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TICOブログ

TICO最新情報をお届けします。

2013春学生体験記inザンビア     

2013年04月25日 | 未分類
 2013年3月、IFMSA(国際医療保健連盟)に所属する学生がTICOが活動しているザンビアのモンボシの村で、
2泊3日のビレッジステイを行いました。
それぞれのメンバーから感想文が届きましたので、ご紹介させていただきます



浜松医科大学 中村佳夏さん

北海道大学 箱山昂汰さん

聖マリアンナ医科大学  岡村優真さん     

千葉大学  新 真大さん    

熊本大学  原 聖さん     

札幌医科大学 伊藤浩平さん

2013春学生体験記inザンビア  札幌医科大学 伊藤浩平さん     

2013年04月01日 | 未分類
2013年3月、IFMSA(国際医療保健連盟)に所属する学生がTICOが活動しているザンビアのモンボシの村で、
2泊3日のビレッジステイを行いました。
札幌医科大学医学部 伊藤浩平さんから感想が届きましたので、ご紹介させていただきます



 僕はAVPに参加して約3年になります。2年前の派遣メンバーとともに派遣前の勉強会から派遣後の報告会まで一緒に学んで来ました。2年前の派遣の際にはアフリカに行く意味、動機がはっきりせず、行くに至りませんでした。しかし、派遣後のメンバーの話を聞き、派遣前後で彼らの言葉、雰囲気に大きな変化を感じたので、行かなかった事にとても後悔しました。行く理由そのものに捕われず、行きたいと思う動機そのものを大切にしようと考えました。そして、今回5年から6年を迎える、事実上学生最後の春休みにザンビアに行くことになりました。

 出発前に考えていたアフリカの現状というのは、生活に困難、電気も水道も無く学校も遠くて大変という印象が強かったです。しかし、実際に現地で生活してみるとその困難な環境そのものが当たり前であり、その環境の中で当たり前に生活している事に驚きを感じました。そして、その驚きを感じる事自体に自分の不甲斐なさを痛感しました。何よりも自分が日本で生活している環境は恵まれ過ぎていると思いました。今回ホームステイさせて頂いたお宅は、村の中でも裕福な方であると感じました。村を1周し、いくつかのお宅を訪問させて頂きましたが、それが村の現状の全てではなく、もっと貧しく、生活が困難な方もいるのではないかと思います。今回の2泊の滞在だけでは村の生活の一部しか知る事ができませんでしたが、知る事ができたその一部だけでも自分にとっては大きな経験でした。

 新月の夜の星空と、満月の月の輝きが自分の中で1番印象深かったのは否めません。派遣を通して「自分の知りたかった事実を知った」というより、「自分の知らなかった現実を知れた」ことが大きかったように思えます。この様な貴重な機会を与えて頂きありがとうございました。ザンビアに行く事がゴールではなく、ザンビアに行った事がスタートになるように、自分の将来、進路も含めて考えて行きたいと思います。

2013春学生体験記inザンビア 熊本大学  原 聖さん     

2013年04月01日 | 未分類
2013年3月、IFMSA(国際医療保健連盟)に所属する学生がTICOが活動しているザンビアのモンボシの村で、
2泊3日のビレッジステイを行いました。
熊本大学医学部 原 聖さんから感想が届きましたので、ご紹介させていただきます




首都ルサカから車で3時間走って村の入り口まで行き、そこからはCHWのDavisさんと一緒に2時間半かけて畑と草むらに囲まれた畦道を歩きました。道すがら、裸足で小川を渡ったり、蟻の大群を飛び越えたりする合間に、Davisさんとは様々な話をすることができました。翌日の予定のことから始まり、農村の衛生状態、教育環境、農業や牧畜について、日本とルサカの生活の違い、倫理観や美意識、果ては宗教について。Davisさんは30代前半ですが、穏やかで、外国から来た年下の人間に対しても礼儀正しく接し、物知りで、物事を深く考え理性的に行動する、一言で言えば僕にとって非常に尊敬できる方でした。午後6時ぐらいに家に着き、奥さんや友人の方々への紹介や荷物の片付けが済んだあと、電灯がない真っ暗な家の中で、懐中電灯で食事を照らしながら夕食をご馳走になりました。

僕は1986年生まれです。生まれたときから身の回りにはモノが溢れ、物心つくころには自分の体の一部のようにモノを使いこなしていました。ザンビアの農村には電気や道路も含めて圧倒的にモノが足りず、日本の生活に慣れた僕からするとおそろしく不便でした。人間は、新たに何かを得ることを望むよりも、既に持っているものを失うことを恐れる気持ちのほうが強いと言います。それはおそらく、人間が、自分の身体を基本にして世界を捉えているからでしょう。腕がもう一本あれば便利だろうな、と考える人はいなくても、小指の爪の一枚ですら、それを失うような事態は誰もが必死に避けようとするということです。僕にとっては、電気がない生活は、電気を「失う」ことだったのです。

しかし、そこに住む方々と(ほんの二晩ですが)暮らしを共にした限りでは、普段の生活の中でモノの不足に特段苦しめられている様子はありません。常に時間に追われるような生活を強いられている日本人としてはむしろ、彼らのスローライフが羨ましく思える瞬間もありました。Davisさんに、日々の生活の中でどんなものを美しいと思うのかを聞いたところ、こう答えてくれました。“something new to my eyes...” たとえば、昨日生まれたばかりの子山羊を見たとき、あるいは、外部から来た君のような人と話す瞬間…
農村に泊まったあとは、モンボシの高校を訪れました。帰り際に、日本人に対して聞きたいことはないか尋ねたところ、生徒から出た質問の一つ目は、「日本人は神に祈るのか」、もう一つは「日本人はどうやってリッチになったのか」でした。一つ目に対しては、先祖の命日に墓の前に行って祈り、彼らの魂とその在り処について思いを巡らすのだ、と答え、一部の生徒からは拍手も出るほど納得してもらうことができました。しかし、二つ目の質問に対しては、朝7時に家を出て夜22時に家に帰るまで日本人全員がまるで兵士のように猛烈に働くのだ、などという適当なことしか答えられませんでした。なぜ猛烈に働くのか、なぜ働く場所があるのか(失業率が低いのか)、ということについては考えたことがなかったからです。

日本の田舎と比べたとき、まずザンビアの農村には舗装された道路がないので、外部との関わりが非常に限られています。ザンビアでは部族は解体されつつあり、その代わりにザンビア人としての国民意識はそれなりに根付いているように見受けられますが、農村には外国人が滅多にいません。有り体に言えば、ジープで乗り付けて子どもたちにチョコレートを配るような外国の軍隊や、同じ村で共に育った女性の春をはした金で買っていくような外国人がいません。さらには外国人を映し出すテレビすらありません。今までモノを所有したことがなく、さらに、強烈な羨望や憎悪を抱かせるような他者が目に映る範囲に存在しなければ、欲望自体が生まれず、結果として不満を感じることも少ないのかもしれないと僕は考えました。だとすれば、過剰に情報化された社会に住む我々の目に、ザンビアの農民の無欲さと、それゆえの精神的に豊かな生活が羨ましく映るのは、ある意味では当たり前のことです。

ただし一点、彼らは現状に対するある大きな不満を抱えています。乱暴にまとめるならば、それは医療と教育の不備に対する不満です。モノの不足と違って医療と教育は生死や住む(働く)場所を左右するものです。さらに、それらを享受する機会が少ないことによって、自分だけではなく、身近な他人が苦しむ姿を目の当たりにすることになります。たとえば日本の病院で、小児科におけるクレームの件数が他科に抜きん出て圧倒的に多いことからも分かるように、人間は、自分自身のためよりも、大切な他人のためにこそ感情を揺り動かされ、強烈な意志を持続させるものです。満足な医療を施せないために家族が日に日に弱って死んでいく姿、向学心に燃える息子の目が絶望に曇り、光が失われていく様。それら以上に無力感と自己嫌悪をかき立てるものは他には存在しません。農村及びルサカのスラム街の状況と、ルサカの富裕層の人々を比べて僕が最初に思ったことは、単純に、あまりにもフェアではない事態が生じている、ということです。経済が存在する以上、富める者と貧しい者がいるのは当然ですが、ここまでの苦しい生活を強いるのは、なにか正義に反しているのではないか、ということを感じました。

では、彼らには何が与えられるべきなのでしょうか。金でしょうか。インフラでしょうか。現金収入を増やすための技術?無料の医療と教育?農業を奨励する政策?それとも希望でしょうか。あるいは宗教的な救済?残念ながら、何をどう与えるべきかということについては僕はまだ考えが及びません。また、そういうことは、将来、医師として関わる中で考えていくしかないようにも思います。
ただし、9年生の1つのクラス102人のうち100人が、将来は都会で働いてたくさん金を稼ぎたい、と答えるような状況下では、ザンビアの農村が自力で成長して様々な問題を発展的に解消していくなどということは、しばらくの間は不可能です。彼らの問題は彼ら自身の力のみでは解決できず、見ようによっては問題ですらなく、それゆえに解決の試みすら為されることはありません。彼らの問題が問題であるとするならば、彼らには、無償で何かが与えられるべきです。カネだけ渡すその場限りのものか、自立と発展を促す持続的なものか、などのように与え方には様々な方法が考えられますが、何らかの方法で何かを「与える」べきなのは間違いありません。親が子どもに無償の愛を注ぎ育てるように、ギブアンドテイクではない関係こそが、国によって程度の差はあれど、社会の根幹を支えており、また、救うことによって救われる、という形での他人との関わりは、個人として生きていくうえでも欠かせないものだと思います。

最後に、今回このように貴重な経験をする機会を与えてくださったTICOのスタッフの方々に深くお礼を申し上げます。

2013春学生体験記inザンビア 千葉大学  新 真大さん    

2013年04月01日 | 未分類
2013年3月、IFMSA(国際医療保健連盟)に所属する学生がTICOが活動しているザンビアのモンボシの村で、
2泊3日のビレッジステイを行いました。
千葉大学医学部 新 真大から感想が届きましたので、ご紹介させていただきます




今回私は国際医学生連盟の数あるプロジェクトの一つで、アフリカの公衆衛生を学び伝えるという目的を持つ「AVP」のザンビア派遣の活動の一部として、TICOの活動拠点であるモンボシ村でTICOの協力のもと、ビレッジステイ・ヘルスポストや学校の見学を行った。2泊3日のビレッジステイの際、私はマケニ地区(村の中心に位置するヘルスポストから車で1時間半ほどかかる場所にある)の家に泊まりました。料理はかまど、トイレは庭に穴が掘ってあるだけ、日が沈めば一面真っ暗・・・日本の現代の生活とかけ離れた生活がそこにはありました。しかし、私はそこで貴重な時間を過ごしました。そこで感じたことを2つここで述べさせていただきます。

2日目、となりの家に住むCHWの男性に案内されて、マケニ地区の他のCHWの家をたくさん回りました。そしてあるCHWの家(レンガ造りで8畳ほど)に案内され、インスタントの紅茶と食パンを振舞われていたとき、背の低い棚の上に「WHERE THERE IS NO DOCTOR」というボロボロの本が置いてあるのに気づきました。何人にも何回も読み古されたこの本(全員持っているわけではなく、村に1つだけと言っていた)をみてCHWの人たちは、自分の村に医療者が不足している状況を正確に把握した上で、村の人々を助けるために自分たちができることしようという思いを感じました。

村の人々はみんな優しく気さくな人ばかりでした。といっても英語が拙い自分にはどうしても言語の壁を感じてしまう瞬間が何度もありました。私のステイ先の母上は全身から優しさが溢れ出るような方でした。この母上と同じ家に泊まった仲間と一緒にザンビア料理を作ったり、洗い物をしたり、朝日をみたり、電灯のないなか夜まで日本とザンビアのことで語り合ったりしました。2日目の夕方、家周りから帰ってきたあと、私は自分が聞きたかったある質問をしました。内容が抽象的で、そして本心の答えが聞きたかったので、自分がどんな思いで聞くのか自分のこともしっかり話す必要がありました。一生懸命自分のことを伝え、そして聞きたいことを投げかけるとき、ステイ先の母上は優しく真摯に、包み込むように話を聞いてくれました。この時私は「本気で伝えようとすれば、たとえ言語の壁があろうと、聞く意思がある人には届くんだ。」ということを肌で感じました。質問のこと以上にこの気づきが自分のなかで大きな収穫でした。

最後の3日目に別れるとき、一緒に泊まった仲間と共に車の中で泣いてしまったほど、いい時間を過ごすことができました。TICOのみなさんありがとうございました。


2013春学生体験記inザンビア 聖マリアンナ医科大学  岡村優真さん     

2013年04月01日 | 未分類
2013年3月、IFMSA(国際医療保健連盟)に所属する学生がTICOが活動しているザンビアのモンボシの村で、
2泊3日のビレッジステイを行いました。
聖マリアンナ医科大学医学部 岡村優真さんから感想が届きましたので、ご紹介させていただきます



ビレッジの現実

今回のビレッジステイは2泊3日で行われ、私はそこでビレッジの表と裏とも言えるような経験をしました。

 初日に泊まった家は車から降りたあと4時間以上歩き、あたりが暗くなってようやくたどり着きました。あとどのくらいでたどり着くのか分からないし、街灯もない道無き道を歩くことは私にとって恐怖だったので、家についた時は心身ともに疲れていました。

その後夕飯をいただきしばらくしてから、突然「君は今回のステイでなぜお金を払わないのか。払うべきだ。」と言われました。思いもしない質問にきちんと返答することができず、ショックを受けたままその日は就寝しました。翌朝から食べ物をいただくことが申し訳なく感じ、食事をあまり口にすることができなくなってしまいました。

 2日目は朝から夕方まで挨拶回りをして、ビレッジの住人に片端から困っていることや大変なことなどの話を聞いて回りました。全ての住人に言われたことは水、病院、学校の不足でした。ほとんどの住人がこの3つ以上のことも以下のことも言いませんでした。この3つの不足ばかりを全ての住人から聞き途中から正直飽きてしまいましたし、食事をあまりとっていなかったのでかなり疲弊していました。

 私はこのビレッジステイでシマなどの料理を作ったり、お母さんと共に過ごしたりして住人の日常生活を体験したいと思っていました。初日にその事を伝えたにもかかわらず君は仕事があると断られてしまい、仕事とは何だろうと思っていたら挨拶回りだったので、2日目の日中はビレッジステイに参加したことをとても後悔していました。

 2日目の夜は初日とは違う家に泊まることになりました。その家は子供が全員自立していて、夫婦2人暮らしでした。心身ともに疲れきった私に2人は祖父母のように優しく接してくれ、夜は星を見ながら宗教のことや交通機関のこと、日本のことなどについて沢山話をしました。自分たちの困っていることばかりを話されていた日中とは違い、私自身や日本のことに興味を持って質問してくれたことが本当に嬉しかったです。

 2泊3日という短い期間で、ビレッジでは遠い日本からやってきた学生を歓迎してもてなしてくれる面と、お金が無いという切実な問題に立たされている面がある事に気づかされました。この2つの面を両方とも見ることができたことは、本当に充実したビレッジステイであったと言えると思います。ぜひこの経験を日本で伝えていきたいです。