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伊賀市・上野城趾 筒井定次時代の土塁発見

2008年09月25日 | Weblog
 三重県伊賀市上野丸之内の上野城跡(国史跡)の第16次発掘調査を進めている同市教委は24日、藤堂高虎以前の伊賀藩主・筒井定次が16世紀後半に築いたとみられる土塁を発掘したことを発表した。筒井氏時代の遺構が見つかったのは初めてで、土塁の工法は同時代のものでは全国でも珍しいという。
 筒井時代の土塁は、昭和初期に天守閣が再建された伊賀上野城の東側で、上野城跡の南西部にある高虎時代の石垣から、2・7m~1・5m内側で発掘された。大きさは幅7・3m、高さ2・4mで、三段に積んだ「腰巻(こしまき)石垣」の上に、粘土と砂を交互に叩き固めた「版築」と呼ばれる工法で壁状に土を積み上げ、外壁にあたる部分には泥炭と呼ばれる装飾を厚さ60cmにわたって重ねた跡があった。その表面には、漆喰で「化粧」が施されたと推察されるという。
 腰巻石垣は南北に築かれ、長さ7・3m、幅1・6m、高さ90cm。藤堂藩時代の17世紀前半に再構築された石垣の1・5~2・7m東側で見つかり、壊されず、土で埋められていた。使用されている石は藤堂時代のものと比べて小さく、技術も未熟さがうかがえる。しかし、南端の石は角に置くことを意識したことが分かり、すき間に小石を詰めて強度を保つ工夫もみられる。
 筒井氏は天正13(1585)年に大和郡山(奈良県)から伊賀に移封した武将。この時代の築城は、土塁を積み上げた上に塀を立てる工法が一般的とされ、同市教委によると、今回のように石垣から丁寧に塀部分を工作したのは全国でも珍しいという。
 上野城跡の発掘調査は平成12年度から着手。城代家老屋敷跡の調査などに取り組んでおり、昨年度から屋敷北西部にある今回の石垣を発掘調査している。
現地説明会は9月28日、午前10~11時に現地で実施される。問合せは市教委生涯学習課(0595・22・9681)。
[参考:産経新聞、毎日新聞、朝日新聞]

上野城
 平山城跡で、別名白鳳城、伊賀上野城。武庫と永倉が現存する。
 天正13年(1585年)、大和郡山から移ってきて伊賀を拝領した筒井定次により、天正伊賀の乱で焼け落ちた平楽寺の跡に築城された。天守は三層であったといわれるが、史料は残っていない。
 慶長13年(1608年)、徳川家康の命により改易されられた。その後伊予・宇和島から藤堂高虎の持ち城(本拠地は伊勢国・津城)となり、城の大改修が行われた。
 改修は豊臣討伐に備えて濠を深く、石垣も高くした(約30m)。南には二ノ丸も構築し、天守の位置は西側に移動し、層塔型の五層天守を建設したが、竣工をひかえた慶長17年(1612年)に嵐のため天守は倒壊。その後再建されることはなかった。
 文政8年(1825)藤堂高猷が最後の城主となり、1871年に廃城となる。

筒井定次(1562~1615)
 慈明寺順国の嫡男として生まれる。筒井順慶に子が無かったため養嗣子となる。
 筒井氏は大神神社の神官・大神氏の一族と言われている。
 織田信長の死後(1582)は羽柴秀吉の家臣となり、大坂城へ人質として赴いた。天正12年(1584)、順慶の死により家督を相続。そして同年の小牧・長久手の戦いをはじめ、四国征伐、九州征伐、朝鮮出兵など秀吉が行なった戦いに従った。しかしながら、減封され伊賀上野に移封された。このことは秀吉から信用されなかったためにとられた左遷ではないかと考えられるようになった。
 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは東軍に与し、戦後、徳川家康から所領を安堵された。しかし慶長13年(1608年)、幕命により突如として改易され、ここに大名としての筒井氏は滅亡した。
 改易の理由については、領国における悪政、酒色に耽溺した、キリシタンであったあるいは便宜を加えたなど、数々の理由が挙げられているが、最近では筒井氏も豊臣氏恩顧の大名であり、さらに伊賀という大坂近郊の要地を支配していたために危険視した幕府による陰謀ではないかとされている。
 定次は改易された後、その身柄は鳥居忠政のもとに預けられることとなるが、慶長20年(1615年)大坂の陣にて豊臣氏に内通したという理由により、自害を命じられた。定次の子・筒井順定も自害した。
 その後、順慶の養子になっていた定慶が跡を継ぎ、大和郡山1万石を与えられたが、大坂夏の陣で城を攻められ切腹したため、大名としての筒井氏は滅亡した。
 定次流以外の他の筒井氏一族は東大寺住職や奉行や旗本などとして存続した。

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