『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【3171】真理は汝を自由ならしめん。煩悩は汝を不自由ならしめん。

2011-12-18 04:19:13 | 思索

白光誌12月号の「日々の指針」は、

維持会員でない方にもわかり易くて明快なのでご紹介します。

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■余計なことをゴチャゴチャと考えなければ、物事はひとりでに進んでゆく。

 

■欠乏していることを強調すればするほど、供給はもたらされなくなる。

 なぜなら欠乏に意識が集中しているからである。

 

■今、現実がどうであれ、「私はすべて満たされている」と思い、語り、行なえば、

 その通りになる。

 

■被災した人々のことを想うと、たとえいかなることといえども、

 自分の立場の有り難さが身にしみるものである。

 

■老齢に至ってもなお、新しいことを学びたいと挑戦ぢつづける志は、

 新たに生きる力となってはね返ってくる。

 

■真理は汝を自由ならしめん。煩悩は汝を不自由ならしめん。

 

■いついかなる時も、否定的想念が入りこむスキを断じて否定すべきである。

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特に、『被災した人々のことを想うと、たとえいかなることといえども、

 自分の立場の有り難さが身にしみるものであるは知足精神に通じる実感がこもっていて、

 私の日々の心境です。

 

そして、そのことに、

真理は汝を自由ならしめん。煩悩は汝を不自由ならしめん』をプラスして生きたいと思うのです。


【3170】人生の目的は、普遍意識であり続けること

2011-12-18 04:10:07 | 思索

普遍意識であり続けることが、人生の目的、完成、成就だと思うのです。

 

そしてそれは、「我即神也」であり続ける意識のことです。

 

白光誌12月号の「新ピラミッド神事に参加して」の中に、

そのような心境に成りえた方の文章がありますので紹介します。

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★静まり返ったピラミッド内で、

「私は肉体波動を消滅し、神の器となり得た」と心の中で宣言していた時、

事実、自分自身の肉体 波動を感じなく一瞬がありました。

 

★ピラミッド内では、「我即神也、私は神そのものである」という意識しか出てきませんでした。

 何も思わないようにしよう、と思っても自然に湧き出る泉の如く、

 我即神也という意識が次から次へと溢れ出してきました。

 

★「私は光である」「私は愛である」「私は叡智である」と呼吸法で唱えていると、

 私の中から「そうなのだ。私は神であったのだ。光であったのだ。愛であったのだ」という

言葉が響いてきて、思わず涙が出てきました。

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■私が日常、「我即神也」の印を組んだすぐ後に立て現われくる意識は、

 上に書かれていることと同じです。

 

 これは、やってみないと分かりません。