人間もどきの世界観

ほんととつもりのクロスオーバー人生。救いは妄想でも他者のために死に物狂いになったこと。

「殺すくらいなら産むなよ」というが

2018年09月23日 14時08分47秒 | 日記

母はよくニュースを見ながら「殺すくらいなら産むなよ」というが、僕は「殺すくらいならセックスするなよ」と思ってしまう。

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文化と去勢と洗脳

2018年09月23日 13時25分25秒 | 日記

文化と去勢と洗脳って関係ありそうな気がするのだが、妄想って言われるのが嫌だから、これ以上は言わない。

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この社会は誰に合わせて設計されているのか

2018年09月22日 13時24分36秒 | 日記

この社会は誰に合わせて設計されているのか。

知らん。

知らんが、普通に生きようとするとストレスになる者がいることを知れ。

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最近欲しいもの

2018年09月22日 09時07分17秒 | 日記

最近欲しいもの。

HAZUKIルーペ。

HAZUKIルーペが欲しい!

たぶんコマーシャルの影響が大きいと思う。

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僕の本、先生にあげたんだけど…。

2018年09月20日 15時26分11秒 | 日記

きのうは精神科の受診日だったので、先生に僕の本をあげたんだけど、忙しいから読んでくれないだろうな…。

自分でいうのもなんだけど、いい研究資料になると思うんだけどな…。

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明日半日がんばれば

2018年09月20日 14時54分26秒 | 日記

明日半日がんばれば三連休だ。

気合い入れていこう。

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931

2018年09月20日 13時31分10秒 | 日記

931。

「救済(きゅうさい)」と読んでください。

一昨日電子マネーの残高が931円になり、さらに昨日病院の受付票の予約番号が931になり、これは何かあるに違いないと妄想に発展しそうになりました。

最初は「臭い(くさい)」と読んでしまいましたが、よく読むと前者のようになるので意識的にそちらを選びました。

何かいいことが起きればいいのですが、今のところ特別なことはないです。

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失敗と失敗談

2018年09月17日 14時14分38秒 | 日記

失敗も失敗談にできればみんなの共有財産になる。

超えて行け。

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僕を責める幻声さんってこういう人ではないかな?

2018年09月17日 12時59分02秒 | 日記

みんなのしているようなことを真似するだけで賢いと思っている人。

僕を責める幻声さんってこういう人ではないかな?

確かにそうしていればバカ呼ばわりされずに済むだろうけど別に頭がいいわけではないよね。

ところでこういう人に「自分ならでは」っていう物語はあるのでしょうか?

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身体によって生まれる目の錯覚

2018年09月16日 10時16分00秒 | 日記

すごくおもしろいので松田雄馬著『人工知能はなぜ椅子に座れないのか――情報化社会における「知」と「生命」』から一部抜粋。

P.125

身体によって生まれる目の錯覚

目の錯覚、すなわち錯視が起こるということは、単に私たちの脳が「騙されている」というだけではありません。錯視は、私たちが「主観的」に世界を認識している結果として生じるものであり、私たちが、能動的に世界と関わり、能動的に世界を認識しようとする結果として生じるものだと言えます。錯視の例を俯瞰して見ることによって、そうした能動的な認識がどのように行われているのかについて、理解を深めていきましょう。

まず、図3-3を見てみましょう。これは、一般的には、私たちの「大きさの認識」というものが、如何に当てにならないかということを示す、錯視の一つです。四匹いる犬は、どれも同じ大きさですが、後ろに行くほどに、犬が大きく見えます。特に、背後に注目すると、犬の大きさの違いが際立って見えます。これは、背景である廊下が、遠くへ行くほど小さくなる「遠近法」によって描写されており、この背景に着目することで、脳が、「遠くの物体ほど小さくなるはずだ」と誤解するために生じます。このように「大きさの錯視」とは、私たちに遠近法という感覚があるからこそ生じるのです。それはゴンドラ猫の実験で能動的に動いた猫が正常に機能したように、自らの身体を使って経験したからこそ獲得できる感覚なのです。

 

次に「大きさの認識」とは異なる例として、図3-4を見てみましょう。これは、一般的には、私たちの「空間の認識」というものが、如何に当てにならないかを示す錯視の例の一つです。「テーブルの錯視」と呼ばれる図3-4を見ると、左の縦長に見えるテーブルと、右の幅広に見えるテーブルは、どのように見ても、同じ大きさ、同じ形には見えません。しかしながら、図3-5のように、定規を当ててみると、左右のテーブルは、共に長辺が一五センチメートル、短辺が六センチメートルの、全く同じ大きさと形の平行四辺形だということがわかります。この錯視は、縦向きに描写されたテーブルは、奥行きを考慮すると、見た目よりも「奥に伸びている(長い)のではないか」という思い込みがあるために生じるものです。「思い込み」と聞くと、悪いもののように感じられるかもしれませんが、こうした思い込みがあることによって、「奥行き」というものが認識できていると考えると、私たちは、「思い込み」によって空間を認識しているとも言えるのです。こうした空間に関する認識には、「運動視」を司る背側経路が大きく関係しています。ここからは、視覚のもう一方の経路である背側経路が担当する「形の認識」、すなわち「形態視」に関する錯視を見ていきましょう。

図3-6に示す「カニッツァの錯視」は、私たちの「形の認識」というものが、如何に当てにならないかを示す錯視の例の一つです。形の認識が当てにならないということは、私たちが普段「そこに、ものがある(ある形をしたものがある)」と感じていること自体が、思い込みによるもの、すなわち、「主観」的に作り出されたものである可能性があるということです。図3-6の左側の図を見ると、私たちの目には、まるで白い三角形があるように感じられます。また、右側の図を見ると、白いひょうたんのような形があるように感じられます。しかしながら、実際に描かれているのは、黒いパックマンや、半円のようなものだけであり、実際には、三角形やひょうたんの形など、「どこにも存在しない」のです。

こうした、本当は存在しないにもかかわらず、まるで存在するかのように見えてしまう輪郭は「主観的輪郭」と呼ばれ、脳内で「主観的」に作り出されたものなのです。こうした「ありもしないものが見えてしまう現象」は、脳内では常に起こっています。これがなければ、テレビやパソコンの画面を見ても、「形」を見ることはできず、単なる「ドット」の集まりに見えてしまうでしょう。「ありもしないものが見えてしまう現象」と表現すると、脳が誤作動を起こしてしまっているようにも感じられるかもしれません。少なくとも、脳が「騙されている」ということ自体は間違いではないのですが、これができなければ、私たちは、視覚によって生きていくことができないともいえるのです。

 

ここまで見てきた「錯視」に関する様々な例から得た知見を総合すると、「大きさの認識」や「空間の認識」や「形の認識」というものは、すべて、「主観的なもの」であり、周囲との関係(あるいは自分と対象との関係)によってのみ決まるものであると言えます。そうした観点では、私たちの目は、常に「思い込み」でものを見ている、と考えることもできます。しかしながら、「大きさの認識」や「空間の認識」に関する錯視を通して見てきたように、私たちは、「遠近感」を持っているからこそ、空間を認識して、その空間の中で適切な行動を取ることができます。また、「形の認識」に関する錯視を通して見てきたように、私たちは、そこに「形」があると錯覚することによってこそ、「形を見る」ことができると言えます。「そこにものがある」と錯覚すること(思い込むこと)なしに、目で世界を見ることはできないと言えるのです。そうした観点で考えると、私たちは、世界を見ている「つもりになっている」だけであり、実際には、そのような世界は存在しないのですが、その一方で、私たちは、「錯覚する(思い込む)」ことによって、脳内で、世界を主観的に作り出すことができるのだと解釈することもできます。私たちが「客観的に見ている」と「思い込んでいる」この世界の様子は、実は、私たちが、脳内で主観的に作り出しているものであり、それによって、私たちは、生きていくことができると言えるのです。

私たちの見ている世界が「主観的に作り出された世界」だとすると、その世界は、見る人によって大きく異なると言うことができます。そうした事実を端的に理解できるのが、図3-7です。「図地反転図形」と呼ばれるこの図形は、「黒色」に着目すると、ブロックのようなものが見える一方で、「白色」に着目すると、それとはまったく異なる「IEEE」という文字が浮き上がって見えてきます。このように、人は、同じものを見ていても、必ずしも「認識」が一致するわけではなく、同じものの何処に着目し、どのように解釈するかによって、「主観的に作り出される世界」は、異なってくると言えるのです。こうした主観世界を持っているということは、人間や生物の大きな特徴であると言えます。

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ゴンドラ猫

2018年09月15日 10時45分23秒 | 日記

松田雄馬著『人工知能はなぜ椅子に座れないのか――情報化社会における「知」と「生命」』から一部抜粋。

P.122

世界を認識する上での身体の役割

世界の「動き」を見る「運動視」について考えていくと、私たちは、単に目で世界を見ているのではなく、どうも、身体そのものを使って、世界を見ているのではないかということに気づきます。それを裏付ける実験が、一九六〇年代にアメリカで行われました。一九六三年、アメリカで、二匹の子猫を使った、通称「ゴンドラ猫」と呼ばれる有名な実験が、ヘルドとハインという二人の学者によって行われました。歩けるようになったばかりの二匹の子猫(生後八~一二週)が、一日三時間、図のような装置の中に入れられ、互いに繋がれている状態にあります。片方の猫は自分で動き回ることができますが、もう片方の猫はゴンドラの中に入れられていて、自分で動き回ることができません。ゴンドラは、自分で動ける方の猫の動きと連動し、点対称の動きをするような仕掛けになっています。つまり、二匹の猫の見ている景色は全く同じであり、唯一の違いは、自分の意思で動いているかどうかだけでした。さて、この唯一の違いが、二匹に何をもたらしたのでしょうか。

 

この装置から解放された二匹の猫に一連の視覚テストを行ってみると、驚くべき事実が明らかになりました。自らの意思で動き回ることのできる「能動的な」猫は、この装置から解放された後であっても、視覚が正常に機能しました。つまり、「世界を知覚する」ことに支障をきたすことはありませんでした。一方、ゴンドラに入れられ、自らの意思で動くことを禁じられた「受動的な」猫は、見ようとする行為自体を行えたものの、視覚刺激に対して反応することができませんでした。受動的な「ゴンドラ猫」は、空間認識能力が正常に機能せず、ものにぶつかったり、障害物を避けることができなかったり、リーチも不適切であったり、という状態だったのです。

ゴンドラ猫の実験は、私たち生物が、視覚情報によって空間を認識する能力(どこにものがあるかを判断する能力)を身に付けるには、視覚情報を得るだけでは不十分であり、能動的な運動を必要とする、ということを、私たちに教えてくれます。視覚と運動という、独立しているように見える二つの機能は、互いに切り離すことができないだけではありません。ゴンドラ猫の実験は、「世界は、自ら能動的に働きかけを行うことによってはじめて認識できる」ということを教えてくれます。

世界は、世界を認識しようとする主体である私たち生物の一個体一個体が、自らの身体を使って、能動的に関わることによって初めて認識することができます。そして、一人一人異なる身体を持つ私たちの認識する世界は、厳密に言うと、まったく同じというわけではありません。世界を認識するということは、世界と自分の身体との関係を認識するということであり、世界を「主観的」に理解するということでもあるのです。実は、これが、時として、「現実と異なる」認識を引き起こす原因になるということが知られています。「錯視(錯覚)」という現象は、このようなプロセスから生じると言われており、これまで様々な「錯視」が発見されてきました。ここからは、「錯視」を通して、身体の役割についての理解を、更に深めていきましょう。

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魔の三日間を乗り切る

2018年09月14日 12時32分28秒 | 日記

特弁が50個入るという魔の三日間を乗り切りました。

みんなよくがんばったね。

今朝からずっと頭が薄ら痛かったのですが、頭痛薬を飲んだら治りました。

これからマーちゃんと寿司を食いに行きます。

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ハンドル名変更しました

2018年09月11日 15時28分37秒 | 日記

気分転換にブログのハンドル名変更しました。

これからは「コビトさん」と呼んでください。

それではそういうことでよろしく。

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人工知能を搭載したロボットの限界

2018年09月11日 13時15分51秒 | 日記

人工知能を搭載したロボットって、人間のように、気持ち良くなることはあるのかね。

考えたら、気持ち良くなるって、すごいことかも。

恋に悩んだり、発情したりするロボットなんて、できそうにないもん。

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夏休みがあったため8月分の工賃はあんまりもらえんかった

2018年09月10日 14時48分31秒 | 日記

今日は工賃日でした。

でも、夏休みがあったため、8月分の工賃はあんまりもらえんかった。

16日働いて27410円。

それでも、家に一ヶ月に一万円収めると母に約束したお金は先月まとめて2万円収めてしまったので、今月はなしです。

そのため金銭的には余裕があります。

お金の使い道はよく考えてからにします。

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