「殺人者は実は人間ではなかったのだから死刑でも構わない」
こう記すと非常にわかりやすいが、旧約聖書のヒーローである預言者モーセは実際そう考えていたように見受けられる。
ただし、彼が神にシナイ山で授与されたという十戒が記された石板の六番目の言葉には「殺すな」とある。
実はモーセには同胞を守るためとは言えエジプト人を殺害した過去があるというのが問題を複雑にしている。
理由があれば殺人は肯定されるのか。
神の言葉は絶対ではなかったのか。
その自己矛盾を解消するための苦肉の策が「エジプト人は人間ではなかった」というものではなかったか。
何故「人間ではなかったか」というと彼らは人間であるイスラエル人を人間扱いしなかったからである。
要するにモーセは逆差別したわけである。
これは同害報復(タリオ)の範疇だが、誰が彼に生殺与奪の権限を与えたのかという問題が浮上する。
以上は僕の妄想です。
今日も休まずに作業所へ通えたので今月も皆勤賞だ。
来月からはハローワーク通いをしようと思っている(所沢ハローワークの入った合同庁舎は家の近くにあるのよ)。
KADOKAWAについてのこだわりは薄まっている。
他のところでも条件さえよければOKというか。
履歴書は作っておこうと思う。
それに貼る証明写真も撮りに行かねば。
最近、ウイスキーを飲み始めました。
54歳を過ぎてようやくその美味しさを知りました。
氷を入れた透明なグラスに少量のウイスキーを注ぎ、舐めるようにチビチビ飲むのが僕のスタイルです。
父方の祖父と叔父はアルコール依存症で亡くなっているのでそこは気をつけています。
KADOKAWAといっても実際には特例子会社で働くことになるみたい。
一般企業の障害者枠とは似ているけど少し違うらしい。
より労働環境は整っているようだ。
明日は社会福祉協議会の事業説明会に参加する予定だが、9時まで作業所で働こうと思っている。
雨は上がるようなので少し遠いけど自転車で行くつもりだ。
赤の他人ならともかく、自分の父親が反面教師になることの何が問題かというと、それは図らずも息子から決断の自由を奪ってしまうことである。
承認欲求に飢えた青年期の息子としては自然に家系に欠けた部分を補完しようとするため、善にも悪にも触れる自由を許されず、絶えず善だけ選択せざるを得なくなるよう仕向けられた形だ。
そのために僕は次第に精神的に追い詰められたのだ。
父親としては自分のような間違いを息子には犯させまいという善意からだったのだろうが、結果としては僕を鬱になるほど苦しめた。
本当の僕は反対側になるのではなく中心でいたかったのだ。
松岡正剛『心とトラウマ』読了。
古今東西の作家たちの作品を通して心の謎に接近しようとする手法がいい(それにしてもこの方の博覧強記ぶりには驚かされる。なんて頭がいいんだろうって)。
文芸作品ばかりでなく科学者たちの作品も取り上げられていてためになりました(一回読んだだけでは理解できないくらい難しかったけど)。
デイヴィッド・ホロビン『天才と分裂病の進化論』、R・D・レイン『レイン わが半生』など僕も以前読んだことがある本も取り上げられていてよかったです。
大場童友。
語感と意味が気に入ったので、新しいペンネームこれにします。
因みに「童」とは、白川静の『常用字解』によると、入れ墨の刑罰を受けた者で、「奴隷、しもべ」とされたそうです。そのような人はまげをゆうことが許されなかったので、同じようにまげをゆわない「わらべ、子ども」を童というそうです。
まあ、これまでに蓄えたアイデアは膨大にあるけど、なかなか一つのテーマにまとまらないので、今のところ新たに本を作る計画は保留中なのだけどね。
とりあえずということで。
昨日のことなのですが、ハローワークで希望の職種を尋ねられた時、答えられず、対応して下さった職員さんに呆れられた僕。
恥ずかしながら、とにかくKADOKAWAで働くことしか頭になかったもので……
結局、軽作業ということにしましたが、僕はパソコンのワードとエクセルは使えるのでそのことも伝えておくべきだったかなと反省しております。
先日、病院から届いた「主治医の意見書」と「障害者手帳」を持ってハローワークへ行き、登録してきました。
そこで社会福祉協議会の登録も勧められたので先ほど電話で月に2度あるという事業説明会の予約を取りました。
今度の事業説明会は26日(水)の11時からあるそうです。