精神病院に入院中習字をする機会があってその時僕は「生命」という字を書いた。何でも好きな字を書いてよいということだったので思いつくままそう書いたのだ。
でも半紙に書かれた僕の字を見て僕は何だか書いてはいけない字を書いてしまったという罪悪感にとらわれてしまった。何かその字を書き表したことによって他の患者さんたちから責められているような気がしたのだ。
精神病が重ければ重いほど精神的に辛くて苦しい。ぼんやりしているように見えてみんな生きるか死ぬかの瀬戸際で戦っている。そんな時「生命」などという字を見たらどう思うだろうか。励まされると思うだろうか。
でもそれは違う。逆に苦しくなるのだ。
生きるか死ぬかとかいう問題は健康な時ほど考えない。そしてこういう存在に関わる問題は悩んでいる本人だけの問題で自分の納得するまで解決することはない。しかも他人の目にはよく見えない。風邪と似ているが誰でもひく風邪と違って他人には感覚的によく分からない。苦しそうな顔つきや身振りなどを見て何だか苦しそうだなと推測するくらいで何がその人を苦しめているのかという原因はその人に直接聴いてみるまで分からない。でも親しい間柄でもそういう機会はほとんどないというのが現状だ。
その前に本人に苦悩を言語化できるほどの余裕がないこともある。本当に苦しいと人は言葉を話せなくなる。僕にもそんな時期があった。
ところが最近「生命、いい言葉じゃないか」と思った。自意識などというちっぽけなものを超えてとにかく生きようとする意志みたいな力。力だ。太陽は燃え、月は満ち欠けし、星はめぐり、雲は流れ、雨は降り、川は流れ、草木は根を張り、葉を茂らせ、花を咲かせ、実を生らせる、虫も動物たちも動き回る。細菌もウイルスも生きている。気づけばこの星は生命でびっしり溢れている。善悪を超えてこの世は今日も動き続けている。何てすごいのだろう!