先週の『オーラの泉』で、美輪さんが「無償の愛」について語っておられました。
「無償の愛」とは、「見返りを求めない愛」なのだそうです。
別の言葉でいえば、「与え続ける愛」・「無限なる愛」なのですが、
『愛』とは本来、そういうものであって、
「見返りを求める気持ち」で行動したのならば、『愛』ではなくて「打算」です。(^^;ゞ
けれどもここで判断が難しいのは、初めは純粋な気持ちで、
相手のことを思って、「愛情深い行為」をしたが、
後になって、見返りを求めてしまったというような場合です。(^^;ゞ
時系列的には、「愛情深い行為」(笑)が成り立つのでしょうか?
どの時点で、「愛情が、打算になる」のでしょうか?(^^;ゞ
「見返り」を求める気持ちになったときに、「愛情が打算になる」(笑)のでしょうか?
初めはこのように考えたのですが、これは間違いだったと気付きました。(^^;ゞ
「見返り」を求めてしまうような「愛」は、はじめから「愛」ではないのです。
「無償の愛」ではなかったのです。(^^;ゞ
『自分の「好きだ」という気持ち』を表現したに過ぎないのです。
「相手の気持ち」を惹こうとする「打算」があったのです。(^^;ゞ
「愛情深い人」とは、「打算なく愛せる人」であり、
それは、「自分の好き嫌い」や「相手がどのような人であるのか」には関係ないのです。
言ってみればそれは、「だれでもを愛せること」であり、
『人類愛の心(誰でもを愛せる心)』があってこその「愛」なのです。(*^_^*)
自分の「好き嫌い」という感情から出た「愛」というのは、
相手に認めてもらうための「愛」であり、「偽の愛」なのです。
「愛」のための「愛」なのです。 見返りを求める愛なのです。
それは、自分が善人であると判ってもらうために、
「人前で善行をする」という偽善と、同質の行為なのです。
「無償の愛」とは、「見返りを求めない愛」なのだそうです。
別の言葉でいえば、「与え続ける愛」・「無限なる愛」なのですが、
『愛』とは本来、そういうものであって、
「見返りを求める気持ち」で行動したのならば、『愛』ではなくて「打算」です。(^^;ゞ
けれどもここで判断が難しいのは、初めは純粋な気持ちで、
相手のことを思って、「愛情深い行為」をしたが、
後になって、見返りを求めてしまったというような場合です。(^^;ゞ
時系列的には、「愛情深い行為」(笑)が成り立つのでしょうか?
どの時点で、「愛情が、打算になる」のでしょうか?(^^;ゞ
「見返り」を求める気持ちになったときに、「愛情が打算になる」(笑)のでしょうか?
初めはこのように考えたのですが、これは間違いだったと気付きました。(^^;ゞ
「見返り」を求めてしまうような「愛」は、はじめから「愛」ではないのです。
「無償の愛」ではなかったのです。(^^;ゞ
『自分の「好きだ」という気持ち』を表現したに過ぎないのです。
「相手の気持ち」を惹こうとする「打算」があったのです。(^^;ゞ
「愛情深い人」とは、「打算なく愛せる人」であり、
それは、「自分の好き嫌い」や「相手がどのような人であるのか」には関係ないのです。
言ってみればそれは、「だれでもを愛せること」であり、
『人類愛の心(誰でもを愛せる心)』があってこその「愛」なのです。(*^_^*)
自分の「好き嫌い」という感情から出た「愛」というのは、
相手に認めてもらうための「愛」であり、「偽の愛」なのです。
「愛」のための「愛」なのです。 見返りを求める愛なのです。
それは、自分が善人であると判ってもらうために、
「人前で善行をする」という偽善と、同質の行為なのです。