父が反面教師になろうとした理由は生徒と見做した息子に感謝されることで己の過去の失敗にも意味があったとして苦悩を和らげることだったに違いない。
つまり一種の自力救済を図ったのだろう。
でも敵視した者に感謝する。
そんな離れ業は可能だろうか。
言い換えるとこんな人間にはなるまいと思わせる相手にありがたみを感じるなんてことはあるのだろうか。
あるとしてもかなり高度な精神性を要求されると思う。
父は息子の僕にそれを期待したのかもしれないが当時の僕は未熟でそれに応えられなかった。
だいたい父が心底望んでいたのは誰かに己の心の痛みや悲しみを理解してもらうことだったのではないか。
そういう思いを他者に汲み取ってもらいたかったのではないか。
しかし父は明るい性格だったため態度からそういう気持ちを推し量るのは困難だった。