TICOブログ

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ザンビア語とはなんぞや?

2010年04月26日 | TICO ザンビア
こんにちは。日本に一時帰国中の田です。

日本で初めてお会いする方に、ザンビアで開発の仕事をしている、という話をすると“ザンビア!?それは一体どこなのだ?”“開発って何を開発するのだ?”という質問の次の次ぐらいによく聞かれるのが“ザンビア語しゃべれるの?”という質問です。

ケニアやソマリアのように国際ニュースを賑わす紛争やスキャンダルが無く、政治も比較的安定しているザンビアの情報はなかなか日本には入ってきません。ザンビアには“アフリカの忘れられた国”という別名もある程です。日本の方がザンビアの場所や言語をご存じ無いのも当然ですよね。でも少しでもザンビアに興味があってこのブログをご覧になっている方にはもう一歩踏み込んで、ザンビアのことを知っていただきたいので、今回はザンビアの言語とそこから見えてくるザンビアの人たちの歴史についてお話しようと思います。

ザンビアは1891年からイギリス南アフリカ会社による植民地化と70,000人(ほとんどがイギリス人)にもおよぶ白人の定住によって、現在では英語が公用語となっています。他のヨーロッパの植民地で見られたような単なる植民地管理のための言語としてだけで無く、ザンビアでは英語は植民地支配以降も73もある民族の共通語としての役割を担っています。と、言う訳で私の毎日の業務はほとんど英語で行なわれていますし、地方の村に行っても通訳無しで直接現地の方とお話できるのはとても助かります。

では植民地化以前は上でお話した73の民族は何語を話していたのかというと、彼らはそれぞれの部族特有の言葉を話していました。これら70以上の言語にはバントゥー語を語源とした共通の単語や文法がありますが、お互いの言語を理解できるほどの共通点はありません。現在でも家庭や同じ民族のメンバー同士では現地語を話しますが、英語は国中で広く話されており、小学校では1年生から英語の授業があります。

上の73もの民族の中で一番大きく、影響力を持っている民族は北部に多いベンバ族です。植民地時代の間、鉱山の近くに暮らしていたベンバ族は銅の採掘に大量に駆り出されました。そのため、ベンバ族の政治システムはイギリスの植民地統治によって弱体化させられました。しかし皮肉にもこの伝統的政治体制の衰退が独立時にはベンバ族を他の民族よりもずっと近代的、都会的、そして経済的な位置に置くことになりました。カッパーベルトではザンビア中から来た鉱業従事者がベンバ語を話しています。現在ベンバ族は人口の20%程度ですが、ベンバ語を第一言語として話す人は人口の25%以上だと言われています。

ザンビアでベンバ語に次いで多く話されているのがニャンジャ語です。ザンビアでニャンジャ語を話す人々は人口の約12パーセント。ちなみにニャンジャ語を話す人々はニャンジャ族という民族の人ではないのです。ニャンジャ語は首都ルサカ周辺で特にンゴニ族やクンダ族といった東部の民族の共通語として現れました。東部の農村部ではニャンジャ語よりも純粋な民族独自の言語が話されているそうです。

南部でよく話されているのはトンガ語です。トンガ族は植民地時代に最もひどい扱いを受けたという説もあります。トンガ族は伝統的に活発な農耕文化を持っていたとされ、もともとトンガ族の人々が所有していた土地に白人が入植した際には、多くのトンガ族の人々が白人資本の大農場で働かされることになりました。1950年代にザンベジ川にカリバダムが建設された際には、トンガ族の人々が多く住んでいた地域は水中に沈むことになり、ジンバブエとザンビアの両側に居住していた人々はダム建設のために強制移動を余儀なくされました。1950年代のアフリカ国家主義運動の発足から今日まで、トンガ族の人々がザンビアの政治の大きなエネルギーになっているのは 植民地時代に味わった苦渋に因るところも大きいのでしょう。

最後に西部で多く話されている言語はロジ語と呼ばれ、人口の5.6パーセント程度の人々がロジ語を第一言語として使用しています。ロジ族は西部のいくつもの州にまたがる王国を持っていました。イギリスはこの地域を間接的にしか統治することがなかったので、ベンバ族やトンガ族のように植民地支配によって伝統的な政治体制が損なわれることも少なかったようです。

ヨーロッパの植民地支配と分配はアフリカの民族の伝統的な領土について注意を払うことなく行われました。そのため、ニャンジャ語を話す人たちはザンビアだけでなくマラウィにも住んでいますし、トンガ語を話すはザンビアとジンバブエにもたくさんいます。植民地時代にイギリスからの影響をあまり受けることのなかったロジ族の人々もザンビアだけでなくナミビアやボツワナで暮らしています。

と、いうわけでザンビアの言語に注目するだけでも、ザンビアの政治やヨーロッパの植民地支配が現在のアフリカに与える影響を垣間みることができますね。長くなってしまいましたが、今日はこの辺で失礼します。ではでは。

文責:TICOザンビア事務所 (田)

チャリティーウォーク @ 賀川豊彦記念館

2010年04月26日 | イベント参加
 4月26日に鳴門市賀川豊彦記念館でチャリティーウォーキング ”子どもたちのために歩こう!~私たちの一食分を世界の子どもたちへ~”が開催されました。

 社会的に弱い立場にある人々のために生涯を捧げた賀川豊彦氏の業績を記念して建てられた同記念館では、賀川氏のスラム街での救済活動開始100周年を記念して、昨年から年一回子どもの権利のためのチャリティーウォークを開催しています。今年は地元徳島を拠点に国際協力活動をしているNGOへ支援を届ける、とのことで集まった参加費を全額TICOに寄付して下さいました。ありがとうございます!



 当日はお天気にも恵まれ、100人以上の方がチャリティーウォークに参加して下さいました。皆さん2キロと5キロのコースに分かれて、ぽかぽか陽気の中楽しげにウォーキングを楽しんでいらっしゃいました。チャリティーウォークの後には子ども達が第九の合唱を披露してくれました。

 同記念館では4月30日まで特別企画展“TICOの支援風景”も開催されています。TICOのザンビアでの活動写真やアフリカの工芸品も展示されていますので、皆様是非足を運んでみて下さいね。

文責:TICO事務局 (黒田)

孤児院訪問 in ザンビア

2010年04月24日 | TICO ザンビア
この度、NPO法人「礎(いしずえ)の石孤児院」がザンビアのチョングェ県で営んでいる孤児院を視察させて頂きました。

この孤児院は、NPO法人「礎の石孤児院」によって2004年に設立されました。そのザンビア担当スタッフであるムタレ桜子(旧姓青木)さんが、ザンビア人であるご主人のジャスパーさんの協力によって運営しています。日本のNPO、NGOが直接経営している孤児院としては、ザンビアではおそらく唯一のケースでしょう。難しいと言われる孤児院プロジェクトに果敢に取り組まれている方々から、その成功の秘訣など学ぶべく、現地を訪問しました。

孤児院の近景

現在は、知的・身体的障害を持つ1名の成人女性を含む8名の孤児達(男子4名、女子4名)が、この施設で暮らしています。やはり、孤児院に来る子供達の多くは、「病気、自殺などの理由で両親が居ない」「両親が居ても、極度の貧困のため、面倒を見てもらえない」「様々な理由から無視されたり、虐待されていた」といった背景を抱えているとのこと。それゆえ、幼児期に肉親から十分な愛情を貰えていないので、まず子供達が「自分は愛されるに値する」という自覚を持てるようにするのが最大のテーマと青木さんは強調されていました。

その点では、孤児達は青木さんご夫婦やザンビア人の運営スタッフの愛情に育まれ、本当にすくすくと育っていると感じました。たまには子供達同志で喧嘩をしたり、規則が守れなかったりということはあるとのことですが、皆一様に礼儀正しさ、気持ちの純粋さといった印象を醸し出していました。元々ザンビアの人達は、「目上の人を敬う」「相手が話している時は静かに聞く」というような価値観を持っているとのこと。その点では日本人の伝統的価値観と相通じる所が多分にあります。子供達は朝6時には起床して、部屋や施設周りの掃除も行うとのこと。また、長期の休暇期間中でも補修を受けたりして勉強に勤しんでいるそうです。このような教育や躾を受けた子供達が、今後のザンビアを担うことを考えると、本当に彼らの将来が楽しみです。

虐待で傷付いていたというデヴィット君。今ではこの笑顔

さて、孤児院を運営するに当たっては、隣接するコミュニティーの理解と支持が不可欠であることは言うまでもありませんが、残念ながら孤児院を開いた当初は、言われの無い噂を立てられたり、冷たい視線を感じることが多かったとのこと。それでも、ご夫妻の努力の甲斐もあり、徐々に状況は改善。例えば、孤児院の子供達にもなるべく質の高い教育を受けさせたいという願いから始めたコミュニティースクールには、今では近隣の農村からも就学希望者が殺到しているとのこと。また、地元の少年達を集め、サッカーチームを結成。チームの戦績は周辺住民にとって、大きな関心事になっているそうです。さらにメイズの製粉機や溶接の道具が据えられていることもあり、それらの利用を求めて集まってくる村人達にとっては「社交の場」に成っています。

今回の視察を通じて感じたことは、この施設が孤児達に生活の場を提供するに止まらず、地域社会の活性化に大いに貢献していることです。特に外国(日本)のNPOが運営していることもあり、孤児院は村人にとって異文化交流の窓口として機能しているとの印象です。孤児院の活動に何かしら関わると、新しい情報、アイデア、異なる文化に出会えるという期待が、周辺に住む人々を惹きつけ、又協力を得るための大きなインセンティブになっていると感じました。その意味では、私どもが国際協力活動を行う上で、自国の文化的背景をもっと前面に出しても良いのではないかと、考えさせられました。

 


最後に、何と日本語で讃美歌を歌ってくれました。(ZIKOMO!)


文責:TICOザンビア事務所(藤村)


IFMSA Japan 訪ザ!

2010年04月22日 | TICO ザンビア
 3月16日から4月3日の3週間IFMSA JAPAN (国際医学部生連盟 日本)の皆さんがザンビアにフィールドワークにいらっしゃいました。

 IFMSAは主に社会貢献や国際協力などに関心を持つ医療系学部生が運営する国際的なNGO組織です。これまでに、途上国支援に携わる医療関係者を数多く輩出してきました。IFMSA Japanは2006年より年に2回、アフリカでの健康調査・指導活動を通じて途上国の保健現状を学ぶことを目的としたプロジェクト=Africa Village Projectを実施しており、TICOは彼らのフィールドワークに協力しています。 

 今回ザンビアに派遣された医学生の方々は全員で7人。2度目の参加となる1人の方以外は、全員アフリカ初上陸でした。 


 まずはお決まりのショップライトの洗礼です。ザンビアに初めていらっしゃる皆さんはザンビア=途上国!=何も無い!という感覚をお持ちの方が多いのかもしれませんが、首都のルサカにはそんなイメージをぶち壊す大型スーパーがあるのです。南アフリカ資本のこのお店ではブルーチーズからすし飯まで、お金があればなんでも手に入ります。
と、いうわけでまずは買い出し。

 研修期間中、まずIFMSAの皆さんはTICOプロジェクトサイトのモンボシ地区のヘルスポスト(小規模医療施設)で母子健康意識調査や歯科健康診断などを行い、同地区の保健・衛生の現状を調査されました。その他、ヘルスポストでボランティアとして勤務するコミュニティーヘルスワーカーさん達のお宅にホームステイをしたり、又かまどの建設にも取り組まれました。
!!!歯科診断のためにザンビアキッズの歯が真っ赤に!!

黙々とかまどを作るIFMSA達

移動手段は専ら軽トラなのです。

コミュニティーヘルスワーカーの皆さんとパチリ

 3週間という短い期間でしたが、IFMSAの皆さんは初めてのアフリカにどんな印象を持たれたのでしょう。“将来は医者として国際協力の分野で活躍したい!”“またアフリカに帰って来たい。”という声が多く聞かれ、ザンビアで国際協力活動に関わる者としては嬉しい限りです。医学生の皆さんが将来立派な医療従事者になってまたザンビアに戻ってきていただけるのを手ぐすね引いて、いえ首をなが~くして待ちたいと思います。

文責:TICOザンビア事務所(黒田)


ポチェントン病院救急隊デモ見学

2010年04月15日 | TICO カンボジア
はじめまして。
3月末よりインターンとしてTICOカンボジア事務所でお世話になっております、
長崎大学大学院 国際健康開発研究科の田中準一と申します。

先日、TICOが支援するポチェントン病院救急隊の病院前救護のデモンストレーションを見学して参りましたので報告致します。



私自身は看護師なので直接的に病院前救護活動を行ったことはありませんが、
病院の救急室で働いていた頃に学んだJPTEC(Japan Prehospital Trauma evaluation and Care)の知識を活かし、デモ終了後に感想を述べるよう求められました。

傷病者の発見から頸椎保持、意識の確認および気道の確保、呼吸、循環の評価まで完璧に素早く実施できており、
その後のCPRも無駄な動きもなく確実に行われておりました。



クメール語が分からないため、リーダー役の指示が適切かどうかなどを詳細に評価することはできませんでしたが、
隊員も自発的に適切な活動をしており、日本の救急隊に勝るとも劣らないデモンストレーションでした。

ひとつ残念だったのは、訓練のためか誰ひとりとして感染防御のためのグローブをつけていなかったこと。

デモであれ救護活動を行う際には自然とグローブに手が伸びることが必要です。
感染防御の意味を理解し、自然に着用できるよう今後も訓練を重ねていって欲しいと思いました。

今後のインターン期間中にTICOスタッフの方々と協力しながら、
救急隊の技術・モチベーションの向上に関われれば良いなと考えております。

そして今回の見学でとりわけ印象的だったのは、ポチェントン病院救急隊の方々がハキハキと大きな声を出して活動していたことです。
またデモとは関係ありませんが、救急車内を念入りにブラッシングするその姿に病院前救護に対するポチェントン病院救急隊の愛情の深さを感じました。

気温34度という炎天下にもかかわらずデモを見せて頂いたことに感謝すると同時に、
ここプノンペンのプレホスピタルケアを支えるポチェントン病院救急隊の熱意が伝わり感動すら覚えました。



私もインターンとしての8カ月間を実りあるものにすべく共に頑張っていきたいと思います。


文責:TICOカンボジア事務所インターン 田中 準一