを取り戻してゆく。
日本では1970年前後に、ウーマンリブが大きな力を得たが、すぐに圧殺されていった。 実は、ウーマンリブ運動は、上の記事の「緊急避妊薬」の世界的な普及に触発された可能性があり、私は、このアフター・ピルが社会的に普及することで、再び、新たなウーマンリブ運動が登場してくることを期待しているのだ。
もしそうなれば、女性に対する暴力や、シングルマザーの貧困や、自殺問題に大きな問題解決の機運が訪れることになる。女性が、男性社会の奴隷ではなく、主役に躍り出る日が近づいていると信じている。
(ヤッペ法 ホルモン配合剤ピル(エチニルエストラジオール+ノルゲストレル)を性交後72 時間以内に2 錠内服し、さらにその12 時間後に2 錠内服する。
レボノルゲストレル法 レボノルゲストレルという黄体ホルモン剤(150mg)を性交後72 時間以内に1回内服する)
ところが、日本では、医師の診断書と処方箋が必要で、とても高価なので、女子高生などが簡単に買えない。
この背景には、何があるのだろう?
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2020.09.29 昔の記事で発覚…低用量ピル承認前「男性たちが恐れたこと」の衝撃
44年経って認可された時代の記事を紐解く 福田 和子
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/75982
ここ最近、日本の緊急避妊薬へのアクセスの悪さが話題になっている。緊急避妊薬を薬局で購入できるようにして欲しいという署名を、産婦人科医の遠見才希子さんやNPO法人ピルコンの染矢明日香さん、そして#なんでないのプロジェクトの福田和子さんが募った。
ちょうどに2ヵ月ほど前にはじめた署名は、9万人もの署名が集まっている。本サイトでもさまざまな執筆者がこの問題にフォーカスしており、先日も藤木桜子さんの記事が話題になったばかりだ。
緊急避妊薬とは、妊娠可能性のある性行為から遅くとも72時間以内、なるべく早く服用することで高い確率で妊娠を防ぐことができる薬だ。その薬の安全性と緊急性から、世界約90ヵ国で薬局で販売されている。それにもかかわらず日本では、いまだに処方箋が必要で、値段も1万円前後と高額だ。
これは日本が「子どもを産むか産まないか、産むならいつ産むのか」を妊娠する当事者の女性が決められない、決めにくい社会であることも表している。
しかし、この風潮は、実は今に始まった話ではい。
例えば、バイアグラは半年で承認されたにもかかわらず、経口避妊薬の認可には日本は世界でももっとも遅いといえる44年の年月がかかった。
さらに日本の避妊の歴史を振り返ると、もっと驚く内容が見えてくるのだ。福田和子さんが昔の記事も紐解いてリポートする。
日本と北朝鮮だけ。経口避妊薬承認までに44年…
女性が自分で使え、避妊の成功率も高い経口避妊薬が開発・発表されたのは、今から65年前の1955年。それからこの薬は、「女性解放の印」として世界各国の女性たちに歓迎された。
ピル解禁後、世界ではフェミニズム運動が盛んになる。写真は1977年ワシントンで開催された女性権利のデモ。
しかし、この時点ではホルモン含量が高く、副作用も多いことが課題でもあった。1970年代に入ると、日常的に使っても副作用が少ない「低用量ピル」が開発され、流通。
これにより、月経のコントロールを含む月経に関わる様々な問題から開放されるようになる。さらに、家族計画もしっかりたてられるようになり、『経口避妊薬は女性の社会進出と子育てという夢の両立を下支えした』という論文も海外では出るようになっていった。
一方日本はどうだったのだろうか。
1960年「月経異常などの治療薬」として中高用量ピルは販売され、1964年には『排卵抑制剤』という付帯説明がついたものも販売された。
しかしそれからまもなく、『排卵抑制』の用語が禁止となり、実質、月経異常の治療薬としてのみ存在するようになった。病院で月経異常と診断されない限り、入手することができない薬だったことになる。
その後、世界で『低用量ピル』が流通して10年以上経過した80年代、日本家族計画協会を筆頭に、低用量ピルを避妊の目的で認可できるように、水面下での動きがやっと始まった。
しかし、承認が見込まれては様々な理由で先送りされ続け、最終的に、低用量ピルの認可がないのは、「世界で北朝鮮と日本のみ」という驚くべき状況が生まれてしまった。
その後空白の期間が続き、日本で『低用量ピル』が承認されたのは1999年。すなわち、「経口避妊薬」が認可されるまでに、日本では開発から44年もの月日がかかったのだ。
44年もの間沈黙していたものが、なぜ承認されたのか……? その背景にあったのが、『バイアグラ』の異常なほどの早期承認だった。
死亡報告があっても異例の承認だった『バイアグラ』
「バイアグラ」とは、男性の勃起不全治療薬だ。この薬が市場に出回ったのは1998年3月、アメリカでのことだった。
アメリカ国内では爆発的人気を博し、発売直後は、大学病院に1日300人以上が行列するというニュースもあがっていた。しかし発売から4ヵ月、米国で処方された260万人のうち、死亡例が123人報告された。
日本では、その報告直後の7月に、インターネットで個人輸入をした60代男性が死亡した。しかし、こういった状況にも関わらず、死亡報告があった7月には承認申請が出され、12月には中央薬事審議会常任部会で承認、発売が決定された。
申請から承認まで半年も経たない、一般的に考えても異常なスピード承認だったのだ。
この件に関して厚労省は「バイアグラは治療薬で、生命に関わる疾患ではないが、患者さんにとっては深刻なことで他に治療薬がないから」というコメントを出している。
世界でも話題になるほど、日本で異例のスピードで認可された「バイアグラ」。
一方、承認が進まず、沈黙状態が続いている低用量ピルは、「健康人が服用する薬で、副作用の懸念は勿論、低用量ピルが避妊薬として使われることでエイズなど性感染症が蔓延する恐れもある」と説明をしている。
ちなみに、勃起不全治療薬がバイアグラ以外他にないというが、この時点で、日本には女性が自分で使えるホルモン避妊薬も存在していない。また、バイアグラが本当に「治療薬」と認識されていれば保険適用になるはずだが、承認が決まった直後、厚労省は保険適用しないことを発表している。
また、厚労省は低用量ピルの副作用に関しても言及していたが、当時、自分で避妊を試みる日本女性は、低用量ピルが入手できないために、『中高用量ピル』を服用するしかなかった。
この『中高用量ピル』は、副作用が重いため日常的に使う経口避妊薬としては世界では既に使われなくなっていた過去の薬だ。様々な研究班も日本における調査でその安全性を証明していたことも鑑みれば、「副作用が心配だから低用量ピルを認可しない」というのは辻褄が合わない。
さらに、「ピルの承認においては性感染症の蔓延が懸念される」というが、1999年の答弁で、厚労省保健医療局長は、「バイアグラの承認審議の際には性感染症の蔓延といった問題提起はなかった」とも発言している。
この事態は、国内外から大きく批判された。ある女性議員は「厚生省は男性に性の快楽を許しながら、女性にはピルを許さない。避妊できない妻に対して、夫はバイアグラを使うのか」と痛烈に批判した。
海外メディアも「男性が支配する社会における女性軽視」「日本は依然、男性による長老支配のまま」と報じた。
そして、1999年6月の国連総会で、日本政府は最大のプレッシャーを受けることになる。国連総会では1994年に採択された「セクシュアル・リプロダクティブヘルス・ライツ」「近代的避妊法の入手、使用の権利」の成果を確認する内容があった。日本は現状のままでは国際社会から大いに批判されることは明らかだった。
実際、国連総会のプレ会議的位置づけにあった1994年のハーグ国際フォーラムで、日本の女性議員がバイアグラは承認されながらピルの認可がない状況を伝えると、会場は水を売ったように静まり返った後、会場には驚愕と呆然の声に満ちたという。
国連総会で同じ事態は繰り返せないということで、1999年6月、バイアグラ承認の半年後に、低用量ピルが経口避妊薬として認可されたのである。
低用量ピル承認直前、男性たちが恐れたこととは
このように承認までに、驚くべき経緯と時間を辿った低用量ピルだが、承認が決まり、日本の男性たちは、このピルをどう受け止めていたのか。
承認前、幾度か国会内でも低用量ピルに関するやりとりがあった。政府側からは「コンドームは使用法が適切であれば避妊効果も十分高く、また、使用に当たって不可欠な男性の協力については、保健所等における新婚家庭等に対する指導を通じてその確保に努めている」といった答弁が繰り返されている。
しかし一般的に、実際コンドームの破損やピルの飲み忘れなどを加味した避妊成功率は、コンドームで82%、低用量ピルで91%と言われている。
この違いを前にしても、政府にとってはコンドームも「避妊効果は十分」だったし、1999年当時の話ではあるが、「新婚家庭等に対する指導」をすれば問題がないという考え方だった。
「男性の協力」が果たしてあったのかは、大いに疑問があるところではあるが、政府の答弁からはそれが主軸にしていたことが伺える。
ちなみに、世界的に確実な避妊と性感染症予防のためには、コンドームとピルなどを併用するダブルメゾット推奨されている。
またこういった思考は、政府だけでなく、メディアにもあった。1999年当時、性に関する主な情報源は雑誌だった。私は雑誌のみを集めた図書館で、低用量ピルに関して言及がある当時出版された雑誌の中身を、片っ端から調べたことがある。
その中には低用量ピル認可を男性目線で語った記事もあった。そこには、ピルが承認されるとどうなるのか、男性たちの本音も書かれていた。主な例をあげると以下の3つの内容のものが多かった。
1)女性が妊娠を恐れずにセックスできるようになり、女性が性に奔放になる。
2)セックスが女性主導という「女性上位革命」が起こる。
3)奔放になった女性たちによって男性が性感染症の危機にさらされる。
実際のタイトルはこんな感じだ。
「政府の『ピル解禁』で気になる妻の性・娘の性」(『週刊B』1986.2.27)
「お待たせピル、避妊も女性主導で不倫も加速」(『週刊Y』1999.3.21)
「警告 ついに恐怖の新「アマゾネス時代」へ 泣くのは男だ!ピル解禁SEXで起こるとんでもない深刻事態」!」(『週刊T』1999.3.29)
「近くピル解禁 男たちを、この恐怖が襲う!妊娠は心配ないが、性病がコワイ」(『週刊Y』1986.3.9)
「ピル解禁で SEX はこう変わる!妊娠の不安もなくオレたちはやりまくれるのか、それとも...」 (『週刊P』1986.4.7)
記事には、「これさえ飲んでいれば(女性が)いつでも、誰とでも、何回でも妊娠を恐れずにセックスをひたすらエンジョイできることになる」「産む、産まないが、完全に女性の手に握られ、男はセイコウなダッチ・ハズバンドになりさがる、と心配です...」「妊娠の恐怖を使った女性支配の終焉」「ピル解禁は男と女の力関係は全く違ったものになるだろう」(『週刊H』 1990)といった言葉が並ぶ。
性的表現のコンプライアンス的な部分は、現在とは異なるのでそのあたりは加味する必要はあるが、記事からは当時ピルによって女性が妊娠不安から解放されること、それは、「女性上位革命」という名の脅威と受け取られていたことも読み取れる。本来、女性が自身を守るために必要な当然の権利にすぎないのだが、男性にとっては「女性の性的自立を促し、性行為における主導権を男性から奪い、それによる性感染症蔓延を引き起こしかねない脅威」なのだと……。
当時は今と違って、ネット文化はなく、雑誌メディアが情報ツールの上位だった。この風潮は、研究者 が分析した、「日本男性は、ピルを飲むなどして自分の身体は自分で守るという明確な姿勢を持つ女性より、すべてを男性に任せる女性を好む」という態度とも合致するし、何より、公の審議の場で交わされた「認可されれば女性の性行動が活発になりエイズなどの性感染症の蔓延が危惧される」(1997年)という厚労省保健医療局長 の発言とも合致する。
ただ、ここで一点述べておきたいのは、ピルを飲んだだけで女性が男性の上位になれるなんてことはあり得ないということだ。ピルを飲んだとしても、飲み忘れなどもあり、完全に妊娠不安から解放されるのは難しい。そしてもし完全に解放されたとしても、そこでやっと妊娠不安という点だけで男性と同等になれるにすぎず、決して上位にはなれない。それを理解せず「女性上位」と感じてしまうのはなぜなのだろうか。
20年後にも、ほとんど変わらない発言が…
1997年、ピルの認可を求めて設立された「性と健康を考える女性専門家の会」という団体がある。設立時の呼びかけ人である堀口雅子医師は、当時ピル認可について検討するための公衆衛生審議会を傍聴し、「認可されれば女性の性行動が活発になりエイズなどの性感染症の蔓延が危惧される。
したがって認可すべきではない」という論調の議論を、「何度も“違う!”と声にならない声をあげ、こぶしを握りしめたことでしょう」と振り返っている。
実は1997年当時、何十人といる公衆衛生審議会のメンバーに、女性の委員はひとりもいなかったのだという。
それから約20年たった今、この社会は、どこまで変われているだろう。
私は昨年、緊急避妊薬のオンライン診療に関する検討会を傍聴した。検討会のメンバーの中で女性は、12人中1人である。20年経って、増えたのはひとりだ。
そして、交わされたやりとりは、
「望んでいない妊娠をターゲットにするということは、全ての人ということに結局はなってしまうので、そこをどのように整理するのか」
「(産婦人科の受診に関して)精神的な負担と言ってしまうという声もある。本当にそういう人もいるだろうし、そういう(セックス)名目でそれ(緊急避妊薬)をもらいに行く人たちも非常にふえてくる。つまり無制限に広がってしまう」
「避妊に対しての考え方が軽くなる」
「不適切な避妊方法は増えるのではないか」
「日本の環境というのは海外に比べ、今先進国の中でこれだけ性感染症がどんどんふえている環境もあって、緊急避妊薬のオンライン化によって利益を得られて、このことによってプラスの効果がある場合と、また逆にそのマイナス面が出てくる場合と、どちらが大きくなってしまうかというのは厳密にはちょっとわからないと思うんです」
「日本でこれだけ若い女性が性に関して知識がない状況で、それ(緊急避妊薬の薬局での入手)はできない」
20年前の議論となんらかわらない発言も少なくなく、衝撃を受けた。
自分たちが変えていかなければならない
先日、菅義偉新総裁、それに次ぐ最高幹部の党三役が決まった。全員男性、4人の平均年齢は72才。そして閣僚を見ても女性は20人中2人。国会議員全体を見ても、女性比率はやっと1割を超えたところだ。衆議院では1割を切る。
菅新内閣も女性は20人中2名だけだ。
もちろん、年齢や性別だけでその人の考えはわからないし、人の考えは学びによってはどんどん変化を遂げる。
実際、低用量ピルの審議でも、認可を進める国会質問をした中には男性もいた。しかし、今政治の中心にいる人たちの多くは、20年前、50代前後で、この記事でこれまで書いてきた、「男性社会が当たり前」の中に生きてきた方々だ。そして今も、彼らは周りを見渡せば男性だらけの環境にいる。
私は、過去の風潮や記事、発言を批判し、ひとつひとつを糾弾したいのではない。正直、読むだけでもショックを受けたし、悲しい記事だと落ち込みはしたが、「そんな意見が大手を振っていた現実」を見て欲しいのだ。
そして、上記にあげた記事のような価値観が当然だとされていた時代が確かにあり、もしかしたら当時の価値観のまま、変わっていないこともありうると知る必要がある。
そういった中、緊急避妊薬はもちろん、性教育やより確実な避妊法へのアクセスなど、女性が望むライフプランを叶えるために必須な知識や医療への課題は、相変わらず閉ざされ続けたままだ。出産費や不妊治療の減税などが議題として上がったことはせめてもの救いではあるが、敢えて言うならば、目に見えて国家にプラスになりそうなものだから、議題として上がったとは言えるかもしれない。
私たちはこの20年、どれだけ変わってこられたのだろう。そしてこれから次の20年、どのような未来を次の世代に残していけるのだろう。いや、私たちが変えていかなければならないのだ。
まだまだ「課題」という荷物は山積みだ。でも、未来のために、歩み続けなくては……。
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引用以上
上の記事に関してゴタクを並べる必要はないのだが、私は、儒教4カ国=中国・北朝鮮・韓国・日本・ベトナムでは、男性優位の社会であり、権威やメンツを重んじる国家主義に支配されていると説明してきた。
これらの国で、家父長制封建主義の既得利権が、21世紀の未だに社会の基底に巨大に横たわっていて、女性軽視、蔑視の価値観から逃れることができないでいることは上の記事を見れば、容易に理解することができる。
これらの国に共通するのは、儒教特有のメンツ社会であり、男尊女卑社会であり、人権軽視社会である。
「原始、女性は太陽であった」
と雷鳥が書いた本当の理由は、人類社会の初期段階では、必ず母系氏族社会が成立し、女性が解放され、社会のリーダーシップをとり、活躍する社会が存在したからなのだ。
それが、社会膨張による戦争多発と権力の成立によって男系氏族社会=男尊女卑社会に変化していった。
やがて、女性は「子を産むための道具」と決めつけられ、家父長制社会のハーレムに押し込められ、他の男に犯されただけで、投石で殺害されるような暗黒の時代が続いた。(旧約・レビ記)
イエスが登場したのは、この人間疎外を正すためだったのではないかと、私は思っている。
女性が解放されないかぎり、人間が解放されることはない。女性の人権の重さが増すとともに、人間社会は真の豊かさを取り戻してゆく。
日本では1970年前後に、ウーマンリブが大きな力を得たが、すぐに圧殺されていった。 実は、ウーマンリブ運動は、上の記事の「緊急避妊薬」の世界的な普及に触発された可能性があり、私は、このアフター・ピルが社会的に普及することで、再び、新たなウーマンリブ運動が登場してくることを期待しているのだ。
もしそうなれば、女性に対する暴力や、シングルマザーの貧困や、自殺問題に大きな問題解決の機運が訪れることになる。女性が、男性社会の奴隷ではなく、主役に躍り出る日が近づいていると信じている。