プシコの架空世界

ホレホレ触るとはじけるゾ。
理性がなければ狂いません(妄想の形成にも理性の助けがいる)。

ヌミノース体験

2011年06月30日 10時41分44秒 | インポート

 

 『心理臨床学モノグラフ 第3巻 統合失調症者のヌミノース体験 臨床心理学的アプローチ』を読んだ。<o:p></o:p>

 

それによると、「ヌミノース体験」とはドイツのプロテスタント神学者であるルドルフ・オットーが著書『聖なるもの』の中で提出した概念で、「ヌミノース」とは宗教的体験における「聖なるもの」から道徳や倫理などの合理的要素を差し引いた、合理的に説明しがたい部分のことだそうだ。<o:p></o:p>

 

 ①宗教体験における感情の普遍的な存在。<o:p></o:p>

 

 ②本来概念把握が不可能な述べ難いもの。<o:p></o:p>

 

 ③畏怖と魅惑を伴い、特別な体の影響を引き起こす超自然的で二律背反的な特殊な感情。<o:p></o:p>

 

 ④絶対他者の存在。<o:p></o:p>

 

 これら4つをオットーはヌミノース体験の指標としたそうだ。<o:p></o:p>

 

 とにかく幻覚や妄想に苦しんでいる統合失調症者は外から見ると、なんとも不思議な存在に映るのだろうな。<o:p></o:p>

 

 そういう統合失調症者が神や仏との関係でも悩んでいることを知っている一般人って、どれ位いるのだろう?<o:p></o:p>

 

 無限な存在を思考できてしまうことによって生まれる苦悩。<o:p></o:p>

 

 自分は無力で有限な存在であることの絶望や恐怖。<o:p></o:p>

 

 暴走もせずに、何故みんなは耐えられるのだろう?<o:p></o:p>

 

 その秘密は確固たる信仰があるからだったのね。<o:p></o:p>

 

 たとえそれがどんなに不合理なものだったとしても・・・。<o:p></o:p>

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どちらが悪い?

2011年06月29日 10時50分27秒 | インポート

 

 重ねて置いた2つのグラスがくっついて離れなくなった<o:p></o:p>

 

 困った<o:p></o:p>

 

 これでは両方使い物にならないじゃないか・・・<o:p></o:p>

 

 さて、内側のグラスと外側のグラス、どちらが悪い?<o:p></o:p>

 

 どちらも悪い?<o:p></o:p>

 

どちらも悪くない?<o:p></o:p>

 

ただ相性が良すぎただけ?<o:p></o:p>

 

 それとも、これは善悪の問題じゃない?<o:p></o:p>

 

 そうだね<o:p></o:p>

 

何でも善悪の問題にしてしまうのが僕の悪い癖なのね<o:p></o:p>

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

精神病=悪魔憑き?

2011年06月28日 08時30分10秒 | インポート

 

 菊地章太(のりたか)著『悪魔という救い』という新書は面白かった。<o:p></o:p>

 

 欧米でも中南米の国々でも「悪魔憑き」を訴える人が激増していて、「悪魔祓い(エクソシズム)」という儀式が急速によみがえっているそうである。<o:p></o:p>

 

 これは、個人の心の救済を目的としたものだから公開されないが、現在もそれを正統な教理のなかに位置づけるカトリック教会が行なっているそうだ。<o:p></o:p>

 

 儀式を執行する「悪魔祓い師(エクソシスト)」は司祭の中から任命されるが、日本には現在はいないそうだ。<o:p></o:p>

 

 ちなみに日本ではエクソシズムのことを「祓魔式(ほつましき)」と訳し、エクソシストは「祓魔師」と訳されるそうである。<o:p></o:p>

 

 意外なことに、教会に救いを求めにくるのは、いなかに暮らす信心深い人とばかりは限らなくて、むしろ生活水準も教育水準も高く、ふだんは教会などへ行かない人が少なくないらしい。<o:p></o:p>

 

 しかしもっと不思議なことがあるそうで、それは精神科医の治療や心理学者のカウンセリングでは得られなかった満足感を教会で覚える人が多いことだそうだ。<o:p></o:p>

 

 何故か。<o:p></o:p>

 

 今までその人が耐え続けてきた苦しみ、なすすべもなかった家族の悲しみ、それらに「神に選ばれた者」という大きな意味を与えられるからのようだ。<o:p></o:p>

 

 神に愛された者ゆえの苦難、魂の浄化のために神がくだされた試練という意味が。<o:p></o:p>

 

 これが救いにつながるようだ。<o:p></o:p>

 

 とにかく、それを自分で信じるだけでなく、実際、信頼できる他人の口から言ってもらうことは大切だと思う。<o:p></o:p>

 

 これは経験的にそう思う。<o:p></o:p>

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

交通事故体験談

2011年06月27日 09時45分47秒 | インポート

 

 1978年(昭和53年)1月11日、12歳、小学6年生の時、僕は交通事故に遭った。<o:p></o:p>

 

 T路地を自転車で右折しようとしたところ、向かってきたタクシーに、はねられたのだった。<o:p></o:p>

 

 『サーキットの狼』というマンガの主人公がする「幻の多角形コーナーリング」をマネしようとしたのがいけなかった(だけど、怒られると思ったので、このことは誰にも言えなかった)。<o:p></o:p>

 

 はねられた時の「ドッキュン、キュン、キュン、キュン・・・!」という音が忘れられない。<o:p></o:p>

 

 意識を回復した時、僕の周りには人だかりができていた。<o:p></o:p>

 

 痛さより、恥ずかしさが先立って、立ち上がろうとしたら横にさせられた。<o:p></o:p>

 

 頭は鈍く痛み、擦り傷は火が出るように熱く、全身がとても重かった。<o:p></o:p>

 

 体が思ったように動かず、バラバラになった気分だった。<o:p></o:p>

 

 でも泣かなかった。<o:p></o:p>

 

 冬だというのに太陽がギラギラまぶしかった。<o:p></o:p>

 

 初めて救急車というものに乗せられた。<o:p></o:p>

 

 退院後、警察に呼ばれて事故現場の写真を見せられた。<o:p></o:p>

 

 写真を見ても最初はピンと来なかった。<o:p></o:p>

 

 「ここはどこ?」という感じ・・・。<o:p></o:p>

 

 グニャグニャになった自転車や、フロントガラスがメチャクチャになったタクシーの写真などがあった。<o:p></o:p>

 

フロントガラスのヒビからたくさんの毛が生えていた。<o:p></o:p>

 

 僕の髪の毛らしい。<o:p></o:p>

 

 片方のフロントミラー(あの頃の自動車のミラーは車体の前方に付いていた)がなくなっていた。<o:p></o:p>

 

 僕の左足の関節のお皿の骨にヒビガ入っていたのはこれにぶつけたせいだと思われる。<o:p></o:p>

 

 「もうちょっと打ち所がずれていたら死んでいただろう」と言われた。<o:p></o:p>

 

 ぶつかる直前に自転車から飛び上がったのがよかったのかもしれない。<o:p></o:p>

 

 とにかく助かって本当によかった。<o:p></o:p>

 

 それにしても家族や周囲の人には大変な心配をかけてしまった。<o:p></o:p>

 

 皆さんも交通事故にはくれぐれもお気をつけて。<o:p></o:p>

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハムサ

2011年06月26日 09時22分29秒 | インポート

 

 「ハムサ」、別名「ファーティマの手(またはファーティマの目)」。<o:p></o:p>

 

 中東の辺りで用いられる護符。<o:p></o:p>

 

 手の形をしていて、真ん中に目とされる青い石がはめこまれている。<o:p></o:p>

 

 邪視から持ち主の身を守ってくれると信じられている。<o:p></o:p>

 

 これを知ってから、欲しくて、欲しくて仕方がなくなった。<o:p></o:p>

 

 そしてキーホルダーに始まって、ペンダント、それから吊り下げておくタイプのものも購入した。<o:p></o:p>

 

 最後のものは一万円近くした。<o:p></o:p>

 

 それでも後悔していない。<o:p></o:p>

 

 気休めにはなっているからだ。<o:p></o:p>

 

 でも本当はそもそも邪視を向ける人などいない社会を作れればいいのだけど・・・。<o:p></o:p>

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

号泣

2011年06月25日 09時43分09秒 | インポート

 

僕が小学生の頃の話。<o:p></o:p>

 

弟と二人で親戚の家から帰宅するため乗ったタクシーの運転手に、千円払えばいいところを、二千円払ってしまった。<o:p></o:p>

 

お札が二枚くっついていたことに気づけなかったのだ。<o:p></o:p>

 

渡す時にちょっと違和感はあった。<o:p></o:p>

 

でも運転手は僕に千円分のお釣りを渡しただけで、何事もなかったように僕たちを降ろして、去ってしまった。<o:p></o:p>

 

家の中で僕は号泣した。<o:p></o:p>

 

あの二千円は親戚の伯父さんが僕たちにくれたものだったのだ。<o:p></o:p>

 

悔しくて、悔しくて、たまらなかった。<o:p></o:p>

 

正直でなかった運転手にも、間違いに気づけなかった自分の愚かさにも、腹が立った。<o:p></o:p>

 

泣き声が自分の声じゃないみたいだった。<o:p></o:p>

 

あんなに悔し泣きしたのは、今のところ、あれ一度きりである。<o:p></o:p>

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

分数の計算

2011年06月24日 10時46分52秒 | インポート

 1995年330

 ショッキングなことがあった

 分数の計算ができなくなっていたのだ

 かなり焦った

 前にできたことができなくなる

 障害者になるということはこういうことなのかと

 痛感した

 でも後で中学生の数学の参考書を買ってきた

 こんな僕にもまだ残っているのだ

 プライドというものが

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (29)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金星とニキビ

2011年06月23日 09時24分10秒 | インポート

 僕は星占いに興味があって、結構、この方面には詳しいという自負がある。

 僕のパソコンにはホロスコープのソフトも入っている。

 星の運行はこれを見ればすぐに分かる。

 星の運行とは言っても、天動説の地球からの見かけの星の運行だが。

 自分の運命を占うことに抵抗感を覚えたこともあったが、いまだに止められずにいる。

 理由は簡単。

 面白いからだ。

 今では飽きるまでやるしかないと思っている。

 そんな僕が最近、因果関係を確信しだしたことがある。

 それは金星の運行と僕のニキビの関係である。

 なぜか金星が僕の星座、双子座に入ると、僕のアゴにニキビができるのである。

 これは数年前から気づき始めた事実である。

 笑ってください。

 でも本当に因果関係はないのかな。

 精神科の主治医に話したら、関係妄想と思われてしまうだろうか。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

弱者の視点

2011年06月22日 09時05分14秒 | インポート

 人間の考えというものは変わるんだなぁ。

 例えば僕の場合、若い頃は「世界を救うのはあなた方一人一人である」と大真面目に考えていた。

 これは、一見すると、もっともなように思える。

 だけど現実の人間が見えていない。

 正直言うと、この時、僕には弱者の視点がなかった。

 誰もが自分と同じ程度の能力を持ち、愛情に恵まれ、教育を受けてきたことを疑っていなかった。

 現実の社会で老人や子供や障害者や犯罪者がいることを知らなかったわけではない。

 でもなぜか失念していた。

 今は違う。

 救える人が救えばいいと思っている。

 「世界」なんて大げさなものではなく、身近なことで。

 それに救おうと思って救えるものばかりでもないし、逆にそんな気はさらさらないのに、知らぬ間に救っていることもあるのが実状なのよね。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (26)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛と宗教

2011年06月21日 09時26分02秒 | インポート

 「愛している人に愛されたい」。

これはほとんどの人が願うことだと思う。

 愛されるのは、愛している人からでないとダメ、愛していない人からだとダメなのは言うまでもないことか。

 ところで「隣人を愛せ」と言われるが、魅力がない相手を愛することはできるのか。

それができない自分は責められるべきなのか。

 どうなのだろう。

 人を、熱狂的にさせることもあれば、どん底に突き落とすこともある愛。

 喜びの源泉であり、諸悪の根源でもある愛。

 時々コントロール不能になるが故に、自分を超えたものに目覚めさせてくれる愛。

 絶えず愛を失わないように、次から次へと相手を変え続ける「恋愛至上主義者」は褒められるべきではないが、懲りないのはそこに一種の宗教性があるからなのかもしれない。

 そしてそういう人間が許容されているのは、社会から愛というものがなくなってしまうよりはマシだという認識があるからなのかもしれない。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

男が弱みを見せる時

2011年06月20日 10時02分28秒 | インポート

 「君が好きだ」。

 「好きで、好きで、たまらないんだ」。

 「忘れようと思っても、忘れられないんだ」。

 「僕を助けてくれ」。

 「一生、僕以外の誰のものにもならないでくれ」。

 と、プライドをかなぐり捨て、弱みを見せた男の求愛を受けた女はどんな反応を示すだろうか。

 喜ぶだろうか。

 困惑するだろうか。

 嘲るだろうか。

 拒絶するだろうか。

 「そんなの相手によるんじゃない?」と言われそうだが、そんなことを考える暇人の僕でした。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

才能だけではダメ

2011年06月19日 10時26分18秒 | インポート

「自分のように才能豊かでそれに磨きをかける努力も惜しまない人間が思ったほど正当に評価されていない」と感じる時、社会の側に問題があると考えれば、そりゃあ、社会を変えたくなるであろうな。

 容姿だけが優れていて、明らかに自分より能力が落ちる輩がいい結婚相手を見つけたというだけで幸せになるというのは許せないという気持ちも分からないわけではない。

 でもパートナーに求められるものは誰でも認めるような才能を持っていることではないのだ。

 むしろ一緒にいて寛げること、言い換えれば、気が合うことなのである。

 別に、この世で一番才能豊かな人でなくてもいいし、そんな人を目指さなくてもいいのだ。

 むしろ、自分を裏切らない、誠実な人が好ましいのだ。

 だからパートナーに本当に求められるものは、才能よりも、徳なのである。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

催眠術と統合失調症

2011年06月18日 10時25分46秒 | インポート

 中井久夫という精神科医の本『徴候・記憶・外傷』の141ページに統合失調症は催眠術がかからないと書いてあります。

 これは古くから知られている事実だそうです。

 僕は、催眠術をかけられたことがないので、これについて何とも言えないのが残念です。

 中井久夫は、統合失調症自体がどういう防衛機制であるかということについて、「幼いとき以来のマインドコントロールに対する防衛、催眠的な働きかけすべてに対する防衛であろうかと思っています」と書いています。

 その前の段にはサリヴァン(アメリカの精神科医)が「人間は意識と両立しないものを絶えずエネルギーを注いで排除しているが、排除するエネルギーがなくなると排除していたものがいっせいに意識の中に入ってくるのが急性統合失調症状態だ」と言っていますとあります。

 統合失調症は、非自己を排除して人格の単一性(ユニティ)を守ろうとする、解体の危機をかけてでも一つの人格を守ろうとする、悲壮なまでの努力だそうです。

 統合失調症はあくまで一つの人格であろうとするそうです。

なるほど。

納得しました。

この記述は、僕の場合と照らし合わせて、説得力があると思います。

当時、僕は一神教を信じていたけど、何らかの関係があるかもしれないな。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜ僕だったのか

2011年06月17日 09時26分55秒 | インポート

 百人に一人がかかる病

 それはいいとして

 なぜその一人が僕だったのか

 人生が終わる時までに

 その理由が分かっているのだろうか

 「死ね、死ね」とよく言われたが

 僕は納得して死ぬことができるのだろうか

 僕を責めた者たち

 僕を責めるだけの資格を持っていたのだろうか

 持っているとしたら

 一体誰が与えたのか

 人生が終わる時までに

 その存在が分かっているのだろうか

 僕は他の人たちと何が違っていたのだろうか

 何が僕を他の人たちと分けたのだろうか

 一体何が

人生が終わる時までに

 その原因が分かっているのだろうか

 求め続ければ

 分かる時も来るのだろうか

 分からないまま、受容というものはできるのだろうか

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死刑

2011年06月16日 09時23分51秒 | インポート

 僕が好きだった少年漫画『がきデカ』の主人公こまわり君のセリフに「死刑」というのがあった。

 友だちに向かって無邪気に「死刑」、「死刑」と言えたあの頃が懐かしいなぁ。

 今、そう耳元で囁いてやりたい奴には悪意を込めずにはおれないだろうからなぁ。

 それでも、遠慮なく「死刑」と言えれば、僕のルサンチマンも少しは薄まるだろうか。

 でも、誰かに不意を打たれて、僕が「死刑」と言われたりして。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする