『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【890】「喜び」の質の違い(^。^?

2007-01-22 22:25:37 | 瞑想
【人生は、喜びをもたらすためにある】という文章を読みますと、
『人生は、喜びのためにある』と思ってしまい、
この「喜び」がどのような質のものなのかを、考えてしまう私がいます。(^^;ゞ

「本心の自分」(大我)が喜んでいるのか?、「業の自分」(小我)が喜んでいるのか?
「魂が、喜んでいるのか?」、それとも「煩悩を満たすための目先の喜びなのか?」
という論理に陥ってしまうのです。(^^;ゞ

ですが、この考え方は、かなり的を得ていて、(^^;ゞ
「絵を描く喜び」と、「ケーキを食べる喜び」は、違うようです。

「自分のいのち(魂)が、どのくらい喜び輝いているのか?」というモノサシを使うと、分かり易いと思うのです。(^^;ゞ

その場合、「祈り還元主義」は、どのような立場なのかといいますと、
「お互いのいのち(本心)を、輝かせようという思い」の立場だと思うのです。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
★ この「祈り還元主義」について、「迷い」がありましたが、ここさんのコメントのお陰で、
「いのちの立場」という視点に気付くことが出来ました。(^^;ゞ

「いのちの立場」というのは、大我に目覚めた境地で、「自分の天命」を完とうする立場なので、
具体的な行動をするときに、「祈り還元主義」(原理主義)になることはないと考えられます。

「祈り」が無いときには、小我(煩悩)で行動をしていることになると思うのです。
つまり、「祈り」から離れた行為が、煩悩だと思うのです。

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2 コメント

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Unknown (kalokalo)
2007-01-23 08:23:40
「祈り」深いですよね~。瞬々ご自分を省みていらっしゃることに尊敬です。私はある方から教えてもらって、電車に乗った時など、同乗者の天命を7回、祈らせていただくのですが、これが以外に7回唱える前に気が反れて、結構うやむやになっちゃうのです(^^;。祈ってるようで祈ってなかったり・・・でも淡々と頑張ります!
ただ、「祈り心」でいる (知足)
2007-01-23 21:38:10
コメントをありがとうございました(*^_^*)
そうですよね。7回というのは、結構その気が続かないと祈れませんよね。(^^;ゞ
特に私は、せっかちな性格なので、実行がむつかしいです。(^^;ゞ

その間に、いろいろな想念が、湧き上がってきます。
でも、「ただ、祈り心でいる」のは、気持ちがいいですね。(*^_^*)

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