『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2906】人間の一人一人は神なのです(人類皆即ち神なり・我即ち神なり)

2011-03-14 04:41:33 | 思索
■外界を映している「自分の意識」は自分のものであり、
自分の意識で、外界を創りかえることができるのですから、
「自分の意識」(=自分・人間)は、神なのです。

人間の一人一人は神なのです。

『人類皆即ち神也』(人類皆すなわち神なり)なのです。

『我即ち神也』(我すなわち神なり)なのです。
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『人類即神也(じんるいそくかみなり)』

私が語ること、想うこと、表わすことは、すべて人類のことのみ。
人類の幸せのみ。人類の平和のみ。人類が真理に目覚めることのみ。

故に、私(わたくし)個(こ)に関する一切の言葉、想念、行為に私心なし、自我なし、対立なし。
すべては宇宙そのもの、光そのもの、真理そのもの、神の存在そのものなり。

地球上に生ずるいかなる天変地変、環境汚染、飢餓、病気……
これらすべて「人類即神也」を顕(あらわ)すためのプロセスなり。

世界中で繰り広げられる戦争、民族紛争、宗教対立……
これらも又すべて「人類即神也」を顕すためのプロセスなり。

故に、いかなる地球上の出来事、状況、ニュース、情報に対しても、
又、人類の様々なる生き方、想念、行為に対しても、且つ又、
小智才覚により神域を汚してしまっている発明発見に対してさえも、

これらすべて「人類即神也」を顕すためのプロセスとして、
いかなる批判、非難、評価も下さず、それらに対して何ら一切関知せず。

私は只ひたすら人類に対して、神の無限なる愛と赦しと慈しみを与えつづけ、
人類すべてが真理に目覚めるその時に至るまで、
人類一人一人に代わって「人類即神也」の印を組みつづけるのである。
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『我即神也(われそくかみなり)』

私が語る言葉は、神そのものの言葉であり、私が発する想念は、
神そのものの想念であり、私が表わす行為は、神そのものの行為である。

即ち、神の言葉、神の想念、神の行為とは、あふれ出る、無限なる愛、無限なる叡智(えいち)、
無限なる歓喜、無限なる幸せ、無限なる感謝、無限なる生命(いのち)、無限なる健康、無限なる光、
無限なるエネルギー、無限なるパワー、無限なる成功、無限なる供給……そのものである。それのみである。

故に、我即神也、私は神そのものを語り、念じ、行為するのである。

人が自分を見て、「吾(われ)は神を見たる」と、思わず思わせるだけの自分を磨き高め上げ、神そのものとなるのである。

私を見たものは、即ち神を見たのである。私は光り輝き、人類に、いと高き神の無限なる愛を放ちつづけるのである。

(「人間と真実の生き方」で説かれた人間神の子観をさらに掘り下げ、発展させた教えです。)

【2905】人間と真実の生き方(自分の所有物など、何もない!!)

2011-03-14 04:15:25 | 思索
■白光真宏会のHPにある『人間と真実の生き方』などの文章を是非、お読みください。

自分の意識を上昇させるためのヒントが書かれています。

■簡単に言いますと、「すべては、自分の意識次第である」ということです。

自分の意識がすべてであり、それ以外に何もない。

「所有」も、「自分の意識」で「所有できている」と思っているだけであり、
「自分のモノ」など、何ひとつないのです。

自分の家族や親族だと思っている者も、前世の縁で、お互いのカルマ(業)を消すために、
親しい関係になっているのです。

すべての経験(災害や家族の離散や国難)は、「自分は霊的な存在である」と気付くためのプロセスなのです。

今回の大惨事は、そのことに気付くためのチャンスなのです。

世界中の意識が、注目しているのです。

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『人間と真実の生き方』

人間は本来、神の分霊(わけみたま)であって、業生(ごうしょう)ではなく、
つねに守護霊、守護神(しゅごじん)によって守られているものである。

この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世(かこせ)から現在にいたる誤てる想念が、
その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。

いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、
今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなかにあっても、自分を赦(ゆる)し人を赦し、自分を愛し人を愛す、
愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、
世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真(しん)の救いを体得出来るものである。