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高知県いの町・天神溝田遺跡 律令制から荘園制への変換がたどれる遺跡

2008年09月25日 | Weblog
 高知県埋蔵文化財センターは24日、いの町天神の天神溝田遺跡で、県内では例が少ない古代末から中世(8世紀末~12世紀)にかけての遺構や遺物が連続して出土したと発表した。
 8世紀後半~9世紀の律令制から、12~13世紀になると開墾農地の私有を認める荘園制への土地の変遷をたどれる、県内では数少ない貴重な資料」としている。
 遺跡周辺は、律令期は奈良・東大寺が管理して「大野郷」と呼ばれ、土地の区画は北から西へ16度振った区割りがされていた。しかし、荘園制が始まり、「吾川庄」と呼ばれるようなる12世紀には、さらに西側に11度傾いた区割りへと変化し、大幅な再区画整備がなされていたことがわかった。
 約3000点の出土品からは、9世紀後半から10世紀前半に作られた京都産の内側を黒く着色した黒色土器や陶器に上薬を塗った緑釉(りょくゆう)皿が見つかり、東大寺とのつながりがうかがえるものもあった。
周辺には弥生時代の遺跡も多く、今後も歴史的解明につながる新たな発見が期待される。
 現地説明会は、27日午前10時30分から。

天神溝田遺跡     
 天神溝田遺跡(高知県吾川郡いの町天神地区)は、仁淀川に合流する宇治川河口付近に位置する。昭和41年に土取り工事中に弥生時代の中広銅戈1本・中細銅剣1本(いの町の有形文化財)が発見された。
 今回は平成20年7月15日より調査を開始した。バーガ森トンネル北側登り口の沖田橋付近の調査区は音竹城跡の山裾部分であり、南北朝期の遺構・遺物が試掘調査からも確認され、土師器、須恵器、黒色土器等が出土した。また、1点だけ弥生時代中期頃のものと思われる石包丁が山からの流れ込みと考えられる堆積層から出土しており、現調査区の位置から音竹城跡の北側斜面部に弥生時代に関する遺構の存在が考えられる。周辺には、「バーガ森北斜面遺跡」があり、弥生時代中期の高地性集落跡の広がりが考えられる。
 8月28日にバーガ森トンネル北側登り口の沖田橋付近のⅠ区の調査が終了した。
 I区は古代(奈良時代~平安時代)が中心となっており、検出された主な遺構はピット316基、溝3条、土坑15基(内、炉跡2基)。遺物では、土師器、須恵器、緑釉陶器、黒色土器、鉄滓等が出土した。中でも、8世紀末~9世紀初頭にかけての須恵器杯蓋が完形で確認された。これまで、いの町の古代の遺構・遺物の出土例は少なく,古代律令期のいの町の「郡郷」の配置~荘園制の広がり(高知県では12世紀末頃の鎌倉時代からが始まり)の様相を知る上で、貴重な資料を得ることが出来た。
 現在は,I区から西側に位置するII区の遺構検出を行っている。検出された主な遺構にはピット、土坑、畝状遺構等がある。
 東側では,土師器・東播系須恵器(片口鉢)、常滑焼、瓦質土器(鍋・すり鉢)などが出土している。音竹城が機能していた頃の広がりの様相を知る手掛かりとなりそう。
[参考:読売新聞、高知県文化財団埋蔵文化財センターHP]

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