明日は仕事納めの日ですが、僕は水曜日を定休日にしているので、今日がその日です。
でも、大掃除をしない代わりに、明日ちょっとだけ無給で仕事の手伝いをします。
ほんとにちょっとだけなのですが、台を拭いたり、ケースを並べたり、その日に使う梅干や漬物をボウルに移したり、トングを揃えたり、お湯を沸かしてポットに入れたり、売り場の準備をしたりします。
これでだいたい45分位かかるのですが、これだけでも職場の仲間の負担が軽くなるので、ありがたがられるのです。
実際、感謝されるとうれしいので、またやってあげようという気になります。
今年は3月下旬に風邪をこじらせて、作業所を3回休んでしまいましたが、それ以降は持ち直し、通いとおすことができました。
自分で言うのもなんですが、よくやったと思います。
障害者枠で一般就労するという目標には到達できませんでしたが、これからも努力は惜しまないつもりです。
来年は、感謝の気持ちを忘れずに、もっといい年にしたいです。
斎藤環著『承認をめぐる病』は難しい箇所もあったけど面白かった。
文庫本は定価が(本体価格840円+税)とお買い得です。
中身を少しだけ紹介させていただきます。
「承認」のパラドックス
「承認」という言葉は現代にあってはあまりに自明のニュアンスを帯びているため、その本来の意味合いがみえにくくなっている印象がある。以下で僕は、この語をヘーゲル=ラカンの用法に従って用いることにするが、最小限度の解説はしておこう。
それというのも「承認」の語を、単に「肯定的な認知」とするような一般的理解では十分ではないからだ。「承認」の一語に込められた逆説と矛盾、ならびに統合の様相を十分に把握しておかなければ、以下の議論は意味をなさなくなってしまう。
ラカンは彼の「鏡像段階」理論を構築するにあたり、ヘーゲルの「主人と奴隷の弁証法」を精神分析に導入したことで知られる。これは、主人と奴隷がいわば一種の共依存関係にあり、主人は奴隷を支配しているかにみえて、実際には奴隷の労働と承認なしには生きていけない、といった逆説をはらんだ関係を意味している。
生後まもない子どもの神経系は未成熟であり、自他の区別も不十分で、「寸断された身体」と言われるように身体イメージは混沌としている。しかし、生後六カ月から一八カ月くらいの時期に、子どもは鏡に映った自己イメージに強い関心を向けるようになる。それが自分自身の映像であることを知り、子どもは“小躍りして”喜ぶとラカンは言う(ちなみに動物は、学習なくして鏡像を自己と認識できず、別の個体とみなして攻撃したりする。たとえ自己認識が可能となっても強い関心を向けることはない)。
母親による承認(「そう、それはお前だよ」)に助けられて生まれた「これが私だ」という認識は最初期の知能でもある。子どもの喜びは、ばらばらに感じられていた自己イメージが、鏡像の中でひとまとまりの直感的イメージを獲得したことに由来する。
しかし実際には、それは疎外の過程でもある。なぜなら子どもは、左右反転した自己像という偽のイメージによって最初の自己認識を果たすからだ。こうした起源をもつ人間の自己愛が、他者のイメージに依拠しなければ成立しにくいのは当然である。これを精神分析では「主体は自我を鏡像の中に疎外する」と表現する。
こうした「疎外」は自覚されにくい。このため鏡像段階は、しばしば二者関係において反復される。それは鏡像関係と同様に、愛と攻撃性を誘発する。二者関係はしばしば、相手の場所を奪い取って支配し、自分の価値を相手に認めさせずにはおかない気持ちを喚起する。互いに互いを鏡像にみたてつつ、相手に自己イメージを投影し、その姿に同一化すること。しかし同一化が進めば、自己の支配権や所有権を相手=鏡像に奪われてしまうという不安や被害感も高まる。ここにあるのは「主人と奴隷の弁証法」(ヘーゲル)であり、この関係は、二者関係(=鏡像関係)から抜け出さない限り、けっして終わらない。
ちなみにヘーゲルの言う「承認」は基本的に「相互承認」である。それは他者の他者性を担保しつつ、他者のうちに自己との同型性を認識する、という逆説をはらんだ過程である。ただし、ここでいう同型性とは、キャラや性格が同じとか似ているという意味ではない。「自分が承認するのと同様に自分を承認するもの」という再帰的定義にもとづく同型性のことだ。
自己認識は単独で自立した存在ではなく、自己意識をもつ他者の存在に全面的に依存する。つまり自己意識は他者を排除することで自己の実在性を確認しようとするが、そうすることでかえって他者への依存度が高まってしまい、今度は自己意識は自分自身の排除へ向かうことになる。この過程は自己と他者の双方の側で起こる。そのような相互関係にあることを認めあうことで、承認は成立する。つまり承認=相互承認なのである。
両者は「自分が相手に向かってすることを、相手の方も自身でしてくれなければ、自分自身だけでは何もできない」(ヘーゲル『精神現象学』)という関係にある。
自我の統合機能とされがちなこの幻影の想像的な構造は、むしろ「主人と奴隷」の間の疎外的な弁証法を自我に招き入れる条件を示すものである。自己意識をもつ自己と他者がこうした弁証法的関係におかれることが、相互承認の条件にほかならないのだ。
ふたたびラカンに戻るなら、ラカンは「承認」の語をさほど重視しない。ただし鏡像段階理論を参照するなら、「承認」はほとんど「自己愛」の成立要件であることが理解される。母親の承認なくして自己=鏡像は理解されない。またわれわれは鏡像の側に自己意識を承認するからこそ、鏡像をナルシシズムの確認と強化のために使用することができる。ここで他者への愛の起源が自己愛であることと同時に、他者への愛が欠けた人間はしばしば自己愛も不安定であるという事実を想起しておこう。他人の批判ばかりしている人間は自虐的になりやすい、ということだ。他者との関わりを拒否するシンジが、誰よりも自分自身を拒否しており、他者を辛辣に批判するアスカが、自分に対しても容赦なくその矛先を向けるように。
世の中には他人に影響を与えたいと躍起になっている不幸な人がいるけど、そんなことしても無駄だと思うよ。
普通の人が知りたいのは、幸せに生きている人の秘訣であり、その逆ではないのだから。
要するに、幸せに生きていれば、無理しなくても、自然に周囲が認めざるを得なくなるのね。
なぜ、そのような感染力があるかというと、警戒心を緩めるからなのね。
防衛機制や免疫を働かせずに済むからなのね。
それが良い効果をもたらすのね。
当たり前のようだけどね。
念のため。
午前中は年賀状の宛名書きをしました。
文字はいつもより丁寧に書いたけどちょっと固くなったかな。
僕は筆圧が強いので指が痛くならないように気をつけています。
午後はそれに一言添えようと思います。
文字は一人ひとりの顔を思い浮かべながら書いています。
そういえば、失敗談を語る時の父の表情はいつも嬉しそうだったなあ…。
唯一の例外が妊娠中絶の話の時で、険しい顔をしていたなあ…。
それから、父の高校浪人の話は叔父が暴露するまで知らなかったけど、一生隠し続けるつもりだったのかなあ…。
本当に肺の病気のせいだったのなら、別に隠す必要はなかったと思うのだけどなあ…。
家族にも弱みは握られたくなかったということだろうか…。
たぶん、父もまた愛とプライドの間で揺れ動いていたのだろうなあ…。
生前、父が自認していた反面教師(戒めとなる、悪い手本)とは要するに「俺みたいになるな!」ということだが、それによって防げた失敗もあるけど、むしろ招いた失敗の方が大きかったような気がします。
一時期、僕は幸せになることに罪悪感があり、拙著『雨花そして僕』には「幸せになることを恐れるな」と書かねばならないほどだったのですが、その根本については分析しきれていませんでした。
でも、きのう、気づきました。
それは父の名に原因があったのではないかと。
ここでいうところの「父の名」とはラカンの精神分析概念ではなく、実際の僕の父の名です。
幸夫というのですが、無意識のうちに、僕は「幸せな夫になってはいけない」というメッセージを受け取ってしまっていたのではないかと悟ったのです。
子供の不幸を願うような親ではないと思うので、このようなことを父が意図していたわけではないとは思うのですが、ようやく長年の謎が解けたような気がします。
数日前、「逃げるは恥だが役に立つ」という恋愛ドラマが面白いというので見たのだが、新垣結衣演じるみくりさんの「愛情の搾取には断固として反対します!」というセリフを聞いた途端、なぜか彼女に対する気持ちが一気に醒めました。
可愛いと思っていたのに寒くなったわ(これ本当)。
これからどういう展開になるか分からないけど、理屈ぽい女は勘弁ね。
関係を続けるか絶つか。
そのような二者択一的な選択ではなく。
面倒を見たり見られたり。
色んな関係があっていいと思うよ。
強弱も、高低も、グラデーションもあっていい。
秩序はあった方がいいが、混沌をなくす必要もない。
A:あの~、宝くじの件で占ってほしいのですが…。
B:ふむ、いいでしょう。あなたの誕生日は?
A:1965年6月15日(火)です。
B:ああ、あなたは今月の15日12時ジャストに△デパート前の宝くじ売り場で買えば間違いなく…。
A:間違いなく!(ガッツポーズ)
B:ハズレます。(キッパリ)
A:ハズレるんかい!
B:消去法ではダメですか?
A:一般的じゃないよね!?一般的じゃないよね!?それ!
B:ではラッキーな日を…、2016年12月7日だね。
A:2016年12月7日か…って、過ぎてるよ!過ぎちゃってるよ、三日前に~!
B:その次は2100年頃になるかな?
A:死んでるよ!死んじゃってるよ~!
B:まあまあなのが今月の30日だね。
A:生きてるけど過ぎてるよ~!過ぎちゃってるよ、発売日が~!もういいわ!
今回のジャンボリオンのコマーシャル。
敵軍を一発の光線で始末できるなら、わざわざ巨大ロボットにしなくてもよかったのではないかという…。
でも、その無駄さ加減が一攫千金を狙う者たちのアンバランスな心理と妙にマッチしていて面白い。
いい天気なのでアレルギー性鼻炎の薬を買いに行くついでに宝くじも買おうかな。
きのうは工賃もらって少し懐が暖かくなりました。
皆精勤手当3000円を含めた29100円が僕の財布の中に入りました。
でも、先月は無駄遣いが多かったので、今月は財布の口を締めるつもりです。
姪っ子にあげるお年玉1万円は確保しました。
お年玉は彼女が成人するまであげるつもりです。
童貞のことイカ臭いっていう奴がいるけど精子はみんな臭いよ。
ブサイクでもイケメンでもみーんな臭いんだよ。
バカでもリコウでもみーんな、みーんな臭いんだよ。
貧乏人でもお金持ちでもその点では同じなんだよ。
つまり男はみんなイカ兄弟!