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益田市・堂ノ上遺跡 焼失建物跡に弥生土器 鎮火にまつわる祭祀か

2008年09月25日 | Weblog
 島根県埋蔵文化財調査センターは24日、益田市久城町の堂ノ上(どうのうえ)遺跡で、弥生時代後期(約1900年前)の焼失した竪穴住居跡に、鎮火後に置かれたと見られる弥生土器などが見つかったことを発表した。
 竪穴住居跡は2か所見つかり、いずれも円形で敷地内の土が焼けこげており、焼失したものとみられる。一つは直径約7.2~7.8m、もう一つは直径約6.6~6.9m。大きい方の焼失住居跡の中央の穴から、直径約30cm、高さ約60cmの甕形土器4個分の破片が出土。うち一つは完全な形に近かった。
 土器は焼けた土のすぐ上にあり、住居の焼失後に意図的に置かれたものと見られる。こうした形で土器が出土するのは県内では初。「鎮火にまつわる祭祀を行ったのでは。当時の生活を知る手がかりになる」と宮本正保同センター企画員。
 現地説明会は27日午前10時から。同町の旧益田工業高前庭に集合。(汚れてもよい履物を用意、小雨決行)。問合せは同センター現地事務所(0856・31・1453)へ。

 堂ノ上遺跡は日本海にほど近い益田川右岸に位置し、益田平野を望む標高30m前後の台地上にある。昨年度は、弥生時代後期(約1,900年前)の竪穴住居跡1、加工段5などを確認した。
 今年度は、焼失住居跡(何らかの原因で焼け落ちた住居跡)2棟のほか、掘立柱建物跡2棟、加工段2を発見した。焼失住居跡はいずれも弥生時代後期(約1,900年前)の竪穴住居跡で、当該期としては大形のものである。
 同遺跡は、弥生時代後期の集落構造を考える上での好例である。住居跡の規模が大きく、隣接する専光寺脇墳墓群で弥生時代の首長墓が確認されたことも考えあわせると、堂ノ上遺跡はこの地域の中核的な集落であった可能性が高い。
[参考:読売新聞、島根県HP→行事・催し一覧]

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