今日、統合失調症に関する有力な学説に「ストレス脆弱性仮説」というものがあります。簡単に言えば、統合失調症にかかる人は素質的に(要するに生まれつき)ストレスに耐える力が弱く、それに不利な環境が揃うと発病するという説です。
しかし私ははっきり言ってこの説が気に入らないのです。何か自分に「種としての永遠の敗北者」という差別的烙印を押された(スティグマになる)気がして好きになれないのです。
感情的に嫌っているだけではありません。理屈で考えても、「人が受け止めるストレスの質や量なんて生き方や体調や成熟度によって変わり、純粋に客観的に測れないのに、何故そんなことを断定できるのか」という理不尽な思いもあります。
さらに私はこの病気に関して持説を持っています。それはどういうものかというと、この病気は「ストレスに弱いからなる」というよりも、「多くのストレスを同時に長年抱え込んでしまうような人生に対して真面目なスタンスを取る人物がなるのではないか」というものです。「真面目で忍耐力がある人ほど病が重症になる」というのはなんとも皮肉なことですが、私はそう思うのです。
医学的なメカニズムで説明するとこうです。人間はストレスがかかると、それとバランスをとるためホメオスタシス(恒常性)が身体内で働き、「やる気(集中力と持続力)」や「快感」を司る神経伝達物質ドパミンが流れる。しかし、ストレスが長い間頻繁にかかると神経がだんだんと先細り、結果多くの刺激を感受してしまい、混乱するのだと思います。
そうなると現象としては、本来気にも留めなかったような物事が気になったり、聴こえるはずがない音声を聞き取ったり、間違った知覚をもとに想像するのでおかしなことを考えるのだと思います。
この持説は統合失調症に関するもう一つの有力な仮説、「ドパミン仮説」を自分なりに解釈し直したものですが、それほど的はずれではないと思っています。私の認識ではドパミンという神経伝達物質は統合失調症の謎を解く重要なファクターですが、決して悪玉ではありません。能力を高めることで難局を乗り越えようとしたが、難局のほうが能力を上回っていたということです。
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