天国が最初から住みやすい所なら善行を施す余地などあるのか。
そうではなくお互いに善行を施し合うから天国になるのか。
そのためには善とは何か理解してなければならないが。
とにかく善意があればいいってもんじゃないことくらいは知っておくべきだろう。
天国が最初から住みやすい所なら善行を施す余地などあるのか。
そうではなくお互いに善行を施し合うから天国になるのか。
そのためには善とは何か理解してなければならないが。
とにかく善意があればいいってもんじゃないことくらいは知っておくべきだろう。
仏教であろうとマルクス主義であろうと。
何か信仰を持ったからといって偉くなったような気がするのは錯覚である。
この世を完全に理解したような。
「ハンマーを持つ人にはすべてが釘に見える」的な。
日本共産党と創価学会の嫌なところ。
共に平和な社会の実現を標榜しているにもかかわらず実際は好戦的で集団で敵を許さずに打倒しようとするところが嫌い。
どちらからも居心地の悪いプレッシャーを感じるのだ。
たぶん一人一人はそれほど悪い人間じゃないとは思うんだけどね。
悪口を思いつくのは自由。
思っても行為に移さなければ犯罪にはならない。
しかし思いついた悪口を発言すると侮辱罪や名誉棄損罪になるので気をつけて。
因みに「処女がいい」というのは悪口ではないのであしからず。
こころは自由。
思ってしまうのは仕方ない。
それなのに「こんなことを思ってはいけない!」とコントロールしようとすると余計それが頭から離れなくなり呪縛されるという不本意な結果を招いてしまう。
彼女が処女じゃなかったら付き合うのをやめるという態度を不寛容だとして非難する幻声自身も異なる意見を認められないという意味で不寛容なんじゃねぇの。
だいたいなんで他人の趣向に口出しするのか。
本音では幻声も処女がいいと思ってるんじゃねぇの。
でも幻声は嘘つきだから本当のことを言う奴が憎いんだろう。
だから怒るんだ。
善人になろうとするのは無意識的に現在善人じゃないことを認めてるようなものだ。
さらに善人になろうとすればするほど善人じゃないことを強く思い知らされることになる。
それは自力では自分は救えないという絶望的な気づきを得るまで続く。
そしてこのような悪人の自覚があるから神仏という他力にすがらざるを得なくなるというわけ。
だから何が言いたいのかというとこれ以上無理して善人になどならんでいい。
ただの人であればいい。
喜怒哀楽を感じながら生きられればそれでいい。
鴨長明著『方丈記』読了。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
という最初の句が有名な本です。
『バカの壁』で知られる養老孟司が薦めていたので購入しました。
全体は無常観に貫かれていますが、社会保障制度のない時代は今より生きるのが大変だったろうなと思いました。