僕が処女を求める理由。
ベーシックトラストが不安定だから。
人の言葉を信じ切れないから。
人は「愛している」と嘘をつくことができるから。
人は裏切るから。
でも、処女膜再生手術でもしない限り、処女は血で証明してくれる。
それだけが悪魔の証明に勝つことができる。
別に僕はサディストではない。
痛がるところなどできたら見たくないのだ。
また、女性を物扱いしているわけでもないのだ。
そこを誤解しないでほしい。
僕が処女を求める理由。
ベーシックトラストが不安定だから。
人の言葉を信じ切れないから。
人は「愛している」と嘘をつくことができるから。
人は裏切るから。
でも、処女膜再生手術でもしない限り、処女は血で証明してくれる。
それだけが悪魔の証明に勝つことができる。
別に僕はサディストではない。
痛がるところなどできたら見たくないのだ。
また、女性を物扱いしているわけでもないのだ。
そこを誤解しないでほしい。
G・K・チェスタトン著『正統とは何か』「二 脳病院からの出発」から抜粋。
あるいはまた、昔ながらのおとぎ話が永遠の生命を持っているのにひきかえて、新しい小説があんなにも早く生命を失うのもこのためである。昔ながらのおとぎ話では、主人公はいつでも尋常一様な少年で、びっくりさせるのは彼の出会う異様な事件のほうである。子供が尋常であるからこそ事件が彼をびっくりさせる。ところが現代の心理小説では、逆に主人公のほうが異様で異常なのだ。正常の中心が欠けているから正常が正常ではなくなって、異常が正常になってしまっている。だからどんなびっくりするような事件が起こっても主人公は一向にびっくりせず、当然その小説は平板きわまりないものとなる。竜の群の中に人間が迷いこんでこそ話にもなるが、竜の群の中に竜がいたって話は始まらぬ。おとぎ話が問題にするのは、正気の人間が狂気の世の中で何をするかということだ。現代の真面目くさったリアリズム小説が描くのは、そもそも気ちがいである男が、味気ない世の中でいったい何をするかということである。
G・K・チェスタトン『正統とは何か』「二 脳病院からの出発」から抜粋。
もっとも、狂気がそれ自体として魅力的であるというような御仁もある。それは事実だ。しかしそんな連中はいい加減いい気なもので、そのことはちょっと考えてみればすぐわかる。病気が美しいというのは他人の病気の時だけである。老いた盲乞食は一幅の絵になるかもしれないが、その絵を見るためにはこちらの目が見えなければ話にならぬ。同じことで、狂気には一種異様な詩美があるとしたところで、それを味わうのにはこちらが正気でなければ始まらぬのだ。狂人自身にとっては、自分の狂気などまったく散文的でしかありえない。なぜならそれは事実そのものなのだから。自分が鶏だと思いこんでいる男には、自分はただの鶏で、珍しくも何ともない。自分はガラスだと思いこんでいる男には、自分はただのガラスのように平板で、面白くも何ともありはせぬ。自分と自分の心に思いこんでいる物とが同んなじだから、彼には自分がつまらないのであって、狂気とはつまりそういうものなのだ。われわれにとって彼が面白く見えるのは、実は彼と物との間の皮肉なズレがわかるからで、彼がそもそもハンウェルに入れられている理由も、彼にはこの皮肉がわからないという事実につきる。要するに異常を異常と思うのは尋常の人だけで、異常な人は異常を異常とは思わない。異常な人が人生はつまらぬとこぼしてばかりいるのにひきかえて、尋常の人のほうが人生をずっと楽しいと思うのはこのためだ。
G・K・チェスタトン著『正統とは何か』「二 脳病院からの出発」から抜粋。
あるいはまた、第二に挙げた狂人の例ならどうか。自分はイギリス王だと言う男である。この男にはこう言ってやりたい。
「よろしい。君はたしかにイギリスの王様にちがいあるまい。しかし、だから一体どうだというのだ。もう一つ乾坤一擲の大事業をやってのけて、ただの人間になったらどうだ。そして地上のあらゆる王を見下したらいいではないか。」
第三の男はどうだろう。自分のことをキリストだと名乗る男である。言いたいことを言うとすれば、こう言うほかはないだろう。
「すると君はこの世界を創造し、贖うものというわけだ。しかし君のこの世界は何とせせこましい世界でなければならぬのか。君の住まねばならぬ天は何と小さく、天使はほんの蝶ほどしかない。神であるとは何と哀れなことだろう。何と頼りない神ではないか。君の生命が最高の生命であると言うのか。君の愛が究極の愛だというのか。そして君のこのちっぽけで哀れな憐れみに、全人類は希望を託さなければならぬというのか。君のこんな小さな宇宙なぞ、より高い神の鉄槌が粉々に打ち砕いて下さればいいのだ。星屑をガラス玉のように千々に壊してまき散らして下さればよいのだ。その時はじめて君は大きな幸福に満たされる。その時ようやく君は真の君自身と対面する。君はその時自由となり、今までのように下を見おろすだけではなく、あらゆる人びとと一緒に上を見あげることも学ぶのだ。」
G・K・チェスタトン著『正統とは何か』「二 脳病院からの出発」から抜粋。
同じ一つの論理に固執しつづければ窒息してしまう。だから、この論理の密室の一歩外には、晴れ渡ったすがすがしい世界が広がっていることを知らせてやらねばならないのだ。たとえば、先程第一に挙げた例の場合ならどうするか。つまり、誰もが自分に陰謀を企てていると妄想している男の場合である。こういう妄想にたいして、思い切って腹蔵なく抗議し説得するとすれば、まずこう言うことになるだろう。
「いや、なるほど君の言うことは筋が通っている。宙で憶えているほど練りに練った理屈だからな。そしてたしかに、いろんなことがみなぴったり君の説明に当てはまる。それは認める。君の理屈で説明のつくことは実に多い。だが、その説明では取り逃がしてしまうことも実に多いではないか。世の中には、君の理屈以外に理屈はないのか。誰もかれも、みんな君一人のことにかまけきっていると君は言うのか。なるほど琑細な事件はいちいち君の言うとおりだとしよう。往来で君とすれちがう男が、君のほうを見ないとして、それは奴が陰謀を洩らさぬために、わざとそうしているのだと認めよう。あるいは警官が君の名前を訊いたとして、知っているのにわざわざ訊いたのだと認めてもよい。だが、こういう連中は、実は君のことなどてんで気にもとめてはいないのだと君が知ったら、そのほうがどれだけ幸福か、君は考えてみたことはないだろうか。君がこの世の中でいかにちっぽけな存在かを知れば、この世の中が君にとってどれほど広々とした存在になることか。普通の人間は、他人にたいして、ただ普通の好奇心と喜びを持っているだけだ。君もただ、その普通の関心を持って他人を見さえすればそれでいい。普通の人間は、ただ普通に自分自身にしか関心がなく、他人のことには無関心で、それで晴れ晴れと力強く生きている。君はただ虚心にそれを眺めさえすればそれでいい。他人は君に興味なぞ持ってはいないからこそ、君は彼らに興味を持つことができるのだ。今の君は、せせこましくもけばけばしい劇場だ。やっている芝居は相も変わらず、いつでも君が作者で、君が主役で、そして君が観客だときている。こんな息のつまる劇場は叩き壊して、思いきりよく外へ飛び出せ。そこにはのびやかな空が広がり、街路の見知らぬ人びとの群が無限の歓びを君に与えてくれるだろう。」
――悪魔の証明――。
今日初めてこの言葉を知りました。
東京都知事候補の鳥越俊太郎氏が使っていました。
――事実無根――。
――やってないことは証明できない――。
言われてみれば確かにそうだ。
やってないのだから証明しようがないよな。
この言葉、散々僕を責め続けた幻声たちにも教えてやりたい。
そして謝罪と賠償をさせたい。
それ以外にどう責任を取るというのだ。
悪口などで他人を否定している者を否定するとはどういうことか?
こちらも彼の悪口(主に顔)を言うことだろうか?
でも、それでは同じレベルに堕してしまう。
「否定の否定=肯定」とはそういうことではないだろう。
それは彼の気持ちや考えを理解することなしにはあり得ないだろう。
そうでないとこちら側の優位性は保てないからだ。
こういうこと、大人でも分からない方がいらっしゃるのが残念。
――異常者だから異常者の気持ちが分かる――。
外からそんな声が聴こえたのだけど…。
そういう自分も異常者だとしたら?
異常者を断罪したら正常者になれるとでも?
もしかしたら君も別の仕方で狂っているかもよ?
「目糞鼻糞を笑う」ってやつ。
怖いのは器の小さな人なのだなあ…。
実際すぐ怒るからなあ…。
自分と相いれない人を、すぐ異常者呼ばわりして、見下すからなあ…。
そして、一生懸命排除しようとするからなあ…。
でも、自分の正当性を信じて疑わない(疑えない)人は、一度でもいいから他者に向かって正直にその証明を試みてほしい。
すぐにボロが出るから。
迷惑をかけずに生きられる人などまずいないことに気づけば、少しは寛容になれるだろう?
今朝、原因不明の病原体に感染する夢を見ました。
アメリカのキャンパスみたいなところで(けれどしゃべっている言葉は日本語)集団感染が起こり、パニックになる夢でした。
そんな夢を立てつづけに二回見ました。
僕は白いTシャツを着て寝るのですが、首の周りが汗で濡れていました。
なんでそんな夢を見たのか分からないけど、夢でよかった。
処女についての誤解を解いておこう。
別に求められたわけではないけどね、フフ…。
な~に~も知ら~ぬ、気高さ~よ。
僕は処女が好きだ(これ本音ね)。
だからといって非処女が嫌いということにはならないこと。
実際、非処女でも魅力的な人はいる。
二項対立的に物事を捉えがちな人は混乱するかもしれないが、真実はそうでないのだ。
処女じゃなくてもいいという男はそれでいいのではないの(住み分け可能だし)。
問題はその価値観を他人の僕に押し付けることなのね。
だいたい怒ってバカ呼ばわりするのはどこかで自分を偽っているからではないかな。
理想を持つのは勝手だけど左翼の人はもっと正直になった方がいいのではないかな。
社会主義や共産主義は平等を大切にするあまり思想統制するところが嫌だな。
だいたい僕がどんな女性を好きになるかなんて僕の勝手じゃん。
そんなことにまで口出しされたらたまらないよね。
僕は処女がいいと思うからそう言っているだけなのに、そんなに怒ることかね。
「お前ごときが選り好みするな!」と言わんばかりに、僕の容姿や過去の失敗ばかりあげつらうのはおかしくね?(若者言葉を使ってみました)
あ~あ、嫌な町だなあ。
きのう、母が所沢西武百貨店で有名な今治(いまばり)タオルを買ってきました(一枚500円の品物を二枚)。
ええ、仕事で大量の汗をかく僕のためにです(お母さん、ありがとう!)。
優れた吸水性が売りですが、どの程度のものなのか、明日試すのが楽しみです。