神ってよくわからないけど、神じゃないものならわかる。
全ての不幸は、神じゃないものを、神と見做したことに起因する。
人間は、痛い目に遭いながら、その都度、認識を深めてきた。
そして、これからも。
Only you.
この言葉、恋人に対して使うなら、善いと思っていたけど、実は悪いのかもしれない。
なぜなら、その時、それ以外の人間は眼中になく、無意識のうちに排除されているから。
二人の為~世界はあるの~。
だから、恋愛は罪なのか。
この言葉が許されるは唯一神に対してだけなのか。
ところで、唯一神って誰ですか。
平等主義は一見よさそうに見えるけど、もしかしたら、障害者を苦しめているのは実は平等主義者かも。
障害者にも自分たちと同じ苦しみを与えようとして。
障害者には障害者特有の苦しみがあることを理解してないために引き起こされる悲劇。
生まれつき愛情がビルトインされてない人などいるのだろうか。
愛情は誰しも持っていて、ただ、それを向ける対象がそれぞれ異なるだけではなかろうか。
社会主義者や共産主義者が重視する平等の観念が「蓼食う虫も好き好き」ということわざの理解を妨げているのではなかろうか。
彼らは理性を尊重するあまり自然を軽視する傾向があるように見える。
もっと感じたことを素直に認めてもよいのではなかろうか。
思ってしまうのは仕方ないことなのに、そういう事実さえ否定してしまうから、嘘つき呼ばわりされるのではないか。
法的な手続きさえ踏めばいいと思っている人は、愛情がなくても、結婚式さえ挙げればいいと思っている人に似ている。
基本となるものが欠けている。
だから、応用も利かなくて、規則ばかり増える。
理屈ではなく、信念です。
何ていわれるけど、いいのかな、それで。
信念は、原動力にはなり得るけど、目的に至るための手段ではないからね。
つまり、信念さえあればいいというものでもないのではないかと。
本物の自信は、信じるからというよりも、悟るから付くのだね。
悟るというのは理解することね。
きのう、星占いのオスカー・ケイナーさんから学んだわ。
サンキューね。
因みに、偽物の自信は、付くというよりも、憑くといった方がいいかもね。
だから狂信者は危険なのだろうね。
見習うなら幸せに生きている人。
不幸そうに生きている人は当てにならない。
こちらから与えることはあっても、そういう相手の真似はしないのが賢明。
良いものに惹かれるのは健全な証拠。
そこを変える必要はない。
精神障害者の当事者や家族が一致団結したら、かなり強力な圧力団体になれると思う。
ロビー活動などを通して自分たちの意見を政治に反映させるのだ。
そういう役目を精神障害者の団体の運営者に期待する。
邪魔する奴は敵だ。