歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

奈良市・平城宮外苑 「松林苑跡」 コナベ古墳の西側から楼閣?跡と石張りの護岸を備えた苑池が見つかる

2011年04月24日 | Weblog
 県立橿原考古学研究所は今年の1~3月に発掘調査し、陵墓参考地である全長204mの前方後円墳・コナベ古墳(同市法華寺町、5世紀前半)の外堤西側、かつ、陪冢に指定されている大和26号墳(方墳)の南側で、平城宮の外苑「松林苑」の施設とみられる奈良時代の建物跡の一部や石張りの護岸を備えた苑池が見つかったと明らかにした。
 大極殿を一望できるような施設を計画的に配置した庭園だったとしている。
 東西約5m、南北約2~3.4mの建物跡2棟を確認し、柱の大きさや配置から、楼閣だったとみている。
「続日本紀」には、
天平元年(729)三月三日 天皇御松林苑宴羣臣。引諸司并朝集使主典以上于御在所。賜物有差。
天平元年(729)五月五日 天皇御松林。宴王臣五位已上。賜祿有差。亦奉騎人等。不問位品給錢一千文。
天平二年(730)三月三日・天皇御松林宮。宴五位以上。引文章生等令賦曲水。賜絁布有差。
天平七年(735)五月五日・天皇御北松林覽騎射。入唐廻使及唐人。奏唐國新羅樂弄槍。五位已上賜祿有差。
天平十年(738)一月十七日 皇帝幸松林。賜宴於文武官主典已上。賚祿有差。
天平十七年(745)五月十八日 天皇親臨松林倉廩。賜陪從人等穀有差。
とみえる。
 これらから、松林苑は、聖武天皇の時代に利用され、苑内には倉庫もあったと考えられている。
 現場は既に埋め戻されている。
[参考:4.23読売新聞、4.24毎日新聞、「新日本文学大系 続日本紀」1990岩波新書]

2011.8.25 追記
 その後、池から見つかった甕や皿など大量の土器について、715年前後に使われた可能性が出てきたという。 松林苑が文献に登場する729年より前となり、時期が合わなくなる。
 これについて、①松林苑以外の庭園の可能性、②松林苑は文献に登場する729年より前に整備された とする意見が出ている。
 出土した土器は、県立橿原考古学研究所付属博物館(橿原市)で開催中の発掘調査速報展「大和を掘る29」に9月4日まで展示される。
[参考:読売新聞]

過去の関連ニュース・情報
 2009.12.4コナベ古墳 宮内庁、調査現場を報道陣に公開
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする