歴歩

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大阪市・(後期)難波宮跡 五間門の南側に建物跡を確認

2008年12月19日 | Weblog
 昨年度の調査では、朝堂院西側かつ五間門の直ぐ南に、後期難波宮時期の柱穴7本が、東西方向に2列(北側4本、南側3本)で見つかり、区画堀あるいは大規模な建物があったと考えられるとみられ、新たに官衙の区画が存在した可能性が高くなったとされていた。
 今年度の調査では、昨年度調査場所のすぐ西側を調査したところ
① 1辺が1.1~1.2mの方形の穴が南北に3ヶ所並んで見つかった。柱痕跡は直径約30cm。3ヶ所の柱穴のうち、真中の柱穴は昨年出土した2列の柱穴群の中間で西端のものとみられる。1967年と2007年の調査と合わせて、これら東西に並ぶ柱穴が10ヶ所見つかっており、梁行き2間(5.3m)、桁行き7間(横18m)の建物が建っていることが分かった。
 この建物の東側は、後期難波宮の五間門区画の東端と柱筋が揃い、五間門区画と並存したと考えられる。
 市教委は役人が執務した実用的な建物とみている。
② 5間門区画の南側を区画する堀の柱穴(1辺0.9mの方形)が2つ見つかった。
  15m東では、この区画の南東隅が既に見つかっている。
 現地説明会は23日午後1時半~3時半。問合せは、市文化財協会難波宮調査事務所
[参考:12/16読売新聞、大阪歴史博物館]

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