最近の僕に喜ばしいことは自分の書く文字が自分で好きになってきたことです。だから僕は文字を書くことが楽しいのです。決して僕の書くものはきれいな文字ではないのですが、それはまさしく僕の文字だと思えるようになりました。
中学三年生のときのクラスメイトのT・S君(彼の勉強の成績はいつもトップクラスだった)の影響で丸文字というものを書き始めた僕はそれ以来文字を書くたびに自己不全感に捕らわれるようになっていたのですが、四十歳を過ぎてようやくしっくりするようになりました。
なぜ丸文字などというものを書くようになったかというと、答えは簡単でそれが僕の目に魅力的に映ったからなのですが、それに負けず嫌いな性格が手伝って自分もT・S君のような文字を書くのだと思ったのが運の尽き、それから25年以上僕は文字を書くたびに不快な思いをしてきたのでした。
ノートの内容よりもいかにきれいな文字が書かれているかということに重点を置いた僕は今から思うと馬鹿でした。これまでああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返してきたわけですが、僕は物を完成させることができない性質(たち)の人間のようだと思ったこともありました。
それでも精神病から解放されるためには自己認識を深めることが大切だと直観的に思った僕はその必要性からノートに主観的な思いを書き続けてきました。そんなときにいちいちきれいな文字など書いていられません。だけどその副産物として僕は自分で自分を好きになるだけでなく自分の文字も好きになれたのでした。
人生にもこれと通じるところがあると思います。なまじきれいに生きようとせずに思いのままに生きてみたほうが満足のいく人生になるということです。