プシコの架空世界

ホレホレ触るとはじけるゾ。
理性がなければ狂いません(妄想の形成にも理性の助けがいる)。

亡くなって惜しい人

2011年05月31日 09時53分49秒 | インポート

 これまた2000年頃の話。

 当時、僕は引きこもり気味の生活をしていたのだが、部屋の窓から外を見ると、なぜかいつも印象に残る人が二人いた。

 一人は、犬を散歩させている細身で優しそうなおじさんで、もう一人は、くわえタバコで歩いている細身で病弱そうなお兄さんだった。

 知り合いではなかったが、僕は何となくその二人を見るのが好きだった。

 でも5月頃、僕が母に最近その二人を見かけないと話したら、母はその二人の名前を知っていて、二人とも昨年死んでしまったよと僕に告げた。

 とても驚いた。

 そして残念に思った。

 いい人は早死にするというのは本当だろうか。

 本当にあの二人は長生きさせてあげたかった。

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嘘と女

2011年05月30日 09時27分28秒 | インポート

 「夢」と記されている2000年頃の日記から。

それにはこう書かれている。

「愛しているからこそ騙し続ける男」。

「前世でも、現世でも、真実を知る薬を飲む女」。

う~ん。

どんな夢だったか、いまいち、思い出せない。

それにしても実際、そんな男女って、いるのだろうか。

「愛しているからこそ騙し続ける男」というのは例えば彼女が不治の病にかかっている場合などには現実味があるが、果たしてわざわざ「真実を知る薬(そんなものないし・・・)を飲む女」なんているのだろうか。

「女は嘘が好き」と聞いたことがあるような気がするが、偏見だろうか。

嘘でも、最後まで気持ちよくさせてくれるなら、オーケーというのが大人の女なのではないだろうか。

ああ、いかん。

これも妄想かな・・・。

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アンドレ・ブルトン『ナジャ』

2011年05月28日 10時20分20秒 | インポート

 ナジャは、その優れた感性と行動力故に、かえって平凡な生活をするのが困難だったのだろうな。

 ブルトンは詩人の感性で、それを見逃さなかったのかもしれない。

 というか、それに捕らわれてしまったのかもしれない。

 僕が女性と1対1で親しく付き合ったことは一度しかないのだが、それでも心に残っている素敵な言い回しや表情や姿やしぐさがある。

そしてそれが今でも僕を苦しめるのだが、ブルトンもそんな感じだったのだろうか。

 彼女は過食症で時々精神が不安定になったが、調子のいい時は本当に素敵な女性だった。

 容姿は大人っぽいのに、精神が少女のままだった。

 職業を持っていなかったから、その分、穢れていなかったのかもしれない。

 打算的ではなかった。

 病んでいたが、病むだけの心があった。

 いわゆる「擦れ枯らし」ではなかった。

 女の子っていいなと素直に思えた。

 絶対壊れない女性はつまらない。

 そういう女性からはビビッとしたものを感じない。

 壊れそうなのだけど、一生懸命戦っている姿が痙攣的に美しい。

 ブルトンはそういうナジャにどこかで気づいていたのだろう。

 単に生活を維持するというレベルではない次元の戦いをしていた彼女に。

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預言者

2011年05月27日 08時15分47秒 | インポート

 「預言者」なんて、日本という国にはいまだかつていなかったし、これからも出てこないであろうな。

 あれは遠い昔の外国の話。

 日本人は誰もそんな人を求めていないし、必要としてもいない。

 たまに心からの叫び声をあげる者がいても、見世物としか映らない人々の中で、彼は精神病院送り。

 【システムを乱すな!】。

 【プログラムが円滑に進まなければ、結局、自分が不利益を被る羽目になるのだぞ!】。

 みんな分かっている。

 分かり過ぎているくらいだ。

 でもそれは頭だけの理解。

損得勘定のこの世的な価値観。

 みんなそれに縛られている。

 だから守っていても充実感がない。

中身がないから。

 心がないから。

 彼らが捨て身の戦法を取ることはない。

 体面を何より大切にしているから。

 それなしにはアイデンティティーを保てない人たちだから。

 それに比べて、消費生活で満足できるほど下等ではなかった、精神病者に栄光あれ!

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自意識について

2011年05月26日 10時06分11秒 | インポート

 「自意識」とは自分はこうだとか自分の存在とかについての意識のことで、つまり対象が自分の意識そのものに向かっているわけだけど、過剰になると苦しいものだよね。

 だから自意識は自分の一部に過ぎないと知っておくのは大切だね。

 「自己」を意識している時だけが自分ではないということ。

 眠っている時やボーっとしている時も自分なのだね。

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チェーホフ『六号室』

2011年05月25日 07時40分40秒 | インポート

ロシアの小説家チェーホフに『六号室』という小説がある。

舞台は精神病院だ。

小説にはそこに勤める一人の医師と一人の精神病の若者のやり取りが描かれている。

当時の精神医療には薬物療法などはなく、病院内の秩序は暴力で保たれているような有様なのだが、奇跡的に二人はお互いの本音を語り合っている。

若者の方は監視人の管理下に置かれ、精神病の症状もあってか、かなり怒っている。

だが彼は、自分の思想をしっかり持っており、社会に対する関心も並々ではない。

一言で言って熱い人である。

僕の目には彼は、かなり苦しいだろうが、生き生きとして見える。

聖書に出てくる預言者ってこういうタイプの人だったのではないかと勝手に想像してしまう。

医師の方もそういう彼のことを「なんという気もちのいい若者だろう!」と思うくらい気に入っている。

僕もこの若者は、精神的に病んでいるとはいえ、魅力的だと思う。

現代社会では精神病者が、暴れているのを見かけることはあっても、これだけ激しく自分の考えを誰かに語っているのを見ることは少ないと思う。

もしかしたら僕たちの社会はそういう能力を持つ者に、それを発揮する場を与えていないだけではないかと思った。

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抑圧について

2011年05月24日 08時34分14秒 | インポート

 友だちから「あの時はああだったよね、(僕が)何々って言ったよね」と言われた時、そういえばそんなことを言ったような気がする・・・という経験が高校生の頃の僕にあった。

 すごくキザなセリフで赤面するくらい恥ずかしいのだが、知らぬ間に抑圧していたらしい。

 いつの間にか忘れてしまっていた。

 そして今また、そのセリフを思い出そうとしているのだが、はて、どんなものだったのだろう?

思い出せない。

 また、抑圧してしまったらしい。

 よほど僕の自我を形成するために不都合な発言だったと見える。

 そのセリフを思い出す鍵はその友人が握っている。

だけど残念なことにその友人が誰かさえ記憶が曖昧になっている。

どうにも情けない話である。

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キス

2011年05月23日 09時18分48秒 | インポート

 「キスしたら、その相手と結婚しなければならない」。

 子供の頃はそれを本気にしていた。

 「キスしたら、子供ができる」とまでは信じていなかったが、一生一緒に暮らさないといけないと思っていた。

 だからパートナー選びには慎重になった。

 女の子を好きになると、一生付き合えるかな・・・といつも考えた。

 みんな、そういうふうに考えているものだと思っていた。

 「ナンパ」という言葉は知っていたが、僕には無縁だった。

 僕の青春時代にはディスコというものが流行っていたが、一度も行ったことがなかった。

 そんな所で知り合う女性など、どうせ、ろくなもんじゃないという思い込みがあった。

 「風俗」にも無縁だった。

 大学の卒業式のあった日の夜、歌舞伎町の覗き部屋に友人たちと一度行っただけである。

 精神病になるような人間はそれまでさぞかし滅茶苦茶な生活をしていたのだろうと思うのは誤解である。

 むしろ真面目すぎるくらい真面目に生きた結果が精神病だったのである。

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破滅願望

2011年05月22日 09時22分59秒 | インポート

 学生の頃、修学旅行先の名所の池や階段に、ここで落ちたり、転んだりしたら、近いうちに死ぬとかいう言い伝えがあったりするのを知ると、無性に飛び込んだり、転んでみたりしたくなりました。

 それは自分でもよく分からない感覚でした。

だけど、今から思うと、あれはたぶん怖すぎてそんなことをしたくなったのでしょう。

合理的な判断では危険なものからは遠ざかるというのが正解だろうけど、あの時の僕はそうではありませんでした。

 怖いものでも、あんまり気になると、避けるどころか、むしろ引き付けられてしまう。

 こういうことは僕に限らないと思います。

皆さんにも心当たりはありませんか?

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そのままにしておきたい広大な土地

2011年05月21日 09時51分54秒 | インポート

 僕が住む所沢市には市の中心部に米軍所沢通信基地がある。

 基地の面積は978840平方メートルもある。

 実に東京ドームの約21倍の広さだ。

 この基地は横田基地の第5空軍第374空輸航空団に所属する送信基地であり、横田基地と米軍航空機を結ぶ通信業務を行なっているそうだ。

 この基地の返還運動は僕が生まれた頃からあって、実際、一部返還が認められて、広い公園になったりしている。

 でも僕は個人的にこれ以上返還してもらわなくてもいいような気がしている。

 確かに市の中心部に米軍基地があるのは不便だが、かといって返還されたらどのような使い方をされるか分からないからである。

 たぶん有益な使い方をされるのだろう。

 有益な・・・。

 だけど僕はそこに引っかかるものがある。

 僕は広い空の下、ただ鉄塔やアンテナがあるだけの、緑のだだっ広い空間を見るのが好きなのだ。

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雨の校庭

2011年05月20日 07時47分16秒 | インポート

 雨の校庭は

誰もいない校庭

何もしない校庭

僕はただ

教室の窓を開け

雨音を聴きながら

それを見るのが好きだった

 はるか昔

 僕が生まれる前も

 そうだった気がする光景

 似たような体験を

 していたからであろうか

僕の祖先も

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心の痛み

2011年05月19日 09時58分35秒 | インポート

 「痛み」は選択されるか、どの程度選択されるか、という環境依存性が非常に高い感覚だそうです。

 だから痛みは絶対的な数値として計れないそうです。

 僕はこれを感覚的に理解できます。

 僕には中学生の頃、手からぶら下げていた工具袋から突き出ている錐(きり)が足にブスブス刺さっているのに、考え事をしていたため、気づかずに歩き続けたという経験があるからです。

 いや、痛みだけではなく、我々の現実を形作る全ての感覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚といった刺激)も選択されなければ意識に昇ってくることはないそうです。

 意識と現実は同じような意味です。

 我々が持ち得る現実など、結局は意識に限界づけられているということです。

 ところで統合失調症者の現実(意識)はどのような感覚を選択した結果なのでしょうか。

 統合失調症の発症メカニズムを説明したものにストレス脆弱性仮説というものがありますが、僕にはむしろ統合失調症は「心の痛み」を選択しなかった結果だと思われるのです。

 統合失調症者が脳の調子をおかしくさせるほどのストレスに晒された人だということは間違いないと思いますが、生まれつきの素因(ストレス脆弱性)があったからというよりは、むしろ心の痛みを意識しまいとしてがんばって抑圧したから、思わぬ症状として表れたような気がしてならないのです。

 でもこれを実証するのは生物学的な研究では難しいかな。

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いつどこで誰が思うのか

2011年05月18日 09時24分06秒 | インポート

 思うのは、思おうと思って、思うのではない。

 思うのは、『僕』の意志で、思うのではない。

 ただ思い浮かんだことを、『僕』が思ったと、思うだけだ。

 では一体いつどこで誰が思っているのだろう。

 デカルトの「我思う故に我あり」なんて。

長年、学校は間違ったことを教えてきたのだね。

 一体いつどこで誰が責任を取るのだろう。

 プラトンのイデア界(万物の本質・原形が存在する世界、天上にある理想世界)も怪しいぞ。

 正直言って、僕は頭の中で完全な直線なんて永遠に思い描けないと思うから。

 でも彼らの妄想は「哲学」として通用するのだよね。

 うらやましい。

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思想及び良心の自由

2011年05月17日 08時21分32秒 | インポート

 日本国憲法は国民の基本的人権を保障しています。

そして第19条は「思想及び良心の自由」を規定しています。

 第19条【思想及び良心の自由】思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

 「思想」とは「その人の社会生活や行動の仕方を決める、根本的な考え」のこと。

 「良心」とは「自分の行いに対して、善悪を判断する心」のこと。

 幻聴さんたちは、日本語を喋るくせに、この法律を知らないのだろうか。

とにかく彼らはこの基本的人権の一つである自由権を侵害しています。

 つまり悪いのは彼らの方で、僕は自分の思想や良心について第三者の彼らにとやかく言われる筋合いはまったく無いのです。

 彼らは馬鹿なのだろうか。

 それとも教養が無いだけなのだろうか。

 とにかく、自分がうまく生きられなかったうっぷんを僕に晴らそうとするのは、間違っています。

 だから今すぐ止めてもらいたい。

 僕の思想及び良心に彼らを嫉妬させるものがあることは自覚しています。

 でも僕は僕の道を行くだけ。

 おあいにくさまでした。

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名誉に対する罪

2011年05月16日 08時51分05秒 | インポート

 刑法には(名誉毀損)についての条文があります。

 第230条① 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。

 また(侮辱)についての条文もあります。

 第231条 事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。

 日本の法律には「罪刑法定主義」という「どのような行為も法律の定めがなければ罰することはできない」とする主義があるため、わざわざこんな条文が定めてあるわけです。

 何故このようなことを書いたかというと、「仮に、もし僕の幻聴が幻聴でなく、本当に言われているものだとしたら、言っている連中はみな犯罪者なんだなぁ」と思ったからです。

 つまり正されるべきは、悪口を言う側にあって、統合失調症者の側にはないということ。

 だから、幻聴で苦しんでいる当事者の皆さん、気にしないでいきましょう!

 あなたは全然悪くないのです。

 こんなこと言っても、何の気休めにもならないかもしれませんが・・・。

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