2021年9月29日 17時37分ごろ、震源地は日本海中部 マグニチュード 6.1 深さ400km 北緯38.8度/東経135.5度
当地中津川では、前日の夕焼けに異様な赤さが目立っていた程度で、明瞭な前兆現象を捉えることができなかった。ただ、数日前からスマホメールの異常送受信が確認できていた。
広い範囲で震度1~3の揺れがあったが、これが「隠された巨大断層」の下で起きた特異的地震であることを知る人は少ない。
もう20年くらい前だが、当時、琉球大学木村政昭氏が、「日本列島断層」を提唱した。
http://kimuramasaaki.sakura.ne.jp/site2/2016/05/22/1389/
日本列島断層は、台湾から九州を経て四国、紀伊半島、南信、山梨県、埼玉県、千葉県へと続く、日本最大の断層「中央構造線」から、淡路島で野島断層を分岐して北上し、琵琶湖、能登半島、佐渡島を経て、奥尻から樺太に延びるサンアンドレアス断層なみの超巨大断層である。
そもそも、北米大陸にサンアンドレアス断層が存在しているなら、アジアにも同様の巨大断層があっても当然であり、おそらく未発見の巨大断層はたくさんあるはずだ。
この断層界隈の地層を見ると、野島断層から淀川、琵琶湖を経て福井県、能登半島へと続いていて、途中に、巨大断層の活動がもたらす典型的な地形である若狭リアス式海岸、東尋坊断層崖、能登・佐渡の地溝帯など、まさに長大な巨大断層であることを証明する、たくさんの証拠地形が見え隠れしている。
巨大断層帯の巨大地震は、非常に多くの場合、近郊に大規模な陥没地形を生み出していることから、素人目に見ても、日本列島断層の実在性は、一目瞭然といえる。
また、この巨大断層の活動として、1995年阪神大震災、1909年姉川(長浜)地震、1948年福井大地震、1983年秋田沖の日本海中部地震、1993年奥尻島地震など、たくさんの深刻な被害を伴った巨大地震を引き起こしている。さらに琵琶湖西岸地震帯など、超一級危険断層も確認されている。1891年の濃尾地震も派生地震である可能性が強い。
それなのに、地震学会、地質学会ともに、この日本列島断層を公式に認めている学者がほとんどいないのだ。検索してみても、木村政昭氏のホームページ以外に触れている学説は、ほぼない。
木村政昭、日本列島断層説は、いわば与太学説扱いされ、無視されてきたのだ。なぜか?
その謎は、もし、これが日本最大の巨大断層であり、阪神大震災から奥尻地震まで、一連の巨大断層による活動であるとするなら、木村氏が描いた構造線の真上に位置している若狭一帯の関西電力原子力発電施設のすべてが大きな危険を伴っていることになることが示唆しているように思える。
関電や核兵器開発を目指す、日本政府の高速増殖炉、ふげん、もんじゅのような施設は絶対に許されないことになってしまう。
だから、政府も関電も、この断層の存在を絶対に認めてはならないのだ。
長年、関西電力の体質を見てきた者ならば、関電が、この種の企業活動を阻害する可能性のある学説を硬軟両面の手口で潰すことが容易に予想できる。
そもそも関西電力とう企業は、本当に恐ろしい反社会的組織である。とうてい電力という公共サービスを担うような企業体ではない。
関電という会社は、日本の古い暴力団と密接な関係があるどころか、半世紀前には、企業幹部が山口組の舎弟=構成員だったことさえある。当時の幹部連中が入墨を入れて、見せびらかしていた現場を目撃したこともある。
それは、戦前の日電時代からのダム工事=タコ部屋供給のシステム、そして1960年代以降、原発の被曝作業員の時代から、暴力団手配師との癒着なくして成り立たないような事業を続けてきたせいだ。
2009年7月13日 ●ダム問題 その5 2009年07月13日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-182.html
1980年代に、私は堀江氏の原発ジプシーの二番煎じルポを狙って、放射線取扱主任者や非破壊検査など20種類近い資格を取得して関電原発に潜入しようとしたが、門前で、警備に阻止された。理由は、私にベ平連デモでの逮捕歴があったからだ。
関電は暴力団山口組と癒着する一方で、反社会的なやり口を隠蔽するために、警察官、検察官、裁判官などの天下り先ポストを大量に作って受け入れていた。だから、警察のブラックリスト、データベースを利用することなど朝飯前だったのだ。
私のような反原発活動家を阻止するくらいなら、まだしも、関電の役員は、反原発姿勢を見せた地元の町長を暗殺する司令を出していたことが暴露された。
地元警察も関電に買収されていたので、その事件は明るみに出ても立件されなかった。
反原発町長を、はよ殺さんかい! 2019年10月01日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-887.html
この事件の当時というより、1960年~2020年まで半世紀以上にわたる関西電力のやり方には、コンプライアンス遵守などカケラもなくて、暗殺、嫌がらせ、買収など、まさに典型的な暴力団、悪徳企業であった。
どろどろに腐り落ちた死体=関西電力 2020年03月20日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1066.html
その関電に買収された側の、地元自治体町もひどかった。「パンティ泥棒大臣」といわれた高木毅の父親、高木孝一(敦賀市長)は、地元での講演会で、こう述べた。
【「50年後、100年後に生まれる子どもがカタワになるかは分からない。分からないけれど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか。】
https://yaruzou.net/genpatsu-goroku-takagi-kouichi
今でも、関電原発群のある若狭地方の自治体首長のほとんどが、目先に金が入れば、子供たちの未来など、何の興味もない御仁ばかりが揃っている。
高木氏の敦賀市はとくにひどい。この真下に世界最大級の超巨大断層が存在することにも、ほとんど関心がない。
敦賀市の地震計は、震度3以上の記録を出さないことで知られている。
福井地震の恐怖 2020年09月06日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1240.html
地震計を揺れの少ない岩盤に設置して、震度を小さく見せかけているのだ。反原発町長を殺せというくらいだから、こんな工作など朝飯前だ。
原子力規制委員会も、関電の原子炉の断層データ改竄に対して、怒ってみせるポーズを取るしかなかった。
敦賀原発の断層「生データ」無断で書き換え 日本原電 川田俊男 2020年2月7日
https://www.asahi.com/articles/ASN277D2WN27ULBJ010.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E3%81%AE%E4%BA%8B%E6%95%85%E9%9A%A0%E3%81%97%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E6%94%B9%E3%81%96%E3%82%93%E4%B8%80%E8%A6%A7
ちなみに、高速増殖炉、もんじゅ、ふげん、敦賀原発は同じ敷地内にあり、人事も交流があって、日本原電や動燃、開発機構は名称は違っていても、ほとんど同一の事業体である。
この連中が、木村政昭氏の「日本列島断層説」を、学会への寄付金、援助金や恫喝を使って、表に出ないよう潰してきたのだ。
さて、今回の日本海能登沖M6.1地震の意味だが、400キロという深発地震は、もっと浅い巨大地震の前兆と考えるべきだという論文が出ている。
https://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou11/03_02.pdf
PDFなのでダウンロードが必要になるが、一部を抜き書きすると、
,1 9 0 9 年の地震は1 9 5 3 年の房総沖地震と同様日本海溝―伊豆・小笠原海溝系( アジアプレートと太平洋プレートの境界)に沿う比較的浅い巨大地震であったと考えられる。第1 図上は1 9 5 3 年の房総沖地震の前後ほぼ4 0 年間( 1 9 3 0 - 1 9 7 0 )で起こったM が7 以上の大きい深発地震を黒丸で示したものであるが,1 9 5 3 年の大地震の前後である1 9 5 2 年と1 9 5 4 年の2 回しか起こっていない( 資料は勝又4 ))。第1 図下は1 9 0 9年の地震の場合で,その前後約3 0 年間( 1 9 0 0 ~ 1 9 2 8 )に起こったM 7 以上の大きい深発地震は,1 9 0 5 年( M1/4, 深さ2 5 0 ㎞ ),1 9 0 6 年( M 8.4, 深さ3 4 0 ㎞ )及び1910 年( M 7 . 4深さ3 5 0 ㎞ )の3 回でやはり1 9 0 9 年の大地震の前後に集中して起こっている( 資料は D u d a 2 ))。ただし,今世紀に入って上述のもの以外にM 7 以上の深発大地震が1 回起こっていることも付記しておきたい。とは言え,深い大きい地震がこの地域の浅い巨大地震の前兆活動の一つとして注目すべきものと考えてよいだろう。
著者4 )はまた,さきに巨大地震の発生に先立ってその震源域となる領域の周辺の広大な地域の地震活動が著しく活発化する傾向があり,これを広い意味の前震活動と呼ぶべきことを述べた。第2 図にそのよい例として東南海,南海道の両大地震の場合を示した。第2 図A,B は両地震及びその著しい余震活動期間の前後約2 0 年間についてのM 6 以上の地震の分布を示したので,大きい丸はM 7 以上を示す。大地震の前の期間( A )( とくに直前のものを黒丸で示した)において周辺部で著しく地震活動が活発であったことが認められ,しかもこの活動は大地震発生とともに終息した。
第3 図は1 9 5 3 年の房総沖地震( 及びその余震期間)前後の周辺の地震活動の変化を示したものであるが,同じように広義の前震活動とも呼ぶべきものが,関東東部から房総,銚子沖にかけて起こっていることが認められる。( 大きい丸はM 6 以上,小さい丸はM 5 . 5 以上を示す)。
特に,注目すべきことは,大地震の直前に房総半島中部乃至その沖合で活動が活発化していることである。( これらの直前の地震を第3 図上で黒丸で示した)。このような見方で,今後,銚子沖から関東東部の地震活動の動向を見守ることも必要であろう。
****************************************************************
引用以上
上のPDFに詳細が書かれているが、1953年の房総沖巨大地震の前兆として相模トラフ~南海トラフで、深発大地震が続いたことを示している。
となると、今回の日本海中部(能登沖)地震は、今後、日本列島断層での巨大地震の前兆として捉えるべきだろう。
もう一度、能登半島と佐渡島の中央部に見える東西の巨大な地溝帯を見ながら、日本列島断層の存在に思いを馳せていただきたい。
当地中津川では、前日の夕焼けに異様な赤さが目立っていた程度で、明瞭な前兆現象を捉えることができなかった。ただ、数日前からスマホメールの異常送受信が確認できていた。
広い範囲で震度1~3の揺れがあったが、これが「隠された巨大断層」の下で起きた特異的地震であることを知る人は少ない。
もう20年くらい前だが、当時、琉球大学木村政昭氏が、「日本列島断層」を提唱した。
http://kimuramasaaki.sakura.ne.jp/site2/2016/05/22/1389/
日本列島断層は、台湾から九州を経て四国、紀伊半島、南信、山梨県、埼玉県、千葉県へと続く、日本最大の断層「中央構造線」から、淡路島で野島断層を分岐して北上し、琵琶湖、能登半島、佐渡島を経て、奥尻から樺太に延びるサンアンドレアス断層なみの超巨大断層である。
そもそも、北米大陸にサンアンドレアス断層が存在しているなら、アジアにも同様の巨大断層があっても当然であり、おそらく未発見の巨大断層はたくさんあるはずだ。
この断層界隈の地層を見ると、野島断層から淀川、琵琶湖を経て福井県、能登半島へと続いていて、途中に、巨大断層の活動がもたらす典型的な地形である若狭リアス式海岸、東尋坊断層崖、能登・佐渡の地溝帯など、まさに長大な巨大断層であることを証明する、たくさんの証拠地形が見え隠れしている。
巨大断層帯の巨大地震は、非常に多くの場合、近郊に大規模な陥没地形を生み出していることから、素人目に見ても、日本列島断層の実在性は、一目瞭然といえる。
また、この巨大断層の活動として、1995年阪神大震災、1909年姉川(長浜)地震、1948年福井大地震、1983年秋田沖の日本海中部地震、1993年奥尻島地震など、たくさんの深刻な被害を伴った巨大地震を引き起こしている。さらに琵琶湖西岸地震帯など、超一級危険断層も確認されている。1891年の濃尾地震も派生地震である可能性が強い。
それなのに、地震学会、地質学会ともに、この日本列島断層を公式に認めている学者がほとんどいないのだ。検索してみても、木村政昭氏のホームページ以外に触れている学説は、ほぼない。
木村政昭、日本列島断層説は、いわば与太学説扱いされ、無視されてきたのだ。なぜか?
その謎は、もし、これが日本最大の巨大断層であり、阪神大震災から奥尻地震まで、一連の巨大断層による活動であるとするなら、木村氏が描いた構造線の真上に位置している若狭一帯の関西電力原子力発電施設のすべてが大きな危険を伴っていることになることが示唆しているように思える。
関電や核兵器開発を目指す、日本政府の高速増殖炉、ふげん、もんじゅのような施設は絶対に許されないことになってしまう。
だから、政府も関電も、この断層の存在を絶対に認めてはならないのだ。
長年、関西電力の体質を見てきた者ならば、関電が、この種の企業活動を阻害する可能性のある学説を硬軟両面の手口で潰すことが容易に予想できる。
そもそも関西電力とう企業は、本当に恐ろしい反社会的組織である。とうてい電力という公共サービスを担うような企業体ではない。
関電という会社は、日本の古い暴力団と密接な関係があるどころか、半世紀前には、企業幹部が山口組の舎弟=構成員だったことさえある。当時の幹部連中が入墨を入れて、見せびらかしていた現場を目撃したこともある。
それは、戦前の日電時代からのダム工事=タコ部屋供給のシステム、そして1960年代以降、原発の被曝作業員の時代から、暴力団手配師との癒着なくして成り立たないような事業を続けてきたせいだ。
2009年7月13日 ●ダム問題 その5 2009年07月13日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-182.html
1980年代に、私は堀江氏の原発ジプシーの二番煎じルポを狙って、放射線取扱主任者や非破壊検査など20種類近い資格を取得して関電原発に潜入しようとしたが、門前で、警備に阻止された。理由は、私にベ平連デモでの逮捕歴があったからだ。
関電は暴力団山口組と癒着する一方で、反社会的なやり口を隠蔽するために、警察官、検察官、裁判官などの天下り先ポストを大量に作って受け入れていた。だから、警察のブラックリスト、データベースを利用することなど朝飯前だったのだ。
私のような反原発活動家を阻止するくらいなら、まだしも、関電の役員は、反原発姿勢を見せた地元の町長を暗殺する司令を出していたことが暴露された。
地元警察も関電に買収されていたので、その事件は明るみに出ても立件されなかった。
反原発町長を、はよ殺さんかい! 2019年10月01日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-887.html
この事件の当時というより、1960年~2020年まで半世紀以上にわたる関西電力のやり方には、コンプライアンス遵守などカケラもなくて、暗殺、嫌がらせ、買収など、まさに典型的な暴力団、悪徳企業であった。
どろどろに腐り落ちた死体=関西電力 2020年03月20日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1066.html
その関電に買収された側の、地元自治体町もひどかった。「パンティ泥棒大臣」といわれた高木毅の父親、高木孝一(敦賀市長)は、地元での講演会で、こう述べた。
【「50年後、100年後に生まれる子どもがカタワになるかは分からない。分からないけれど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか。】
https://yaruzou.net/genpatsu-goroku-takagi-kouichi
今でも、関電原発群のある若狭地方の自治体首長のほとんどが、目先に金が入れば、子供たちの未来など、何の興味もない御仁ばかりが揃っている。
高木氏の敦賀市はとくにひどい。この真下に世界最大級の超巨大断層が存在することにも、ほとんど関心がない。
敦賀市の地震計は、震度3以上の記録を出さないことで知られている。
福井地震の恐怖 2020年09月06日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1240.html
地震計を揺れの少ない岩盤に設置して、震度を小さく見せかけているのだ。反原発町長を殺せというくらいだから、こんな工作など朝飯前だ。
原子力規制委員会も、関電の原子炉の断層データ改竄に対して、怒ってみせるポーズを取るしかなかった。
敦賀原発の断層「生データ」無断で書き換え 日本原電 川田俊男 2020年2月7日
https://www.asahi.com/articles/ASN277D2WN27ULBJ010.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E3%81%AE%E4%BA%8B%E6%95%85%E9%9A%A0%E3%81%97%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF%E6%94%B9%E3%81%96%E3%82%93%E4%B8%80%E8%A6%A7
ちなみに、高速増殖炉、もんじゅ、ふげん、敦賀原発は同じ敷地内にあり、人事も交流があって、日本原電や動燃、開発機構は名称は違っていても、ほとんど同一の事業体である。
この連中が、木村政昭氏の「日本列島断層説」を、学会への寄付金、援助金や恫喝を使って、表に出ないよう潰してきたのだ。
さて、今回の日本海能登沖M6.1地震の意味だが、400キロという深発地震は、もっと浅い巨大地震の前兆と考えるべきだという論文が出ている。
https://cais.gsi.go.jp/YOCHIREN/report/kaihou11/03_02.pdf
PDFなのでダウンロードが必要になるが、一部を抜き書きすると、
,1 9 0 9 年の地震は1 9 5 3 年の房総沖地震と同様日本海溝―伊豆・小笠原海溝系( アジアプレートと太平洋プレートの境界)に沿う比較的浅い巨大地震であったと考えられる。第1 図上は1 9 5 3 年の房総沖地震の前後ほぼ4 0 年間( 1 9 3 0 - 1 9 7 0 )で起こったM が7 以上の大きい深発地震を黒丸で示したものであるが,1 9 5 3 年の大地震の前後である1 9 5 2 年と1 9 5 4 年の2 回しか起こっていない( 資料は勝又4 ))。第1 図下は1 9 0 9年の地震の場合で,その前後約3 0 年間( 1 9 0 0 ~ 1 9 2 8 )に起こったM 7 以上の大きい深発地震は,1 9 0 5 年( M1/4, 深さ2 5 0 ㎞ ),1 9 0 6 年( M 8.4, 深さ3 4 0 ㎞ )及び1910 年( M 7 . 4深さ3 5 0 ㎞ )の3 回でやはり1 9 0 9 年の大地震の前後に集中して起こっている( 資料は D u d a 2 ))。ただし,今世紀に入って上述のもの以外にM 7 以上の深発大地震が1 回起こっていることも付記しておきたい。とは言え,深い大きい地震がこの地域の浅い巨大地震の前兆活動の一つとして注目すべきものと考えてよいだろう。
著者4 )はまた,さきに巨大地震の発生に先立ってその震源域となる領域の周辺の広大な地域の地震活動が著しく活発化する傾向があり,これを広い意味の前震活動と呼ぶべきことを述べた。第2 図にそのよい例として東南海,南海道の両大地震の場合を示した。第2 図A,B は両地震及びその著しい余震活動期間の前後約2 0 年間についてのM 6 以上の地震の分布を示したので,大きい丸はM 7 以上を示す。大地震の前の期間( A )( とくに直前のものを黒丸で示した)において周辺部で著しく地震活動が活発であったことが認められ,しかもこの活動は大地震発生とともに終息した。
第3 図は1 9 5 3 年の房総沖地震( 及びその余震期間)前後の周辺の地震活動の変化を示したものであるが,同じように広義の前震活動とも呼ぶべきものが,関東東部から房総,銚子沖にかけて起こっていることが認められる。( 大きい丸はM 6 以上,小さい丸はM 5 . 5 以上を示す)。
特に,注目すべきことは,大地震の直前に房総半島中部乃至その沖合で活動が活発化していることである。( これらの直前の地震を第3 図上で黒丸で示した)。このような見方で,今後,銚子沖から関東東部の地震活動の動向を見守ることも必要であろう。
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引用以上
上のPDFに詳細が書かれているが、1953年の房総沖巨大地震の前兆として相模トラフ~南海トラフで、深発大地震が続いたことを示している。
となると、今回の日本海中部(能登沖)地震は、今後、日本列島断層での巨大地震の前兆として捉えるべきだろう。
もう一度、能登半島と佐渡島の中央部に見える東西の巨大な地溝帯を見ながら、日本列島断層の存在に思いを馳せていただきたい。