ベンゾジアゼピン系睡眠薬。
依存性が強いということで問題になっているけど。
調べてみたら僕も服用していた時期があることがわかりました。
ユーロジンとレンドルミンの二種類。
でも先生の判断でかなり前にやめました。
断薬の際、離脱症状があったかどうかは忘れてしまいましたが、のちに先生に聞いたところによると、睡眠薬は飲まなくてもよい薬だそうで。
確かに飲まなくなったら生活リズムが取れるようになったからなあ。
ベンゾジアゼピン系睡眠薬。
依存性が強いということで問題になっているけど。
調べてみたら僕も服用していた時期があることがわかりました。
ユーロジンとレンドルミンの二種類。
でも先生の判断でかなり前にやめました。
断薬の際、離脱症状があったかどうかは忘れてしまいましたが、のちに先生に聞いたところによると、睡眠薬は飲まなくてもよい薬だそうで。
確かに飲まなくなったら生活リズムが取れるようになったからなあ。
人には「不自由になる自由」がある。
それを否定するつもりはないけど。
何でそれをお前のような社会学者に追認してもらわなければならないの。
若者をそそのかすならまず自分で手本を示してもらいたい。
責任から逃げてきたくせによく言うよ。
「壊れていない物は直すな」とは僕が毎日覗いているケイナーさんの占いのサイトで知った言葉ですが、これを少しいじって「壊れていない者は治すな」に変えてみる。
それでも意味が通じそうなところが面白い。
誰でもテリトリーを侵犯されるなど己の心理的安全感を脅かされれば暴力的な衝動が起きるのではないか。
精神病者もそこは狂ってない。
暴力的な衝動を抑えきれなかった者は通例犯罪者として司法の対象となるが、敵視した相手が実際は存在しなかったりすると精神病者として医療の対象となる。
優しさとは弱さではない。
弱い人は自分を守ることに精いっぱいで他人のことまで気が回らないものだから。
どうしたら優しさは身につくのか。
そのためには日頃から他人にも自分にも優しくあろうと努めるのがよいと思われる。
だが、生きているとその意思をくじかれそうな出来事が起きるものだ。
そんな時にくじけない強さが要求されるのだろうな。
そしてそんな経験を積んでいくうちに優しさも鍛えられるのだろうな。
どこかが弱くなれば(それを補おうとして)どこかが強くなる。
これは持論だけど障害にも当てはまると思う。
障害と格闘することでどこかが鍛えられていると思うので決して障害は無意味ではないと思う次第。
困難な時に人は輝くからといってわざわざ困難な状況を作り出そうとするのは倒錯的なバカがやることである。
だいたいそれは事実なのかも怪しい。
思考だけの産物。
机上の空論。
やるなら自分一人でやれ。
全体を巻き込むな。
肥大した権力欲に囚われた哀れな学者さん。
以前の僕はよく悩みましたが、苦悩するのは夜、眠る前が多かったです。
暗闇の中、布団にくるまりながら死や罪など暗い題材についてぐるぐる考えてしまうのでした。
何でこんな話をするのかというと、最近、母から早朝目覚めてから実際ベッドから起き上がるまでの間に悩んでしまうという話を聞いたからです。
可哀想ですが、二度寝が出来ず、「これからの人生どうしよう……」などと考えてしまうそうです。
八十歳の母が残りの人生を考えるのは不自然ではないけど、その時間帯に悩むことは僕にはなかったので興味深かったです。
むしろ僕にとってうとうとできるその時間帯は幸せでした。
だからその感覚を失った母には同情します。
僕の精神科の主治医のY先生の潜在能力がどれほどのものか僕にはわからない。
診察時の先生は患者のレベルに応じて話し方を変えているに違いないからだ。
とにかく質問をするとちゃんと答えてくれるのはありがたい。
精神医療のことだけでなく哲学や歴史のことにも理解がある。
やはり医者になるような人物は違うなと感心する。
何よりも先生の人柄がよい。
歳をとる度によくなった。
30年来の付き合いなのでそれは断言できる。
先生はいい人だ。
尊敬できる。