自己認識の及ばない過去については、記録や、教えられたことを信じるしかありません。
私は1965年6月15日に東京都杉並区高円寺の病院で生まれたことになっています。「統合失調症者は冬生まれが多い」と本に書いてありましたが、私は梅雨生まれです。私が生まれた日は雨が降っていたそうです。「低体重児が統合失調症になりやすい」と書いてある本もありましたが、私の母子手帳の記録では体重が2580グラムとなっています。未熟児ではないけれど、私は低体重だったようです。9日後の出産予定日まで母のお腹にいられたなら、もっと体重も増えていたのでしょうが、少し早く生まれてしまいました。陣痛は早朝に来たそうですが、生まれたのは夜の11時25分となっていますから、母子共にかなり長時間苦しんだと思います。
母から教えられた私の成育環境で特徴的だと思われるものを挙げると、母は私を産んでから6週間後には職場復帰してしまったことがあります。日中は父方の叔母さんに子守をしてもらっていたそうです。母は、仕事から帰ってくるとすぐ私にパンパンに張った胸のお乳を吸わせ、それが気持ち良かったと言っていました。
父の実家は、祖父が事業に失敗するまで、村で一番の大金持ちだったと聞きました。曽祖父が金貸しをやっていて、家には虎の毛皮があったり、高価な調度品があったりしたそうです。祖父が、家に芸者を呼んで、宴会を開いたこともあったそうです。父は祖父を嫌っていました。祖父は、父が2歳の時に、商売のため中国の大連に渡ったそうです。父は4年後、家に戻ってきた祖父のことを、自分の父だと認識できなかったそうです。そんな父のことを祖父はかわいがらずに、叔父ばかりかわいがったそうです。
父は商業高校に通っていて一橋大学に進学したいという希望を持っていたそうですが、その前に家が没落し、それも適わなかったそうです。貧乏になると、父は上京して、働いたそうです。共産党の党員になり、活動もしたそうです。でも結婚すると、このままでは家族を食べさせていけないと、途中で転向したそうです。
私が教えてもらったことはこんなところです。
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