大阪府柏原市教育委員会は11日、8世紀中ごろの建造とされる河内国分寺の金堂の遺構を発見したと発表した。
建物跡が見つかったのは、塔跡から谷を挟んで100mほど西の隣の尾根上。基壇周囲を巡る延べ石列を東西28m以上、南北8m以上にわたって確認した。階段は幅16.7mで、今秋見つかった新薬師寺金堂(奈良市)に似た幅広い階段だったとみられる。基壇は大半が失われ、柱の配列などは不明。
寺を建築する以前に回廊状の建物があり、周囲に玉砂利が敷き詰められていたことも判明。
寺院が山腹に建てられた事実は知られているが、中心建造物の金堂跡が確認されたことで、同教委は特殊な立地であることが改めて明確になり、河内国分寺の全容を知る手掛かりになるとしている。造営地は平たんな地形が多いが、河内国分寺は塔と金堂が異なる尾根の上に建立され、起伏に富んだ地形を巧みに利用している。
当時、天皇・皇后が外出する際に利用した宿舎の眼前に位置しているのは、全国の国分寺に例がない
[参考:時事通信、日経新聞]
河内国分寺の金堂遺構発見=特殊立地、全容解明手掛かりに-大阪(時事通信) - goo ニュース
建物跡が見つかったのは、塔跡から谷を挟んで100mほど西の隣の尾根上。基壇周囲を巡る延べ石列を東西28m以上、南北8m以上にわたって確認した。階段は幅16.7mで、今秋見つかった新薬師寺金堂(奈良市)に似た幅広い階段だったとみられる。基壇は大半が失われ、柱の配列などは不明。
寺を建築する以前に回廊状の建物があり、周囲に玉砂利が敷き詰められていたことも判明。
寺院が山腹に建てられた事実は知られているが、中心建造物の金堂跡が確認されたことで、同教委は特殊な立地であることが改めて明確になり、河内国分寺の全容を知る手掛かりになるとしている。造営地は平たんな地形が多いが、河内国分寺は塔と金堂が異なる尾根の上に建立され、起伏に富んだ地形を巧みに利用している。
当時、天皇・皇后が外出する際に利用した宿舎の眼前に位置しているのは、全国の国分寺に例がない
[参考:時事通信、日経新聞]
河内国分寺の金堂遺構発見=特殊立地、全容解明手掛かりに-大阪(時事通信) - goo ニュース
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