プシコの架空世界

ホレホレ触るとはじけるゾ。
理性がなければ狂いません(妄想の形成にも理性の助けがいる)。

痛みを求める人たち

2015年04月30日 17時14分45秒 | 日記

我々が普段「痛み」と呼んでいるのは、急性疼痛と呼ばれる痛みのことだそうだ。

 

そして、それは切り傷の痛み、喉の炎症の痛みなど、痛みの原因が明確であり、その原因を取り除けば痛みを取り除くことができる。

 

それに対し慢性疼痛とは、身体組織から原因らしきものがなくなったにもかかわらず痛みがおさまらない疼痛のことで、そのメカニズムには不明な点が多く、その現象自体がなかなか理解されてこなかった歴史があるそうだ。

 

患者は痛みだけでなく、痛みを理解してもらえないという苦しみをも抱え込まねばならなかったのね。

 

でも、最近の研究では、この慢性疼痛、どうやら記憶と関係していることが分かってきているらしい。

 

これは損傷や炎症から来る痛みの刺激が消失した後にも、神経系の中に「痛みの記憶」が残ってしまう状態と考えられているそうだ。

 

つまり、痛みの記憶をうまく消去できなくなった状態のことだそうだ。

 

このことは、損傷や炎症といった身体組織の物理的変容のみならず、記憶もまた痛みの原因たりうることを意味している。

 

さらに、これに関する興味深い事実があり、慢性疼痛を感じている状態にある患者は、外部から与えられる急性疼痛の痛みを「快」と感じるという。

 

慢性疼痛患者と健常者に同じ痛み刺激を加える実験を行なったところ、本人の主観的報告では、どちらのグループも痛み刺激について同程度の不快感が表明されているものの、脳の活動を見てみると、慢性疼痛患者は健常者とまったく異なり、急性の痛み刺激をまるで「報酬」のように捉える活動パターンを示していた。

 

また何よりも、患者本人に慢性疼痛の変化について尋ねると、一様に驚いた様子で「〔慢性疼痛の〕自発痛は減っていました」と報告したという。


國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』から引用。


う~ん、うすうす感じてはいたけど、人間って本当に不思議な存在だなあ。



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ドゥルーズの自我モデル

2015年04月29日 10時54分59秒 | 日記

國分功一郎著『暇と退屈の倫理学』より引用。

 

フロイトの精神分析は、エス/自我/超自我という三つの構成要素からなる精神像を描き出した。大雑把に言えば、エスは生命としてのエネルギーそのものであり、自我はそこから析出される形で現れる、意識の担い手であり、超自我はその自我を監視する、良心や理想の担い手である。ここではその厳密な定義を検討する必要はない。問題はドゥルーズによるその批判的再検討の方である。

ドゥルーズはこのモデルについて、これは精神生活を大局的に、つまりマクロ的に捉えた時に見出されるものにすぎないと考えた。すなわち、それはミクロな水準で起こっている無数の出来事を、大雑把に――今の言葉で言えば「ざっくりと」――まとめ上げた時に取り出せる傾向にすぎない、と。

ならば、ミクロな水準で起こっていることとは何か?ドゥルーズによれば、いわゆる自我がエスから生成したと見なされるよりも前の段階では、エスの中に、複数の刺激がもたらす複数の興奮と、その興奮を「拘束」しようとする複数の作用のみがある。やや専門的な話になってしまうが、「拘束」とは精神分析の用語で、興奮が流出するのを制限する精神作用のことを指す。興奮を抑えようとする働きと考えればよい。これは、本稿の議論に置き換えれば、サリエンシーへの慣れに対応する。また、精神分析の権威ある事典によれば、興奮を抑える「拘束」の作用は、「表象を相互に結合し、比較的安定した形態を構成し維持しようとする」ことで行われる。比較的安定した形態の構成・維持とは、本稿で言う予測モデルの形成に相当する。

ドゥルーズによれば、こうして拘束された興奮の一つ一つが、人間を根本から駆動する欲動となる。つまり、単数形のいわゆる自我が生成するより前の段階では、刺激による興奮を拘束することで発生する欲動が無数に存在している。つまり、一つの自我があるのではなくて、無数のミクロな自我があるということである。ドゥルーズはそうした複数のミクロな自我を「局所的自我」と呼んでいる。いわば、ツブツブ状の自我群である。それらのツブツブがマクロ的に統合される限りで、いわば自我は存在する。

環境やモノや他者を経験する自己およびその身体は、最初から存在しているわけではない。まず自己があって、それが環境やモノや他者というサリエンシーを経験するのではない。自己そのものがサリエンシーへの慣れの過程の中で現れる。「自他」という言葉を使って説明するならば、これはすなわち、〈他〉への慣れが行なわれる過程において〈自〉が出来上がることを意味する。サリエンシーという〈他〉に対する慣れの過程が〈自〉を生み出す。

 

 

う~ん、僕が調子を崩すと、視野が狭くなり、息苦しくなり、周囲に押しつぶされるような感覚になるのだけど、だんだん自他の境界線があやふやになります。この時、僕の体から炭酸水の泡が出ている気がするのですが、この症状はドゥルーズの自我モデルと何か関係があるのでしょうか。

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結婚に幻想がない?

2015年04月28日 17時12分24秒 | 日記

作業所の厨房で一緒に働いているYさんに「Mさんは結婚に幻想がないんだってさ」と話したら「私もないよ」とあっさり答えられた(ちなみに二人とも30代)。

 

「結婚しなくてもいいの?」と訊いたら「いいよ」という返事が返ってきた。

 

Yさんによると「子供は好きだから欲しい」そうだが、結婚に関して何かトラウマ(精神的な外傷)でもあるのだろうか。

 

ところで、トラウマとは、自分や世界がこうなって欲しい、こうなるだろうという予測を、大きく侵害する想定外の出来事の知覚や記憶のことだそうだ。

 

「サリエンシー」とは「突出物」とか「目立つこと」などを意味する語だが、精神医学等で用いられる専門用語としては、精神生活にとっての新しく強い刺激、すなわち、興奮状態をもたらす、未だ慣れていない刺激のことを指すそうだ。

 

そして、世界はサリエンシーなのだから、それに対する慣れを構成する過程(その現象がもっている反復構造を発見し、それについての予測を立てる)には終わりがない。

 

だから、生きるとは、相対的に安定した予測モデルを作り続ける過程であるらしい。

 

さて、これを踏まえた上で、結婚に幻想がないということは諦めたということだろうか。

 

別にそれでも(安心感は得られるので)構わないのかもしれないが、何となく退屈な気がする。

 

彼女たちはそれで幸せなのだろうか。

 

まあ、退屈を紛らわす方法など他にいくらでもあるのだろうが。



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デスノート

2015年04月24日 16時18分28秒 | 日記

今日、作業所で名前を知らないメンバーさんに名前を訊いたら、教えてもらえませんでした。
何故だか分からないけど「大丈夫、デスノートに書いたりしないから」と言えば良かったなと後で思いました。
機転の利かない僕でした。



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「僕は神を信じているのだなあ」と思う時

2015年04月24日 14時55分53秒 | 日記

「死にた・・・」とまで言いかけて躊躇し、それから「くない」と続ける。


「死にたい」と言ってしまったら、すぐに「死にたくない、死にたくない」と前言撤回する。


こういう時、「僕は神を信じているのだなあ」と思う。


なぜなら、本当に神が願いを叶えてしまうかもしれないと思うから。


「でも、この神、本当は死にたくないという僕の本心を見抜けないという点で間抜けだなあ」とも。


僕は、神の存在は信じているが、信頼はしていないのかもしれない。


神が全知全能だと思っていないから、自力に頼ってしまうのかもしれない。


試しに「死にたい」と言ったあと、委ねてみようか。


どうなることやら。


とにかく、結果がどうあれ、認識は深まるような気がする。



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詩・僕も歌っていいのだな

2015年04月23日 16時16分03秒 | 日記

歌を歌っていいのは歌手ばかりではないのだな

僕も歌っていいのだな

暗闇の中、自転車で坂道を下りながら、気持ち良く

別に上手くなくてもいいのだ

他人に聴かせるわけではないのだから

ただ本当の欲求から

自分を解放するのだ

世界に

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猫的人間(悟りに近い人)

2015年04月22日 15時27分59秒 | 日記

知っているだろうか、この世に猫的人間なる者たちが存在することを。


彼らの特徴はとにかく孤独に強いことである。


けれども別に孤独に耐えているわけではない。


そうではなく単に孤独が好きなのである。


彼らは他人の評価など全く意に介さない。


だから学歴なんかに頼らなくても平気でいられるのである。


彼らも働きはする。


だがそれは単に生きるためである。


どこかの誰かさんのように虚栄心を満足させるためではない。


働き者からすると怠惰に映るかもしれないが、必要最低限の生活で間に合わせることができる彼らは地球環境に優しい。


エゴではなくてエコな人たちなのである。


普段は目立たないが意外に身近なところに彼らは生息している。


注意して見れば分かる。


そう、統合失調症の人たちだ。


彼らの多くは障害者と見做されているが、もしかしたら悟りに近い人たちなのかもしれない。



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自慢する人は嫌われる

2015年04月21日 14時11分29秒 | 日記

自慢する人は嫌われる。
他人を貶める人も嫌われる。
なぜ、こんな常識を高学歴な人が身につけていないのか、不思議だ。
こういう欲求を抑え切れないところが病的と見做されるのだろうか。



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都立松沢病院に勤務するS君に僕の本を送る

2015年04月16日 13時31分53秒 | 日記

東京都庁に就職し、現在、有名な精神科病院の都立松沢病院に勤務する大学時代の友人S君。
彼の承諾を取り、先ほど僕の「統合失調症再生ノート」という本を郵便の書籍扱いで送らせていただきました。
彼は松沢病院に勤務してから3年目になるそうですが、社会復帰支援室医療連携担当として働いているそうです。
クリスチャンの彼は僕より3歳年下なのですが、誠実で人格的に信頼できる人物です。
僕が精神病になってからも付き合ってくれるのがその証拠です。
彼のような人と知り合えて本当に良かった。



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今夜からリスペリドン飲みます

2015年04月15日 17時12分33秒 | 日記

2回前の診察から処方されるようになったリスペリドンというジェネリックを今夜から飲みます。
以前、勝手に断薬したせいでズレが生じてしまったのね。
成分はリスパダールと同じということなので特に心配はしていませんが、安い分どうなることやら。



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サヴァン症候群の頭の良さは打算的じゃないところがいい。

2015年04月15日 15時59分09秒 | 日記

たくさんの本の内容や音楽のメロディーをすらすら記憶してしまうサヴァン症候群の人たち。
彼らは人並みのことができないけど、常人では真似できないようなことができる。
カレンダーを覚えていて、年月日を言えば、その曜日を当ててしまったりもする。
彼らは脳内の脳梁という部位が生まれつきないために、右脳と左脳を別々に働かせたりすることができるそうだ。
彼らは物覚えがいいというよりは忘れることができないのだそうだ。
でも、精神疾患というよりは個性と捉えたほうがよいとも。
この能力、実はすべての人が持っているそうだ。
普段は抑えられているが、脱抑制されれば、誰でも同じことができるそうだ。
ただ、そうなると脳のバランスが崩れて大変なことになるらしい。
だから、普通の人はこの能力を抑えているのだそうだ。
ところで、サヴァン症候群の頭の良さは打算的じゃないところがいいと思った。
それどころか、他人を喜ばすことができる。
実際は生きづらさも抱えているのだろうが、人間っていいな~と思わせてくれることは確かだ。



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例えば自分のIQが30年前より10高くなったとしても

2015年04月14日 18時08分25秒 | 日記

例えば自分のIQが30年前より10高くなったとしても、みんなが等しく10高くなったら、頭がよくなったという実感は得られにくいんだろうなあ。



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IQ150

2015年04月14日 15時47分24秒 | 日記

「IQ150」が「愛嬌150」だったらいいのに。



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「頭がいい=打算的」ということなら嫌だなあ。

2015年04月12日 15時59分20秒 | 日記

「頭がいい=打算的」ということなら嫌だなあ。
何でもかんでも損得で考えそうな気がして。
そもそもこの世のものは本当は自分のものではないのに所有することに熱心で。
言葉や知識だって他人から教わったのに考えるのは自己利益を増やすことばかり。
何とかならないかなあ。



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平成26年度に僕が稼いだお金

2015年04月10日 13時28分37秒 | 日記

今日は作業所の工賃日でした。
3月分の工賃は基本給が25430円で、皆精勤手当が3000円ついたので、合計28430円でした。
労働日数は18日でした。
これで平成26年度に僕が稼いだお金が確定しました。
全部で294970円。
う~ん、1年でこれだけかあ。
まあ、それでも出勤日は1日も休まなかったし、自分なりによくやったと思います。
これからの課題は仕事中できるだけ調子を崩さないようにすることです。
なにしろ、調子を崩すと、息をするのも大変になるからなあ。
これでも一生懸命やっているのです。
そこは分かってください。


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