歴歩

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愛知県幸田町・本光寺 深溝松平家東御廟の墓から大量小判などが出土

2009年05月17日 | Weblog
 幸田町にある瑞雲山本光寺(曹洞宗)は大永3年(1523)に深溝(ふこうず)松平家の初代当主松平忠定によって建立され、深溝松平家の菩提寺となった。境内に咲くあじさいが実にきれいなところである。
 本光寺深溝松平家東御廟所調査会(代表・赤羽一郎愛知学院大講師)が14日、第2代島原藩主(島原藩深溝松平家3代)を務めた7代当主の松平忠雄(1673~1736年)の墓所の木棺から慶長小判を含む小判43枚などが見つかったと発表した。
 昨年8月に集中豪雨で浸水、墓石が傾いたことから調査が始まった。墓所の地下約3.5mに掘られた石室(約1.5m四方、深さ1.3m)の中に六角形の木棺(縦横高さ約1m)を納め、墓誌を刻んだ平石で蓋をする構造。木棺の中には、遺体が座位で安置されていた。副葬品は木棺内に小判や太刀、木棺外にグラスや化粧道具、香道具、煙草道具、印籠、眼鏡などが納められていた。
 慶長小判を含む小判計43枚、小判のほかに享保・正徳などの一分金117枚、日本刀の飾太刀四振り、蒔絵印籠、蒔絵化粧道具箱、銀製の銚子、西洋製とみられるガラス製グラス、香道具、銀製のポットなど多数の副葬品が出土した。
 大名の墓から副葬品の小判が確認された例としては、盛岡の南部家(12枚)、仙台の伊達家(10枚)などを上回り過去最多とみられる。
 ほぼ完全な状態で出土したグラスは高さ約15cmで、青地に西洋の男女の姿が色付きで描かれ、製作年とみられる「1599」の文字が書かれていた。こうした西洋的な副葬品は、深溝松平家が島原藩主として長崎の監督を務めたことが関係している可能性が高いという。
 小判を除くコップなど出土品の一部は、6月の毎土・日曜、本光寺宝物館で公開される。
[参考:中日新聞、読売新聞、朝日新聞、産経新聞、毎日新聞]

 【慶長小判】徳川家康が1601(慶長6)年に発行。1695(元禄8)年までに約1470万枚が鋳造された。楕円(だえん)形で縦約7センチ、横約4センチ。重さ約18グラム。1枚の価値は1両。金含有率85%前後と高い。現在は150万-200万円で取引される場合が多いが、鋳造年や保存状態によっては1000万円の値が付くこともある。[参考:中日新聞]

別の写真:本光寺は「あじさい寺」と呼べるくらい、たくさんの見事なあじさいが咲く。特に、早朝6時くらいに行くと、人も少なく、時には朝露がかかったしっとりとした様子が見られる。
 本光寺境内のあじさい
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