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華城市・吉城里土城、漢城百済時代に築造された土城であることを再確認

2011年04月17日 | Weblog
 中部考古学研究所は13日、先月2日から華城市の吉城里土城(화성 길성리토성)周辺の工場建設予定地である東側城壁区間とその内部傾斜面一帯を試掘した結果、吉城里土城が3~4世紀頃漢城百済時代に作られた土城であることを再確認したと発表した。
 城壁内部からは3~4世紀漢城百済土器であることが明らかな打捺文軟質土器(타날문 연질토기)破片が多数と鉄器1点が発見された。
城壁は自然丘を削って土を重ねて固めたいわゆる版築技法(판축기법)で作られていた。
[参考:連合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
 2008.10.11 華城市吉城里土城 百済時代に築造された土城であることが明らかに

備考
 吉城里土城はソウルから南に約50kmほどの京畿道華城市郷南面吉城里にある標高112mを最大とする山の稜線に築かれた土城である。
 2002年韓神大学校博物館によって地表調査が実施され、削土法と盛土法を混用して築城された全周2,311mの土城と発表された。
 築城技法が、基底部に石列を使わない純粋な版築の土城だったこと、城壁の基底で出土した中島式硬質無文土器など、そして隣接した社倉里古墳との関連性から、概ね4世紀頃に築造されたと推定されていた。

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