プシコの架空世界

ホレホレ触るとはじけるゾ。
理性がなければ狂いません(妄想の形成にも理性の助けがいる)。

カビキラー

2013年05月31日 15時51分00秒 | インポート

 

 お風呂の天井のカビを退治しようと思って、カビキラーをスプレーしていたら、久しぶりに精神の調子がおかしくなりました。<o:p></o:p>

 

 スプレーのにおいを嗅ぎすぎたことと、天井から滴り落ちてくるカビ混じりの水滴が僕の体に付着したことが原因だと思われます。<o:p></o:p>

 

 「あ、あ、あ・・・、浸食されていく~」という感じ。<o:p></o:p>

 

 抗精神病薬を飲もうかとも思いましたが、我慢しました。<o:p></o:p>

 

 換気扇を回して部屋の空気を入れ替えたり、クイックルワイパーで床を掃除したりして、正気を取り戻しました。<o:p></o:p>

 

 こんなことで精神の危機に陥ってしまうのだから、我ながら嫌になります。<o:p></o:p>

 

 でも、自分で自分を労わりながら、やっていくしかありません。<o:p></o:p>

 

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一つは山に、一つは海に、捨てました。

2013年05月31日 10時40分02秒 | インポート

 

 2013年5月31日(金)<o:p></o:p>

 

 今日も印象深い夢を見たので、報告させていただきます。<o:p></o:p>

 

 新潟に住む親戚の男の子が、対面する僕に、強く訴えてくるので(何を訴えているのか、内容は忘れました)、断固として拒否するという夢でした。<o:p></o:p>

 

 僕は、彼と険悪な関係になったことはないし、当然、悪意を抱いたこともないので、どうしてそんな夢を見たのか、不思議でなりません。<o:p></o:p>

 

 最後に彼の姉が「一つは山に、一つは海に、捨てました」という謎の言葉を発して、夢が終わりました。<o:p></o:p>

 

 一体、この夢に、どんな意味があるのだろう?<o:p></o:p>

 

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気持ち悪い夢と焦る夢

2013年05月30日 11時09分22秒 | インポート

 

 三日前、気持ち悪い夢を見ました。<o:p></o:p>

 

 「こいつが(メガネの蝶番を)直してくれるんだよね~」とか言う男の左の眉毛からゴキブリが出てくるという夢でした(不快になったらごめん!)。<o:p></o:p>

 

 二日前は焦る夢でした。<o:p></o:p>

 

隣の家のケンちゃんに見つからないよう、ビニ本を必死になって隠すという夢でした。<o:p></o:p>

 

 ケンちゃんは高校生くらいの姿でした。<o:p></o:p>

 

 ケンちゃん以外にも人は大勢いましたが、みな、知らない人ばかりでした。<o:p></o:p>

 

 最近、複雑で掴みどころがない夢ばかり見ていましたが、この二つの夢は印象深かったので、紹介させていただきました。<o:p></o:p>

 

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蛇の石

2013年05月28日 11時13分16秒 | インポート

我が家の玄関には蛇の模様の入った石が置いてあります。
父が生前、どこからか、買ってきたものです。
一時期、偶像崇拝の禁止を厳守しようとした僕に処分されそうになりましたが、実際、動かそうとしたら、かなり重たくて(蛇だからヘビーか、なんてダジャレが思い浮かぶ)、僕に「これは動かしてはいけないものなのかもしれない」という妄想を抱かせるほどでした。
また、蛇は大昔、神だったというし、僕も母も巳年生まれなので、いいお守りになってくれるのかもしれないとも考えたりして。
だから、いまだにそのままにしてあります。
どんなものか写真を載せておきます。
ご覧ください。
Imgp0422_2

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物語と統合失調症

2013年05月27日 08時29分44秒 | インポート

 

河合隼雄・村上春樹著『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』という文庫本より引用。<o:p></o:p>

 

P.123<o:p></o:p>

 

村上 つくり話をつくる病いのある人というのはいないのですか。<o:p></o:p>

 

河合 そういう人はやはり心の病いだから、できませんね。<o:p></o:p>

 

村上 そういうことができないのですね。<o:p></o:p>

 

河合 できないのです。もう逃げられないのですね。ただもう来なくなったり、箱庭をつくらなくなったりする。<o:p></o:p>

 

村上 では、病いのある人がつくれば、それなりに物語というものが出てくるということですね。<o:p></o:p>

 

河合 病いのある人が箱庭をつくる場合、それが変化していく様子の記録写真を見ると、しろうとでも、わりとなんとなくわかるものです。<o:p></o:p>

 

 ところが、ふつうに暮らしている人が箱庭にそれらしく置いたものは、これは見事におもしろくないのです。つまりいわゆる正常、健常といわれる人は、要するに、つまらないもの、逸脱のないものを置く才能を持っているのですよ。<o:p></o:p>

 

村上 つまり朝起きて、会社へ行って、仕事して、帰ってくるというのは、ある種のそういう才能なわけですね。<o:p></o:p>

 

河合 才能ですよ。<o:p></o:p>

 

村上 しかし、その病いを持っている人の中にも、非常におもしろいのと、まあまあ、おもしろいというのと、レベルがあるのでしょう。<o:p></o:p>

 

河合 ある程度ありますね。やはり深さのレベルに違いがあって、中にはすごいのがありますね。<o:p></o:p>

 

 逆に健常と言われている人がほんとうにコミットして作ったものはすごいですよ。だけど、それはその人にとってはものすごい仕事をすることなので、よほど条件が整わないとできません。<o:p></o:p>

 

村上 つくった人の病いの深さと、それを人が見た時の感動の強さというのは、比例するのですか。<o:p></o:p>

 

河合 いや、そうはいきません。なかなかむずかしいです。病いがあんまり深いと、その全部を表現できませんから。そうすると、一部だけになったり、かえって逃げよう逃げようということが先立ちますから。だから病いの深さと作品の深さとは、ちょっと一致しないところがあります。<o:p></o:p>

 

村上 人間は病んでいれば、だれにでも物語をつくる能力が、潜在的にはあるということなのでしょうか。<o:p></o:p>

 

河合 それはむずかしいところで、人間はある意味では全員病人であると言えるし、またいわゆる病んでいる人であっても、それを表現するだけの力がないと形になってこないんです。病んでいる人の場合は、疲れとか恐ろしさとか、そういうのがダーッと出るばかりで、物語にまでなかなかなってこないということもあります。<o:p></o:p>

 

村上 芸術家、クリエートする人間というのも、人はだれでも病んでいるという意味においては、病んでいるということは言えますか?<o:p></o:p>

 

河合 もちろんそうです。<o:p></o:p>

 

村上 それにプラスして、健常でなくてはならないのですね。<o:p></o:p>

 

河合 それは表現という形にする力を持っていないとだめだ、ということになるでしょうね。それと、芸術家の人は、時代の病いとか文化の病いを引き受ける力を持っているということでしょう。<o:p></o:p>

 

 ですから、それは個人的に病みつつも、個人的な病いをちょっと超えるということでしょう。個人的な病いを越えた、時代の病いとか文化の病いというものを引き受けていることで、その人の表現が普遍性を持ってくるのです。<o:p></o:p>

 

う~ん。<o:p></o:p>

 

芸術家やクリエーターたちは、神経を擦り減らすような精神的な戦いをしながら、作品を生み出しているのかな?<o:p></o:p>

 

だとしたら尊敬に値するな。<o:p></o:p>

 

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恋愛と報酬系

2013年05月26日 14時57分04秒 | インポート

 

 池谷裕二著『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』から引用。<o:p></o:p>

 

 P.71<o:p></o:p>

 

 では、「報酬系」はどんなしくみになっているのでしょうか。<o:p></o:p>

 

 重要なキーワードがあります。<o:p></o:p>

 

 「ドーパミン」です。昔から「快楽を生み出す神経伝達物質」だといわれています。ドーパミンを放出する神経細胞がたくさん集まる場所に、「腹側被蓋野」があります。そこを刺激すると、ドーパミンがたくさん出ます。ネズミの腹側被蓋野を刺激すると、どうも気持ちよさそうだというのがわかるのです。とはいってもネズミは「気持ちいい」とは言ってくれないので、ネズミの腹側被蓋野に電極を刺して、自由にスイッチを押させます。すると、ネズミは喜んでスイッチを押して脳を電気刺激します。飲まず食わずでも、そのスイッチを押し続けてしまうくらいです。自分を見失ってしまうくらいの快感なのでしょう。腹側被蓋野のように快感を与える脳部位のことを、報酬の神経系ということで「報酬系」という名前がついています。<o:p></o:p>

 

 (中略)<o:p></o:p>

 

 2005年の『神経生理学雑誌』に面白い論文が出ました。<o:p></o:p>

 

 交際を始めてから間もないアツアツ恋愛中の男女に、愛する相手の写真を見せたとき、脳のどこが反応するかを調べました。どこが活動したでしょうか。まさに「腹側被蓋野」だったのです。つまり、恋愛というのは相手のことを想っているだけで気持ちいいという状態です。「恋愛中毒」という言葉があるのもうなずけます。<o:p></o:p>

 

 先ほどの実験でもわかるように、ネズミはスイッチを押すことに熱中して飲み食いさえも忘れてしまいます。生命維持を考えたら、スイッチよりも飲食のほうがはるかに重要です。スイッチを押してばかりいては、生命は維持できません。<o:p></o:p>

 

 このとき、脳に何が起こっているかというと、〈価値基準の置き換え〉です。生きることすらも超越した「盲目性」が生まれているのです。何が大切かがわからなくなってしまうくらいの強烈な「熱中力」。でも、外から見ると、盲目的すぎて怖い集中力です。覚醒剤中毒も、報酬系が強く刺激されるので、やめられないのです。恋愛もそうです。他の人が、「あの人とは付き合わないほうがいいよ」と忠告したくなるような恋愛でも、本人にとっては、飲み食いよりも大事なくらい必死なのです。恋愛中の人は、すべてを犠牲にしてでも愛を捧げます。<o:p></o:p>

 

 う~ん。<o:p></o:p>

 

 母は僕の恋愛妄想を「本当の恋愛ではない」と言いますが、恋愛の本質からは外れていなかったわけですね。<o:p></o:p>

 

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音楽と統合失調症

2013年05月25日 15時41分35秒 | インポート
 

 

 古代から中世までの西欧社会では、音楽は、聴いて楽しむというより、世界や宇宙を調律している法則と考えられていたようで、哲学や科学に近いものだったそうです。<o:p></o:p>

 

 音楽は3つの階層に分けられ、最上位のムジカ・ムンダーナは、人間の耳には聴こえない、宇宙やこの世界を調律している秩序と捉えられたそうです。<o:p></o:p>

 

 2位のムジカ・フマーナは、人間の心身を司っていて、この調律が狂うと、人間は病気になったり性格が歪んだりすると考えられていたそうです。<o:p></o:p>

 

 3位のムジカ・インストゥルメンタリスは、実際に耳に聞こえ、楽しむ音楽とされていたそうです。<o:p></o:p>

 

 面白いのは、調和のとれた音は、人間にとって、心地よく響くということです。<o:p></o:p>

 

 統合失調症が酷かった頃の僕は、自分でもバランスが崩れているような気がしていましたが、周囲の人にはさぞかし迷惑な存在だったと思います。<o:p></o:p>

 

 当時のことは許してもらうしかありません。<o:p></o:p>

 

 とにかく、統合失調症は、自我が弱いからではなく、脳内のホルモンバランスが崩れるからなるのだと思います。<o:p></o:p>

 

 だから、統合失調症の人には安心して心を休められる場所が必要なのだと思います。<o:p></o:p>

 

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ストレスについて(2)

2013年05月24日 21時09分11秒 | インポート

 

 池谷裕二著『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』より引用。<o:p></o:p>

 

 P.82<o:p></o:p>

 

 「スポーツでストレス解消をする」「音楽を聴いて解消する」などとよく言います。スポーツや音楽が、実際にストレスを解消させているというのもあるとは思いますが、それだけではなく、「スポーツをすることで解消できるんだ」と思い込み、一種の精神的な逃げ道をつくることで、間接的にストレスが減るという側面も少なからずあるでしょう。なぜならば、ストレスというものは基本的には慢性的なものです。ですから、スポーツを1時間やってストレスを解消したとしても、残りの23時間はやはりストレスを感じているわけです。この意味では、ストレス解消になっているとは考えにくいわけです。<o:p></o:p>

 

 つまり、重要なことは、ストレスを解消するかどうかではなく解消する方法を持っていると思っているかどうかです。そして、それ以上に重要なことは、「別にストレスを感じていてもいいんだ」と考えることだと思います。ストレスをあまりに怖がりすぎると、実際にストレスを受けたときに、必要以上に反応してしまうはずです。それよりも、「ストレスはどうせ避けられないものであって、ストレスを受けても、私はいつでも解消できるのだ」と信じていることが肝心なのです。<o:p></o:p>

 

 (中略)<o:p></o:p>

 

 逃げ道を知っていること、逃げられるという自分の状況を把握することは大事です。誰にでも、逃げ道はあります。(これを言っては身もふたもありませんが)。絶対的な逃げ道は「死ぬ」ことです。私たちにはいつでも「死」という逃げ道が残されているのだから、まだまだ頑張れるともいえます。「死ぬ気で頑張る」とはよく使う表現です。この意味で、死は生への駆動力になっているといえます。<o:p></o:p>

 

 ああ、僕が統合失調症(当時は精神分裂病)の急性期に陥っていた頃、心理的な逃げ場があったらなあ・・・。<o:p></o:p>

 

 世界が監獄に感じられていたからなあ。<o:p></o:p>

 

 せめて、今度は、この失敗は犯すまい。<o:p></o:p>

 

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ストレスについて(1)

2013年05月24日 18時45分39秒 | インポート

 

 池谷裕二著『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』という文庫本から引用。<o:p></o:p>

 

 P.78<o:p></o:p>

 

 「ストレス」は目には見えない。溜まり具合を言葉で訴えても、客観的にその程度を推し量ることは難しい。ストレスを感じていないつもりでも、体は強いストレスを受けていて、知らぬうちにやっかいな疾患に陥ることもあるし、ストレスを訴えてばかりいる人が案外ストレスに強かったりすることもある。主観的なストレスと体性的なストレスは異なるのだ。医学的により重要なのは、自覚されるストレスではなく、無意識であっても体が現実に感じているストレスのほうだろう。<o:p></o:p>

 

 ストレスに対する体の反応は、「視床下部」や「下垂体」、「副腎皮質」を軸にして(HPA軸と呼ぶ)、全身の連鎖応答で生じる。これらの組織が「ストレスホルモン」を出す。ストレスホルモンとしてはACTHやグルココルチコイドなどがよく知られており、肥満や食欲不振、うつ症状を引き起こし、ひどい場合には神経細胞を殺してしまう。つまり、ストレスホルモンの血中量を測定すれば、体がどれほどのストレスを受けているかを客観的に知ることができる。<o:p></o:p>

 

 この観点から、ミシガン大学のアベルソン博士が『一般精神医学アーカイブ』誌に発表した論文は重要である。彼は28人の被験者に、HPA軸を強引に活動させる刺激薬を点滴して、直接に体にストレスを与えるという、なんとも強烈な実験を行なっている。しかし、彼が発見したことの意味は大きかった。<o:p></o:p>

 

 その薬剤を投与すると、ストレスホルモンが10倍にまで増える。なにせ直接刺激薬である。しかし、投薬によってどんな副作用が起こりうるかの説明を受け、もし気分が悪くなったら自分で注射量を調節できるボタンを枕元に用意してもらうだけで、ホルモンの上昇を80%も減らすことができるのだ。驚きである。<o:p></o:p>

 

 ここには二つのポイントがある。「予測」と「回避」である。生じる可能性があることをあらかじめ知っていること、そして、耐えられなくなったらいつでも回避できることを知っていることである。この二つだけで、いわゆる通常の環境因子によるストレスだけでなく、薬物で体に直接与えられたような強制ストレスさえも克服できるのである。これは知っておいて損はない知識である。すぐにでも日常に応用できるだろう。<o:p></o:p>

 

 う~ん。<o:p></o:p>

 

 これは経験的に分かる話だなあ。<o:p></o:p>

 

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僕は自分に正当性を感じているうちは強い

2013年05月21日 13時58分15秒 | インポート

 

 僕は自分に正当性を感じているうちは非常に強いのですが、正当性を感じられなくなると、メロメロになる傾向があります。<o:p></o:p>

 

 他人には些細なことに思われても、自分が悪いと認識したことは、誤りを正すことができるまで、クヨクヨしてしまいます。<o:p></o:p>

 

 悪い奴が死んでも心は痛みませんが、何の罪も犯していない子の死が理不尽に感じられて仕方がないのです。<o:p></o:p>

 

 「産む権利」は女性の権利とされ、彼女たちには「生殺与奪」の選択権が認められていますが、僕は「なぜ、自分は産んでもらったのに、自分のお腹の子は産んであげないのか」と思ってしまうのです。<o:p></o:p>

 

 とにかく、日本では毎年30万件位の中絶があるようです。<o:p></o:p>

 

 これは異常なことだと思うのですが、誰も表立って問題にしません。<o:p></o:p>

 

僕の頭がおかしいのでしょうか。<o:p></o:p>

 

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宗教VS.国家

2013年05月20日 16時56分44秒 | インポート

 

 工藤庸子著『宗教VS.国家 フランス〈政教分離〉と市民の誕生』という新書より引用。<o:p></o:p>

 

 P.5<o:p></o:p>

 

「人権とカトリック」という問題提起<o:p></o:p>

 

 第二次世界大戦後の1948年12月10日、国連総会で採択された「世界人権宣言」は、フランス革命時の「人権宣言」を範にして起草されている。ここで紹介するエピソードは、1998年に日本で「世界人権宣言五〇周年」の記念行事が行われていたときのこと。役所もからんで制作されたポスターの一枚に、人道的な活動によってノーベル平和賞を受けたマザー・テレサの姿が大写しになっていたものがあり、これを見てふと足をとめたヨーロッパ人が、「日本では、カトリックと人権というのは何か関係があるのか」と怪訝な顔をしたという。マザー・テレサはアイルランドの修道会の出身で、インドのダージリンに修道女として赴き、「神の召命」を受けて貧困救済のために生涯を捧げた人物。西欧の視点からすれば、この女性はカトリックのシンボルだというのである。<o:p></o:p>

 

 じつはこの話、樋口陽一『個人と国家』に紹介されている出来事であり、著者はこう問いかけられて、それまで自分が何気なく見ていたポスターが、ヨーロッパの友人にとっては思わず立ちどまるほどに違和感をいだかせるものだったという事実を、あらためて確認したという。第一線の憲法学者たる樋口陽一氏は、ここで友人が何をいおうとしているのか、ただちに思い当ったと述懐するのだが、そうした異文化理解の感性と基礎的な知識は、残念ながらいつのまにか身につくという種類のものではない。なぜ、マザー・テレサが「人権」を体現することが、一般の日本人にはとっては自然であり、西欧的な伝統においては奇妙に思われるのか。つづく段落の、著者による説明を引用しよう。<o:p></o:p>

 

   西欧の「人権」という観念から言いますと、人権というのはまさにキリスト教と政教分離の大闘争をやって闘い取ったものだという認識です。「カトリック教会の長女」と言われた伝統――長女というのは、フランス語やドイツ語では名詞に女性名詞、男性名詞がありますが、フランスという国名が女性名詞ですから、それで長女になるわけです――を持つフランスで、フランス革命の理念を実質化するための1875年体制のもとで、議会中心の共和政が定着していきます。その初期の共和政を安定させるための大闘争が、選挙によって選ばれた共和政の政治権力と伝統的に王党派の牙城であったカトリック教会との正面対決だったのです。<o:p></o:p>

 

 う~ん、なるほど、そうだったのか・・・。<o:p></o:p>

 

 けれども、中絶問題に関しては、カトリック教会の言い分が正しいと思うのだけどなあ・・・。<o:p></o:p>

 

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胎児はヒトではない?

2013年05月20日 14時32分54秒 | インポート

 

 僕は、洗礼を受けていないので、キリスト教徒ではないのですが、中絶禁止を訴えるカトリックの教えに親近感を覚えます。<o:p></o:p>

 

 けれども、カトリックの国であるフランスでさえ、1975年以降は中絶を認めるようになったそうです。<o:p></o:p>

 

 要するに、フランス人は、それまでの宗教の倫理を否定してまでも、中絶を選ぶ権利を獲得したわけです。<o:p></o:p>

 

 高齢者はまだ信仰が厚く、保守的な人も多いそうですが、50歳以下のほとんどの人は胎児をヒトとは考えていないそうです。<o:p></o:p>

 

 だから、胎児に人権があるとも、考えない。<o:p></o:p>

 

 僕は胎児もヒトだと考えているのですが、これは単なる理屈ではありません。<o:p></o:p>

 

 H大学の生物学の講義で、中絶手術を受ける妊婦さんのお腹の中の映像を、見たからです。<o:p></o:p>

 

 強制的に侵入した器具により、頭と胴体は分離され、頭は潰され、胴体は切り刻まれ、最後にバキュームで吸い出される、胎児の映像を見たからです。<o:p></o:p>

 

 その前に、もがきながら、叫び声をあげるような、胎児の映像を見たからです。<o:p></o:p>

 

 僕に言わせると、胎児がヒトでないなんて、とんでもない話なのです。<o:p></o:p>

 

 なぜ、連続した生命体を、言葉で区切ってしまうのか、僕はいまだに腑に落ちないのです。<o:p></o:p>

 

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天使の戦い

2013年05月19日 10時32分44秒 | インポート

突撃~!
Imgp0414

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お前の愛はいらねぇんだ

2013年05月19日 09時53分04秒 | インポート

 

 家の外から女たちの楽しそうな笑い声が聞こえると、僕のことを笑っていると解釈して、僕は心の中でこう呟く。<o:p></o:p>

 

 「お前の愛はいらねぇんだ」。<o:p></o:p>

 

 また、家の外から女たちの怒っている声が聞こえると、僕のことを怒っていると解釈して、僕は心の中でこう呟く。<o:p></o:p>

 

「お前の愛はいらねぇんだ」。<o:p></o:p>

 

いい年こいて中二病か。<o:p></o:p>

 

自意識過剰もいい加減にしたい。<o:p></o:p>

 

でも、僕のことが本当に噂されているとしたら・・・。<o:p></o:p>

 

なにしろ、僕は珍しい生き物だからな。<o:p></o:p>

 

しかし、こんなことで一生が終わるとしたら・・・。<o:p></o:p>

 

いやだな。<o:p></o:p>

 

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ありがちな間違い

2013年05月18日 15時31分53秒 | インポート

 

 自分が好きなモノは、相手も好きになるはずだ。<o:p></o:p>

 

 相手のコトを自分が好きだと思うと、相手も自分のコトを好きだ、と思ってしまう。<o:p></o:p>

 

 ありがちな間違い。<o:p></o:p>

 

 こんなに素晴らしい理想を理解できないなんて、惜しいな。<o:p></o:p>

 

 ここはひとつ、教育してやる必要があるな。<o:p></o:p>

 

 全くの善意だから、それを拒む人の気持ちが、分からない。<o:p></o:p>

 

 分からないのは、相手が未熟だから、と決めつける。<o:p></o:p>

 

 相手にも独自の歴史や文化や政治・経済システムや法律があるコトを、軽視する。<o:p></o:p>

 

 今、アメリカがやっているコト。<o:p></o:p>

 

 かつて、大日本帝国がやったコト。<o:p></o:p>

 

 しかも、軍隊という強制力を使って、無理やり押し付ける。<o:p></o:p>

 

 どんなに優れた理想でも、それを実行するには、正当な手続きを踏まねばならない。<o:p></o:p>

 

 それを、ないがしろにするから、遺恨となる。<o:p></o:p>

 

 傲慢になると、そういう感覚が、分からなくなってしまうようだ。<o:p></o:p>

 

 他人には全く迷惑な話である。<o:p></o:p>

 

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