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奈良市・唐招提寺 境内に窯跡 整備時の補修用の瓦を焼く

2018年02月26日 | Weblog
 奈良市の唐招提寺で修復中の御影堂(みえいどう、重要文化財)の敷地を発掘調査していた県立橿原考古学研究所(橿考研)は22日、かつて見つかっていた瓦を焼く窯跡が奈良時代末~平安時代初頭(8世紀末~9世紀初頭)に築かれたとわかったと発表した。
 御影堂は1650年に建てられた興福寺旧一乗院の宸殿で、1964年に唐招提寺に移築された。前年の63年、県教委が用地を調査し、瓦窯跡が出土したが、調査期間が短く、詳細な時代は特定できなかった。その後、樹脂を塗って埋めずに床下で保存されていた。今回、御影堂の昨年春からの修理に伴い、同研究所が昨年10月から再調査し、出土した土器などから年代を特定できた。
 唐招提寺は鑑真(688~763)の創建で、鑑真の死後、金堂や東塔などの伽藍整備が本格化した頃の瓦を作るために使われたとみられる。記録に残る最後に造られた建物は810年の東塔だったとされる。
 窯跡は「有畦式平窯」で、全長4・2m、最大幅2・2m。薪などを入れる焚きた口や、平瓦を積み上げて築いた窯の本体の側壁などが出土した。瓦が出土したが、どの建物に使われたかは不明。
 調査地には瓦窯跡は1基しか見つからなかった。
 現地は御影堂の保存修理事業が続いており、説明会はない。
[参考:2018.2.23読売新聞、朝日新聞、産経新聞]

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2017.11.9 興福寺再建用の瓦窯発見 南都焼き打ち後に生産
 興福寺(奈良市)の旧境内で、1180年の南都焼き打ち後に再建用の瓦を焼いたとみられる窯の跡が見つかった。調査地は興福寺五重塔から約400m北で、県庁の裏側。明治初期まで寺の敷地だった。出土した瓦の特徴から興福寺用の窯と断定した。見つかった窯跡は9基。「有畦式平窯」と呼ばれ、1つの窯の内部にあぜ状の土台が数カ所あり、その上に瓦を置いて焼く構造。中世では一般的な窯という。[参考:日経新聞]

唐招提寺


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