僅かなもので満足する者と数多なもので満足する者。
どっちが上等なんだろう。
-×-=+
「マイナス×マイナス=プラス」
それってどういうことなんだろう。
「マイナス+マイナス」との違いはなんだろう。
なんて考えてる暇人のおれ。
否定癖はなくそうと思ってなくせるものではない。
そのためには前向きに生きるしかない。
死さえも肯定的に捉える。
果たして花は「蕾のままじゃいやだ!」と思うから咲くのだろうか。
違うような気がする。
それは後付けの解釈ではないかと。
開花にはもっと自己肯定的な力が働いているような気がする。
「人はよいものとして造られた。だから自由とはよいことをすることです」
カトリック教会のX神父の言葉ですが。
「人は悪い」とか「人は悪くない」という弁証法的な否定の運動を繰り返すよりはその方がハートに届いてよいと思う。
「ああいう人にはなるまい」
他人からそのように言われる前に積極的に反面教師の役割を引き受ける人。
そういう人にとっては「悪いことをするのはよいこと」なのだ。
「人を生きやすくすること」
「善とは何か」と問われたらそう答えることにしている。
でも個人の自由を無制限に求めると他者の自由は侵害される。
「何で私の愛は受け入れられないのだ」と迫られることになる。
そこで法による交通整理が必要になる。
けれども「××するな」という禁止規範は自由を制限し葛藤を生じさせるので悪のようにも見える。
しかしそれは人間社会に平和をもたらすためになくてはならないものだ。
このように「善が悪を生み、悪が善をもたらす」のが現実の世の中なのだ。
また悪いことをするのが楽しい人にとっては悪いこととはよいことなのだ。
だから依存的になるのだ。
善悪の問題はそれほど単純じゃないのだ。