威勢のいい啖呵を切るヤクザに対して「笑止」とかキザなセリフを発したお侍さんがいざ戦ってみたらすごく弱くて棒かなんかで頭を一撃されたくらいで「あひょ~ん」と伸びちゃったら笑える。
そんなくだらないことを洗い物の仕事をしてる最中妄想してました。
「罪・罰・負担を免除する。勘弁する」
それが許しの意味だが別に忘れることではない。
いわば「知っているけど知らんぷり」状態に近い。
「それ以上責めない」という否定語ではなく「免除する。勘弁する」という肯定語で語られるところがミソ。
何遍も言うが否定語を使うと「否定語をいったん肯定語に置き換えてから否定する」という脳の特性のため無意識的に失敗してしまうからだ。
「(過去のこと)忘れないから新しいものが入ってこない」というより「新しいものが入ってくるから(過去のこと)忘れられるのね」
忘れられない自分を否定してもダメでそれよりは新しいものに心を開いた方がいいのね。
普通に考えて精神の統合が失調するのは問題に情報処理能力が追いつかないからだろう。
しかし興味の対象が広すぎるからともいえる。
その分一つ一つ関連付けるのが大変になってしまうのだ。
イメージが豊かすぎて知的に処理しきれない状態。
統合失調症者が複雑な体系化より不自由な独裁化を志向しがちになるのはそのためではないかと。
被害者意識はなくそうと思ってなくせるものではない。
そのわけ。
被害者意識を抱いてはならない。
そう思うとかえって被害者意識に呪縛されてしまうからだ。
その仕組みはしてはならないことを前提にしているためいくら否定しようとも前提にされた被害者意識を心の中に残さざるを得なくなるからだ。
だからいつまで経っても葛藤から逃れられないのだ。
でもこれは別に意志が弱いせいではないので問題をこじらせないようにしたい。
赦せない自分を責める必要はないということ。
また原罪のせいでもないので宗教に帰依する必要もない。
否定語をいったん肯定語に置き換えてから否定するという脳の仕組みのせいなのだ。
シロクマを思い浮かべないでください。
そう言われるといったんシロクマを思い浮かべてから否定するでしょ。
でもそれは仕方のないことなのだ。
昨日23歳年下のN・Iさんと所沢のグランエミオ内の蕎麦屋で食事した際にチョコレートのお菓子をプレゼントされたのですがもったいなくて食べられません。
バレンタインデーから約1週間後の出来事でしたが正直うれしいです。
僕の母さんによると「浮気はわからないようするならいい」と言うとです。
浮気に気づかなければ被害者意識も芽生えず問題に発展しないからというのがその理由だと思われますが本当にそれでいいのでしょうか。
その発想で行くと「バレなきゃ何したって構わない」ということになりはしないでしょうか。
ちょっと心配です。